離縁はしません、絶対に
※登場人物が全体的にクズです。後味悪いです
ヒューゴ・モスウッド侯爵は、明朝に訪問があった王家の使いに呼ばれ、王宮へと向かっていた。今日は「第二夫人」であるロザリンドの誕生日であるから、朝から何かと忙しいというのに、迷惑な話である。
ヒューゴは、現国王が溺愛していたという妹姫の息子だ。前モスウッド侯爵夫人は、ヒューゴが家督を継ぐと同時に流行り病に倒れて儚くなってしまい、その寂しさから国王はこうして突発的にヒューゴを王宮に呼びつけるのである。ヒューゴの父の前モスウッド侯爵は、現在は「第三夫人」とモスウッド侯爵領の片田舎で静かに暮らしていた。
「ヒューゴよく来た!ああ、堅苦しい挨拶はいいから」
謁見の間に入ると、他の貴族や護衛もいるというのに国王は破顔してヒューゴを手招きする。王弟で現宰相の公爵が、咎めるように小さく咳払いした。
「モスウッド侯爵、忙しいところ呼びつけて申し訳ない」
やや気まずそうな顔で、宰相がヒューゴに声をかける。突然呼び出すことは日常茶飯事で、ふだんは呆れたような顔をするだけの宰相が謝ったことで、ヒューゴは嫌な予感を覚える。こういうときは、たいてい国王の突飛な「お願い」に巻き込まれるのだ。ヒューゴが宰相と国王を交互に見ていると、国王はにこにこしたまま「姫を」と侍従に声をかけた。
侍従が重厚な扉を開けると、国王の息女で第五王女のカテリーナがもじもじしながら入室した。カテリーナは今年成人を迎えたばかりの十六歳で、ヒューゴの母の若いときにそっくりだと、これまた国王が溺愛している末姫だ。国王主催の夜会で、国王に頼まれ、一、二度踊ったことがある。そのときも、箱入り娘なのだろう、ヒューゴとはほとんど目を合わせず、話しかけても「ええ」「はい」と頷くばかりだったことしか印象にない。
「ヒューゴ、カテリーナをモスウッド「第一夫人」としてお前に下賜したい」
国王の言葉に、カテリーナのほほが赤くなる。そのカテリーナの純真無垢な様子に、周囲の人間も和やかな笑みを浮かべていた。
――眉間にしわを寄せる宰相と、無表情になったヒューゴを取り残して。
「発言を、お許しいただけますでしょうか」
「ヒューゴ、いい話だろう。カテリーナなら、モスウッド侯爵第一夫人にふさわしい」
「陛下、私は二十七になります。カテリーナ王女殿下と十以上も年が離れておりますが」
カテリーナほどの器量があれば、もっと条件のいい貴族や、何なら近隣諸国の王家に嫁ぐことも可能だろう。ぜひ王子の婚約者にという打診がきているというのを、風の噂でヒューゴも耳にしていた。年増のヒューゴに降嫁するなど、どう考えてもカテリーナにとっては不幸である。
「カテリーナはかわいい娘だ。だからこそ、ヒューゴに任せたい。この子は世間知らずなところもあるから、ヒューゴなら安心だろう」
カテリーナが世間知らずなのは、国王が大切に隠していたからだろうと悪態をつきたくなったが、ギリギリのところで留まってヒューゴは笑みを浮かべる。
「しかし、カテリーナ王女殿下は私に降嫁なさるなど、お望みではないのではないですか」
ふつうに考えれば、こんな婚姻はカテリーナにとって何のメリットもない。そう思ってちらりとカテリーナを見るが、カテリーナはこんなときも、もじもじとうつむいて何も言わない。
「心配するな。カテリーナの気持ちは聞いていて、ぜひお前と婚姻したいそうだ」
国王の笑みがますます深くなり、ヒューゴは眩暈を覚えた。
「あなた、使用人たちが怯えていますわ」
王宮から帰宅したヒューゴの様子に、ロザリンドは優しく声をかける。ヒューゴは眉間にしわを寄せ、使用人たちの出迎えにも無言であった。こういうときこそ、ロザリンドの出番である。
「……すまない」
「また、陛下から無茶ぶりでもされましたか?」
人払いをして、夫婦の部屋にふたりきりになると、ヒューゴは力強く妻を抱きしめ、胸元に頭をぐりぐりとおさえつける。強い憤りを覚えているときによくするその行動に、ロザリンドは背中をとんとんと優しく叩いた。
