第3話 女神降臨
神社なんかあったかな……。
記憶の糸を手繰り寄せながら、狭い町内を駆け回る。片っ端から情報を集め、さびれた神社があることを耕司は知った。
――小高い山の頂に佇む建造物の姿。
なぜだか懐かしさを覚えつつ、くすんだ朱色の鳥居をくぐる。後ろへ流れる景色を横目にしながら、石段を全力で駆け上がる。
長い階段を上りきると、参道の先に古びた拝殿が耕司の視界に飛び込んできた。
大国主命を主神として祀る神社のようだ。
石碑には由緒らしき文言がつらつらと記されている。
ざっくり言えば、千代里は主神の遠い親戚らしい。
配神。千代里はついでに祀られている居候的な神である。
やっぱり、来たことがある。
少しずつ耕司の記憶がよみがえる。
「ふたつ願い事をしたような……。確か、おばあちゃんの病気の治癒、それから、僕の頼み事だったかな」
数年前、耕司はこの神社を訪れ、二つの願をかけていた。ひとつは、祖母が患っていた脚の病気の治癒。もうひとつは、高校受験を控えた耕司が合格祈願をしていた。
祖母に関する願いは聞き届けられた。だが、第一志望合格の願い叶わず、滑り止めで受けていた高校にかろうじて引っ掛かったのだった。以来、神を信じていなかった。ろくに勉強をしなかった自分を棚にあげて。
千代里は韋駄天である。駆けっこが速くなる、水虫・痛風の治癒など、いわゆる足まわり専門の神。脚に関する病は治せるが、学業は守備範囲外だった。耕司自身の願いはイタリアンの店でコッテリとんこつラーメンを発注したに等しい。
横に繋がりのある神であれば、専門外の願いでも別の神に取り次いでくれる。だが、千代里は孤高の神。悪く言えばボッチだ。耕司の願いは、千代里(韋駄天)に聞き届けられる可能性は低かったのだ。
思い出した……。
毘沙門天に渡された“こってり500種の野菜ジュース”の缶を握りしめる。
そういえば、賽銭の代わりにこの野菜ジュースを奉納したんだっけ。
姿こそ見ていないものの、耕司は千代里を知っている。
千代里もまた、お参りにきた耕司を憶えていた。参拝者など数えるほどだったからだ。
現世に出でて百年を超える千代里の信者は、めっきりと数を減らしていた。
韋駄天“千代里”の存在は忘れ去られていたのだ。
そんな状態の千代里は、現世で姿をとどめているのが精いっぱい。歩く足も遅くなっていた。ぎこちない話し方もそのせいだった。
千代里の記憶は、ほとんどが飛んでいたが、耕司の顔と名前だけは憶えていたのだ。
あとはどうすればいいんだ?
拝殿を覗けと毘沙門さまが言ってたけど、バチは当たらないよね?
朽ちかけた拝殿の扉を恐る恐る開くと、千代里に酷似した人形が1体祀られていた。
人形の近くに野菜ジュースを置き、拍手を2度打つ。
だれにお願いすればいいんだろう。
とにかく、お礼とお願いか。
「僕が信者になります。だから、千代里のことをお願いします……」
今はこれくらいのことしかできないし、決定戦会場に戻ってみるか。
鳥居をくぐったところで、拝殿のほうを振り返る。
一礼をすると、耕司は決戦会場へ向かった。
卍
「遅かったね。少年!」
口の周りにベッタリと青のりを付けた毘沙門天が、耕司の帰りを待っていた。
自身の試合が終わり、余裕そうな顔でお好み焼きを頬張っている。
「青のりの神さま?」
「ちっげぇよ!」
毘沙門天の変わりっぷりに驚いた耕司。
意味不明な言葉を発するのは無理もない。
毘沙門天が妖艶な大人の女性の姿になっていたのだ。
1メートルほどだった毘沙門天の背丈が、170センチ近くまで伸びていた。
見た目は20歳前後と大人っぽくなっている。
衣服のサイズは変わらないため、いまにもハチ切れそうだ。
「トラクターの上に乗るから、体を小さくしたんだ。女神は誰でもできるんだけど。ちなみに、小さい体の時は“3頭神”っていうんだ。ちょっとやってみるね」
状況を飲み込めない耕司にざっくりと説明をする毘沙門天。
子供料金で電車に乗れるんだぜぇ! と付け加えつつ、自身の体を3頭神に変化させた。
「3頭神はいいことばかりじゃなくてね。歩幅が狭くなるんだよ。3センチから6センチくらいかな――」
「そんなことより、毘沙門さまの言うとおりにしてきたけど……それで、千代里の様子は?」
「っておい! 少年、キミは女神の力に興味ねぇのかよっ! まあ、いいや……。で、いい知らせが3つあるんだ!」
毘沙門天の喜々とした声に、耕司は思わず顔を上げる。だが、毘沙門天に目を合わせることができなかった。毘沙門天がプリプリとした大きな胸を見せつけてくるからだ。
「はい、ひとつめ~! 今回は記念の大会だから八福神を結成するんだってさ! “敗者復活戦”もあるあるんだって。つまり、チヨリンにもまだチャンスがあるってことさ」
千代里の活躍ぶりが目に留まったようだ。主催者の粋な計らいで、七福神に“韋駄天部門”が新設された。向こう100年間は、女神だけで結成するアイドルユニット“八福神”として活動することになったのだ。
8番目(補欠)の女神が、弁財天部門の敗者から選出することになったのは、主催者のちょっとした思い付きらしい。
千代里にチャンスが巡ってきたのだ。だが、肝心の千代里が……。
肩を落とす耕司の背をポンと叩くと、毘沙門天が続ける。
「で、ふたつめだけど……。後ろを見てごらん」
毘沙門天の「みっつめの朗報はね……。少年、聞いているかい?」という言葉を聞きながら、耕司が振り返る。彼を待っていたのは完全復活を遂げた千代里だった。
「力を取り戻せたのは、耕司さんのおかげです……」
千代里はうつむき加減で耕司に視線を送った。
1回戦では見られなかった梵字が千代里の瞳に現れている。
黒い髪が銀色へと変わり、カラダから神々しいオーラを放つ。他の女神と同様、洗濯板状態だった胸が膨らみ、ロリ巨乳へと変貌を遂げていた。童顔はそのままだが、体つきは16歳前後と年相応だ。
自信と力を取り戻した千代里の精悍な顔つきに、耕司は顔をほころばせる。
「毘沙門さま。野菜ジュースに何か意味はあったの?」
「キミが神社へお参りに行ってチヨリンを思い出すことが重要でね。ジュースは特に意味はない!」
「てっきり千代里の好物かと思ってた」
同意でも求めるかのように、耕司がチラっと千代里に視線を向ける。
「好物ではありません……。耕司さんが思い出してくれるかと……」
千代里はモジモジっと顔を紅潮させる。
公園で耕司をみかけた際、千代里は『こってり500種の野菜ジュース』を、これ見よがしに飲んでみせたようだ。
「野菜ジュース1本で願い事がふたつしようなんて欲張りすぎだね~。ボクならキミに神罰を食らわせてたね。ま、いいや。で、最後の朗報はね。聞いて驚け、少年! 屋台のおじさんが、お好み焼きを5段にしてくれたんだぜぇ~」
毘沙門天の口から最後に繰り出された良い知らせは、耕司にとって果てしなくどうでもいい情報だった。