第壱話
視界を覆わんばかりの建物。
狭い空。
どこか懐かしい感じのする町並み。
どれもこれも飛鳥にとってはとても新鮮なものに写った。
「ここが大日本帝国四番街。私の故郷よ。」
佳織は飛鳥の方を見ながら言った。大日本帝国―――――その言葉に飛鳥は驚愕した。
「だ、大日本帝国ぅ!?」
こ、この街が??、と初めて外にでた小さな子供のように両目を見開き、辺りをきょろきょろと見回した。その緋色の瞳には、はじめましてとでも言わんばかりに建物が写り込んでくる。
「なんかあたしの中のイメージと全然違う・・・。」
「驚くのも無理ないわね。歴史の授業で習うこととは全く別の歩み方をして来たんだから。例えば『向こう』の帝国みたいに言論統制とか廃仏毀釈運動みたいなことはやってないし、明治維新のときから民主主義もやってる。」
昔のお偉方がヨーロッパ回って「こりゃあいい!」って思ったことを全部取り入れたみたいね、と微笑む。
その時、建物の上から純白の狼――――――のようなもの、少なくとも飛鳥にはそう写った――――が佳織のもとへ飛び降りてきた。
それはとにかく大きかった。飛鳥と佳織を背に乗せても余りあるくらい。そしてその純白の豊かな毛は炎が燃えるが如くに微風になびき頭には一対の金色の角がある。
「あら、お散歩帰り?」
佳織はそれに慣れきっているのか彼女の白い手でその狼の頭を撫でる。狼の方はじゃれつく猫のように佳織に甘える。
「こ、これ何なの?」
右手の指を狼に向けながら飛鳥は口をぱくぱくさせて言った。その姿はまるで黒船をみた江戸の町人のようだった。
「あ、そうだったわ。この子は吹雪。私の狛神なの。」
『狛神』という単語に飛鳥の頭の中にはたくさんの疑問符が生まれた。
「なにそれ?」
「うーん。なんていうか、陰陽師の式神みたいなものかしら。」
当の佳織も説明に苦心している。その様子を見て飛鳥はそれ以上のその狼に関しての質問をやめた。
「・・・佳織はここに住んでるの?」
「そうよ。本業はここで言霊師をやってて、むこうでのカフェは半分趣味。でもカフェの方はこっちとあっちを繋ぐ扉のような役目もあるけど。」
「何で繋ぐ必要があるの?」
別にやんなくてもいいじゃん、と訝しげに尋ねた。
「それは私にもわかんないわ。あくまでも私は帝国政府の下っ端役人だもの。そういう事は知らされないわ。」
「ええっ!?ここってそういうオカルチックな仕事もできるの!?それも政府の役人!??」
もう飛鳥は混乱状態に陥っていた。扉の向こうの別世界。別の帝国。白い狼。そして奇妙な職業。何がなんだかわからない。
思考をぐちゃぐちゃにされた飛鳥を尻目に佳織は辺りを鋭い目つきで見回して言った。
「とにかく家に行こう。」
思考整理から現実に引き戻された飛鳥は、やはり疑問を湛えた表情で
「何か用があるの?」
できれば飛鳥は佳織と一緒にこの街をぶらつきたかったのだ。
「別に用があるってわけじゃないけど・・・。帝国は街によって治安の良し悪しの差が激しいの。特にここ四番街の治安は昼間は普通に平気だけど夜になったら帝国一のアンダーグラウンドよ。夕方も結構危ないのよ、いくら私は政府の役人だからって安心はできない。」
そう言うや否や佳織は狛神である吹雪の背に軽やかに乗った。その動きはさながら水が流れるように。
「急ぐわよ。」
乗って、と佳織に促されると飛鳥はおっかなびっくり吹雪に手を触れる。誰だって最初はいい気分ではない。ましてや見た事の無い『異形』の生物に乗るなど。
「噛んだりなんかしないわよ。」
それでも躊躇う飛鳥に痺れを切らしたのか佳織は優しく飛鳥の腕を引き吹雪に乗せた。
「うわあ、ふわふわ。。。」
飛鳥は静かに驚いた。
「じゃあ行くわよ。」
その言葉を合図に吹雪は大きく飛び上がった。
「と、と、と、飛んでるう!!?」
飛鳥はもはや遠くなった街を見下ろした。佳織のほうは飛鳥が驚くのには気にもせず、ただ真っ直ぐ前を見詰めていた。紺碧の空には大きな満月が懸かっている。月光に照らされて佳織の黒髪は銀色に輝いている。吹雪の毛もまたそうだった。銀色の炎が燃えるようになびいている。黒と白を基調とした服もそう感じさせるのか傍からみればそれは月夜を行く魔女のようだった。
飛鳥は町を見下ろしている。
白熱灯のような光を発する電灯がこれでもかと建物が詰め込まれた街を内側から照らしている。その中には現代風のネオンもあり、レトロな街のなかで異彩を放っていた。こんなに空高く離れているのにネオンと認識できるのだからよほど大きいのだろう。
明治〜昭和の時代が混ざるなかにどこか現代の風が入り乱れていて、なんとも摩訶不思議であった。そして人間味のない無機質な現代社会のビル群とは違って有機的な暖かさが感じられた。
冷たい風がとても心地よく飛鳥の頬と髪を撫でていく。
白銀の月に照らされて飛鳥はもうひとつの『大日本帝国』に思いを馳せた。