「陛下に、第五王女殿下を娶れと言われた……」
思わぬ言葉に、ロザリンドは小さく息を吞む。そうして改めて、自分自身の立場の危うさに胸がしめつけられた。
王国では、貴族同士の婚姻において、「つり合い」を重視することになっている。身分違いの婚姻で、血が薄くなることを避けるためだ。なるべく血が近く、身分がつり合っていることが望ましいとされる。
ロザリンドは、元は伯爵令嬢だった。伯爵令嬢と侯爵子息であれば、身分としては申し分ない。何より初対面で、ヒューゴもロザリンドもお互いに心惹かれていた。国王だけは、自分と縁のある令嬢をヒューゴにあてがいたく、歯がゆく思っていたらしいけれど、表面上はヒューゴを祝福した。
ロザリンドが成人になるタイミングで正式に婚姻をし、名実ともにロザリンドが次期モスウッド侯爵第一夫人となるはずだったし、そのつもりでロザリンドは淑女教育を受け、ヒューゴもロザリンドを何の憂いもなく迎えるために領主となるための帝王学を学んでいた。そんな順風満帆なふたりに、悲劇が襲ったのは、婚姻式の半年前である。
ロザリンドの実父であるノクターン伯爵が、盗賊に襲われて命を落としたのだ。
ノクターン伯爵はその日、国王の命で辺境の視察に向かっていた。その途中、運悪く盗賊の襲撃に遭い、命を落としたのである。
――王国では、女性が家督を継ぐことはできない。それと同時に、当主を失った場合、その子どもが女子なら、母親側の身分と同等になる。ノクターン伯爵夫人は、もとは子爵令嬢である。つまり、ロザリンドは、父の死によって、子爵令嬢と同等の身分へと落ちたのだった。
侯爵子息と子爵令嬢の婚姻となれば、これまでふたりを祝福していた周囲は手のひら返しで難色を示した。曰く、つり合っていないと。ノクターン伯爵の死に哀悼を示した王家も、婚姻を見送ってはどうかと物申したほどである。
ロザリンドはこうなっては仕方がないと潔く身を引くつもりだった。ところが、それを強く拒否したのが、ヒューゴである。
ヒューゴは、ロザリンドとの婚姻を認めないなら、侯爵家の家督を捨てると宣言した。当然、ヒューゴの宣伝に一番慌てふためいたのは国王であった。溺愛する妹の血を分けた息子のヒューゴ。妹同様ヒューゴを溺愛していた国王は、彼が平民になることは許せない。しかし、ヒューゴは婚姻を認めないなら侯爵家の家督を捨てると言って聞かない。そのうちヒューゴの熱意におされたロザリンドも、彼と一緒になれるなら平民になってもかまわないと言い出した。
こうして、ヒューゴとロザリンドの真実の愛に心動かされた貴族たちの支援もあり、ロザリンドは第二夫人としてモスウッド侯爵家に嫁ぐことになったのである。
王国では、一夫多妻を認めており、モスウッド侯爵家の第一夫人は実質的にはロザリンドだが、実際には彼女は第二夫人である。ヒューゴが望み、王家が認めれば、ふさわしい身分の令嬢がモスウッド侯爵第一夫人になることができるのだ。
それをわかっていて、国王は愛娘のカテリーナをヒューゴに降嫁しようと考えていた。愛する妹の忘れ形見のヒューゴとカテリーナが結ばれ、そのうち子どもでも生まれれば、自分の老後は幸せだと無邪気に考えていたのである。カテリーナも夜会で踊ったときのヒューゴの紳士的な態度から彼を憎からず思っており、国王にとっては渡りに船であった。
「俺は、ロザリンド以外を娶るなんてしたくない」
苦しそうに吐き出すヒューゴに、ロザリンドの胸がしめつけられる。――本当は、ロザリンドだって他の女性を夫人として迎えてほしくない。しかし、モスウッド侯爵家と王家に亀裂が入るようなことがあれば、ヒューゴだけでなく息子のレイナルドにも累が及ぶ可能性がある。
ロザリンドは、モスウッド侯爵夫人の顔をして、にっこりとほほ笑む。ヒューゴの両頬を手で包んでしっかりと目を合わせた。ヒューゴの翡翠の瞳がうるうると潤み、今にも泣きだしそうである。
「旦那様、このお話は受けるべきかと存じます」
淑女教育で、家庭教師から言われたとおり、腹にぐっと力を入れ、感情があふれないよう、指先が震えないよう背筋を伸ばす。
