04.東西の境界にて
ビザンツ帝国では、熊は蜂蜜喰いμελισσοφάγαと呼ばれていた。葡萄や穀類を食い荒らすこともあるが、熊ならではの挙動して認識されていたのだろう。史料にはたびたび木を登る熊の描写がある。
10世紀の聖人小ファンティヌスの伝記によれば、修道院の養蜂施設を襲った熊を、聖人が特別な力で追い払った。また聖キュリロスの伝記では、蜂の巣を盗んだ熊を修道士が棍棒で打ち殺している。
西の帝国が崩壊した後も、東ローマ帝国では熊を狩り、罠で捕らえ、闘技場で戦ってきた。
11世紀に書かれたミカエル・プセロスの年代記によれば、ビザンツ皇帝イサキオス1世や摂政ヨハネス・ドゥカス・カエサルが熊狩りに興じていた。また歴史家ヨハネス・キナモスは、ペラゴニアの地でマヌエル1世が槍を構えて熊狩りをしていたと書く。槍は騎乗しながら投げたり、刺したりするが、下馬して熊の喉元を突くこともあった。
網罠は古代に行われていた追い込み用の網囲いではなくて、それ自体で捕らえる捕獲用ネットのように見える。ミカエル・プセルスによれば前足で破ったり網の中で転がってねじ切って逃げようとすることが良くあったという。
熊の狩猟には槍や網罠だけでなく、東方の影響を受けて弓矢もよく使われた。ローマ軍において弓矢自体は共和制時代から採用されていたが、その頃にはまだ主要な武器ではなかった。しかしパルティアやフン族との衝突を経て改良が重ねられ、6世紀までに特に帝国東部において積極的に運用されるようになった。結果、狩りに用いるのに実用的なレベルになったのだろう。
またディゲネス・アクリタス叙事詩のように素手で熊を引き裂くことは無かったにしても、モザイク画に残っているように盾を構え、剣や棍棒で熊と戦うことはあったようだ。
競技場における動物と人との戦いは4世紀初頭に禁止された。ただ処刑方法としては継続されていて、5世紀のアンティオキアの闘技場では、聖アンドロニカスが熊によって処刑されかけた。
動物競技は6世紀には解禁され、また7世紀の末に再び禁止された。
戦い自体は禁止されても見世物としての熊は利用され続けた。熊の上に乗っかったり、挑発してから逃げ回ったり、投げ縄で捕らえようとしたりなどする様子が6世紀の絵画に残っている。
7世紀の医者アエギナのパウロは熊の脂や肝臓、血を薬の材料として提案する。
脂は肌を柔らかくする効能があり、肝臓は蛇に噛まれたときに効くとされ、血を飲めば膿が排出されるとした。
熊の脂には毛生え薬としての用途も勿論あるが、塗り薬としての毛生え薬は遅くともこの時点で提案されていた。
また13世紀の医者ニコラス・ミレプソスは、痛風や脾臓に効く軟膏の材料としても熊の脂を使った。
そのほか農書ゲオポニカには、樹木の剪定に関するプリニウスの言及に加えて、樹皮に脂肪を塗るとブドウの木の防除になると書かれている。
ミカエル・プセロスは美食として熊の掌を挙げているが、特に調理法など書かれて無いし、歴史書や料理研究には存在を確認出来ない。故に、熊が手を使って激しく暴れることと、よく身体を動かすことで体質が改善されることを掛けているものとされる。
イスラームの文献上にも熊の記述は少ないが確かにある。
例えばマクリーズィーは諸王朝の歴史(Kitāb al-Sulūk li-Ma‘rifat Duwal al-Mulūk)で、ヒジュラ暦669年(西暦1271年)にイエメン(※ラスール朝)の君主からマムルークの君主に熊が贈られたことと、744年(西暦1343年)に市井で熊遊びが行われていたことに言及している。
また贈り物と珍品に関する書には、ヒジュラ暦444年(西暦1053年)に音楽を奏でることのできる大きな熊がビザンツ皇帝よりファーティマ朝の君主へ贈られたとある。ヨルダンのアムラ城に残る8世紀のフレスコ画には、弦楽器を奏でる熊が描かれている。
狩猟詩や狩猟図に熊の姿は確認できない。動物誌には熊が描かれることもあるが、葡萄を摘んで食べたり、食べ物を両手で抱えて両足立ちしていたりと、どこか牧歌風である。
熊を狩るものとしては物語作品がある。
千夜一夜物語では、熊と冒険する夫人の話や、水銀のアリの話に出てくる。前者の熊は羊肉を盗んだ角で刃物を喉に突き立てられて死に、頭部を断たれた。後者の熊は人間が変身させられたものだったが薬用に熊肉が要るということで縛り上げられて刃物で屠殺されるところだった。
ビザンツ医学の影響を受けたイスラームでは薬としての熊の使い道も継承していて、てんかんや潰瘍に効くとされた。
またアブー・バイタールやアンダルシアのイブン・ワフィドは熊の脂について毛生え薬としての効能を記述する。
一方で、イスラームでは犬歯を持つ生き物全般を食べることは禁じられているので、一般的に熊を食べる習慣はなく、料理書にも見られない。アル・ダミリは、アラブ人が習慣的に熊を食べて来なかったことに言及する。ただしイブン・ワフィドは薬としての熊の脂肪の調理法に触れている。
ビザンツの熊狩りは勇敢さの象徴の一つとされたが、中世イスラーム世界ではあまり目立った存在ではなかった。
熊はイラン北部の山岳地帯などには棲息していたが、彼らが直接接する機会は限られていたのだろう。




