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第一話 月の精あらわる 前編

こんにちは

一話に考えていた話が思ったより長くなりましたので前後編に分けました。

頑張って完結を目指したいと思います。

   

 まだ太陽は地平線の下にあり、辺りが暗く寝静まっている夜明け前、アンジーはいつものようにベッドの中で目を覚ます。

 彼女は眠い目を擦り欠伸を一つすると、勢いよくベッドを飛び出した。

 春が近いとは言え朝晩は冷える。彼女は震えながら、ベッドの上に投げ出していたカーディガンを羽織った。

   

「大変。もうこんな時間。」

 柱時計を見てアンジーは驚いた。

 それから居間を通りすぎて、隣の母の部屋のドアを乱暴に開ける。

「母さん、大変!もう朝が明けちゃう。」

 部屋の中にあるベッドから声が漏れた。

「ん・・アンジー?わたし今日・休むわ・。」

 母のメアリはさりげなく寝返りを打って、そのまま寝ようとする。

「冗談!母さんがいないとお店開けられないわよ。ぐずぐずしないでさっさと起きて!」

 アンジーはメアリの布団を、力任せにえいっと引き剥がした。

   

   

「もう、アンジー。あんたって本当に力持ちね。」

 寝惚け眼のメアリが、着替えをしながらブツブツ言った。これもいつものことだ。

 彼女は毎朝アンジーと戦い、そして負けている。母は低血圧で朝に弱い。朝から元気一杯のアンジーとは体質が違う。

 でも、正真正銘、親子だ。

 きっと、アンジーは父親に似たんだろう。母に似ていたらもう少し美人だったはず・・・。

「母さん、やばいよ、早く買い出しに行かなくちゃ。もう市場はとっくに開いてるわよ。」

 アンジーは動きの鈍いメアリを引っ張って、大急ぎでアパートを出た。

   

 外に出ると、うっすらと明るくなりかけているのが分かる。もう朝がやってきてるのだ。

 未だに目が開いてないメアリに文句を言いながら、アンジーは市場にやって来た。

   

「おはよう、アンジー。今朝はちょっと遅いじゃないか。」

 彼女は顔馴染みの漁師に声をかけられる。市場の中は既に賑わっていた。

「おはよっ、ジムさん。いい魚ある?そうなの寝坊しちゃって。まいっちゃった。」

「そうかい。今朝は、生きがいいのがよく捕れたぜ。イカだろ、鯵だろ・・」

「ありがと、ジムさん。適当に仕入れるわ。」

 アンジーはジムの言葉を遮る。悠長に話を聞いている場合じゃない。彼女には時間がないのだ。

 ジムは一瞬不服そうな顔をしたが、表情を変えて聞いてくる。

「ところで、メアリさんは?」

 そして辺りをキョロキョロ見回し始めた。

「母さんなら市場の入り口に置いてきたわ。使い物にならないんだもの。」

「なんだって?そんなところに?」

 ジムは見るからに慌て始める。

「ええ。今頃はあそこで寝てるかも。風邪引いちゃうかしら?」

「こうしちゃ、いられねぇ。」

 ジムは急いで入り口へと走り出した。その背中にアンジーは声を掛けるのを忘れない。

「ジムさん、後でお店にも来てよ。母さんも喜ぶわ。」

 彼は手を振って応えた。

   

「一人追加と。今のとこ十人か。」

 アンジーは冷めた目で数を足す。市場に着いてから、母のメアリに吸い寄せられた哀れな男達の数だ。

  

 メアリは長い金髪と青い瞳が自慢の美しい人で、とてもアンジーのような大きな娘がいるようには見えない。彼女の垂れ目と泣きぼくろに男達はコロリとやられるらしい。

 その一人娘のアンジーは母に少しも似ていない。

 彼女は炎のような赤毛と意志の強そうな茶色の瞳が目立つ娘で、母の柔らかい顔立ちとは全然違う印象を与える。

   

「さっ、急いで仕入れを終わらせないと。」

 その時、市場の隣にある港から船の汽笛が辺りに響いた。

 アンジーは馴れた様子で市場の中を回り、次々と必要な物を買って行く。その先々で人々に声を掛けられ、メアリの信者は増えていくのだ。

   

 彼女達二人は市場の、と言うよりこの港町のちょっとした有名人だった。

   

   

