第4話 女神はトラクターの上で本気だす
力を取り戻した千代里と耕司は、敗者復活戦に挑もうとしていた。
対戦相手は、黒髪を三つ編みにした女神。大黒天部門の勝者だ。
顔の8割以上が隠れてしまうほどの巨大なメガネをかけている。
メガネのフレームにはワイパーがついていた。
こちらに気づいた様子のメガネ女神が、歩幅6センチで耕司らに向かってくる。
「クジでハズレを引いた私『アリシャ』がお相手します! はるばるインドから参戦しましたし、手加減はしませんよ~。重さ5キロのまるいメガネを掛けているせいで、まるメガミと揶揄されていますけど、こうみえて強いんですよ~」
と、まったく知らないオジサンに話かけるアリシャ。
5キロあるというメガネをクイっとあげる。
ド天然なのか、目が悪いだけか。千代里に引けを取らないほど童顔の女神だが、無害そうにみえて何をしでかすか予想がつかない。
アリシャの歩幅は6センチ。千代里のそれを大きく上回る。しかもメガネにはワイパーが付いている。
あのワイパー、侮れない……。
なんの根拠もない不安が耕司の中に湧き上がる。
「わたくしもハシビロコウのマネで本気を出します……」
千代里も負けまいと虚勢をはる。
瞬きと呼吸を止め、口角を5ミリほど上げてみせる。
戦闘モードに入った二柱の女神の身長は1メートル。
耕司には小学生同士の挨拶にしか見えていなかった。
そんなことよりトラクターだ。敗者復活戦があるとは予想していなかった。
耕司は祖父から借り受けた古いトラクターの点検をする。元は真紅だったボディーの色。いまではすっかり色褪せ、ニンジンのような色になっている。年季は入っているが日本製。持ちこたえてくれるだろう。
信者が多く、資金も潤沢なアリシャの白いトラクターは外国製。スーパーカーを作っているイタリアのメーカーが製造したものだ。性能差は歴然だが、女ストはトラクターの良し悪しで決まるわけでもない。屋根で戦う女神の力量がものをいうのだ。
いまの千代里ならきっと大丈夫だ。トラクターのハンドルを握る耕司の顔は、自信に満ちている。
千代里の表情も同様だった。
――試合開始の合図と共に、両者のトラクターが同時に走り出す。
アリシャは、千代里を射程圏内に捉えるとヤリを突き出し、すぐに引っ込めた。短時間の間に数回繰り返す。一人時間差攻撃だ。
千代里は避けることなく、冷静にヤリの先端を目で追った。
アリシャは、千代里の出方をうかがっていたようだ。
1度目の走行では決着がつかず、双方のトラクターは反対側のスタート位置へと向かう。
2走目もやるべきことは同じ。耕司はトラクターを安定して走らせることだ。
――両者のトラクターが時速30キロに達する。
すれ違いざま、千代里が先手を取る。アリシャ目掛けて高速で突き出されたヤリは、少し左に逸れる。
つづけてアリシャが動く。
アリシャの放ったヤリが、耕司の操るトラクターの側部を捉えた。
ヤリの先端が吹き飛び、破片が耕司の顔面に降りかかる。
――両者一歩も引かず、アリシャとの対決は100回目を迎えようとしていた。
千代里が肩で息をし始める。
ここまで長引くとトラクターが危ういし、次で勝負を決めたい……。
会場内から千代里を応援する声が、ちらほらと耕司の耳に届いていた。
多くはないけど、千代里の信者が増えたみたいだ。
だけど、敵との力の差って何だろう?
