第九話 馬車の旅5
何が何だかわからない状況下で、あちこちから怒声や悲鳴が聞こえてくる。
「ぎゃぁっ!」
「一人確保!」
「怪我人保護しました」
「お頭ぁーお頭ぁー」
「頭目らしき人物確保!」
(あれ? 助かった?)
新手は野盗のような下卑な感じがなければ、上げる声に無我もない。てきぱきと作業を進めていく感じがする。
徐々に視力が戻ってくると、なんとなく状況が見えてきた。
「移送ギルドの応援部隊?」
「正解。まったくお嬢は何かと問題の渦中にいるなぁ」
つむじの直ぐ上から聞こえてきた声に、イリスはハッとして反射的に後ろを振り返った。
まだ少しぼやけているが、随分大柄な男が見える。短く刈った金茶の髪と髭に、日に焼けた眩しいまでの肌、野盗なんて目じゃないほどの筋骨隆々な腕、いかついと言われる顔とそれを和らげてくれる茶目っ気ある緑色の瞳がわかった。
「ジジ!!? 支部長の大部隊なの!?」
「そうそう。カーダから連絡が来て、例の件の処理のためにソラドラに帰る途中だったんだ。運が良かったなぁ」
例の件とは、イリスがソラドラを出る時に巻き込まれた?口契約の件だろう。
大柄な男、ジジ―――ジージック=モズは、ソラドラの名士・アルザスの人間で、伯父に当たるアルザス氏の屋敷に居候している。その関係上、移送ギルドの支部長を務めているが、元が剣士ギルド所属の戦闘職だけにその筋肉は飾り物ではない。彼に鍛えられた移送ギルド直属の護衛も剣士ギルド派遣の用心棒も腕利きで、おかげでこの辺りには馬車を襲う野盗なんていなかったのだが。
「手古摺ってるなぁ。………あいつか」
ジジが顔を顰めたのは、あのイーズとかいう案山子頭の青年だ。
ガタイのいい男二人がかりで切りかかっても、うまく足をさばいて避けている。他の人達は捕まえた他の二人の見張りや縛られていた男たちの繩をほどいたり、怪我人の手当てをしたりで手が離せそうにない。
「ちょっと俺言ってくんわ。お嬢、ここら辺の人ら頼んでもいい?」
「うん。最悪もう一回指輪発動させるから」
ジジが目を泳がせる。本当にこの指輪は最終最悪時の技のようだ。
過去数度夫作の仕掛け被害にあったことのあるジジにとっては、軽いトラウマのようなものだろう。比較的小さな被害―――けれど、ある意味一番性質の悪い被害―――しかあったことのないイリスでさえ、やや嫌気が指しているのだから。
遠い目をしながらジジを見送ると、ちょんちょんと軽く袖が引っ張られた。
「イリスさん、あの人知り合い?」
「ジジ? うん、幼馴染の従兄弟だよ。移送ギルドの支部長さん。腕っ節も強いから大丈夫」
安心させようと力強く言ってみるが、別にシアラは怯えているわけではなかった。
「うん、すごい筋肉だもんね………」
微笑を浮かべながら、シアラはジジの筋肉を眺めていた。
ジジはそのすごい筋肉で、長さがシアラ程ある大剣を軽々扱ってみせるのだ。イーズは今もなんとか避けているが、剣圧がまたすさまじく、逃げ切れないと思ったようで剣を構える。だが、ジジの剣を受けた瞬間、その重さに耐えきれず地面に突っ伏した。ジジが軽々扱うものだから感覚が狂いがちだが、あれはカーダの父親、モルツ工房のヴィルク親方を以てしても「職人のプライドが傷つくが、もう二度とあんなもん作らねぇからな」と言わしめた剣だ。
あんなもの食らっては、案山子男などひとたまりもないだろう。ほとんど決着がついたのを見て、イリスはシアラに声をかける。
「もう終わったみたいだし、シアラはフィーアさんたち見に行ってあげて」
「うん。でも、お母さんたち寝てると思うよ」
「寝てる?」
「たぶん、野盗が出たことにも気づいてないと思う」
もう目を離しても大丈夫だろうと、他の人達から離れ、シアラの後に続いて馬車に入る。
すると、馬車の一番奥で毛布にくるまった状態ですーすー寝息をかいている母子を見て、イリスは言葉を失くした。
※※※※
ジジ率いる支部長直属の精鋭たちのおかげで、イリスたちはなんとか助かった。
怪我人は用心棒二人のみで、その用心棒たちもその精鋭たちの中の魔法使いのおかげで大事なく済んだ。イリスが散々気にした馬車を止めた方法は、実はなんとも杜撰な物で、あのお頭が岩のような石を怪力で馬車の前に投げ込んだだけだったらしい。
どこか間抜けな野盗三人は、グシェル経て東に連行されるらしい。そして、用心棒負傷のイリスたち一行は、支部長直属の精鋭に護衛されながらグシェルへと向かうこととなった。
「カーダから日時まで指定されて戻ってくるように言われた時は五月蠅い奴だと思ったけど、あいつはこれを予測していたんだろうな」
イリスは御者台に座って、ジジと話していた。勿論、イリスに馬が御せるわけもなく、手綱を握っているのはジジだ。
「耳が痛い………」
婉曲的にカーダが「そらみたことか」と責めているように思えた。用心棒を断ったのは悪かったと思っているが、カーダを連れて行くわけにはいかなかったので反省はしていない。
ただ、案の定、面倒事に巻き込まれて自分の迷惑体質に辟易する。
「ってか、あれ助かった。あの閃光がなかったら、俺ら突撃するタイミングがなくてさ」
ぼんやり遠くで立っているだけと思っていたお頭だったが、あれは周囲を警戒していたらしい。三人で最大限に立ち回り、すぐ消えてしまう為前々から南の方で問題となっていた野盗一味だったらしい。
(全然そうは思えなかったけど)
仲間の情報漏らしたりコントみたいな無駄な会話挟んだり、をちょっと愉快な仲間たちという間抜け具合のおかげで、実際みんなそれ程怯えなかった。おかげで、イリスも発動条件をはっきり唱えられたのだが。
「でも、まさか爆音と閃光の仕掛けだなんて」
「お嬢に本物の爆弾なんて持たせたら危ないだろ。味方全滅だ」
「よく妻をわかっている夫でよかったよ………」
投げやりな返事にジジはハハハと豪快に笑った。
しかし、やってあるだろうなと薄々思ってはいたが、指輪にこんな仕掛けがされているとは驚かされた。左薬指に嵌められた指輪の梨色の石がきらりと笑った。
眺めていると夫に守られている気になった。傍にいられないからと、残していった大切な指輪―――
遠い記憶を呼び戻そうとしていたイリスに、不意にジジが声を掛けた。
「そう言えば、お嬢、どうしてこんなところにいるんだ?」
(―――今更っ!?)
登場人物に数えるべきか悩んだけど、名前が出たので一応。
野盗:お頭
訛りがきつくて何を言っているかわからない大男。岩を持ち上げられる怪力自慢。
野盗:イーズ
案山子みたいな外見の青年。結構強いけど、ジジに倒される。馬鹿っぽい。
野盗:ロン
頭脳派じゃない策士。なぜかお頭のいうことがわかる。一番まともっぽいのに、一番いろいろと失言する人。
3人とも刑務所行きです。