樹になった男の話
昔々、ある所に陶芸職人の男がいました。
男は腕が良かったので周囲の人たちの評判になり、
やがて、貴族の人々も彼の作った品を欲しがるようになりました。
お師匠様も男を後継ぎにと可愛がりました。
それを妬んだ兄弟子たちは男の陰口を言うようになり、
最後には、彼に濡れ衣を着せて工房から追い出してしましました。
男は何もかもが嫌になって、長い長い旅に出かけました。
運の悪いことは重なるもので、
行く街行く街で、よそ者めと彼は冷たい目で見られました。
そんなことがある内に、男は疲れ果ててしましました。
そんな時に男は旅の途中の大きな森にふらりと立ち寄りました。
そこには、緑が滴るような美しい自然がありました。
彼は息をつくと、一寝入りする予定で目を閉じました。
ああ、ずっとここにいたいと最後に男は思いました。
彼はふと気がつくと樹になっていました。
それも幹の太い、何百年も生きたような大層立派な木です。
男は黙ってその姿を受け入れました。
樹になった男には沢山の小鳥たちが止まり陽気に囀りました。
嵐が来た晩には、根元に動物たちが避難して来ることもありました。
周囲はどこまでも静まり返っていて、
季節折々の花々が彼の目を楽しませました。
そんな満ち足りた歳月が長い間続きました。
ある日のこと、人間が森を通りかかったのです。
どうやら、近隣の町に行く為の近道をしているようでした。
男は、人間を見かけるのはとても久しぶりだったので懐かしく思いました。
人間はいつも樹になった男の所で一休みをしていきました。
そうしてある日、男は話しかけてみたのです。
人間はとても驚きましたが、おおらかな人で返事をしました。
彼らは、少しずつ話をするようになりました。
人間には奥さんがいること。
まだ見習いであるが、商人であること。
良いものをお客さまに届けたいと思っていること。
将来的には独立をして、世界中を股に掛けたいと思っていること。
樹になった男は丁寧に相槌を打ち、
世界とは広くて、刺激に溢れているものだと思いました。
男は森の中の静かな暮らし、
動物たちや美しい花々のこと、
そんな生活に満足しているということ、
昔々は陶芸職人の人間だったことを言いました。
商人は、ぽつりと貴方が作ったものを見たかったと言いました。
どうして男が樹になったかは不思議と聞かれませんでした。
そんな日々が、10年ほど続きました。
商人と男はすっかり親しくなっていました。
ところがある日、商人はここにはもう来られないと言いました。
どうしてと男が聞くと、難しい病にかかったと答えました。
彼はショックを受けて、呆然としました。
その後、風の噂で商人が亡くなったことを知りました。
男は、暫く何も考えられませんでした。
やがて、どんどん寂しく思うようになりました。
けれども、彼は樹なので涙を流すことすらできません。
男は人になりたいと思いました。
気が付くと、彼は人になっていました。
そうしてふらふらと近隣の町に行くと、陶芸の工房で住み込みで働くようになりました。
男の素朴で優しげな作風は町で評判となり、暫くすると独立しました。
人にどうして陶器を作るのか聞かれると、
彼は見せたかった人がいたんですと答えてそれ以上何も語りませんでした。
やがて、男は結婚をし、子供にも恵まれました。
そうして彼はささやかで幸福な日々を静かに生きて行きました。
それでも、男は時折樹でいた自分と商人の過ぎた日々を懐かしく思い返すのです。