エントリーシートはもういらない。
(私の2022年)
2022年4月 同年代に引けを取らないため、大学に行きながら就活についての本を読み漁る。
2022年5月 10社ほどエントリーする。エントリーシートを書こうと自己分析する。
2022年6月 大学に行かなくなる。
2022年7月 長年続けてきたバイトを辞める。
以降死んだように眠る毎日を繰り返す。
2022年11月 小説を書き始める。
学校の成績も上位、周りの人からの評判もそこそこ良かった、バイトではバイトリーダーをしていた。
そんな私は2022年に大きく変わった。
きっと、周りから『変わっちゃった』と言われていただろう。
生きてきて一番苦しかったと考えても、おかしくはない一年だった。
それでも私にとって、この一年は人生を変えるほど大切だった。
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(白紙のエントリーシート)
エントリーシートを作成するために、パソコンに向かった5月。
1年付き合った彼氏と別れて1ヶ月。私は落ち着いていた。いや、今思えば、必死に落ち着こうとしていた。
エントリーシートには、「あなたの良いところを400字以上で述べてください」の文字。
私はこれまで生きてきて頑張ってきたことを思い出した。そして得意のタイピングで文字を打ち込んでいく。
――私は小学1年生から高校3年生までソフトボールを続けました。小中高とキャプテンを努めました。
――小学生の頃から学級委員を務め、今ではバイトリーダーも勤めています。
――私は人に気が配れます。周りに合わせた柔軟な対応が出来ます。
私はそこまで打ち込んで、一気に消した。
まるで階段を駆け上るかのように、カーソルが進んでいく。
私が打ち込んでいたのは、私が思う私の良いところではなかった。
『他人が思う、私の都合が良いところ』だった。
父親がソフトボールが好きだから、私もソフトボールを始めた。やめたいと口にした日には、ひどく叩かれた。
バイトの時も、どんなに周りがサボろうが、ニコニコして自分1人で頑張ってきた。
頑張ってきた?
あ、そうか。
これまで頑張ったことを思い出したのではなかった。
これまでやらされたこと。
これまで我慢させられたこと。
エントリーシートは提出できず、白紙のまま期限を過ぎた。私は泣きながら、深夜椅子に座り込んでいた。
私は私の良いところが、わからなかった。
私は私の好きなところが、1つもなかった。
いつも私自身を傷つける私が、私は大嫌いだった。
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(再起)
「良い就職先に勤めるために、偏差値の高い学校に行きなさい」
両親にそう言われたのに、私の周りにいる、私より偏差値の低い学校に通う友達の方が、何倍も幸せそうだった。自分の目標が明確にあり、それに真っ直ぐ進んでいる姿はかっこよくて眩しかった。
私は大学に行く意味がわからなくなって学校に行けなくなった。
夏休みに入っても、毎日を布団で過ごし、外にも行かず、お風呂にも入らず、汚く伸び切った髪だけが私がまだ生きていることを実感させていた。
死にたいと思えるほど、辛いこともなかった。辛いことから逃げた私には、何もなかった。
だからかもしれない。
だから私は、自分の本当の気持ちをちゃんと思い出せたのかもしれない。
アニメが好きだ。漫画が好きだ。小説が好きだ。創作が好きだ。
私のそんな気持ちは、いつも押しつぶされていた。勉強やソフトボールを頑張るのに、それらは不要とされていた。
今思えば、両親に言えばわかってもらえたかもしれないけれど、私はずっと、私自身の気持ちに蓋をしてきた。
周りにとって都合良くなるために、自分を繕って生きてきた。
私は11月に入ると、本を書き始めた。もちろん、素人の私が上手く書けるはずもない。規定の文字数に全く辿り付かず、1日3000字が限界だった。書いては消して、書いては消してを繰り返した。
それでも苦しくなかった。
前の取り繕った自分よりも、その時の自分の方が、はるかに好きだった。
言いたかったこと。言えなかったこと。本当は嫌いなもの。ずっと我慢してきたこと。辛かったこと。
つらつらと、自分の蓋をしていた脳内をほじくるように文字を連ねていった。
時々、全ての登場人物が作者である自分自身に似通ってしまって笑ってしまった。
自分には、経験したことないことも、想像で書いた。もしかしたら、これから読む誰かを傷つけている可能性のある内容だったのかもしれない。
けれどそんなものは気にしてられなかった。
周りに合わせられる。
そんな自分を少しずつ、削れている気がした。嫌いな自分を、捨てられている気がした。
そして私は1月。15万字もある小説を、1人で書き切ることが出来た。
書き切れたのも最後の最後に、大切な出会いがあったからだ。
ここまで読んで下さった皆さんに、私の幸せなエピソードをお裾分けしようと思う。
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(エントリーシートはもういらない)
応募しようと思っている賞の締め切りを約2週間後に迫っていた12月29日。
2.3日前から酷い眼痛疲労と首の痛みで全くパソコンに向き合えなかった。そして、コスパ重視で選んだマッサージ屋を私は予約した。
店内は、とてつもなく綺麗。個室の部屋は真っ暗でアロマが焚かれている。
担当してくれたのは、40代前半の女性だった。初めはぎこちなく会話が進んでいくものの、途中から明らかに食いつきが違った。両親の話になって、私が上手く流したと思った時だった。いつものように愛想笑いを振りまいた。
「両親と合わない感じですか?」
私はセラピストさんの声色で、この人も同類であることを悟った。
そしてセラピストさんは、自分の話を始めた。大学を中退、五年間フリーター、それからマッサージ師を始めたと。
他の人にはできない経験ばかりしてきたのだと、嬉しそうに話してくれた。そして、彼女自身の親のことも話してくれた。考えが古くて分かり合えないのだと。
大学を中退した自分を今でも、受け入れてくれないようだった。
嫌いではない。と言っても、大好きでもない。ただ、意見の一致が出来ないのだ。
私は初めて共感し合えた。言葉にしたわけではないが、なぜか親子に近い年齢の私たちが、強く分かり合えた気がした。
「私、四国に住んでみたいんです」
別にそんなに行きたかったわけではない。ただ、景色の綺麗な落ち着いた場所に住みたいと、昔から思っていたなんとなく、彼女に聞いてもらいたいと思った。
――じゃあ、四国で就職先を探せば良い。
両親が言うのはいつもそれだった。
「いいじゃない!!行ってみなさい!まずやりたいことは全部やってみなさい!それからよ!」
初めての回答に私は驚きが隠せなかった。
そうなんだー、で済む話だったのに、彼女は私が帰る直前まで「仕事なんてその次」なんて可愛い笑顔で笑っていた。
ただそれだけのこと。気の合う人がたまたまマッサージをしてくれた。そして、私の思いを肯定してくれた。それだけのこと。
だけど私にとっては、それが原動力になった。
新しいことに挑戦する。
それに理由なんていらないのだ。
ただ「好きだから」「直感で」
それだけでいいのだと教えてくれた人に、いつか私の第二の名前を知ってもらいたい。
――私の良いところは?
私はその答えを、今なら書くことが出来るかもしれない。
けれど今はそれよりも、物語を作りたくてしょうがないのだ。
一作目「名前のない夜の花」を書き終えた2023年1月に書いたものです。忘れたくないのでここに残すことにしました。
これからも生きるのと、執筆続けます。




