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限りある世界  作者: いずみ 純
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1. 喪失

立ち上がりかけ、目の前に幕が下ろされたような、ここ数日馴染みのある感覚が私を襲い、ぎゅっと目を閉じて小さな嵐が通り過ぎるのを待つ。


「・・・~っ・・・」


握りしめた掌に、短く切り揃えてある爪が喰いこむ。

倒れてしまうわけにはいかないから、痺れる指先をなんとか開き支えになるものを求めた。


予定日まであと2週間となり、ふとした拍子に腹部に圧迫を感じたり、こうして貧血を起こすことも多くなっていた。だから、今回も同じ。しばらくじっとしていれば、じんわりと感覚が戻ってくる。


―――はずだったのに。



「・・・え!?」


彷徨っていた手を握られ、瞠目した。

私の視界は、今まで見たこともない豪奢な高い天井を映し出す。

次いで、多くの人のざわめき。

視線を巡らせれば、たくさんの花が建物の中を覆い尽くし、見慣れない服装をした人々が驚愕の表情で見つめていた。


「・・・あなたは?」


低く威厳に満ちた声で呼びかけられ、はっとする。

私は自分が誰かの腕に支えれていることに気づき、目の前の人に視線を移す。

私の右手を握り抱きかかえ、覗き込んでくる瞳に心臓が射抜かれる。


似ていたから。

あまりにも、あの人に似ていたから。


「カ・・・イ・・・?」


思わず名を呼び、伸ばした左手が頬に触れる、その寸前に、唐突に抱擁は解かれ、バランスを失った身体は磨き抜かれた床に冷たく投げ出された。

痛みはくちびるの中で噛みしめ、ただその人を見上げた。

黒づくめのその人は、よく見ればカイよりも背が高く、そして左目の下に三日月のような痣がある。

覗き込んできた瞳には驚愕と共に心配する温かさが感じられたのに、今彼から向けられる瞳からは憎悪しか感じなかった。

体中にその憎悪が染み込んできたように、私はガタガタと震えだし、そしてかばうようにお腹に触れた。


「・・・!」


触れて、自分の頭がいよいよオカシクなってしまったのかと、絶望した。

先ほどまであった膨らみが、生命力にあふれた命が、愛する人を失ってしまった悲しみを一緒に受け止めた存在が、消えていた。

何度も、何度も、両手で触れる。

驚きのあまり、声もでない。

違う、あまりの恐怖に声が喉に張り付いてしまっていた。

私は狂ったように服をたくしあげ、その目で大切な存在を確認しようとした。


「何をする!?」

「やめろ!」


咎めるような声は、だけど私の絶望を、悪夢を、終わらせてはくれない。

夢中で服を脱ぎ捨てる私は、ただ我が子の無事を確認することしか考えられなかった。


(お願い、誰か、嘘だと言って・・・! )


あの日も、私は同じように願った。

けれど、今は違う。

これはなんて性質の悪い夢なんだろう。

夢ならば、もういい。

夢でまで、絶望を感じたりしたくない。


(もういいから、わかったから、私から赤ちゃんまで取り上げないで!)