「モスウッド侯爵家にとって、とてもよいお話ですわ」
ヒューゴは、侯爵夫人として凛と言い放つ妻を、呆然と見つめるしかできなかった。
今日はロザリンドの誕生日で、自分たちの結婚記念日でもある。本当なら、三歳になる息子のレイナルドと一緒に幸せな一日を過ごすはずだったのに。どうして自分は、愛する妻にこんな顔をさせているのか。
しかし、ヒューゴには、妻の覚悟を無下にすることはできなかった。ロザリンドは、すべて理解したうえで、それでも侯爵夫人として正しくあろうとしている。
「カテリーナ王女殿下をお迎えする準備をいたしましょう」
ヒューゴは黙って小さく頷いた。
カテリーナをモスウッド侯爵家に迎え入れる旨の手紙を読み、国王は満足そうに頷いた。ようやくヒューゴにふさわしい令嬢を妻にできる。それが自分の娘であることが、何より誇らしい。
満足げな国王に、宰相はやはり少し苦々しい顔で言った。
「陛下、本当にこれでカテリーナ殿下が幸せになるとお思いですか」
「当たり前だろう。カテリーナはヒューゴを好いておる。ヒューゴも、国王の娘を無下にするような男ではない」
「しかし、あのふたりは真実の愛で結ばれております」
「お前は本当に頭が固いな。ヒューゴも男だ。若くて美しいカテリーナをそのうち選ぶ」
鷹揚に構える国王に、宰相は何を言っても無駄だと小さくため息をついた。
陛下は、一度こうと決めたら、どんな手段を使っても必ずやり遂げようとする。それは王として好ましい気質だが、人としては考えものだ。彼は、ヒューゴに、自分が見立てたふさわしい令嬢をあてがうことにずっと固執していた。ヒューゴがロザリンドを選んだときは、一週間ほど政務も手につかないほど荒れていたほどだ。
宰相や王妃がなだめすかしても頑として聞かず、ほぼお手上げ状態だったが、ある日執務室に入ると、国王はいつもどおりの様子で政務に励んでいた。ようやく落ち着いたとほっとしていたその数か月後、王命で視察に向かう途中でノクターン伯爵が命を落とした。宰相はそのときはじめて、国王の執着にぞっとしたのである。
しかし、この王の血を少なからず引いているヒューゴも、負けてはいなかった。それこそ、本当に侯爵家から籍を抜く書面を提出してきたほどである。あのときの国王の慌てぶりも見ていられなかった。もしあのままヒューゴが平民に落ちていたら、国王はとっくに気がふれていただろう。
――いや、もうすでに、ずっと前から、気がふれているのかもしれない。
宰相は、うれしそうに鼻歌を歌う国王を見て、強い胸騒ぎを覚えていた。
王女が降嫁すると聞き、モスウッド侯爵家は上へ下への大騒ぎである。国王が溺愛する第五王女が快適に暮らせるようにと、ロザリンドの指揮で着々と準備が整っていく。ヒューゴは時折ロザリンドから進捗を聞くが、やはりあまり興味なさそうで、いつもどおり領主の仕事とレイナルドへの領主教育に精を出していた。まだ幼いレイナルドには、「お姫様が家族になる」と当たり障りのない説明をしている。
王女の降嫁はとにかく金と時間がかかる。どんなに急ピッチで進めても、正式な婚姻まで一年はかかるだろう。しかし、国王が私財を投じて「支度金」をモスウッド侯爵家に支払い、婚姻を半年で進めるよう進言し、さらに、婚約期間もモスウッド侯爵家にてカテリーナを過ごさせるよう伝えたことで、ロザリンドが直々に指揮をとることになったのだった。
本来なら考えられないが、ロザリンドの采配でようやくカテリーナを迎える準備が整い、明日にはカテリーナがモスウッド侯爵家に足を踏み入れる。ようやく落ち着いたロザリンドとヒューゴは、ふたりだけの最後の夜を夫婦の寝室でゆったりと過ごしていた。
「明日、王女殿下がいらっしゃるのですね」
ヒューゴは無言でワインを一気にあおった。ロザリンドは侯爵らしからぬ夫の様子に苦笑いを浮かべる。
「そんな態度、王女殿下の前で見せないでくださいね」
「……じゃあ、どんな態度でいろと」
すねたように顔を背けて、ヒューゴはまたもや乱暴にワインを飲み干す。
