delicate pleasure
三年間一緒のクラスメイトだったけど、僕は彼女のことをあまり知らない。
話しかければ、それなりに答えてくれたけど、彼女は同性の友だちの方が大切だった。
それにほとんど表情を変えないし、口数も少なく、言葉も冷たいぐらい事務的だった。
必要最低限しか彼女は話さなかった。
部活動に入っているわけでもなく、委員会活動も必須なことしかしていない。
昼休みは本を読んでいるか、友だちの話の聞き手に回っていた。
放課後は鞄を抱えて、職員室に行ってしまうか、図書室に行ってしまう。
あるいは学校の門の前で背の高い社会人らしき男性が待っていれば、さっさと下校をしてしまった。
彼女は精巧にできた人形のように美しかった。
黒髪は腰を超えるほど長く、ガラス玉のような瞳は微かに淡い。
きちんと着用した制服から見える肌は、日焼けなどしないように白く、微かに色づく唇は桜の花びらのようだった。
目鼻立ちは芸能人になってもおかしくないほど整っていて、たまに先生から指されて答えをこたえる声は綺麗なソプラノだった。
共学の高校だったから、彼女に夢中な男子生徒たちがいなかったわけじゃない。
が、女子生徒たちが『親衛隊』という名のファンクラブを結成していた。
彼女が登校してくる前から、げた箱から机の中までチェックをしていた。
そこでラブレターらしきものを見つけると、彼女の目がつく前にゴミ箱に捨てた。
あるいは告白のために人気のない場所に呼び出しをしようとする男子生徒がいたら、『親衛隊』はさりげなく彼女を守っていた。
たとえ先輩だろうが、おかまいなく、彼女から男子生徒を遠ざけていた。
だから彼女の周りには先生以外の男性の影はなかった。
唯一の例外は定期的に門の前に待っている社会人の男性だけだった。
多くの男子生徒は恋心を玉砕されてきたわけだった。
それに僕は見てしまったのだ。
社会人の男性が迎えに来る日は、彼女は機嫌よく微かに笑っていた。
同性の友だちにしか見せない笑顔よりも、嬉しそうだった。
そんな彼女の笑顔を見て、僕は恋をしてしまったのだから、諦めるしかないのだろう。
彼女は成績が優秀だったから、同じ大学に進むと思っていた。
多くのクラスメイトも進学するのだから、当然だと思いこんでいた。
だから、偶然、『親衛隊』の女子生徒たちが泣いているのを見て、僕は驚いてしまった。
彼女は優秀な成績をどぶに捨てるつもりなのか。
専門学校に通う、と聞いたのだ。
女子生徒たちも意外だったらしい。
親友と呼んでもいいような『親衛隊』の友だちにすら話さなかったらしい。
彼女は、専門学校の入学資格を手にしても、なおも話さなかったらしい。
裏切りもいいところだろう。
それでも『親衛隊』の友だちは祝福していた。
彼女にとって高校三年間は、専門学校の受験資格を取るためだけに存在していた、ということだ。
たまたま家から一番近い公立高校だから選んだだけで、内申点を下げないために毎日通っていて、上位の成績をキープし続けただけらしい。
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桜の蕾が膨らむような季節の中、僕らは卒業式を迎えた。
最後に僕の気持ちだけでも伝えたかった。
どう『親衛隊』たちの目をかいくぐるか。
いっそのこと正門で公開処刑のように告白してもいいかもしれない。
どうせ玉砕覚悟だ。
勇気を奮って僕は一人きりの彼女に声をかけた。
チャンスだと思った。
それでも彼女は
「『家族』が待っているから、手短にすましてほしい」
と淡々と言った。
僕が言い淀んでいると、彼女の愛称を呼ぶ男性が校門の前に立っていた。
いつも迎えに来る社会人の男性だった。
『白』のスイートピーの花束を持っていた。
在校生から贈られた一輪のスイートピーは『赤』だったから、違和感があった。
「用件は?」
ガラス玉のような瞳で彼女は僕を見上げていた。
「卒業、おめでとう。
専門学校でも頑張ってね」
僕はありきたりなことを言った。
彼女はゆっくりと小首をかしげて
「佐々木くんも、卒業おめでとう。
大学でも頑張って」
「え、僕の名前知っていたの?」
僕は驚いた。
「同じクラスに三年間いれば覚えていない方が不思議だと思うのだけど」
彼女は言った。
てっきり他人には興味がないと思っていた。
それぐらい彼女は周囲に溶けこんでいなかった。
「ありがとう」
僕は泣くのを我慢して笑った。
ちゃんと彼女の記憶の中に僕はいたのだ。
気持ちは伝えることはできなかったけど、充分だった。
好きだ、と一言も伝えることはできなかったけれども、青春という名の想い出の一つにはなった。
彼女は踵を返して、社会人の男性のところまで小走りで駆けて行く。
長い黒髪が、制服のスカートのプリーツが揺れる。
僕はそれを目に焼きつけた。