第三話 月の精の事情
中々、じれじれに出来ません。早くそんな場面が書きたいです。
春の暖かい風が港から潮の香りを運んでくる。
アンジーは、ぼんやりとカウンターに頬杖をついていた。
その姿は一見眠たそうに見えるが、実は眠くなどない。彼女の頭の中では、沢山の考え事が駆け巡っていた。
「ねえ、クリス。」
アンジーは、目の前で黙々とご飯を食べるクリスを見る。
「マックスは、もう都に帰ったのかしら?」
クリスは何も答えない。
だが、アンジーは彼の態度を気にもせず再び聞いてくる。
「ねえ、わたしのこと覚えてると思う?」
(いい加減にしてくれ。)
クリスは大きい音を立てて立ち上がった。
「ちょっと、びっくりするじゃない。」
アンジーは驚いて心臓をドキドキさせている。
クリスは能面のような顔をして彼女を見た。
「アンジー、祭りの日から何日経っていると思う?」
彼女は目を閉じて数えてみた。その仕草にクリスの苛立ちは更に募る。
「もう、一週間だよ、一週間!とっくに帰ってるし、君のことは忘れてる!」
クリスは声を荒げた。
アンジーの能天気な言葉を聞くと、不愉快な気分になる。クリスは彼女の口から、マックスなる人物のことを聞きたくはなかった。
「本当に?そう思う?」
アンジーは瞳を揺らして彼を見てる。
「知らないよ。僕はマックスじゃないから。」
クリスは彼女から視線を外した。早くアンジーから離れたい。
「そう、そうよね。クリスはマックスじゃないから分からないよね。」
アンジーは眉を下げて笑う。それから彼の眼鏡に手を掛けた。
「ねえ、この眼鏡まだ直してないの?」
「触るな!」
クリスは慌ててアンジーの手を払った。
アンジーが息をのんで彼を見てる。彼女の手は赤くなっていた。
「あ、ごめん。アンジー、あの・・・」
彼は慌てて彼女に謝る。彼女は何も悪くはないのだ。
「あったまにきた!何よ、その態度。あんた何様よ。」
アンジーは目をむいて怒っている。
その様子を見て、クリスは内心ホッとした。
アンジーは何も気付いていない。
彼は自分が、マックスだとバレるのを恐れていた。
クリスは、メアリとアンジーの食堂を出て学校へと向かう。
アンジーのお陰で朝御飯を食べた気がしない。
最近の彼は非常に困った事態に陥っている。それも自分が原因だから誰にも文句は言えない。
(だけど仕方ないじゃないか。こんなことになるなんて思わなかったんだ。)
アンジーはクリスに話して吹っ切れたらしい。何かと言うと彼に相談を持ち掛ける。アンジーには同年代の友達がいないから、しょうがないのかもしれないけど。
彼はあの日の自分を恨めしく思った。
あの祭りの夜、クリスはアンジーを捜して埠頭を歩いた。
思った通り彼女はあの場所にいた。アンジーの父親の思い出がある場所だ。
彼女が彼に背中を向けて海を見ている姿を見た時、あの頃を思い出した。
毎日ぼんやりと海を見ていた少女。
(急に恐くなったんだ。あのまま海に消えるんじゃないかと思って。)
だから慌てて声をかけた。
「そんな所で何してるの?」
アンジーは振り向いた。だけど、クリスの眼鏡のない目には、彼女の表情は分からない。
彼女が何も言わないから、彼はてっきり泣いてると思った。
「ねえ、泣いてるの?」
(なんか本当に恐かったんだ。アンジーがいつもと余りにも違ったから。)
それにまた逃げられるかもしれない。
だから慎重に近付いた。
アンジーはじっとしていた。
彼女は彼の顔を凝視していた。何故そんなに見るんだ?そんなことをチラリと思ったけど。
「大丈夫?」
アンジーの顔を見ると、もう泣いてない。
ホッとして、「アンジー」と呼び掛けようとしたら・・・。
くしゃみが、出たのだ。
クリスは苦虫を噛み潰したような顔になる。
あのくしゃみのせいで、「アンジー」と声を掛けれなかった。そのせいで彼女に都から来た人間にされた。
勿論、彼にだって分かっている。
最初に彼女が都から来たのかと聞いた時、本当のことを言えばよかった。そうしていれば今の悩みはなかっただろう。
だけど・・・。
(なんだか面白いと思ったんだ。アンジーの奴をからかってやろうって。)
それが間違いだった。
アンジーは彼の言うことを信じてしまい、彼のことを月の精だとまで言う始末。
「本当に、あれ、聞いた時は、びっくりしたよ。つ、つ、月の精だって?いくつだよ。恥ずかしい奴。」
クリスは思わず吹き出した。涙が出て来た。
「はあ〜。」
アンジーはクリスに聞いてきた。
「わたしは十七よ、あなたは?」
クリスは本当の年を言う気になれなかった。今夜くらい、いいだろう?
