隙間
「ねえ、祐太」
「なに?」
川原の芝生の上に僕と千佳は寝転がっていた。
「ううん、なんでもない」
「そっか」
冷たい風が吹いた。でも、僕らは気にも留めない。
「理子、受かったって……」
「そっか、よかった」
また風が吹いて、枯れた木の葉が僕らの前に落ちた。
「ねえ、祐太」
「なに?」
「……大丈夫だよね」
「うん、大丈夫だよ」
即答したのは自信があったからだ。不安は少なからずあるけれど、僕らなら乗り越えられると思う。
「だよね、私……」
「……」
黙って僕は千佳を抱きしめた。その体がいつもよりも小さく感じる。
「……なんでこうなっちゃったんだろ」
今にも泣き出しそうな声に、僕はもっと強く抱きしめた。
「なんで……かな?」
答えはない。誰のせいでもない。
「なんで……なんで……」
千佳の涙が僕の肩に落ちていくのがわかった。僕も泣きたかった。それでも、僕は泣くことはできない。今にも壊れてしまいそうな千佳を強く、強く抱きしめた。
「大丈夫だから」
「……ごめん、祐太、私……」
「いいから」
千佳の涙は止まらない。千佳の頬をつたい、僕の肩に落ちる。それを何度も何度も繰り返した。その涙を止めたくても、強く抱きしめることしか僕にはできなかった。
「これから……どうすればいい?」
ひとしきり泣いた後、千佳は少しだけ吹っ切れたみたいだ。もう涙声ではなかった。でも、僕はなんだかさびしい気持ちになった。
「大丈夫だよ、会えるから」
行く学校は違っていても住んでいる場所は遠くないし、駅に着くまでの間だって話すことはできる。
「だよね。絶対……だよ」
「うん、絶対」
僕と千佳はその約束を破ることのないようにキスをした。
そして、僕と千佳の少し遠くなった日々が始まった。
「待った?」
「ううん、全然」
あの日から僕らは何度も会い二人でたくさんのことを決めた。朝は近くの公園で待ち合わせをすること、一日一回は電話をすること、等々だ。
「制服、カッコイイね」
「そう?」
「すごく似合ってるよ」
「そうかな……。千佳こそ、似合ってるよ」
「私は……。ありがと」
千佳は自分のことをあまり褒められたことがない。中学校では目立たないほうだったし、勉強もよくはない。だからこそ褒められるのがうれしいみたいだ。
「でも、でも、祐太はすっごく似合ってるよ」
「千佳のほうが似合ってるよ」
「そんなことないよ。祐太、カッコイイ」
「……ありがとう」
僕は千佳の手を握った。千佳の手は冷え切っていた。
「え?」
「ダメ……だったかな?」
手をつないだのはこれが初めてだった。
「ううん、温かい」
僕は千佳が好きだ。
駅のエスカレーターが終わり、もうすぐ改札だ。改札を通ってしまえば、ホームで電車を待つ少しの時間しか話すことができない。僕と千佳の通う学校は方向が違う。だから、電車の中で話すことはできない。
「自己紹介失敗しないかな……」
千佳はかわいい。時々、こうやって弱気になるところも、からかうと怒るところもだ。
「千佳なら大丈夫だよ」
「私……声小さいから」
「そんなことないよ。がんばれば大丈夫」
千佳の頬が少し膨らんだ。
「がんばんなきゃダメってこと?」
「がんばんなくても大丈夫」
千佳の目が細くなった。
「……あやしい」
千佳の彼氏になって千佳の見たことのない表情を知った。今の顔も付き合うまでは知らなかった表情だ。千佳の新しい表情を見ると僕はとてもうれしい。
「あやしくないから……」
改札が近くなって僕はお尻にあるポケットから財布をだした。この財布は千佳がクリスマスプレゼントでくれたものだ。
―ピッ、ピッ―
最近できたばかりのかざすだけで通過できる定期を使って、僕らは改札を通り抜けた。
「すごいね……進化したんだね……」
「ふふっ」
「……今、笑わなかった?」
「笑ってないよ」
本当は笑っていた。急にしみじみと感動していた千佳が面白かった。
「絶対、笑ってたよ」
「笑ってません」
「笑ってました」
―二番ホームに電車が参ります―
「え? これに乗るの?」
「そう……かも」
「じゃあ、急がなきゃ」