 アンジーは、母のメアリと小さな港町で、父が亡くなった七年前から食堂を営んでいる。

 お客は主に港や市場で働く男達だ。

 二人のやっている食堂の看板娘は、ピチピチ十七才のアンジーではなく、十八で娘を産み現在三十五になるメアリだった。

 だけどアンジーはそんなこと、全く気にしていない。

 彼女にはずっと憧れている(ひと)がいる。その(ひと)さえ振り向いてくれたら、後はどうでもいいのだ。

   

 アンジーは素早く買い出しを済ますと市場の入り口に戻ってきた。

 メアリが男達に囲まれている。

 アンジーが人垣を分け入り買ってきた荷物をメアリに半分渡すと、彼らは慌ててメアリから荷物を奪い合った。

「メアリさん、重いだろ?俺が持つよ。」

「いや、お前には無理だ。俺が・・」

「なんだと?お前はまだ仕事が残ってるだろう。早く戻れ。」

「お前達、荷物を俺に寄越せ。」

 途端に収拾がつかなくなり、おやじ達の争いが始まる。アンジーは呆れて溜め息を吐いた。

(全員、わたしの荷物は見えないみたいね。)

   

 メアリは儚げに微笑んで騒ぐ彼らに言う。

「皆さん、いつもありがとう。今日はジムさんにお願いするわ。あ、リックさんにはアンジーの荷物を持って貰えると助かるんだけど。」

 鶴の一声で騒動は収まった。ジムとリックは嬉しそうに荷物を持ってくれる。

 ある意味、毎朝の日課だ。

 アンジーには、いい大人が若者ぶって色気付き、はしゃいでるようにしか見えない。

 以前、母にそう言うと、

「あら、皆さん親切にしてくれてるだけじゃない。そんなふうに言っちゃ駄目よ。とっても助かってるんだから。いい人たちよね。」

と言い、彼らの好意を只の『親切』で終わらせていた。

 報われない男達の顔を見て、アンジーはこっそり思った。

(可哀想に。母さんは天然のタラシかも。)

 先程のメアリの笑顔も計算ではない。実は彼女は眠たいだけなのだ。

 だが、男達はその眠たげな笑みに、ほのかな色気を感じるらしい。アンジーには全然分からないが。

   

(母さんは今でも父さんが一番なのかな。)

 アンジーはそう思うと少しだけ胸が切なくなった。

   

   

 お店に着くと荷物持ちの男達に礼を言い、来店を約束させて帰した後、早速朝食の準備に取り掛かる。

 今朝はアンジーが寝坊した為いつもより忙しい。

 お店が開店した後は、近所の主婦が手伝いに来てくれるが、早朝は二人でやるしかない。その為、朝は日替わり一品のみのメニューだ。

 今朝のメニューはイカと野菜が沢山入ったスープとオムレツ、パンケーキになった。

 アンジー達の食堂は安くて美味いが評判のお店だ。美人がやってるということもあり人気店だった。

 アンジーは時間を気にしながら作業を進める。メアリも厨房の中では人が変わったように動く。

 元々、メアリは料理が得意で、男達は彼女の美しさだけではなく、料理にも惹かれていた。

   

   

 二人で頑張ったお陰でなんとか開店に間に合いそうだ。アンジーはホッとした。

 すると途端に忘れてたことを思い出した。今朝は寝坊した為に、出来なかった彼女の大切なもう一つの日課。

   

「母さん、わたしベンおじさん起こしてくる。おじさんまだ寝てるかも。」

 メアリがテーブルの上を拭きながら大声で言う。

「なるべく開店までに戻って来てよ。母さん一人じゃ大変なんだから。」

「分かってる。」

 アンジーは店を出て行き掛けて、振り返る。

「ねえ、本当にお祭りの日お店休むのね?」

「ええ、でも閉めるのは夕方からよ。昼間はいつも通り。」

 メアリの言葉にアンジーはにっこりした。

「充分よ。夜からお祭りに行けるんでしょ?何年ぶりかなあ。楽しみだわ。」

 メアリは複雑な顔をして娘を見ている。

 でも浮かれているアンジーはそれに気付かなかった。

   

   

 ベンは、アンジー達の住むアパートの、隣の部屋に住んでいる。

 彼はアンジーの亡くなった父親の友人で、彼女が産まれた時も知っているくらい付き合いが長い。

 ベンも妻を亡くした、やもめ中年だ。

 彼の妻はアンジーの父親が亡くなるずっと前に、初めての子供を出産した後、体を弱くして亡くなった。

 乳飲み子を抱えて困っていた彼を、アンジーの父はこのアパートに呼んだのだ。

 その時、アンジーは二才だった。

 それからはメアリが、ベンの赤ちゃんをアンジーと一緒に兄弟のように育てた。男親のベンが一人でも子供を見ていけれるようになった、ある程度の年齢になるまで。

   

