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神居村へ、初めての夏を  作者: ヒダカ カケル
神居村へ、初めての夏を
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第十話


 鳥居から楼門までの参道、両側にぞろりと屋台が並ぶ。

 セロファンに包まれた綿飴が煌びやかな提灯のように飾られた屋台が、まずは目に入った。

 やかましく音を立てる綿飴機、その中心にザラメを入れて、噴き出たのを割りばしで巻き取って作る――――どこでも見かける光景だ。

 その主人は確実に見かけた事のあるおじさんだったが、どうも出てこない。

 多分、話した事は無い。


「杏矢くん、綿飴屋さんがあるよ」

「そりゃ、あるだろ。買って行こうか。……すみません、二つ」

「え、ボク、払うよ?」

「いいよ。待たせた分、これでチャラな」

「……ありがとう。でも、そんな……本気だったワケじゃないよ」

「それも分かってる」


 ひとつ二百円、合わせて四百円を出して、綿飴を二つ手に取る。

 片方を咲耶に渡して、俺はさっさと包みを外して吸い込むように食べ始めた。

 胸やけがしそうなほど甘苦しい砂糖の綿が口の中でほどけ、舌へ浸み込む。

 食べるのは数年ぶりだけど、そうだ――――こんな味だった。

 こういうのは小学生を終えると……だんだん食べなくなっていくものだ。

 男の場合は、特に。


「兄ちゃん、もしかして、七支君か?」


 咲耶が綿飴を食べ始めるのを見ていたら、綿飴屋のおじさんから声をかけられた。


「はい、俺です。……あの、すみませんが……おじさんは」

「俺か? 神居小で用務員やってる千葉ちばってモンだ。よろしくな」


 見れば、Tシャツから覗く前腕部が日焼けしているのに、手首から先は少し色が薄い。

 たぶん軍手をはめている時間が長いから、そういう焼け方をしたんだ。

 歳は三十代後半ほどか、頭に巻いたタオルと口ヒゲに威勢の良さを感じる、爛々とした目の人懐っこそうな顔をしている人だ。


「いや、不思議そうな顔しないでくれな。最近村に来て、いろいろ頑張ってくれてるらしいから皆知ってんだ、兄ちゃんの事。昨日も倒してきたんだろ?」

「ええ、まぁ。でも……そのせいで遅刻しちゃいましたけど」

「いやいや、立派なモンさ。怜ちゃんも元気だったか?」

「あ、どうも。お疲れ様です」

「こんな可愛くなっちゃって。昔は蛇捕まえて近所のチビを追いまわしてたってのになぁ。うちのガキもベソかいて帰ってきたもんだ」

「ちょ、……違うよ!? 違うよ、ボク、そんな事……!」

「してたのか?」

「し、してたよ、してた……けど……」


 真っ赤になって俯いてしまった咲耶を見て、ふだん用務員、現在綿飴屋の千葉さんはニヤリとしてから、ペットボトルのお茶に口をつけた。

 恥ずかしそうにする咲耶には悪いが……正直、しっくり来てしまったのは、黙っておく。


「……杏矢くん、違うからね? そんな事……もう、してないよ? 射的やりに行こう、射的」

「分かったって。……それじゃすみません、綿飴ごちそうさまです」

「おう、楽しんでいけな」


 顔を背けながら歩き始めた咲耶を追って、挨拶もそこそこに去る。


「で、咲耶。マジで射的やるのか?」

「とりあえず、景品ぐらい見たいよ。さすがにボクがここの子だっていっても、当てれば景品は貰えるよね?」

「貰えるだろ。何が欲しいんだ、モデルガンか?」

「……柳みたいな事言わないでよ。似てきてない?」

「ごめん、つい」


 とっさに離れようとして選んだ名目が、チョコバナナでもヨーヨー釣りでもなく「射的」と言うあたり――咲耶の“本質”はそれなんだろうな、と思ったのは内緒にしたい。



『――……みなさん、こんばんは。神居村役場よりご案内申し上げます』


 先ほど放送された内容が、繰り返された。


『村にお越しになられました阪口さんのご婦人、無事に保護されました事を報告いたします。どうぞお祭りをお楽しみください』


 その意味は、当事者である俺じゃなくても皆分かる。

 「村に顕現した口裂け女を倒した」という、傍から聞けば正気を疑う出来事。

 この放送を聞いた咲耶の顔は曇り、水を差されたように口を尖らせた。

 しかしそれも一瞬のことで……すぐに、柔らかく、どこか浮世を離れて見るようないつもの微笑みを浮かべる。


「……やっぱり、雰囲気を壊されるもんなのか?」

「ん……まぁ、ね。いくら暗号にしてるっていっても、慣れすぎるともう意味ないよ」

「やっぱりか。……悪かったよ」

「え? もしかして、杏矢くんだったの?」

「来る途中に出た。逃げるのも……何だかしのびなかったんだ」

「謝る事ないよ。それよりも、ケガとかしなかった?」

「それは大丈夫。消えるのもちゃんと見たから心配ない」

「……なんだか、いつの間にかもう神居村の仲間になったね」


 行きがけに口裂け女を退治して、今こうして祭りを見て回る。

 それもまた、この村では当たり前の日常なんだろう。

