第三話 旅立ち3
翌日、カーダごめんと思いながらも家を出たイリスは、まず街の中心地であるマートンへと向かった。
イリスたちの育ったソラドラは、三つの地域に分かれる。イリスたちが暮らしていたのは街の西側一帯の丘陵地帯「カルナ」。今向かっている「マートン」は地方交易の中心地として商業盛んな街の中心街だ。残る一つは「ハウスト」という高級住宅地で、冬場は避寒地として貴族や金持ち商人が集まるような場所でもある。
そして、イリスはマートンで乗合馬車に乗るつもりであった。
「は? お嬢ちゃんが王都に行くってか? 一人で?」
マートンには、多くの労働組合の支部が置かれている。王都と南国の中間地点にあるソラドラは、町の規模こそ小さいものの役割は重要だ。だから、ギルドの規模はそこそこ大きいし種類も豊富だ。
イリスが顔を出したのは、その中でも移送ギルドというギルドだ。
有機物無機物問わず、犯罪に関与しないものならば交渉次第でなんでも運んでくれるというなんとも便利な物である。無論、人も運んでくれる。馬車は個人で頼むとなかなか高いので、見ず知らずの人達を一緒に乗せて決まった目的地まで運んでくれる乗合馬車が役に立つ。
「1人よ。何か問題でもある?」
つんっと澄ました口調は、マイラをまんま真似たものだ。
お嬢ちゃんという言葉自体否定したかったのだが、イリスの見てくれでは笑われてしまうのがオチだ。それならば、態度で上だと見せる必要がある。
(でも、もう少しで20歳なんだけどな………)
半年早く生まれたマイラと並ぶと姉妹に見られることがある。顔がまったく似ていないだけに、さらにショックだ。
しかも、見ればお嬢ちゃんとイリスを呼んだ男は、髭こそ生えてむさ苦しいオッサン風貌だけれども、髪は黒々として肌も引き締まっている。身なりを整えれば、そう年は変わらないなんじゃないだろうか。
ギルドの受付にいた男は、イリスの返しに少しばかり目を見開いたが、怯むことなく大げさな身振りをつけた。
「そりゃあ、そうさ。お嬢ちゃんみたいな子が一人で王都に行くなんて危険だろう?」
「大丈夫よ」
「どうかな? 危ない男なんていっぱいいるんだぜ。どうだい、俺を用心棒につけてみないか?」
突然の提案に、イリスは目を細めた。
(これが目的か………)
男の提案は意外でもなんでもない。
小金稼ぎというやつだろう。ギルドに所属しようとも、若者の給料など少ないものだ。それを移動の際に少し手心加えるだけで多少収入を得られるのならば、用心棒など軽い仕事だ。これから都会に出て行って狼狽えるであろう小娘には、地元の人間が近くにいてくれるというだけで心強いものがある。
それをわかっての行動と見抜いたイリスは、はんと鼻で嗤ってみせる。
「けっこうよ。これでも腕には自信があるの」
試してみる?と言わんばかりに目に力を入れて大きく見開き眉をぱっと瞬時に上げる。マイラの癖だ。本当に言わないのは、護身術を齧った程度のイリスでは目の前の男に勝てそうにない体。たくし上げられたシャツから覗くむきむきの筋肉は、記憶の中の夫の物よりずっと盛り上がっている。
「そう言わずに、なあ? 騙されたと思って雇ってみると良いぜ。後でよかったと思える。保証するから!」
「随分な自信ね。移送ギルドがいつから用心棒ギルドも兼ねはじめたって言うの?」
イリスは呆れたように腕を組んだ。
だいたい用心棒ギルドなんてものない。用心棒は自分で剣士ギルドや冒険者ギルドに依頼するのが普通だ。それに、元々乗合馬車には個人依頼より質的劣るが優秀な護衛がつく。安全性も高いので、乗合馬車が野盗や魔獣なんかに襲われるという事件はまず聞かない。
イリスは心の中で舌をべーっと出した。
(―――雇ったら本当に騙されるじゃないのっ!!!)
必死に断ろうとするが、男はかなりしつこい。
なんとしても雇って欲しいのか、ついには受付カウンターから身を乗り出してイリスの腕まで掴んでくる。
さすがにそれは不審に思えたのか、周囲にいた職員たちがちらちらこちらを見てくる。事務で傍に座って計算機を触っていた女性など、どうしたものかとあたふたした様子でこっちを伺ってくる。
このままでは大事になりかねない。
「放して! あたし急いでいるのよ」
勢いをつけて振り払えば、ぱしんと軽い音がした。
(何かやらかした何かやらかしたぁっ!)
この感覚には覚えがあった。
なんとなく面倒事を誘発する体質は昔からだ。幼馴染たちには悪運強いと言われるが、それも何かやらかしながらもなんとか周りの人達に助けてもらっているからだ。だが、生憎今イリスの周りにはいつもイリスを助けてくれた人たちはいない。自力で乗り切るしかないのだ。
男の方を見るのが恐ろしくて事務の女性を見れば、彼女は明らかに挙動不審で、青い顔をしてこちらを見ている。目が合うと、「逃げてください」と口が動くのも見えた。
兢々として上を見上げれば、男は顔を、それも目のあたりを押さえていた。
「何してくれんだァ、お嬢ちゃん」
男がえらい剣幕でカウンター脇の小さな扉を押して近づいてくる。
これは殴られる?と身構えた。
ずんずんずんと男が迫りくる。
(まさか顔殴らないよね?)
腕を振り上げた男。身長差を考えると、なんだか良い感じの場所にイリスの顔がある。
最悪頭で受けてやると俯いたら、世にも恐ろしい怒声が響いた。
「イリスッ!」