   

(うわ〜、遅くなっちゃった。ベンおじさんまだ寝てるかしら。)

 アンジーは急いでアパートまでの道を走る。

 ベンは港で、はしけと船の間で荷物の積み降ろしをする仕事を主にしている。

 チームワークがとても大切な仕事だ。遅刻など、とんでもない。

 アンジーは走りながら、ベンの顔を思い出し微笑む。

 アンジーの憧れの(ひと)、それはベンのことだ。彼は、肉体労働で鍛えた逞しい体と日焼けした精悍な顔が凛々しい、正に海の男だ。

 ベンが無精髭が生えたよく焼けた顔で、白い歯を見せてニッと笑うと、彼女の胸はいつもキュンとなるのだった。

 アンジーは幼い頃から彼に夢中である。同世代の男の子など子供に見えて全く興味が湧かない。

 彼女と年が近い他の娘達からは、変わってると馬鹿にされることもあるが、そんなことも気にならなかった。

(そうだ!今日こそベンおじさんに返事もらわなきゃ。)

 アンジーは、今度のお祭りに一緒に行こうとベンを誘っていた。

 実現すれば二人だけで出掛ける初めてのデートになる。

 彼からは、はっきり返事を貰っていないが、アンジーは祭りの日を夢見て心待ちにしていた。

 何しろ母のメアリが、お店をオープンしてから一度も休まなかった祭りの日に、今年は夕方からとは言え店を閉めると言っている。

 アンジーは、このチャンスを逃す訳にはいかないわ、と強く決心していた。

   

   

 ベンの住む部屋に着くと彼女はいきなり彼のベッドに飛び乗って大声を出す。

 花も恥じらう十七才の乙女としては些かはしたないが、ベンは寝起きが酷く悪い。普通に声を掛けても彼には子守唄と同じなのだ。

 勿論、毎回起きた彼に説教を貰うのだが、昔からの癖で中々直せなかった。

「ベンおじさんっ!起きて!今日わたし寝坊しちゃったのよ。ねえってば、遅刻するわよ。」

 いつもならベッドに飛び乗った時点で、寝起きのベンに怒られているのだが、今朝は布団の下から何の反応も返ってこない。

 確かに布団の中で寝ているくせに、ウンともスンとも言わないなんて・・。

(あれ?起きないわ。)

 アンジーは不思議に思ったが、彼がまだ寝ていると思うと悪戯心が芽生えてきた。

(こんなにしても起きないんだったら、少しくらい寝顔見てもいいんじゃない?)

 アンジーはニンマリしながら布団の端を掴んだ。

   

 その時、

「アンジー、重たい・・」 布団の下からベンのものではない声がした。

   

「えっ?えっえぇ〜?クリス〜?」

 アンジーは驚いてベッドから落ちる。

 彼女の目の前でベッドからヌッと手が出てくると、サイドテーブルに置いてあった眼鏡を取った。その後、布団の中から眼鏡を掛けたクリスが顔を覗かせる。

 彼はボサボサの髪と眼鏡のせいで表情は分かりにくいが、ムスッとしているようだった。

 そしてアンジーを軽く睨むと呆れたように言った。

「君さ、いったい、いくつなの?確か僕より二つ上だったよねぇ。」

「あ、あ、あんた、何でこの部屋で寝てんの?」

 アンジーの顔は、彼女の髪の毛のように真っ赤になった。

「夕べ飲んで帰って来た父さんに僕のベッド取られたんだよ。仕方ないからこっちで寝たんだ。」

 クリスはベッドから降りるとベンのセーターを寝巻きの上に着る。彼は小柄で華奢な為、ベンのセーターは大き過ぎた。

(相変わらずチビね。)

 アンジーはクリスを見ながら心の中で貶してやる。

 クリスはベンの息子で、アンジーより二つ年下の十五才だ。

 彼は父親に全然似ていない。

 ベンは背が高く筋肉の付いた逞しい体をしている。

 だがその息子は細い体で逞しさの欠片もない。顔もそうだ。

 ベンの浅黒く日焼けした男らしい美しい顔と比べると、青白いもやし顔に眼鏡で魅力はない。

 おまけにいつも仏頂面だ。

(勉強ばかりしてるからだわ。笑いもしないんだから。)

