第六話 馬車の旅2
夜になっても馬車はがたんごとん道を進んで行っていた。
ソラドラとグシェルの間には、宿屋と数か所小さな村が点在している。一日目と二日目はそこの宿屋で夜を過ごしたのだが、三日目の夜を過ごす宿だけはないらしい。そのため、ソラドラからグシェルに行く馬車は三日目の晩だけ御者交代で一晩止まらず進み続けるらしい。元々この辺りは治安がいいし、護衛もついているので、何事もなくゆったりと馬車は進んでいた。
くすくすと笑い声がする。馬車の揺れが心地よくて昼間眠ってしまった者たちもちらほらいて、馬車内では声を落としながらつれや旅路で知り合った者たちと夜話を楽しんでいた。
「ねえ、イリスさん。旦那さんとの馴れ初め教えて」
シアラも眠れなかった1人らしい。幼いウルトはフィーアに寝物語を語られれば一番盛り上がるところまで来る前に意識を落としてしまっていた。
乗合馬車には十代の女性はイリスとシアラしか乗っていなかった。そのため、シアラは興味津々でイリスに質問をしてくる。イリスの方も、一人旅の退屈もあって夫の記憶を手繰り寄せ、細々と語ってやっていた。
「馴れ初めねぇ………なんだろう?」
「おぼえてないの?」
「これっていうのが思いつかないの。あたしたち幼馴染で、物心ついた時にはもう傍にいたから」
「幼馴染! それも素敵っ」
きゃっと可愛らしい声を上げるシアラに、イリスは若いなーと遠い目をした。
恋愛への興味の尽きないシアラにとっては、イリスの何気ない話でも十分恋愛小説のように感じられるに違いない。実際は、そんなロマンチックなものではないのだが。
「旦那さん、やっぱり年上?」
「やっぱり? シアラは年上がいいの?」
「うん。同じ年の子なんて子供っぽいもの。やっぱり年上って素敵じゃない―――って、あたしの話はいいの。イリスさんは?」
「年上だよ。三つ年上だから、今は22歳」
彼もイリスと同じ冬生まれだ。誕生日が来るまでに再会できるだろうか?
今はまだ夏だというのに、ネガティブな感情がそう簡単に見つかるはずがないと言う。
そんなイリスの不安など知らないシアラは、無邪気にその言葉に目を輝かせた。
「三つ上! いいなぁ~。あたしの三つ上って言ったら、19歳だわ。イリスさん素敵な人知らない?」
「うーん。未婚の幼馴染ならまだいるけど、その人好きな人いるし………」
その思い人は、まさかのマイラである。哀れな幼馴染は、あのマイラの男性不信っぷりを見ながらも15年一途に思い続けている。最近会っていないが、きっとその一途さに変わりないだろうから、紹介するわけにもいかなかった。
「25歳でも良かったら結婚したがっている人知っているんだけどね」
さすがに25歳じゃあ、離れすぎているだろう。あのカーダは6歳差で幼女趣味と悪友たちにからかわれたのだ。それ以上はさすがに危ない気がするのは、イリスだけだろうか?
