第七話 好きなのは・・
「付き合っているってどういう事?」
アンジーはキャサリンに詰め寄る。彼女の声は震えていた。
キャサリンは彼女を小馬鹿にしたように笑う。
「言葉の通りよ、アンジー。わたし達、恋人になったのよ。」
「クリスのどこがいいの?あんたより年下のチビじゃない。」
アンジーは小さな声で呟く。
「彼は将来有望よ。それに背だってもうわたしより高いわ。わたしね、彼が望むならお父様に話して進学を援助してもいいと思ってるの。」
アンジーとクリスが同時にキャサリンを見た。彼女は二人の驚く顔を面白そうに見て笑っている。
「本当なの?クリス。」 アンジーがクリスに顔を向ける。
「キャサリンが言ったこと、本当なの?」
アンジーの顔は今にも泣きそうな程に歪んでいた。
クリスは本当のことを言おうとアンジーに一歩近寄るが、キャサリンの強い力に押し留められた。
彼女が、唇だけ動かして彼に言う。
(言・う・わ・よ)
彼は、結局動けなかった。
黙って下を向くクリスをアンジーは睨み付けて叫ぶ。
「裏切り者!」
それから、持っていた袋を彼に向かって投げつけた。袋の中に入っていたメアリ特製の弁当が、クリスの体に当たって道路に落ちる。
彼はハッと顔を上げてアンジーを見た。
アンジーは目にいっぱい涙を溜めて彼を見ている。
彼女は溢れる涙を袖口で拭いながら、彼から背を向けた。
そして、来た道を走って戻って行った。
彼女の姿が見えなくなるまで、彼はぼんやりと見送っていた。
「恐いわねぇ。いきなり物を投げつけるなんて。」
キャサリンが眉を潜めて、アンジーの去った方角を見て言う。
彼は黙ったまま、彼女の腕を掴んで自分の体から離した。
「痛いじゃない。」
キャサリンが怒る声が聞こえたが、それも無視した。
クリスはしゃがみ込んでアンジーが投げた弁当を拾う。
昨日クリスは、朝ご飯をアンジーとメアリの食堂に食べに行かなかった。当然お昼の弁当も渡して貰えていない。
そのお陰でアンジーと一緒の時お腹が鳴った。
その事実を彼女は分かってないけど、彼が今日も食堂に来ないだろうと思ったに違いない。だからこの弁当をわざわざ忙しい中、持って来てくれたんだろう。
彼は弁当を持って立ち上がった。
「ねえ、クリス。一緒に学校に行きましょう?」
キャサリンが再び彼に寄り掛かって腕を引っ張る。 クリスは彼女の手を振り払った後、冷たく言い放った。
「一人で行ってくれ。僕はすることがあるから。」
「何をするって言うの?学校はどうするの?」
クリスは走り出していた。キャサリンの問い掛けに答える声は無かった。
キャサリンは、クリスの走り去った後を暫くじっと見ていた。
やがて、彼女は歩き出す。その顔には不気味な笑みが浮かんでいた。
「あら、クリス。どうしたの?」
クリスが店を覗くとメアリが一人で客をさばいていた。以前より客足は落ちているのだが、席はそこそこ埋まっている。
「ねえ、アンジー。弁当持って行かなかった?まだ帰って来ないのよ。とっくにオープンしてるのに。」
「僕が手伝おうか?」
メアリはフロアを眺めた。
「ううん、この位ならわたし一人でも大丈夫。それよりアンジーを捜してきてくれない?あっ、でも学校か・・・」
クリスは、メアリの話を最後まで聞かずに店から飛び出す。
「僕、捜して来るよ。」
学校に行くことなど頭の中から消え去っていた。
潮の匂いが辺りに立ち込み、温かい春の風と共に彼女の肌を撫でていく。
アンジーは埠頭でぼんやりと、波が寄せては返すのを見ていた。
仕事に戻る気力は無く、足が勝手にこの場所へ向かっていた。母の顔も店のことも何も考えられなかった。
どうして、涙が出るのだろう?アンジーには分からない。いくら考えても答えが見付からない。
その内考えるのも面倒になる。
ただ、頭の中にキャサリンの不敵な笑みと、アンジーと目を合わせないクリスの姿が何度も浮かぶ。
その二人が自分を笑っている気がして、いつまでも涙が出てくるのだ。
「そんなところで何してるの?」
その時、背後で声がした。
「ねえ、泣いているの?」
声が、段々近付いて来る。
「大丈夫?」
そして、彼女のすぐ後ろで止まった。
アンジーは振り向けなかった。
マックスと初めて会った時を思い出す。胸の動機が激しく動く。
「アンジー。」
彼女の肩に温かい手が置かれた。
「ごめん。」
アンジーは、ゆっくり振り返る。
目の前に、項垂れたクリスの顔があった。
アンジーは、息を飲んで彼の顔をまじまじと見る。
クリスは彼女の横に並んで沖の方に目をやった。
