第二話 旅立ち2
「あたし、夫をむかえに行ってくる」
イリスの心は決まっていた。
「ごめんね」
その心を嬉しく思うが、受け入れることはできなかった。
眉を下げて笑う幼馴染の心を見たマイラは、悔しそうに口を結んだ。
「本当に行くの?」
「うん」
「おじいちゃんたちにはもう言ったの?」
「今朝言った」
おじいちゃんたちとは、夫の祖父母のことだ。
ずっと前に母親を亡くし、父親の顔を知らないという夫には数少ない身内である。果樹園を営んでいるが、まだ60を越えたばかりで健康な彼らに教わることはあっても、助けになれるようなことはない。
最近のおじいちゃんたち、本当元気だ。
「収穫期は近所の子供たちに手伝ってもらうって言っていたし、まあ大丈夫。でも一応マイラが時々顔を出してくれると嬉しいなぁ」
あからさまに期待するまなざしを送れば、「わぁかったわよ」と呆れられた。
「まったくあんたはそういうところ抜け目ないんだから。参ったわ」
「マイラ、ありがとー」
大好き―とテーブル挟んで抱き着くと、まんざらでもない様子で優しく抱き返してくれた。
それなりにお互い満足すれば、そろそろと席に着く。馴染みの店だがあまり目立つ行動をすれば、嫌がられるだろう。間を誤魔化すようにイリスはクラムベリージュースを啜った。水っぽい。
「結局、あたしってあんたに敵わないのよね」
「ふふっ、いつも勝たせてもらってます」
にこーと喜色満面でイリスは答えた。
夫をむかえに行こう。そう決めた時から、一番の難関がマイラの説得だった。過保護だからなかなか許してくれないし、事後承諾で出て行こうものなら一生口を利いてもらえない可能性だってあるからだ。
(苦言がこれだけで済んだなんてほんと珍しい)
そんなことを思っていると、不意にマイラがにぃと力強い笑みを見せた。どうやら何か思いついたらしい。
「まあ、やるならとことんよね。あのへたれにも連絡入れておくから、都近くまで行ったら助けてもらうといいわ。後、幾つか衣服系の店にも伝手あるから、そっちでも情報集めておいてあげる」
「本当? ありがとう! すごく助かる」
食らいつきそうな勢いで、マイラへと身を乗り出す。
「感謝しなさい。情報収集なら女の十八番よ。あいつも集めてくれるでしょうけど、それとは違った面から調べられるでしょうし」
自信満々に後光すら放ちそうなマイラをよそに、イリスは「あのへたれ」「あいつ」と名前を呼んでもらえない哀れな幼馴染を思う。彼の片思いはいつ報われるんだろう。
けれど、それ以上にマイラの協力は心強かった。ソラドラをほとんど出たことがないイリスにとって、外の情報を手に入れる手段はないに等しい。都を知る人に情報収集願えるなら、それ以上のことはなかった。
マイラの化粧で彩られた目が弧を描く。笑っている。
「任せておきなさい。草木かきわけるどころじゃなく、地面めくってやるつもりでやってやるわ。あんの馬鹿にはちょーっと説教してやらないと気が済まないわ」
ふふふはははと一人笑うマイラの姿に、イリスは少し目を細めて、ああいい友達持ったと微笑んだ。布張りの椅子で腰を引いたのは秘密だ。
「そう言えば、イリス、カーダには言ったの?」
帰り際、ふとマイラに言われた言葉に、イリスはうっと言葉に詰まった。
それだけでわかってしまったようで、マイラが眉を寄せて近寄ってくる。
「言ってないのね。カーダ怒るわよ」
「だ、だって言いづらくって」
幼馴染の一人の姿を思い浮かべて、イリスは顔を顰めた。
ほとほと過保護なマイラだが、最後の最後でイリスには甘いところがある。長女として弟妹たちのわがままを聞きなれているマイラは、恐ろしく頑固なイリスには折れてしまうのだ。
だが、カーダは違う。過保護だし優しいけれど、甘くはない。理性的に物事を判断して、肝心なところでイリスに譲ったりはしない。カーダ自身どえらく我が強いのもある。女一人で夫を探しに行くという、はっきり言ってしまえば無茶な旅を許しはしないだろう。
「事後で言ってみなさいよ。もっと怒られるわよ」
「でも、言っても怒られるよ」
その上、げんこつが落ちてくることもある。どういうわけかイリスの周りにはイリスの頭を殴りたがる人が多いのだ。しかも、鍛冶職人を営むカーダのげんこつは、一般女性よりやや小柄で武術の心得もないイリスには耐えがたいものだ。愛のむち―――なんて思えない。
「言ってから言いなさい。―――まあ、怒られるだろうけど。言うだけ言いなさい。カーダの力も借りられるかもしれないでしょうが」
ううう、とイリスは唸った。一理ある。鍛冶ギルドの支部長を父に持ち、自身も幹部であるカーダに力を借りるというのは、確かに一理あるが―――
じんわり涙が出てきそうだった。
結局うじうじして、カーダに会いに行くこともできなかったイリスは、次の日、夫を探すための旅に出た。
※※※※
(まったく、あの子ったら………)
イリスと別れたマイラは、泣き笑いのような表情を作った。
父親の事があって、マイラは男女間の恋情愛情を信じない女だった。恋愛なんて馬鹿のすること。その固定概念が抜け切れない。イリスが結婚したのも、実の所祝福していなかった。―――嫌でも壊れてしまった母親を思い出す。
そんなわけだから、3年も前に出て行ったあの馬鹿な幼馴染を待っているイリスの愛情を、内心不審に思っていたのだ。
愛だけで何十年も待ち続ける人もいると聞くが、そんなこと信じられないのがマイラの本音だ。本当に愛しているのなら、音信不通でずっと待ち続けられるだろうか? イリスや弟妹に当てはめて考えてみれば、答えは簡単に否と出る。そんなの気持ちが薄れてしまっているか、義務感だけで待ち続けているのか、もしくは意地にでもなっているのか。恋愛方面にひどく冷めきった部分のあるマイラにはそうとしか思えなかった。
だから、正直3年も待てたイリスだってその部類かと思っていたのだが――――
(そう、思っていたのに………)
思い出すのは、最後にやっぱりひきとめようかと迷いが出た時のイリスの言葉。あれが、マイラには響いた。
「別に来ていらなかったって言われてもいいの。だって、あたしが待っていられないから」
だからむかえに行ってくる、と微笑むイリスを見て、マイラは頭とは別のどこかわからないところで嗚呼と感じた。
こんな形の愛情もあるのかと。
きっとイリスの愛情は少しも薄れていない。だから、むかえに行く。それはマイラの心に静かに波紋を落とした。
笑みが零れる。
おかしな程に笑いが止まらない。
薬に侵されたかのように上機嫌になったマイラは、旅立つイリスのために精一杯のことをしてやろうと、往来を思い切り闊歩しながら可愛い弟妹の待つ家へと帰って行った。
幼馴染:マイラ=サディ
20歳(誕生日が来ただけで、イリスとは同じ年)。未婚。ファッションデザイナー。
男性不信の姉御気質。男嫌いというわけではないので、幼馴染ーズとはそこそこ仲が良い。イリスの夫は敵。