き
喫煙は身体に悪いと思いながら、なかなか辞められない。小説を書くのも精神には良くはなさそうだが、これも辞める事が出来ない。大方同じ様な行為なのだろう。家にいる時はまだ良いが、仕事場にいるときは切実である。煙草を吸いに行くぐらいしか休憩の方法がわからない。仕事に疲れるとすぐに席を立ち、喫煙所に行って煙草を吸いにいく。これがまた癖になるとしょっちゅう席を立って吸いにいく羽目になるから、仕事もおさおさ捗らぬ。俺はもしかすると仕事をする為ではなく、煙草を吸う為に会社に行っているのではないか、等と時々思う。
先日こんな事があった。いつもの様に仕事を抜け出して喫煙所に行くと、同期の大沼に会った。大沼もかなりのヘビースモーカーで、喫煙所でばったり出くわす事は珍しくない。俺は大沼と一緒に煙草を吸いながら、こんな話をした。
「あれ?そう言えばこの前禁煙してるって言ってなかったっけ?」
大沼は片方の眉の端をつり上げながら、厭味っぽく問うた。俺は先日大沼と酒を飲みにいった際、禁煙を始めると声高らかに宣言し、その場で一本も吸わなかったのだ。
「ああ、でも無理だった。三日と続かなかったよ」
俺は自嘲的に答えた。
「駄目じゃないか。そう意志薄弱では大功を成せないぞ」
と大沼は説教臭い。
「大丈夫だ。喫煙者で大功を成した者なんて沢山いるからね」
「例えば?」
「そうだな、誰という事も無いが、まあ昔の男は大抵煙草を吸っていたろう?」
「それはそういう時代だったんだよ。オフィスでも会議中でも平気で煙草をふかしていた時代だったんだから。値段も今よりずっと安かったしね。でも今となっちゃ喫煙者はどこへ行っても隅に追いやられるし、何かと増税対象にはなるし、今の時代に煙草なんか吸っている奴ははっきり言って馬鹿だよ」
「そういう君はどうなんだ?」
「俺かい?俺はまあ惰性で吸っているに過ぎないのさ。辞めようと思えばいつでも辞められるよ」
「じゃあ辞めたら良いじゃないか」
「辞めてもいいけど、まあ辞めてしまったら楽しみも無くなるしなあ」
「そら見ろ。それを辞められないと言うんだよ」
「辞められるったら。俺はただこうして喫煙者のコミュニティーに入って話がしたいだけなんだから」
「じゃあ証拠を見せろ」
「証拠と言われてもなあ」
「じゃあこうしよう。君がもし禁煙に成功したら、俺は君を大功を成す者として認めてやる」
「そりゃ構わないけどさ、禁煙に成功したといつ判断するんだい?」
「そうだな、一年間一本も煙草を吸わなけりゃ認めてやるよ」
「待て、一年間は長過ぎる。約束自体覚えてるかどうかも分からん。一ヶ月にしよう」
「うむ、まあ良いだろう。それじゃあ今吸ってる煙草を最後にこれから一ヶ月間一本も吸わないんだぞ。勿論家でも吸っちゃ駄目だ。隠れて吸うんじゃないぞ。吸えば吸う程我慢が辛くなるんだからな」
「分かったよ。君もそんなに本気になるこたあないだろうに」
大沼は煙草をステンレス製の灰皿にねじ伏せると、喫煙室を後にした。
俺はその後急に便意を催したので、喫煙所を出てからトイレに行った。用を済ませると、また急に煙草が吸いたくなったので、再び喫煙所に向かった。そうしたら先ほど別れたばかりの大沼がまた煙草を吸っていた。禁煙に失敗する事は良くあるが、五分ももたなかったなどというのはなかなか珍しい。
「なんだ、もうお手上げか」
俺が話しかけると、大沼は慌てて弁解した。
「いや、折角だから最後にもう一本だけ吸いたいと思ったんだ。これで最後だ」
「駄目だ。もう失格だ。安心して思う存分吸うと良い」
しかし俺はこんな大沼を嗤えないのである。先ほど俺は「家にいる時はまだ良い」等と書いたが、実を言えば家でも仕事場と変わらないペースで煙草を吸っている。つまり休憩の仕方が分からずに吸ってしまうなどというのは大嘘で、単に吸いたいから吸っているだけの話である。部屋の壁は黄色いし、灰皿も常に山盛りである。同じ穴の狢とはこの事だ。
それはそうと、そろそろ吸い殻を捨てなければならん。でも火のついた吸い殻をゴミ袋に入れてしまっては袋に穴が空くな。