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第十三話 トワの森3

シリアス回というか、しめっぽい話です。


 食べ過ぎだ。苦しい。

 食後すぐ横になるのは良くないと言う。牛になるとか、豚になるとか、まあ要は太るからだ。先日散々胸の事を指摘されたイリスは、この機会に痩せたいと思っていたので太るということは気になった。が、苦しい。横になろう。

 カバンをまくらに体を倒せば、さっきからだから話したはずのノルトの実が顔のすぐ傍にやって来た。どこかに追いやりたいが、もうその気力すらもない。

 その紫色の実を掴んで、ぼんやり眺めた。

 (そう言えば、ノルト狩り行けなかったなぁ)

 果物が名産のカルナでは、季節それぞれに旬の果物の採取があるから年間通してめっぽう忙しい。

 年老いた夫婦で果物農家をしている家が幾つかあって、そこの手伝いをするのが子供たちの間では決まり事のようになっている。駄賃や自分で採った果物をもらえるものだから、子供たちもこの年中行事を楽しみにしている。

 それは、カルナで育ったイリスと夫にとっては特に身近なものだ。ちょうど夫の祖父母が果樹園を営んでいたものだから、マイラやカーダ、ロージといったお決まりの幼馴染たちを誘ってよくやった。立場があって農家の人達が頼みにくいルークはよくのけ者にされて落ち込んでいたが、結局こっそり手伝ってみんなで楽しんだ。それぞれお気に入りの果物が合って、イリスはクランベリーと葡萄だ。葡萄は皮がうまく剥けなくて、夫に皮を剥いてもらったものだ。夫があまりにも綺麗に剥くものだから、最後はほとんど全部剥いてもらっていた記憶がある。

(懐かしいぁ)

 夫は梨が好きだった。

 器用な夫でも包丁は使い慣れないらしく、梨を剥くのは決まってイリスだった。いくら剥いても食べる人間が多い物だから間に合わず、剥いてすぐにマイラが横から攫って行ったおぼえがある。本当はカーダも梨が好きなのに、あまりに夫とマイラが梨を奪い合うものだから、よくカーダが手を出せないでいた。

 (ルークは桃とノルトの実で、ロージが夏みかん好きなんだよね)

 くすくすと一人ノルトの実目の前に笑う。

 森の中なのに、思いのほか記憶が零れ落ちてきて驚きだ。

 「イリス、どうしたんだい? とても楽しそうだよ」

 うっかり忘れていたエリトが尋ねてくる。

 「色々思い出していたの」

 と、答えるイリスの声ははずんでいた。

 「旦那さんのことかい?」

 「うん」

 ずっと自分の隣にいた人。イリスの記憶の大半には、彼の姿がある。

 そして、彼の最後の姿は、家を去る後ろ姿だ。

 行ってしまった。

 帰ってこない。

 どうしようもなく―――

 「さびしい?」

 空虚な感じが気になるのだ。

 胸の真ん中がすっぽり落ちてしまったような。

 それとも、自分そのものが消えてしまったような。

 どうにも、地に足がつかない感じ。

 「うん……さびしい。すごくさびしいよ」

 どうしようもなく、それはイリスの本心だった。

 マイラにも、カーダにも、他の幼馴染たちや夫の祖父母にだって明かせなかったイリスの本心。

 昼間エリトを旅の道連れにと選んだ理由がわかってしまった。

 「エリト。エリトはさびしい?」

 「ああ、さびしいよ。泣いてしまいそうだね」

 エリトの声は、さっきの自分の声とそっくりだった。

 きっと、この気持ちは彼らにはわからない。

 諦めきれずに信じ続ける、その危うい感情だけで歩き続ける愚かさ。それを否定されたくなくて、否定されるのが怖くて、イリスは状況を知る彼らを旅の供とすることができなかった。

 そして、イリスと似た状況にあるエリトなら、イリスを否定しないとわかってエリトを誘った。

 (……嫌な考え)

 知っていたが仄暗い腹の中を見てしまって、自分で気分が悪くなってしまった。

 誤魔化すように、ごろりと仰向けになる。

 藍に紺を混ぜたような深い深い黒鈍色の空。浮かぶのは、硝子細工を砕いたように散らばる星々。星図の読めないイリスには、ただの綺麗な模様にしか見えない。光沢のある一枚の大きな布、という印象だ。

 だけれど、その空の布はとてつもなく大きくて。

 そして、それにも負けず広い地がまた広がっている。

 どれだけ歩けば、夫の下にたどり着くだろうか。

 3年前、夫は王都へと向かった。けれど、今なお王都にいるともかぎらない。自分がいかにいきおいだけで飛び出してきたかを、今、こんなところで、思い知らされた。

 「エリト、遠いね」

 「うん、とても。でも、きっと届くさ」

 永遠の愛の力を見せてあげるよ、とエリトは笑った。



 イリスは目を閉じた。

 浮かぶのは、3年会っていない夫の姿。

 まだはっきりと思い出せることに安堵するとともに、今どれだけ変わってしまっているのか不安を憶える。

 (もしも、わからなかったら……)

 浮かんでしまった考えに、ぞっとした。

 自分が夫をわからないことも、夫が自分をわからないことも、恐ろしくて仕方ない。

 便り一つない3年間。噂一つ聞かない夫の今。知らない土地。故郷に残してきた大切なものたち―――

 不安ばかりが大きくなって、イリスはそれを隠すようにエリトに背を向けた。

 ノルトの実を両手に抱いて、強く目を閉じる。

 耽る夜を、イリスは見たくなかった。




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