上着を脱ぎ、重ね着していたワンピースも脱いだ。タートルネックの袖口を掴んで腕を引き抜く。

病院へ行こうとしていたから、少し着こんでしまっていた。それがもどかしい。


「ツキノ!」


凛とした声に、私の手が止まった。

声のした方に、顔を上げる。

やけに滲む視界に数回瞬いて、声の主を見つめた。


ゆっくりと、黒づくめの人垣が左右に開き、その向こう側から真っ白な衣装をつけた人が歩いてきた。

まだ少年と言ってもよいその人は、けれどどこか抗いがたい空気を纏い、そして何よりその瞳は、私を魅了する深い森を宿していた。

初めて会った時にも、私はその深い森のような濃い緑に引き寄せられたことを思い出す。


頭の中で記憶が交差し、何故か夫の笑顔が浮かんでは消えた。

近づいてくるその少年は私から視線を逸らすことなく、けれど一歩近づくごとに苦痛で顔を歪め、私の前で跪き身に纏っていたマントで私を包み込んだ。

茫然と見上げる私の頬に手袋を外した指が触れ、何かをなぞるように掬いあげた。

気がつけば、頬は涙で濡れていた。


唐突に、穏やかな日だまりのような微笑みを浮かべ『ツキノはなんでそんなに元気なの?』と目を細めていた人が少年に重なった。


「カイ・・・?」


私の問いかけに、少年はこれ以上ないくらいに苦しそうに眉を寄せ「ごめん」と呟いた。

肯定でも否定でもなく、ただ一言。


抱きよせられて、視界が狭まる。

けれど、私の頬に触れる左手の――薬指に、出会った頃からそこにあった指輪が輝いていた。

そっと自らの左手にある対になる指輪の存在を確かめる。

突然押し寄せた理解不能な状況に、私の神経は麻痺していた。

考えることをやめろと、頭の中で声がした。

多分、それは自己防衛。


「いやあああああああ!」


なにがどうなっても、多分、私は生きていける。

赤ちゃんがいたから。一人じゃなかったから。

絶望の中で、唯一、この子だけは傍に居てくれたから。

夫を失って、それでも前向きに生きていこうと思えたのは、彼との愛しい存在に励まされたから。


(それなのに・・・! それなのに!)


狂ったように泣き叫ぶ私を、まるで押さえこむようにして彼は抱きしめ続けた。

私はあれほど求めていた彼の存在を否定するように、腕に力を入れて押しのけようとしていた。


「王子!」

「カイン!」


周囲のざわめきは大きくなる。


「放して! 放してっ!!」

「ツキノ!」


もうイヤだ。

こんな夢なら見たくはない。

せめて夢でも会えたなら、なんて、もう望まないから!


「返して! 私の、赤ちゃんを返してっ・・・!!」


喉が破れるほど泣き叫んだ瞬間、私の意識は何かで焼き切られたように暗闇に落ちた。






* * *






『それでは、この少女が王子を助けてくれた方なのですね?』


微かな声に引き上げられるように、意識が浮上し始める。

身体が沈みこむような柔らかな感触は生まれて初めて感じるものだ。

起き上がることを緩やかに拒否するような感覚に、目蓋が逆らえずにいる。


『ああ』

『・・・カイン、この娘と婚姻し子どもを成していたというのは真実なのか?』

『ああ、もうすぐ・・・生まれてくる筈だったのだ。』


痛まし気に響く声に、鈍く動くだけの脳が急速に活動し始める。


『何故だ!? おまえには、レイアが居たのに。レイアはお前の為に・・・!』

『グレイ、カイン様は記憶を失っていたのだから仕方ありません。』

『だからって、レイアの葬送の式までぶち壊していいわけがないだろう!?』


荒らぶる声と共に激しい憎しみを放たれた気がして、私の体が強張った。


イヤだ、これは、まだあの悪夢の続きだ。

目覚めるわけにはいかない。


たくさんの視線が無遠慮に突き刺さるのを、かわす術がない。

目を閉じていても、その瞳の多くが冷たく憎しみを湛えていることが感じられた。

今すぐにでも私を消してしまいたいというような、そんな感情だ。


『私の所為だ。』


ぽつりと零された一言に、あたりはしんと静まり返る。

ぎしりと音をたてて沈み込む頭に、そっと大きな手が触れた。

さきほどまで直接突き刺さっていた視線が、何か大きな壁で防がれたような気がした。


ゆっくりと頭を撫で頬に触れる。

慈しむような指の動きに、私は夫を思い出して胸が苦しくなる。

指が離れる瞬間、寂しさが込み上げ涙が流れた。

お腹の上で交差していた掌を握りしめると、布越しに彼の手がそこの宛がわれた。

そこにはもう、何も存在していない。

あれだけ元気に内側から蹴飛ばしていた足も、胎動も、何も感じなかった。


(・・・いない・・・)


「ツキノ・・・」


頬に口づけられると、遠くで扉が閉まる音がした。

もう、この場所には、他に誰もいないのだろう。


(赤ちゃんも・・・)


私はこれが夢ではないことにうっすらと気付いていた。


それでも、失ってしまったものの大きさに、これは夢だと、このまま目覚めたくないと、強く強く願った。



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