「いつもどおり、紳士的に接してください。何かあれば、モスウッド侯爵家の名に傷がつきます」
「やはり、あのとき、ふたりで平民になっていれば……」
「ヒューゴ、だめです。それ以上は、言ってはいけません」
めずらしくロザリンドが強い口調でヒューゴをたしなめた。
「俺は、君とレイナルドと幸せに暮らしたいだけなんだ」
ヒューゴの絞り出すような声に、ロザリンドは小さく唇を噛む。それでも彼女は、いつものように優しくほほ笑んで、握りしめて白くなったヒューゴの左手にそっと手を乗せた。
「わたくしは、本当に幸せです」
「ロザリンド……」
「これ以上ないくらい、幸せです。その幸せは、あなたがくれたものです」
ヒューゴがロザリンドを抱き寄せて、甘えるように胸もとに頭をおしつける。
「この幸せに報いることが、わたくしの役目ですわ」
予定より一時間も早く、王家の馬車に乗ったカテリーナがモスウッド侯爵家にやってきた。ヒューゴは二日酔いで痛む頭をおさえながら、それでも侯爵然として出迎えの準備を整える。横には第二夫人のロザリンドとその息子レイナルドもいた。
「ヒューゴ様……!」
扉が開いて、薔薇のようにほほを上気したカテリーナが入ってきた。しかし、ロザリンドとレイナルドの姿を視界に入れた瞬間、気まずい顔をして立ち止まる。ロザリンドは、あまりにも表情に出やすい王女に心底驚いたが、いつものように侯爵夫人としての笑みを浮かべ、王女に対して臣下の礼をとった。
「ようこそお越しくださいました、カテリーナ王女殿下。モスウッド侯爵家第二夫人のロザリンドと申します。こちらは息子のレイナルドですわ」
初めて間近で見る王族に、レイナルドは緊張しながらも練習したとおりのあいさつをこなす。ヒューゴはそんな息子の成長を見て、うっかり目頭が熱くなった。
「……旦那様」
いつまで経ってもカテリーナを放置するヒューゴをロザリンドが肘でつつく。ヒューゴはめんどくさい気持ちをおさえ、いつもどおり紳士的に臣下の礼をとった。
「王女殿下にお目見えできることを楽しみにしておりました。何かと不便があるかと存じますが、どうぞゆっくりとお過ごしください」
婚約者というよりゲストを迎える物言いに、ロザリンドはぎょっとする。ふだんは、立派な侯爵であるのに、突然侯爵らしからぬ発言が飛び出すのだ。
「た、大変失礼いたしました。今後当家で不便なことがございましたら、何なりとお申し付けください」
「ええ、ありがとうございます」
カテリーナはロザリンドのほうは見ずに、冷たく言葉を返す。ロザリンド付きの侍女たちが、その様子に少し眉をひそめた。
「イリス」
眉をひそめていたうちの侍女が名を呼ばれ、一歩前に出て頭を下げる。
「わたくしの侍女のイリスです。とても優秀ですので、彼女をぜひ王女殿下の侍女としてお連れくださいませ」
「……けっこうですわ」
カテリーナの言葉に、今度はヒューゴが眉をひそめる番だった。隣でどんどん温度が下がっていく夫に、ロザリンドの背中に汗が伝う。
「わたくしの侍女を何人か連れておりますので」
「ええ、もちろん。そうは言いましても、当家のことを把握している侍女もいたほうが……」
「あなたからの侍女なんて必要ありません!」
きっとロザリンドをにらみつけ、カテリーナは扇で顔を隠す。
「なるほど」
その様子を見ていたヒューゴは、にっこりと笑みを浮かべて大きくうなずいた。その笑顔に、カテリーナはとろけるような目を向ける。
「そういうことですか、理解しました」
ヒューゴの言葉に、ロザリンドは何もありませんようにと祈るしかなかった。
結婚式を終えて、初夜を迎えたカテリーナは、寝室でひとり緊張の面持ちでヒューゴを待っていた。婚約をして半年、ようやく憧れのヒューゴと正式に夫婦になったのである。
ヒューゴには第二夫人がいたが、婚約期間中、ヒューゴは足しげく自分のもとに通っては、いつも優しく様子を訪ねてくれた。父王もカテリーナに、「すぐにヒューゴはお前に夢中になる」と言われていたが、そのとおりになったとカテリーナは信じて疑わなかった。
