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神居村へ、初めての夏を  作者: ヒダカ カケル
第二部 神居村に、いつかの秋
41/75

第十六話

*****


「……柳、今何て言った」

「? だから、しばらくあそこ立ち入り禁止だって」

「なんで!?」

「なんでって……なんで? この前行っただろ。財布でも落としたのか?」


 二限目を終えて、水飲み場で鉢合わせた柳に何気なく伝えた結果だ。

 あの旧・神居北小学校で見た“何か”が気になって――――という部分は伏せて、あそこにもう一度行く用事ができた、と。

 そうしたら……この答えが返ってきてしまった。


「あのピアノの件か? あんなの、珍しくも無いだろ?」

「いや珍しいだろ。お前完全にマヒしてんぞ、夜毎に勝手に鳴るピアノが珍しくねぇってのかよ」

「う……」


 そう言われては、立つ瀬がない。誰もいないのに鳴るピアノが珍しくない、なんて……よく言えたもんだ。いよいよ本格的に、俺は毒されているんだと感じる。

 柳はそんな俺を取り残したまま、蛇口から流れるピリッと冷えた水を掬い、叩きつけるように顔を洗っていた。

 濡れた非対称の前髪の先端から水滴が滴り、ステンレスの流し台に落ちて硬い水音を立てる。

 軋む蛇口は締まりが悪くて、締めてから五~六秒してから、ようやく止まった。


「まぁ……俺だって人の事言えねぇよな。この村の奴はみんな言えねェ。……だが、その件じゃない」


 首に巻きっぱなしの手ぬぐいで顔を拭いながら、柳は続ける。


「モノ壊しの高下駄女だよ」

「高……ああ、モコちゃんか。何か壊したのか?」

「ああ。あの日――――ガラスはお前がやったそうだが、あいつ……玄関の床板踏み抜いたろ」

「……そういえば」


 “ピアノ大量発生事件”の日、彼女は帰りがけに玄関の床を踏み抜いた。

 その時は別に飛び跳ねていたりはしていなかったのに……踏み抜き、床下まで転げ落ちてせっかくの黒ゴスが埃まみれになっていた。

 あの瞬間の柳の、全てを諦めきったような表情は……どこか、仏の境地に達していたような気もする。


「次の日、俺と親父が様子を見に行ったんだけどな、玄関付近の床板がだいぶガタがきててな。モコが落ちたのは偶然で、災難だっただけの事だ。……いや、バチだな、きっと」

「そこまで言うかよ……」

「ったりめぇだ。アイツが何か壊すたびに誰が後始末してると思ってんだ。人ん家じゃなかっただけ今回はマシだ。……ともあれ、補修作業中だ。しばらくは立ち入り禁止だよ」


 取りつくしまもなく言い放つ柳と教室に戻ると――――ちょうど、咲耶と八塩さんも何か話していたようだ。


「おかえりなさい、二人とも。……これ、聞きましたか?」

「あん?」


 八塩さんの机の上に、小さなラジオが載っていた。


『……ゆるやかに勢力を増して北上中の台風……は……今週明け頃に、……地方へ上陸するもよう……』


 雑音だらけの放送でも、それだけは聞き取れた。

 台風の予報が、確かに。


「……そういうこった。お前、とことん縁がないみたいだ、ナナ。何か忘れモンでもあったんならそのうち届けてやるよ」

「? 何、どうかしたの? キョーヤ君」

「いや、コイツ……神居北小にちょっと用があったんだとさ。んでも今は工事中だしで入れない。その上、今の予報だろ」

「あ、いや……別に用ってほどの事でもないんだ。ただ……ちょっと確認したい事があってさ」

「何にしても諦めた方がいい。……もう台風の時期かよ。荒れそうだな」


 無論、台風に遭うのは俺だって初めてじゃない。

 だが、それはあくまでインフラも何もかも整った都心部での事で――――こんなところで直撃を食らうのは、正直言って想像もつかない。


「……避難所の場所、分かる? キョーヤ君」

「避難所?」

「このあたりの家、古いからな。寄り合い所だったり、神居中の体育館だったり、しっかりした建物に避難するのも少なくないのさ。まぁ、リョウの“家内安全”符があれば――――」


 そこまで言うと、柳ははっとして口を噤む。


「……悪い」


 こいつの、こんなにバツの悪そうな顔は初めて見た。

 ほんの少しギクシャクした空気が流れたのも束の間、咲耶も目を伏せていたが……すぐに、務めて明るく返した。


「あっははは。いいさ、柳。キミこそ、飛ばされるなよ?」

「……その。あれは俺が悪いんだからな。俺が風呂上がりに腹出して寝たからよ」

「いいからいいから。それより座りなよ。そろそろ鐘だよ」


 ……一番不安なのは、きっと咲耶なんだろう。

 あの“御守り”がないまま、十月を丸ごと過ごす。それは咲耶だけに限った事じゃなく、この村全員がそうだ。


 お馴染みの怪異出没だけじゃなく台風の直撃。

 何があっても、咲耶には何もできないという事。

 今まで村の人達を守っていた咲耶が、今度は守られるだけの立場でしかないという事。


「台風が来るのって……珍しいのか? この村」


 俺は、ひとまず……八塩さんの縋るような視線、といっても見えないが……を感じ取り、空気を変えようと話題を振る。


「……うん、あまり来ないね。直撃なんて……特に。二年ぐらい前になるのかな?」

「あー……。あの時は年寄りが一人、“田んぼの様子を見に行く”っつって聞かなくてな」

「え、それ……大丈夫じゃないやつだろ」

「……仕方ないので、私がついて行きました。飛ばされるかと思って……すごく怖かったのです」

「あぁ、あったな。寄り合い所に戻ってきた時……ずぶ濡れで髪振り乱したデカい女が立ってて、ホラーだったよな」


 フラグをへし折り、帰ってくるあたりはやはり只者じゃないと改めて感じた時、ちょうどチャイムが鳴ってくれて――――変な空気を引きずらないまま、三限目に入れたのは幸いだった。


 ともあれ、俺は……神居北小で見たはずのものを、どうしても思い出せない。

 思い出したくて行こうとしても、二つの理由が邪魔をする。

 ひとつ、玄関の補修工事で立ち入り禁止。

 ふたつ、台風の直撃。

 更に時間が経てば、“秋の紅葉祭り”の何やかやで更に忙しくなる。

 完全に出鼻を挫かれた格好だ。


 確かに、急ぐような事じゃないが……どうにも、気になるのだ。


 ――――あそこで、俺はいったい何を見たんだろう?







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