「こうしてると昔を思い出すね。」
アンジーは隣の彼からまだ目が離せない。
「昔って?」
「おじさんが亡くなって、君がおかしくなっちゃった時さ。」
クリスはそう言うと、微かに笑った。
彼の笑顔を見てアンジーの胸はドキンとする。
「・・そうね 」
彼女は思わず俯いた。
クリスの嫌味な感じのしない笑顔は久し振りだった。
「どうして、ここが分かったの?」
「分かるよ。アンジーは落ち込んだり、悲しいことがあったら、いつもおじさんに会いに来るだろ?この場所はアンジーにとって、おじさんそのものだもんな。あの時だって・・」
クリスはハッとして口を塞ぐ。
「あの時?」
アンジーは怪訝な顔をして彼を見た。
クリスは急いで言葉を紡ぐ。
「ああ、・・つまりおじさんの思い出の場所だってことさ。」
クリスの表情は何だか変だ。慌てて誤魔化したみたいに見える。
だが、アンジーはもっと聞きたいことがあった。
「ねぇ、本当に上の学校に行きたいの?」
クリスはホッとしたように表情を和らげて、アンジーの顔を見る。
「うん。」
「どうして?」
「僕はおじさんみたいに、船を動かす仕事がしたいんだ。出来ればもっと大きな船舶に、そしてもっと遠い所へ行ってみたい。」
クリスの眼鏡の奥の瞳が輝いている。アンジーは胸の奥がざわざわとするのを感じた。
「船乗りになりたいの?」 彼女は彼から目を反らして聞く。
「航海士になりたいんだ。」
彼の弾むような声が聞こえた。彼女には顔を見てなくても分かる。きっと凄くいい顔をしているはずだ。
「だから専門の大学に行って航海士の資格を取りたい。」
クリスの見る夢は、この広い海のように果てしない。
波間の中に、大人になったクリスが船に乗って行くのが見える。そして、粟粒になって消えてしまった。
「そんなの、嫌よ!」
アンジーは目の前の海を見詰めたまま叫んだ。
クリスがびっくりしたように彼女を見てる。
アンジーは顔を上げてクリスを見た。涙と鼻水でぐちゃぐちゃだけど気にしない。
「だって、そうしたら、クリスは居なくなっちゃう!この港から出て行って、もう帰って来ないんでしょ?」
アンジーは必死になって言った。
「そんなの、わたしは嫌だわ。クリスが居なくなるなんて・・。わたしの前から居なくなっちゃうなんて」
「・・アンジー、僕が居なくなると嫌なの?」
クリスが小さく呟く。彼の顔は真っ赤だった。
アンジーは急に恥ずかしくなり下を向く。
「何よ。・・あんたは嫌じゃないの?・・、離れたって・・平気なの?」
質問の内容も恥ずかしい気がする。彼女はゴニョゴニョと口の中で誤魔化した。
「アンジー、何言ったか、聞こえなかった。それに先に僕が聞いたんだよね?」
クリスがいつもの調子で言い出す。アンジーはカチンときた。
「そうよ、さっきから言ってるじゃない!嫌なのよ!あんたはどうなの?平気なの?」
怒りに任せて一気に聞いた。
クリスは困ったような笑みを浮かべる。
「僕もだよ。ちっとも平気なんかじゃないみたい。・・アンジー、どうしようか?」
アンジーは何も言えなかった。怒りは嘘のように引いていた。
クリスの視線を感じると顔が熱くなってくる。
胸の鼓動も聞こえているのかもしれない。それは困る。
「キャサリンのことが好きなの?」
彼女は震える声を懸命に隠して聞いた。
答を聞くのが恐かった。でも、聞かずにはいれない。
何故、知りたいのかは深く考えなかった。
「好きなんかじゃない。」
クリスはプイッと横を向くと、拗ねたように言った。少し子供っぽい表情を浮かべている。
アンジーはホッとした。
でも、何故、ホッとしたんだろう?
「好きなのは・・・」
クリスの呟く声が聞こえ、アンジーは彼を見る。
いつの間にか、クリスはじっと彼女を見ていたようだ。アンジーは戸惑って首を傾げる。
(あれ?今、クリスは何言ってたっけ・・)
クリスが覚悟を決めたように口を開けた。
「あ・・・」
「お〜い!お前ら!」
その時、突然二人の耳に彼らを呼ぶ大声が響いた。
二人が声のした方へ振り向くと、息を切らしながら走って来るベンの姿が見えた。
「おじさん、どうしたの?」
ベンのただならぬ雰囲気にアンジーは慌てて駆け寄る。
彼は、彼女達の姿を見掛けて走って来たようだった。荒い息を吐き出して苦しそうにしている。
「父さん、何があったんだ?」
クリスがベンに近寄った。
ベンは呼吸が整うとアンジーの顔を見て言った。
「アンジー、すぐに店に戻れ!大変なことになってるらしい。」
その顔は真剣なものだった。