「いいよ。あたし年上好きだもの。でも、残念。イリスさんこれから王都だもの。帰ってきたら紹介してね」
シアラがウインクして、イリスに促す。どうやら本気らしい。それならイリスが無駄に気を揉む必要もない。最近本気で嫁さがしにかかっているという彼に、次会う時朗報が届けられそうだ。
(こんな可愛い奥さんね)
くすくす笑っていると、いきなりガコンと大きな音がして、馬車が激しく揺れた。
「きゃぁあっ」
体の軽いシアラが、勢いに負けてイリスの方へ飛び込んでくる。そう大きさの変わらないイリスだが、なんとか受け止めてやる。それから急いで周りを見れば、それぞれお互いに庇い合って怪我人はいないようだ。「痛っ」と小さく悲鳴が聞こえたが、一人大きな体の中年男性が浮いた衝撃で尻を打っただけのようだ。大事はなかった。
「何だァ!」
「石に乗り上げただけじゃないのか?」
「目が覚めちまったよ」
「着いたのかぁ~?」
男たちが色々勝手に状況を言い合う。
シアラはイリスの腕の中で「びっくりしたぁ」と目をぱちぱちさせていた。
そして、一気に静けさが訪れた馬車内で、イリスはシアラにわからない程度に眉をひそめた。
(―――馬車が完全に止まった。先に今晩馬車は止まらないって説明されているんだから、休憩は有りえない。なら、何もはずがない)
脱輪くらいなら大きな問題ではない。二十人いる客の多くは男手、それもグシェルに出稼ぎに行く健康な成人男性たちだ。御者は二人で、用心棒も二人ついている。だが、予想しうる最悪は、魔獣だ。いくら治安がいいとはいえ、これは当たってしまっては何ともできない。魔獣のレベルと数、用心棒の腕と自分たちの運を信じるしかない。
最悪を想定して、耳を澄ませた。外では何人かが話す声がする。よく聞こえる声は大きいが名前があって聞き取りづらい。他の声はそう大きくなく、幌越しでははっきりと聞き取れない。会話内容はわからなかった。
「馬車が止まった。外見に行くか」
「話し声がするし、何かあったのかもしれない」
「魔獣かっ!?」
イリスが予想したことをようやく相談し始めた男たちに、イリスは内心落ち込んだ。どうやらあまり頭の回る人はいないようだ。ソラドラは昔から魔獣に襲われることが多くて、そのたび、カーダや夫たちが戦闘系のギルド関係者を引き連れて素早く退治していたから、女子供だってあまり怯えはしない。だから、こういう狼狽える反応はイリスには珍しかった。
(だけど、違うでしょ!)
聞こえた訛りの強い大きな声。そんな人間御者にも用心棒にもいなかったはずだ。偶然他の馬車とかち合って停止したとしても、直ぐに手の空いた人間が説明に来ないのはおかしい。
(来ないんじゃなくて、来られない)
もしも外の連中が野盗だとすれば、あっさり馬車を止めてしまう辺り野盗たちの方が頭は回るのかもしれない。それなら、機転を利かして逃げるのも難しい。
自分のとことん面倒事にまきこまれる体質に、うんざりした。
「一応、女子供を奥へ行かせるんだ!」
「武器になりそうなもの持って男は入り口に集まって」
学生風の青年たちが気を利かせて、馬車内の人達を移動させる。元から奥の方に匿っていたイリスたちは動かず、代わりに入り口側にいた中年の御婦人と若い妊婦、ウルトより幼い子供を連れた老婆がやって来たので、イリスは彼女たちをさらに奥へとやり、自分は少し入り口に寄る。
入り口には、あの学生風の青年2人を中心に、先程から騒がしかった出稼ぎ労働者6人と妊婦の連れの青年がそれぞれなんとか武器になりそうなものを持って集まった(だが、武器と言ってもよくて果物ナイフ。文具ばさみに、三叉フォークに、600頁程の医学辞書!)。両方の間には、怯えながらも必死に勇気を見せている先程尻を打った中年のおじさん(ぽっちゃりし過ぎて戦えそうには見えない)に杖を片手に構えるようにしているおじいさん(70は超えていそうなので、むしろじっとしていてほしい)にかたかた震えるがいこつ(比喩だが、それくらい細い)が皆身構えていた。
「幌を少し捲って外を見るから、女子供は外から見えないように頭を低くして」
「いくよ。1・2・3―――」
学生たちが幌を空けた瞬間、見えたのは目を覆いたくなるような光景だった。
イリスはほとんど条件反射でシアラを抱きしめ、その目と耳を覆う。それとほぼ同時に、それは辺り一帯に響き渡った。
「うわあああぁぁぁぁぁぁあああああああああっ」
それは、口と腹から盛大に血を吐きながら倒れる用心棒の絶叫だった。
旅のお約束:野盗・盗賊
しかし、自分で書いておいてなんだけど、幌開けたら人が血吐きながら倒れるって恐ろしいな。用心棒さん、ごめん。続きます。これから口調も荒れていくので、苦手な方は「馬車の旅」を読み飛ばしてください。それほど本編進行に問題ありません、たぶん。
あと、セリアの瞳の色は梨色。「黄色か茶色か緑か~」って表現が面倒なので、この後ずっと梨色で通します。和梨も洋梨もおいしいですよね(←これが由来)。