 アンジーが彼の背中を見ているとクリスが振り向いた。

「君、何しにきたの?」

「あっ!そうだ!ベンおじさんは?」

 アンジーが慌てるとクリスはベンの部屋を出て洗面台へと向かいながら応えた。

「とっくに行ったんじゃない?こんな時間だもの。」

 クリスの言う通りベンはどこにもいなかった。彼がどうやら遅刻はしなかったようなので彼女はホッとする。

「僕も学校に行くとするよ。君も早く店に戻ったら?メアリ母さんが待ってるよ。」

「言われなくても帰るわよ。ベンおじさんが居ないこの部屋には用はないもの。」

 アンジーはフンッと横を向いた。年下に偉そうに言われると腹が立つ。

「アンジー、君さ、」

 クリスが顔を洗う手を止め鏡ごしに彼女を見ている。彼の前髪から水が滴り落ちた。

「何よ。」

   

「いつも、あんなふうに父さん起こすの?君って本当に女の子なの?信じられないね。そっか、君、まだ子供だったんだ。」

「なんですって?」

 アンジーは怒りのために体が震えだした。

 しかしクリスの口はまだ止まらない。

「後、君さ、思ったこと全部声に出すの止めた方がいいよ。少しくらい寝顔を見てもいいんじゃないとか、って言ってたやつ。」


 アンジーは全身が焼けてしまうくらい熱くなった。まさか、心で考えたことを口にしていたとは。それをクリスに聞かれるとは。

「あのさ、慎みとか覚えた方がいいよ。十七だっけ?見えないけど。この先もっと大きな恥かくよ。」

 クリスは冷めきった声で言った。そしてこの話は終わり、とでも言いたげに洗顔を再開した。

  

 アンジーは恥ずかしいのと腹が立つのでごちゃごちゃになる。もう一秒だって彼の側にはいたくなかった。

「馬鹿っ!」

 彼女は捨て台詞を言い、大きな音を立ててドアを閉めると部屋を出た。

   

(何で、クリスがベンおじさんのベッドに・・)

 アンジーはクリスの言葉を思い出して消えてしまいたくなる。

 クリスとベンは親子だ、彼が父親とベッドを代わっても何らおかしくない。

 だけど、そのせいでアンジーの起こし方がバレて、慎みのない子供と言われてしまった。それが堪らなく恥ずかしかった。

 ベン本人にするのは楽しくても、そのことを他人に、ましてやその息子には絶対知られたくなかったのだ。 

 しかも相手は兄弟同然で育ったクリスである。実際アンジーは八才頃までクリスと一緒に暮らしてた。彼のことを本当の弟だと思っていたこともある。

 身内に恥ずかしい姿がバレるなんて誰でも嫌だろう。彼女にだって恥じらいは備わっているのだ。


   

 アンジーはクリスの生意気な眼鏡を掛けた顔を思い出す。

(小さい頃は可愛いかったわ。わたしのことをお姉ちゃんって呼んで、どこにでも付いてきて・・さ。今じゃ呼び捨てよ。全然可愛くない。)

 彼が昔と変わらず親しみを込めて呼び掛けるのは、母のメアリに対してだけになっていた。

   

   

 お店に戻るとメアリが一人戦場のような忙しさの中奮闘している。

 彼女は店に入って来たアンジーを見つけて大声を出した。

「ちょっと!アンジー遅いじゃない!こっちは大変だったのよ〜。」

「ご免なさい母さん、パンケーキ焼くの代わるわ。」 アンジーは急いでエプロンを着ける。

  