夜会ではじめてヒューゴと踊ったときから、カテリーナはヒューゴに恋慕していた。男性といえば、何かしら下心を持って自分に近づこうとするのに、ヒューゴはいつでも紳士的で優しく、カテリーナを安心させてくれた。話が上手でないカテリーナ相手にもつまらなそうな顔ひとつせず、カテリーナが話し出すまで黙って耳を傾けてくれる。
そんな焦がれた相手の第一夫人になれて、これからはずっと夫婦として過ごしていけるのだ。天にも昇る気持ちとはこのことである。第二夫人の存在は気がかりだが、第二夫人はそのうちお飾りになるという国王の言葉を、カテリーナはあまりにも無邪気に信じていた。
ヒューゴとの幸せな未来を夢想していると、静かに扉がノックされる。カテリーナは今すぐ飛びつきたい気持ちを必死でおさえ、小さく返事をした。
「失礼します」
入ってきたヒューゴに、カテリーナの表情から笑顔がなくなっていく。
ヒューゴは、いつも城に登場するときと同じように正装で現れたからだ。ナイトドレスのカテリーナと比べると、あまりにも重厚な装いである。ヒューゴの恰好に恥ずかしくなったカテリーナは、思わずガウンを上から羽織った。
「ヒューゴ様……待っておりました」
いつもどおり紳士的な笑みを浮かべるヒューゴに、カテリーナは結婚式を思い出してもじもじと俯く。初夜までとっておきたいと言われたので、結婚式では口づけも振りで終わらせていたのだ。
「カテリーナ殿下、少しお話をしましょう」
ヒューゴに促され、カテリーナは小さく頷く。ヒューゴの様子に、カテリーナはだんだんと不安を覚え始めていた。
「本日はお疲れ様でございました」
「いえ、疲れなど!本当にすばらしい結婚式でしたわ」
「それはそうでしょうね。わが妻ロザリンドの采配ですから」
「えっと……」
「この部屋も、カテリーナ殿下が少しでも気持ちよく過ごせるようにと、妻が用意したのです」
にこにことカテリーナ以外の女性を褒めるヒューゴに、カテリーナははじめてぞくりとする。――このひとは、一体誰なのだろう。
「あの、ヒューゴ様……」
「陛下に聞きました。私は、カテリーナ殿下の初恋なのだと」
「え!」
思わぬ暴露に、カテリーナの顔が真っ赤に染まる。麗しい恋する乙女の表情を前にしても、ヒューゴの笑みは崩れない。
「は、恥ずかしいです……お父様がそんなことを」
「ええ、本当に、王女にはお気の毒です」
「……はい?」
「あなたの周りにろくでもない男が多かったことは、同じ男として恥ずかしいですし、そのことには同情します。しかし、あなたの周りのろくでなしと比べてまともだったからと言って、その感情を恋とはき違えるなど、本当にお気の毒なことで」
「ま、待ってください」
カテリーナの理解が追いつかないまま、ヒューゴはどんどんと話を進めていく。カテリーナの心臓が、どくんどくんと早鐘を打った。
「もしかするとこれから先出会うかもしれない真実の愛を、王女は知らないまま生涯を終えられるのですね……」
わざとらしく大きなため息をつくヒューゴに、カテリーナの呼吸がだんだんと浅くなっていく。
「この国では、第一夫人からの離縁の申し出は認められません。第二夫人以下は別ですが。……そして、私は、第一夫人と死別以外の離縁はしないという契約を王家と結びました」
「あの……その……」
「本当なら、あなたのことを誠実に愛してくれるかもしれない男性を、あなたがつかむはずだった真実の愛を、今日、あなたは自ら手放してしまったんですよ」
「わ、わたくしの真実の愛はヒューゴ様で……っ」
それだけは否定されたくないと、カテリーナは言い返す。しかしヒューゴは何でもないことのように笑った。
「では、私のどこを愛しているのか、教えていただけますか?」
あまりにも重い沈黙がふたりの間に落ちる。何も言えないカテリーナを前に、ヒューゴはいつものように、カテリーナが話し出すのを黙って待っていた。
「やさ、やさしくて、し、しんしてきで……」
言いながら、カテリーナの瞳から大粒の涙がこぼれる。
――優しくて、紳士的で、だからこのひとのことを愛したの?