「僕も、だよ。君と一緒だ。」
なんだか自分が急に大人になった気がした。たったの二つだけど。
「お祭りに行かないの?ここは会場じゃないわ。」
アンジーが本当は一人になりたくないのは分かった。
「そう言う君は?ここで何してるの。」
アンジーをこの場所に置いて行けない。
十七才のいい男は、例え相手がアンジーだとしても、女の子を一人置いて行かないよな?
クリスは従兄弟のマックスを思い出していた。マックスだったらどうするだろう。
「ねぇ、一緒に行こうよ。せっかく、来たんだから案内してくれない?」
普段だったら絶対言わないことを言った。きっと彼だったら誘ってるはずだ。
アンジーの手を取ったのも、マックスだったら平気でしている行為だ。
クリスは段々自分じゃない気がしていた。
「駄目かな?」
だけど慣れないことをした為、アンジーの反応が気になる。もしクリスだとバレてたら恐ろしい。
アンジーに名前を聞かれて、マックスと名乗ったのも従兄弟を真似ていたからだった。
クリスは溜め息を吐く。あの時の、ほんの遊び心が今のこの状態だから。
(アンジーが『マックス』を好きだって?)
何かの冗談にしか思えない。
クリスは学校の校門を潜った。
そして、目の前に立つ人物にたじろいた。
そこには恐い顔をしたキャサリンが、彼を見下ろすように立っていた。
「この間はどうも。」
彼女は彼を、上から下まで値踏みでもするかのように見る。
「何か用?」
クリスは彼女の横を抜けようとした。
「わたしね、馬鹿にされて黙っている弱い人間じゃないのよ。」
クリスは彼女を見た。
「僕は馬鹿になんかしてないけど?」
「この間、あなたの嘘で皆の前で恥を掻かされたわ。校長はわたしを捜していた訳ではなかったし、答案用紙を持っていた訳ではなかったのよ。」
クリスは彼女に笑い掛けながら近寄る。
「それで?君に何か被害が?確かに僕が校長の行動を深読みして、結果的に嘘を教えてしまったけど、」
キャサリンは思わず後ずさった。
「君は校長に注意を受けていないんだろ?何も迷惑は被っていないじゃないか。」
彼は彼女の目の前に指を突き出した。
キャサリンはクリスの指を払いのける。
「よくも、まあ。あなたが余計なことを言ったから、わたしの信頼はがた落ちよ。」
「余計なこと?ああ、君が僕に答案用紙を売ってくれって言ったことか。あれは嘘じゃないよね?」
彼は少し考えて彼女を見あげた。
「それにさ、お金で買った友情には信頼なんて元々ないんじゃない?キャサリン。」
それから、彼は彼女を嘲笑うように笑みを浮かべた。
彼女は凍り付いたように動けなかった。
クリスはそんな彼女に一瞥をくれると、彼女の横を通り過ぎる。その足取りは今の会話など既に忘れているかのようだ。
キャサリンは彼の後ろ姿をずっと見送っていた。
その視線はとても険しいものだった。




