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 嘘、うそ、ウソの犇めく世の中で、本当の事を言えば淘汰される。だから俺は決して本当の事など言うつもりはない。書くつもりもない。けれどもだからといって嘘を書くつもりもない。嘘つき呼ばわりされるのは御免だし、第一そんなものは日常生活の中で飽き飽きするほど聞いているのだから。俺はそこで嘘のオブラートに包んだ本当を想像してみた。けれどもそれは却って俗臭を帯びていた。普通本当の事は嘘に包まれて提示される。その厭味ったらしさと来たら!俺は嘘でも本当でもない事を書きたいと思った。世の中にそんなものがあるかって?ある。それは論理という騙し絵だ。普通、白いものを黒と言えば嘘になる。けれどもそれが黒である事を論理的に証明することが出来れば嘘とは言われなくなる。本当ではないのは明白であっても、さりとて嘘とも言えないのだ。そういう嘘でも本当でもないものをひっくるめて、世の中では哲学とか芸術とか呼ばれている。それらは嘘でも本当でもないから、信じるわけにも信じないわけにもいかず、なかなかもって厄介な代物である。しかし大方は本当ではなかろうし、仮に本当だったところでそれが人類の生活に資する事はなかろうから、相手にするだけ虚しい様な気もした。かといって物質的なものを描こうとすれば、写実性においては映像や写真には適わないであろう。何も文学である必要は無い。それでは何故書くのか?この問題について俺は未だ答えを見出せずにいる。いっその事手段を目的化して、「書く為に書く」というのはどうだろうか?書く事に意味を求めてはならない。

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