竹田商店
竹内商店といえば、安かろう悪かろうの代名詞だった。野菜の大袋を買えば二つ三つは腐っていたし、二十個くらいで五十円のみかんも味が薄くて硬い皮のものしか入ってなかった。それでも安さにがめつい田舎者が群がる、ある種の人気店だった。
竹内商店は面白い店だった。野菜、果物だけでなく、惣菜や肉、魚なんかも売っていた。変わったものも売っていて、エイが釣れただとかで、アカエイが生きたまま発泡スチロールに入れられて、十円で売られていたのも覚えている。私の家もかつて、生きたカレイを買ったことがある。うまく締められなくて、鍋の中で暴れているのに困りながら母が煮ていた。出来上がりの形はどうであれ、上手い上手いと言って食べたはずだから、たしかに良いものも売っていた。
とはいえ、照明は暗くて不気味だし、そのくせ安さを求める客で柄が悪く経営する夫婦も同じようなものだったから、私の家族は店というよりむしろ、全体的に嫌っていたし、私もだった。
竹内の娘、萌はひねくれた子だった。いつでも自分を中心に世界を回していて、少しでも気に入らない子の悪口を言いふらす。面と向かって馬鹿にされる子も多く、自分も例外ではなかった。あんたは目が細くて潰れてて嫌だ、と言われたことを覚えている。真似をしてきたあの顔を今でも忘れない。もともと自分でも気にしていたことだったから、それ以来自分の顔がますます嫌いになった。
けれども、小学生とは不思議なもので、なぜか二、三度彼女の家で遊んだことならある。あるいは、たまたま帰る方向が一緒だったから、悪口に目をつむれば意外と彼女が面白い子であると思ったのかもしれない。
あの日のことはもうあまり思い出せない。たしかあの日は焼き芋を食べた。店の片隅で、背の高い椅子に座って、作業台のようなところで食べた。
別に、食べないでいいよ、と言う私に、食べないとダメ、と半ば強引に塗装の剥げた釜の中から、大きいのを選んで、軍手で取り出してきた。
「新聞紙にくるんで、ちょっと待つといいんだよ」
萌は鼻をすすりながら言った。確かに寒い日だった。田舎の学校だったから体操服で登下校をしていて、そのくせみんな長ズボンを格好悪いと思っていたから冬でもみんな短パンだった。下校後も体操服でみんな外で遊んだり、塾に行ったりしていて、自分もそれにもれなかった。体操服で登下校したり、ジャージで外に出たりは、都会ではやらないと気づいたのは最近のことだ。
「あつあつのをね、すぐに食べたいってみんな思うじゃんか。だけどね、我慢して待つと、もっと美味しくなる。父さんが教えてくれた」
父さんってあの父さんか、と私は竹内の店主を思い浮かべた。売り場でよく、値下げシールを貼っている。もう安いものなのにさらに安くしている。そのわりに客への愛想が悪くて、いつも怒鳴るように話をする人だ。
「多分そろそろいいと思う」
萌がクルクルと巻いた新聞を開け、皮を少し剥がすと、少しシワの寄った狐色が出てきた。
「この部分が美味しいじゃんね」
萌は言った。美味しいじゃんね、とは別に同意を求めているわけではない。美味しいんだけどね、というその程度の意味だ。
私は、自分の新聞紙を開け、萌の真似をした。皮の近くの実は、歯ごたえがあって、干し芋に近かった。何より、甘みがぎゅっと濃縮されていて、噛むほど甘みが広がった。
「うん。美味しい」
「ウチのさつまいもが一番美味しい」
萌は自慢げに言った。こういう時の萌は普段の意地の悪さは鳴りを潜めていて、純真だった。
「中の方もね、ほくほししてて、とろける感じでめちゃくちゃ美味いんだよ」
萌がどこからともなくアイスに使うスプーンを取り出してきた。中をくり抜こうとした時、後ろで大きな音がした。店とは反対側、萌たちが実際に住んでいる場所の方である。
「お前は口を出すな!」
怒鳴り声と共に何か積み上げたものが崩れるような音がした。萌と二人で顔を合わせる。さっきまで、嬉しそうだった萌の顔は、今や何の表情もなかった。
「ちょっと見てくるから、食べてていいよ」
そう言い残すと、裏へ続く扉から入っていった。入れ替わるようにして、例の父親が出てきた。私の方をチラリと見ると、一言「萌の友達か」とだけ呟いて、海鮮売り場へと向かっていった。
しばらく、焼き芋を食べていたものの、どうも居心地が悪かった。自分の店でないのに我が物顔で食べているのもおかしな話だし、自分でお金を払ったわけでもないのだし。
少しくらいならいいだろうと萌の入っていった扉を覗いた。
萌の母が段ボールの山に埋もれるようにして腰を下ろしていた。肩を手で押さえていて、それを萌が庇うように見ている。さっきの音は、お母さんが殴られた音だったのだ、と気がついた。
その時思い出したことがあった。萌の体のアザである。水泳の着替えの時、萌の体にはあざがあった。それこそ注意しないと見えないところだったけれど、たまたま目に入ったのだった。
怖くなった私は急いで元の焼き芋の前に戻った。けれども、もう食べる気にならなかった。一刻も早くここを立ち去りたかった。
程なくして萌が帰ってきた。
「これも飲もう」
手にはジュースが握られていた。
「ウチに来た人には絶対に満足してもらおう、ってのが父さんの口癖なんだ」
私は黙って頷いた。よっぽど、さっきのことを聞こうかと思った。けれど、彼女が今何も話さないと言うことは、話して欲しくないと言うことだと思った。だから何も言わなかった。
萌は、さっきと同じように少し嬉しそうに芋を触った。
「ちょっと冷めちゃった。けどね、ウチの焼き芋は冷めても美味しいんだよ」
そう言って、萌は再び食べ始めた。それからいつものように、同じ班の桃香が嫌いだとか、担任がうざったいだとかそういう話をした。
ちびちびとジュースを飲んだ後、寒いからもう帰ろうかな、と言うと、萌は釜に手を伸ばした。
「もう一本、持っていって。お土産に。うちの自慢の焼き芋だから」
持って帰ったさつま芋は、やはりどうしようもなく甘かった。それを私は家族みんなで食べた。
最近になって、このことを思い出して、下宿近くのスーパーで何度か焼き芋を買ったけれど、あの時ほど甘い芋にはまだ出会っていない。