 現に、今の放送を聞いても……型抜き中の子供がちょっと動揺してしくじったぐらいで、大人たちは苦笑いすらしない。

 おかしな村だと、思う。

 だがいるのが、イヤだと思ったことはない。

 数々の怪異を目の当たりにして、奇妙な幽霊刀でそれを払いのける日々を送って、恐怖だってちゃんと抱いたが、それでもだ。

 咲耶がいるから、柳がいるから、八塩さんがいるから、それだけの理由じゃないだろう。

 何かが、懐かしい。

 何かを――――思い出そうとしているような引っかかりがある。



*****


 その後は、射的の一等に挑戦しておもり入りの的にくじけ、たこ焼きを四:二で分け合い、型抜きではあと一歩で割れて、景品は貰えなかった。

 射的の参加賞のシガレットチョコをポケットに突っ込んで歩き、酔っ払い達の茶々をかわして、ようやく落ち着けそうな場所に来た。


 祭りの行われている参道のさらに奥、神居神宮の本殿。

 さすがにそこで酒盛りをする者などいないらしく、祭りの喧騒が遠くに聞こえるほど落ち着いた空気がある。

 そこへ続く一歩手前、楼門前の石段に腰を下ろすと、ようやく一息つけた。

 何だかんだで五時間も隣の婆ちゃんに働かされ、途中に口裂け女を見送り、その後は祭りを見て回り、体力は削られに削られていたから、どっと疲れが出てしまった。


「……どうしたの、大丈夫? 杏矢くん。今日はどうしていたの?」

「隣の婆ちゃんに捕まってさ、ずっと日が暮れるまでコキ使われてさ……夕方まではノンビリしていたかったよ」


 隣に座った咲耶を見て、慌てて――――彼女の顔だけを見る。

 白いオフショルダーのトップス、脚が惜しげもなく晒されているショートパンツ、ストラップ付きのサンダル。

 並んで座り、横から見ると肌色の面積が多すぎて……顔以外の部分を見られない。

 それでも目だけは吸い寄せられてしまうから、最終的には並ぶ屋台の方を見る事にした。


「それにしても、柳と八塩さん……遅いな」

「来ないはずはないと思うけど、遅いね。来れば分かると思うんだけどさ」


 夕涼みの祭りだから、神事は特に行われない。

 仕舞いになれば最後に祝詞が揚げられて終わるが、それまでは何もない。


「久しぶりに、祭りなんて見たな」

「え? それは……ここ、の?」

「何でここの? 小学生の時だよ、多分行ったのは」

「……そっか。で、その時はどうだったんだい」

「どうも何も、インチキとしか思えない紐クジで小遣いを全部すったよ。あれは今思うと、特賞のゲーム機になんか繋がってなかった」

「ははっ……そういうものさ。でも、杏矢くんのツキが無かっただけかもしれないよ?」

「ああ、それ……爺ちゃんにも言われたな、『お前がツかなかっただけだろう』って。確かに、引けたのは四回ぐらいだからな。百本ぐらいあった紐クジからはキツいか」

「でも、百分の四は結構高い確率と思うけどね……。お爺ちゃんって、どういう人だったの? 厳しい人だった、とは聞いたけど」

「……何だろうな。厳しいけど話はしてくれるし、説教臭さも無かったな。運や流れの存在も信じてた。若いころは結構やってたのかもな」


 本当に、不思議な人だった。

 自分にも他人にも厳しい反面で、清濁併せ呑む老獪さもあった。

 かといって悪事を働けば耳がもげそうなほどの声量で一喝され、板の間で何時間も正座させられ、反省として“文”ではなく“書”を書かされた。


 そんな事を思い出しながら、間に置いてある途中で買ったたい焼きの袋に手を伸ばす。

 が……手探りだったからか、先客の腕に触れ、とっさに手を引っこめた。

 ほんの一瞬だったが――――咲耶の腕のさらりとして少し冷えた手触りと、そこに巻かれたミサンガの感触が分かる。


「ご、ごめん!」

「いや、謝らないでよ。ボクは……気にしてないよ」


 気にしているのは……俺だ、間違いない。


「……なぁ。いつか訊こうと思っていたけど、何を願ってるんだ?」


 いつも左手首に巻いている、妙に太くしっかりと織られた、青単色のミサンガ。

 こいつが――――護符に掛けた願いを叶える超常の力を持つ咲耶が、何を願って、そしていつまで巻かれているのか。

 ずっと、気になっていた。


「教えないよ。教えたら叶わなくなるって言うじゃないか。でも……まぁ、いいんだ。叶わなくてもいい。これは贅沢だからさ」

「気になるな」

「まぁ、切れたら教えてあげるよ」

「……どうせすぐ切れると思うぞ」

「ありがとう。……そうなってくれると、いいなぁ」


 すっかり冷めたたい焼きを頬張り、“向こう側”の喧騒を目で追う。

 今この時ばかりは、虫の声も葉のざわめきも聞こえない。


「ねぇ、杏矢くん」

「ん」

「今日は……ありがとう」


 何に――――とは、訊けなかった。

 隣に座る咲耶の顔は、俯いていて窺えなくて。


 ――――触れてはいけない何かの存在を、確かに意識したからだ。





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