額から流れ出る血をぬぐいながら、耕司がボンヤリと思っていたときだ。
「コースの整備をするから試合は中断だってさ!」
短い足を懸命に動かす3頭神モードの毘沙門天が、耕司らに走り寄ってくる。
「おい少年、ケガしてるじゃないか!」
毘沙門天がトラクターの左側から操縦席を覗き込む。
負傷した左目をつむり、右手だけでハンドルを握る耕司の姿を検める。
千代里は、いまにも泣き出しそうな面持ちだ。だが、何かを決意した様子で、左手をだらりとたらす耕司に言葉をかける。
「耕司さん。棄権しましょう……」
「次で決める。正攻法では勝てないと思う。ちょっとずるい手を使おうとおもうんだけど」
「はい……。でも、次でダメでしたら棄権します……」
千代里は、仕方なく承諾した様子だ。
「応急処置は終わったよ。少年、次で決めて来い! 勝ったらお好み焼きをごちそうするよ!」
「いらないです!」
耕司と千代里は、大きく首を横に振り、口をそろえて全否定。
毘沙門天は「だっふぁ!」と漏らし、肩を落とした。
捨て犬のような姿の女神を、どうやってフォローしようかと、千代里があたふたしている。
「疲れてるんで、甘いものがいいです……」
ボソッと呟いた耕司の一言に、毘沙門天が息を吹き返した。
張り詰めた空気を毘沙門天が和らげた矢先だ。
『各選手はスタート位置についてください』
情け容赦ないアナウンスが耕司の耳を襲撃する。
耕司は両頬を叩き、気合いを入れなおす。
銀色のオーラを纏う千代里を乗せた古びたトラクターは、スタート位置へと向かう――。
試合再開の合図と同時、千代里はヤリを上空に放り投げる。耕司の作戦通りだ。
千代里の動きを察した耕司は、トラクターの速度を上げた。
敵もこの勝負で決めようとしているのか。トラクターの速度は30キロを越えている。
さらに速度を増し、40キロに達したとき、アリシャの放ったヤリが中央に設置された壁をド突いた。先端は砕けるも、ヤリは壁に深く突き刺さる。衝撃でアリシャの体が揺さぶられるが、メガネの女神は、すぐに体勢を立て直す。
スタート直後に放り投げた千代里のヤリが、アリシャに襲い掛かる。
一歩退き、アリシャはヤリの直撃を回避する。だが、ヤリの破片を避けようと顔を大きく背けたとき、まるいメガネが吹き飛んでいった。
「メガネ、メガミ……」
アリシャは屋根の上でメガネを捜索する。
「あった!」
トラクターから離れ行くメガネをアリシャが視認した。
メガネを回収しようと、トラクターからダイブする。
体操選手のごとく、ビシっと着地した。頭から……。
地面に突き刺さった三つ編みの女神アリシャは、脚だけが見えている。
名前で例えると、アリシャの『シャ』しか見えていない。
メガネのワイパーのキコキコと動く音が、ひどく悲しい。
対戦相手の救出に向かおうとした瞬間、千代里の勝利を告げるアナウンスが轟く。
「何が起きましたの?」
停車したトラクターの屋根から、千代里が飛び降りる。
辺りを見回すも、まだ状況を飲み込めない。
「あなたがたの勝ちです!」
まるメガネをかけ直したアリシャが、歩幅6センチで千代里の許へダッシュする。土の付着したメガネのレンズを、ワイパーが懸命に拭い去っている。
「大黒ちゃんの首、へし折れたかと思ったよ! にしても、ワイパーいい仕事するねぇ!」
アリシャの姿を見ていた毘沙門天が、腹を抱えて大笑いしている。
だが、耕司と千代里にそんな余裕はなかった。
「千代里さんの勝ちです! ご当地八福神に入ったのですよ!」
敗者復活戦はアリシャの自爆という結果で幕をおろした。
棚ぼたに近いが、勝ちは勝ち。七福神決定戦『全国大会(決勝戦)』へのキップを、千代里は手にしたのだ。
アリシャが繰り返した言葉に、ようやく状況を把握した千代里。アリシャと握手を交わすと、歩幅20センチで耕司の許へ向かう。
いままで一度も顔をほころばせることのなかった千代里は、失明しそうなほど眩しい笑顔を耕司に贈った――。