第五話 馬車の旅1
今回少し短めです。
切るところがほかに見つからなかった。
乗合馬車は、思っていたより乗り心地よいものだった。
この辺りの道が丁寧に舗装されているおかげで、がたんごとん揺れても昔乗った馬車程ひどいとは思えなかった。お尻の下には防寒具として持ってきたコートを畳んで敷いてあるのもあって、それほど痛まなかった。
この乗合馬車は三日かけて近くの中規模都市・グシェルにたどり着く。二十人乗れると言う馬車は、ソラドラを出る時は十人足らずしか乗っていなかったが、進むごとに人を増やして二日目の夕方には二十人いっぱいの状態でグシェルに近づいていた。
「お姉ちゃん、お姉ちゃんはどこまで行くの?」
偶然隣に座った少年が尋ねてくる。
「王都だよ」
「へー、すごーい。でも、遠いよ、大丈夫?」
「うん、大丈夫。ありがとう」
なんて話しながらの旅だから、人と会話することの好きなイリスは馬車旅というものを存分に楽しめていた。
イリスの隣に座った少年は、名前をウルトというらしい。母と姉との三人で、グシェルから程近いところにあるキッシンジャーという小さな町にある古い友人のところへ向かっている最中だと言った。
「でも、王都なんて大変ねぇ。御親戚か誰かいらっしゃるの?」
ウルトの母・フィーアは、綺麗な砂色の髪を耳に掛けながら落ち着いた婦人口調で尋ねてきた。
「はい、夫がいるんです」
「ご主人? 結婚していらしたのね」
フィーアの視線はイリスの右手にいく。結婚した女性は右手首に銀の腕輪をするのがこの辺りの風習だ。腕輪の中には一つ大きな石を埋め込む。それは相手の腕輪と対になっていて、その石を二人で合わせないと腕輪は外れないという特殊な仕掛けになっている。だが、その既婚者の証のような腕輪をイリスはつけていない。
一般的に言って、腕をつけていないのは結婚を公に出来ないのか、それとも腕輪を用意するお金もなかったのか。たいていそのどちらかと考えられる。どちらにしてもあまり世間体的には良くない。いっそ結婚していないと言ってしまった方が無難なくらい。
事情があるのだろうというフィーアの視線がわかって、イリスははははと苦い顔で笑った。
「腕輪は注文していたんですけど、出来上がるより前に夫が急に王都に行かなくなってしまって。とりあえずってことで、夫には指輪をもらいましたけど」
苦笑しながら、イリスは黄色なのか茶色なのか緑色なのか―――どちらと言うと緑の割合が多いが―――なんとも言えない微妙な色合いの石の嵌まった銀の指輪を見せた。綺麗だが、わずかにフォルムの歪んだ指輪を。
「左手につけられたの?」
「ええ、母の地元の方では左の薬指につけるらしくて」
「変わった風習ね。でも、素敵だわ」
「え?」
どこがだろう。腕輪が指輪になっただけだ。それも、腕輪が間に合わないからと慌てた夫がカーダのところに駆け込んで「畑違いだ。余所を当たれ!」と断られつつも色々頼み込んでなんとか作ってもらったものだ。作ってくれたカーダには悪いが、正直どこが素敵なのだろう。一日で作ってほしいと無茶を通そうとしている夫の姿がふと思い出されて、懐かしいしほほえましいが、同時に迷惑をかけてしまったカーダへの申し訳なさで頭が痛くなった。
これのどこが素敵なのだろうとじっくり指輪を睨むイリスにを見て、フィーアは「そうじゃないわ」とくすくす笑った。
「その石、貴女の瞳の色と同じじゃないの。カルナに生る梨の色。茶色味がかった黄色っぽい緑なんてなかなか見ない色だわ。そうそう見つけられる石じゃないでしょう、ねぇ?」
そう言えば、この石の名前を知らない。
翡翠やエメラルドとは全く違う色味を発するこんな石を、今までこれ以外に見たことはなかった。
まじまじ石に見入っていると、にこやかな笑顔でフィーアは「愛されているわねぇ」とからかった。
「いいなぁ。あたしも指輪したぁい」
ウルトの姉・シアラが甘い声を上げた。十代も後半に入った頃のシアラはそろそろ本格的に結婚が視野に入る年頃だろう。羨ましげにイリスの手をとってしげしげと眺める。
「シアラも未来の旦那様に買ってもらいなさい」
「うん、あたしも瞳と同じ色の石の指輪買ってもらうわ」
嬉々として母の言葉にうなずく彼女は、とても愛らしかった。
きっと数年後の彼女の指には、その瞳と同じマリンブルーの石の指輪が嵌まっていることだろう。
(そう言えば………)
左薬指の指輪。
この指輪を嵌めたのは夫だった。母の故郷の風習を語った覚えはないのだが、夫はそのことを知っていたのだろうか?
偶然か、はたまたそれとも―――