誰かがカテリーナの耳もとで馬鹿にしたように囁いた気がした。しかし、ここにはヒューゴとカテリーナ以外、誰もいない。ヒューゴは黙ってカテリーナの言葉に耳を傾けている。
「だから……だから……!」
「……今さらなかったことにはできませんよ。離縁はしません、絶対に」
ヒューゴの冷たい声に、カテリーナの中の何かがぷつんと音を立てて切れた。
「い……や……いやあああああああああ!」
初夜だというのに聞こえた叫び声に、使用人だけでなくロザリンドも何事かと夫婦の寝室へと向かう。扉を入ると、ソファでガウンを着て震えるカテリーナと、正装姿で困った顔をしたヒューゴがテーブルひとつ分の距離をあけて向かい合っていた。
「何があったのですか」
気まずそうに顔を見合わせる使用人たちの代わりに、ロザリンドがいつもどおり侯爵夫人として問いかける。
「さあ?」
そう言ってヒューゴは、本当に何も知らないという顔で、肩をすくめた。
結婚初夜に夫を拒絶したカテリーナは、モスウッド侯爵家の第一夫人でありながら、お飾りの夫人と成り下がってしまった。国王が心配してカテリーナを呼び出そうにも、カテリーナはすでに王家の人間ではない。しかも、他家の第一夫人を、いかに国王と言えど気軽に呼び出すことは外聞の悪い行為である。
カテリーナの様子を聞こうと使いをやっても、カテリーナは部屋から出てこない。王家から派遣したカテリーナの侍女の話を聞いても、カテリーナは「離縁したい」と泣くばかりだという。しかし、離縁はできない、絶対に。
「……何を間違えたんだ」
政務もそこそこに、国王は今日もため息をついている。宰相は何も言わず、同情するような目を王に向けることしかできない。
執務室の扉がノックされ、待ち焦がれたヒューゴが現れた。ヒューゴはいつにもましてうれしそうである。
「ヒューゴ、カテリーナの様子は……」
すがるように言う国王に、ヒューゴは困ったように笑ってみせる。
「私が真実の愛の相手ではないと言うばかりで、困っていまして」
「そ、そんな……」
あんなに幸せそうな顔をして結婚式を迎えたカテリーナの姿を思い出し、国王は力なく項垂れた。
――かわいい妹と血を分けた甥と、愛してやまない実の娘が結婚すれば、幸せな未来があると信じていたのに。
「しかし、離縁をすることもできません。王家との契約がありますから」
国王は、自らの迂闊さに拳を握りしめ、唇を震わせることしかできない。
「なので、今日は陛下にご提案があって参りました」
ヒューゴの差し出した書類を宰相が代わりに受け取る。その内容を見て、宰相は思わず息を呑んだ。
「ロザリンドを第一夫人に、カテリーナを第二夫人に変更してはどうでしょうか。王家との契約は第一夫人と離縁しないこと。カテリーナが第二夫人になれば、離縁が可能です」
国王がこくこくと何度も頷くのを、ヒューゴは満足げに眺めている。宰相は、すでにモスウッド侯爵家の署名捺印済みの書面を、震える手で国王の机上に置いたのだった。