「メアリさん、アンジー帰って来たのかい?」

 同じようなエプロンを着ているジムがカウンターを覗いてきた。

「そうなのよ。どこで何してたのやら。あ、ジムさんこのお皿、角の席にお願いね。そう、赤い服のお客さん。」

 ジムは嬉しそうに皿を持って行く。

 するとそこへ反対側から同じエプロンをした、リックが声を掛かる。

「メアリさん、新しく注文だよ。二人分追加だ。あ、アンジー帰って来たんだね。」

 リックはアンジーの姿を見ると露骨にがっかりした。

「リックさん、ありがとう。二人分ね。」

 メアリがリックの顔を見る。

「リックさん、アンジーは戻って来たけど、あの貴方さえ良かったらもう少し頼める?マギー達が来てくれるまで。」

 彼女の遠慮がちな言葉にリックはパッと顔を輝かせた。

「御安いご用さ。遠慮しないでおくれよ、メアリさん。」

 リックは鼻歌を唄いながら客に呼ばれてそちらへ消えた。お見事と言うより他にない。

 アンジーは母の頭の中が見たくなる。

「ねえ、いい人達だと思わない?アンジー。母さんが一人で困ってたら手伝うって言ってくれてね。」

 メアリは目を細めて喜んでいた。そして、本当に親切な人が多い町よね、とアンジーに同意を求めてくる。

 アンジーはお店の中を見回した。

 客も多いがお揃いのエプロンをしたムサい男が、数人給仕をしているようだ。

 どの顔も愛しい人の役に立てる喜びで溢れていた。

 アンジーは呆れて力が抜ける。

(わたしなんて、いらないんじゃないの?もう)

 そして、こっそり剥れた。

   

 太陽が空高く上がる頃、お店は大分落ち着いてきていた。

 朝、店を手伝ってくれていたジム達も既にいない。出勤して来た近所の主婦が彼らに代わって給仕をしている。

「そう言えば、今朝はクリス、ご飯食べに来なかったわね。」

 メアリが昼の仕込みをしながら言う。

「どうしたのかしら?アンジー、あんた知らない?」

「知らないわ。会ってないもの。」

 アンジーは母の声でビクリと体が動く。そして朝のことを思い出して、またもや顔が赤くなってきた。

「ふうん〜。」

 メアリは彼女を探るような目で見た後、にっこり笑う。

「まあ、いいわ。アンジー、クリスにお弁当届けて。」

「ええっ!何で?」

 アンジーは驚いて声が裏返った。

「仕方ないでしょ。朝来なかったから本人に渡せなかったんだもの。」

 メアリは有無を言わせない雰囲気だ。

「だって、仕込みが、お客だって来るし・・・」

「マギー達が居てくれるから大丈夫。あんたしか動ける人いないのよ。」

 メアリはピシャリと言った。朝の駄目さは影も形もない。

「可愛い弟がお昼が無くて、ひもじい思いをしてもいいの?母さんは、あんたをそんな子に・・」

「分かった、分かったわよ。行けばいいんでしょ?行けばっ。」

 アンジーは観念して言った。もう、やけくそだ。

   

 メアリが穏やかな笑顔で言う。

「学校に行けば会えるお友達もいるでしょ?ちょっとくらいなら、ゆっくりしておいで。」

 メアリから弁当を受け取りアンジーは溜め息を吐く。母は彼女に変に気を使う。

「母さん、わたしは学校を辞めたことを悔やんでないわよ。わたしには必要ないんだし。勉強が嫌いだったんだから。十五までは通ったんだし、もう充分なの。」

 だがメアリはアンジーの言うことを信じていない。彼女は、娘が自分に遠慮をして学校を辞めたと思っていた。

「だけどクリスは上の学校に行くって言ってるのよ。あんただって行きたかったら行ってもいいのよ。」

 冗談じゃない。アンジーは思った。やっと学校を辞めて平穏な毎日を過ごしてるのに。母の思い込みは全くの見当違いだった。

「母さん!クリスは勉強が好きなの。変わってるの。わたしは勉強が嫌いなんだから、今のままでいいのよ。」

「本当に、いいの?」

 メアリは尚もしつこく聞いてきたが、アンジーが言い切るとやっと納得した。

    

   

   

 アンジーは学校の前で途方に暮れていた。

   

 この港町に住む子供は大抵この学校に通う。

 しかし、この町には裕福ではない家庭も沢山ある。

学校に通う子は限られていた。

 彼女も二年前まではここに通学していた。

 その頃は、いつも朝の仕入れと仕込みを済ませて登校していたのだ。お陰で遅刻は度々していたが母が煩く言うので病気以外で欠席したことはない。

 彼女は溜め息を吐いて下を向く。

 大抵のことは平気な彼女の唯一苦手なもの。

   

「あらっ、そこにいるのはアンジーじゃないこと?」

   

 その時、アンジーが一番会いたくない人物が声を掛けてきた。

   

「キ・・・キャサリン・・」

  

 そこには町長の娘、キャサリンが数人の取り巻きと、彼女を嫌な笑顔で見つめて立っていた。   


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