千佳は足を速めた。でも、それは僕の普通のペースと変わらない。
駆け足で階段を降り、ホームに着いたが、まだ電車は到着していない。それもそのはずで、その電車は快速電車だったからこの駅を通過するのだ。
「はあっ、はあっ、違ったね」
息を切らしていても千佳は笑顔だ。
「ドジだな」
「え?」
「いや、なんでもない」
さっきまでの笑顔はなくなって、ぶすっとした顔になった。
「今、なんか言ったのに教えてくれない……」
「なんにも言ってないよ?」
「じゃあ、なんで口動かしてたの?」
「ガム噛んでたから」
「うそ……」
千佳をからかうのは楽しい。それに、いろいろな顔が見られる。
「ホントはがんばったなって言った」
「そんなに長くなかったよ……」
―二番ホームに電車が参ります―
「これに乗るの?」
「そうだよ」
千佳と僕の間にほんの少しの沈黙が流れた。
「あ、メールしてね」
「するする」
「帰ったら電話してね」
「電話もするよ」
―キィィィィィ、プシュー―
電車が到着して、ブレーキの音がホームに響いた。
「絶対、してね」
「絶対するよ」
千佳が小さな手でこぶしをつくり、小指を出した。
「指切りして」
僕は何も言わずにその小指に僕の小指を絡めた。
「指きりげんまん、うそついたら針千本のーます、指切った」
千佳は笑っていた。眩しいほどの笑顔だった。
「ばいばい」
「うん、ばいばい」
僕は電車に乗り、手を振った。
―ドアが閉まります。ご注意ください―
ドアが閉まり、僕と千佳の間には壁ができた。
電車が走り出す。千佳もそれに合わせてゆっくりと歩きだし、僕に手を振る。僕も振り返した。千佳は僕が見えなくなるまでずっと手を振ってくれていた。
「祐太が見たいのにしようよ」
違う学校に通い始めて五日たった初めての日曜日、僕は千佳と地元の映画館に来ていた。何度も二人で来たことのある場所だ。
「千佳が見たいのでいいよ?」
千佳は頭を横に振った。
「今日は祐太が決めて」
「じゃあ……」
電光掲示板には話題となっている恋愛映画、ホラー、コメディー、アニメとたくさんのタイトルが並んでいる。
「サイレント・パニックは?」
それはタイトルからもわかるようにホラーだ。今日はそれを見に来たわけではなかった。ただ千佳の反応が見たかった。
「ホラー?」
「冗談、冗談」
「だよね。あれ? 祐太ってホラー好きだっけ?」
「うーん、まあまあ?」
たまに見たりするけれど、千佳と見るときは避けている。
「へー。一緒に見たことないよね」
「……そうだね」
恋愛映画を見ようと思ったいたのに、このままだと二人でホラーを見る流れになってしまっている。それだけはなんとか避けたい。
「じゃあ、あれにする?」
千佳は骸骨のポスターを指差した。
「ホント冗談だから」
「見たいんじゃないの?」
「千佳ホラー苦手でしょ? 無理しなくていいから」
きっと千佳は無理をしている。そんな姿がとてもかわいい。
「……いいの?」
「全然、いいって。それに、今日はあれ見に来たんだし」
僕は恋愛映画のポスターを指差した。
「あ、私、すっごく見たかったの!」
千佳の目は輝いていた。それもそのはずで、何度もメールにこの映画の名前が登場していた。
「んじゃ、あれでいい?」
「うん!」
千佳にしては珍しく子供みたいなはしゃぎ方をしていた。
「あれって原作とはまったく違うオリジナルストーリーでね―」
いつもなら興味のない話は聞かないけれど、千佳のする話が面白かったのか僕は聞き入っていた。
僕らは二人分のチケット二枚と、二人分のポップコーン一つを買って席に着いた。
「主人公はそんな気はまったくないんだけど、周りの女の子たちが―」
千佳の話はまだ続いていた。そのときは、千佳がこんなにもしゃべれるということに驚きを感じていた。
映画が始まった。
ストーリーは言ってしまえばシンプルだ。主人公のことが好きな女の子がたくさんいて、優柔不断な主人公は結局選べずに全員をふってしまう。いたってシンプルなのだが、ラストには力が入っていた。メインヒロインの涙に、誰もがもらい泣きしてしまう。
千佳は当然泣いていて、終盤はほとんど泣きっぱなしだった。僕は映画のことよりも泣く千佳がかわいくて焦っていた。なんだか不謹慎に思えた。
五月半ば。千佳から『泊めさせて』とメールがきた。
『どうしたの?』
僕はすぐに返事をした。
『ケンカ……したの』
千佳と千佳のお母さんはとても仲がいい。週に何度も一緒に買い物に出かけるし、誕生日にはプレゼントをあげる。そんな二人がケンカをしたらしい。
僕は千佳に電話をした。
「もしもし、今どこ?」
「今、もう……もうすぐ着くよ」
「え? ちょっと待っ―」
―プー、プー、プー―
電話越しからでも千佳が泣いているのがわかった。
泊めてあげるかどうかはともかく、家に入るなら母には事情を説明しなければならない。
僕は二階にある自分の部屋から出て、階段を下り、リビングに入った。そのとき、千佳がちょうど来た。
―ピンポーン、ピンポーン―
「あら? こんな時間にだれ?」
母がインターホンの画面を見た。
「ん? 女の子じゃない」
母は千佳と小学校のころ会ったきり見たことがないようで、わからなかったみたいだ。
「ごめん、母さん、ちょっと……」
「ああ、そういうことね」
母は気を遣ってくれたみたいで台所に行ってくれた。
「千佳……とりあえず―」
「いきなりで本当にごめんなさい……」
僕の言葉を遮って千佳が頭を下げた。
「気にしなくていいから、とりあえず入ってよ」
「ごめんね……」
僕は玄関の鍵をあけ、千佳とリビングで話すことにした。本当は自分の部屋で話したかったけれど、母に勘違いはされたくなかった。
「お邪魔します……」
千佳はまだ泣いていて、とても小さく見えた。
リビングに入ると母が戻ってきていて、りんごを食べていた。が、その手が止まった。
「いらっしゃ……ん?」
「なに? 母さん」
母は疑問に思ったようだ。
「どこかで……ごめんなさい。すぐにどくわね」
母はまた僕らに気を遣ってくれた。
「あの……私、旭千佳です。えーと、三年B組で一緒だった……」
「えっと旭……さん……」
「六年二組で一緒だった旭さんだよ」
「あー! あの旭さんね」
母の中で記憶が一致したみたいで母は大きな声を出して喜んだ。
「えーと、旭さんがうちの祐太の彼女……ってことなの?」
「はい……」
千佳は照れくさそうにうつむいた。僕もつられて照れてしまった。
「へー、そうなの。祐太やるじゃない」
「関係ないだろ」
「あらら。大きな声出しちゃって」
母にからかわれるとは情けない。
「それで……どうしたの? こんな時間に」
「それが……千佳がお母さんとケンカしたみたいでさ」
「あー、そうなの。まあ、座ってから話しましょうか」
千佳と僕がイスに座ると母が立ち上がった。
「お茶、淹れるわね」
「あ……あのお構いなく……」
「ダメよ。だって、泣いてるより落ち着いたほうが話しやすいでしょ?」
母の気遣いに僕は心の中で感謝した。
「それで……お母さんはなんだって?」
「……」
千佳は大粒の涙を流し始めてしまった。
「無理しなくていいから……」
そっと抱きしめると千佳は僕の胸の中で少しだけ泣いた。
「ごめんね……ホントは……うそなの」
「うそ?」
こくりと千佳がうなづいた。
「……ホントは……お父さんが……」
そこまで言って千佳はまた泣き出した。今度は長い間、僕の胸の中で泣いていた。ずっと泣き続けていたので、母がお茶を淹れ終えて戻ってきてしまった。
「そう……辛かったでしょ……」
「でも……私……」
「いいのよ。しゃべらなくて……」
千佳が言うにはお母さんとお父さんがケンカをして、お父さんが出て行くと言って部屋にこもってしまい、千佳はそれが嫌で考えもなしに家を飛び出して来てしまったようだ。
そんな話を聞いて、千佳の彼氏であっても僕は口を出すことができないと思った。そんな弱さを僕は自分自身に感じていた。
「でも……心配してるだろうから……」
母は間違ったことは言わなかった。
「……」
千佳はまた涙を流し始めた。僕はその体を強く抱きしめた。僕にはそれしかできなかった。自分は前と全然変われていないことがとても悔しくて、僕も泣きたくなった。
どのくらい抱きしめていたのかわからない。気づくと母はリビングにはもういなかった。千佳の涙も止まり、千佳は立ち上がった。
「……やっぱり、私、帰るね……」
「なんで?」
「だって……私のわがままだもん」
千佳の心は曇ったままだった。僕は結局千佳になにもしてあげられなかった。すごく悔しくって、言葉が漏れた。
「……そんなことないよ」
「ううん。わがままだよ。もっと、大人にならなくっちゃ」
千佳は笑っていた。しかし、その笑顔はいつもの笑顔とは違う、どこかさびしい笑顔だった。
「じゃあ……私、行くね」
僕は何も言えなかった。
「あの……お母さんにお礼を―」
千佳が玄関に向かう扉を開けようと、手をかけたときだった。
―ピンポーン、ピンポーン―
玄関のチャイムが鳴った。僕はインターホンで顔を確認した。男の人だ。でも、誰だかわからない。
「千佳、ちょっと待って」
玄関の外に人がいては、ばつが悪いと思った。
「どちら様ですか?」
男の人は恐縮そうに頭を少しさげた。
「旭千佳の父なんですが……さっき橋本さんから連絡をいただい―」
その声を聞いて千佳は僕の横に飛んで来た。
「お父さん?」
「ああ、千佳か。さっきは……すまなかった」
白髪の男性は頭を深々と下げた。
「機嫌を直して、帰ってきてくれないか?」
その声は穏やかでどこか温かみがあった。
「……お母さんは?」
「車で待ってるよ」
千佳は笑顔だった。それもとびきりの笑顔だった。
「祐太、ありがとう」
「え? 別になにもしてないよ」
千佳は笑って、僕の頬にキスをした。時間が止まったみたいに感じた。うれしいという喜びとか突然の驚きよりも恥ずかしさのほうが強くって僕は照れるしかなかった。
電車に冷房がつきだしたころ、僕は一人で部活の朝練に向かっていた。朝練が始まった当初は千佳も一緒に来てくれていた。でも、最近はほとんど僕一人だ。
その夜は帰りが少し遅くなってしまって、千佳に電話する時間も遅くなってしまった。もう寝ているであろう時間だった。
「あ、遅くなってごめんね……」
「ううん。気にしないで」
千佳はまだ起きていた。
「それで今度は―」
「うん。いいよ―」
他愛のない会話は三十分続いた。
「ごめんね、行けなくて」
「しょうがないよ。千佳は朝、弱いんだから」
「ごめんね……」
一緒に学校に行かない日があっても、毎日電話をするという約束は守っていた。
「明日は一緒に行こう」
「うん、そうだね。じゃあ、また明日。ばいばい」
「ばいばい」
このとき僕は気づいた。千佳はおやすみとは言わなかった。いつから言わなくなったのかわからないけど、ちょっと前までは言っていたはずだ。もしかしたら、僕の生活が変わったように千佳も少しづつ変わっているのかもしれないと思った。
その変化を僕は何度も目にすることとなった。
ある朝練のない日、千佳の行動が気になった。今までドアが閉まっても僕を見てくれていたけれど、最近はドアが閉まると少し手を振った後、ケータイを開いてメールを打っているみたいだ。当然、そのメールは僕宛ではない。きっと、僕が気にしすぎているだけだと思う。でも、なんだか気になってしょうがない。
「男の子ってセンスない人多いね」
「そう?」
「絶対そうだよ。だって、うちのクラスの―」
千佳が学校の男の話をよくするようになったのも電車の冷房がついたのと同じ時期だ。その話はとても耳障りだった。でも、嫌になるくらい覚えている。
「バカなんだよねー」
千佳が明るくなったのも同じ時期だ。千佳は確実に変わってきていた。それはすでに僕の中で違和感として感じられ、僕と千佳の間にある隙間のようだった。
だんだんと千佳に知らない部分が増えていく、僕の知らない千佳になっていく……そんな気がしていた。遊びに一緒に行くときも、なぜだか戸惑ってしまう。知らない部分を知るのは今まではうれしかったはずなのに、今では知らない部分を知ってしまうことがとても怖い。僕の千佳だった千佳がもうただの千佳になってしまう。
そうなるのがすごく怖くて僕は千佳を中学時代に行った遊園地に誘った。二人きりで遊ぶのは一ヶ月ぶりだった。
「遊園地なんて久しぶりー!」
顔全体でくしゃっと笑う。初めて僕に見せる顔だった。感情を表情に表さなかったあの頃の千佳とはもう違う千佳だった。
「ここの遊園地、覚えてる?」
「え? 来たことあったっけ?」
ここは僕が千佳に告白した遊園地だ。
「じょーだん、じょーだん」
僕は正直、イラっとした。
「ねーねー、なに乗る?」
「……」
やはり、戸惑ってしまう。
「じゃあ、じゃあ、ジェットコースター行こうよ!」
千佳が自分の意見をよく言うようになったのには正直、驚いた。付き合い始めたころは自分を押し殺していたようにも思えた。でも、今の千佳は自由で活き活きしていて、それが僕にとってなぜかさびしく思える。
「ジェットコースター?」
「そう! いこいこ!」
俺の中の千佳はジェットコースターに乗れない。乗れたとしてもせいぜい子供が乗るようなものくらいだった。でも、この千佳は違う。
「ドキドキするー」
列に並んでいる間も千佳は表情を顔に出している。こういうとき、千佳は強張って表情を顔に表すことができなかった。今はもう、違うようだ。
列が進むにつれて千佳のテンションは上がり、乗る頃には最高潮に達していた。その笑顔が物語っていた。
ジェットコースターがスタートして、レールを上り始めた。
「くる、くる、くるよー!」
僕は恐怖すら感じた。ジェットコースターが怖いのではない。隣に座る僕の知らない千佳がとても怖かった。
そして、ジェットコースターは急降下した。
「あー! きもちー! あー!」
千佳の叫びを初めて聞いたかもしれない。僕はジェットコースターよりも千佳のことに気をとられていて、すでにトロッコがゴールに着いていたことに気づかなかった。
「楽しくなかった?」
「あ、いや、楽しかったよ」
「そう? あんまり楽しくなさそーだよ」
昔の千佳が相手のことをはっきり言うことはあまりなかった。
「次はお化け屋敷行こっ!」
僕は千佳という知らない女の子に引っ張られて、遊園地を駆け巡った。
「夕日、きれいだね」
「ホント、きれいだな」
最後の乗り物として僕と千佳は観覧車に乗っていた。
「ごめんね……今日は連れまわしちゃって」
「僕が誘ったんだからいいんだよ」
「ううん、私が悪いから……」
今、僕の目には千佳が映っている。でも、なぜだかさっきまでの千佳とは違っている気がした。
「そんなことないって」
「でも、私が……」
「いや、でも、僕が……」
観覧車の中に沈黙が流れる。
「ふふ」
その沈黙は昔と同じ千佳の笑みで破られた。
「あ、笑った」
「笑ってないよ」
「ホント?」
「ホント」
「ホントのホント?」
「ホントのホント」
僕はうれしくてずっとこうしていたかった。昔の僕と千佳に戻れた気がしていた。
「うそ」
「すいません。笑ってました」
「俺も笑いそうだった」
そして、また沈黙する。
「だって、おかしいんだよ……」
「なにが?」
「祐太がおもしろくって……」
「僕がおかしくておもしろい?」
「違うの、そのなんて言えばいいのかわからない……」
僕と千佳の乗った観覧車がてっぺんまできた。
「ま、いいんだけどさ」
「やっぱり、おもしろい」
千佳の笑顔がかわいい。昔の笑顔だ。この笑顔が好きで僕は千佳を好きになった。そして、この遊園地で想いを伝えたんだ。
「もうわけわかんないね」
僕も笑った。
二人で少し笑いあった後、長い沈黙が続いた。観覧車ももう下り始めている。夕日はまだあったが、空には怪しい月が見えていた。
「ねえ、祐太」
「なに?」
風が吹いて観覧車が少し揺れた。でも、僕も千佳も驚かない。
「ううん、なんでもない」
「そっか」
夕日が建物に隠れ、姿を消した。
「やっぱり……言うね」
なかなか千佳は言わない。そのせいで沈黙が続く。
「なに?」
「うん」
長い沈黙だった。
「いつまで私たち、彼氏と彼女やるの?」
僕が感じていた千佳との隙間はもう隙間ではなかった。
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