俺は彼女の王子様になる
翌日、俺は検査の多さと窮屈さにほとほと疲れた。一ヶ月も寝たきりだったせいで、病院の廊下を歩くのも休み休みだ。あと、足の裏が敏感というか、床やスリッパの感じをこんなに細かく感じ、それが無駄に刺激的で疲れた。
やっと部屋に戻れる。オレンジ色の夕陽が差し込む窓際に、美少女がいた。
「あっ、一ノ瀬くん」
「兆野さん?」
そうだ。お見舞いに来てくれると言っていた。昨日と違って制服姿だ。かわいい。
「すごく疲れた顔してる。大丈夫?」
兆野さんは俺に駆け寄って、背中に手を添える。温かい。
ベッドに腰掛ける。座った瞬間、足がじーんとして、疲れが上ってきた。
「ふぅ」
一息つくとはこのことだ。
兆野さんは心配そうに俺を見つめる。
「ごめん、ありがとう。一ヶ月も寝てると筋肉も骨も弱くなるらしいんだけど、俺はぜんぜん良い方だそうだ。明日には退院だって」
「そうなんだ! 良かったぁ」
自分のことのように喜んだ。それがくすぐったく思えて、ふと兆野さんが一ヶ月も俺のお見舞いに来てくれていたのを思い出す。
俺はまだ出会って二日だけど、兆野さんにはもう一ヶ月なんだよな。
「そうだ、りんご食べますか?」
「うん」
キャビネットの上に置かれた果物から赤いりんごを手に取り、下敷きみたいなまな板の上でシャクシャクと串切りにする。
皿に乗せたりんごをもらって、「ありがとう、兆野さんも食べて」と勧めた。兆野さんは遠慮したので俺は一人でりんごを食べる。美味い。
「一ノ瀬くん、白雪姫って知ってる?」
「え、うん。え?」
俺は口に運びかけたりんごをそっと皿に戻す。
「毒りんごじゃないよ!?」
「あ、そうだよね。ごめん」
「もう」
頬をぷくーとふくらませた。かわいい。
引き続きりんごを食べ始めると、彼女は話を続けた。シンデレラ、眠り姫、美女と野獣、どれも王子様がお姫様を助けてくれる話だ。いくつか知らない話もあって、興味深く聞けた。
「でね、一ノ瀬くんは王子様なのかなって」
「へ?」
俺は食べかけのりんごを落とした。いや、俺が王子様なわけがない。サラリーマンの息子だ。
自分で言ったくせに兆野さんの顔は真っ赤だった。つられて俺も顔が熱くなった。
「あっ、わたしってば何言ってんだろ、アハハ」
手うちわで顔をぱたぱたする。
俺も何を返して良いか分からず、閉口する。
夕陽が木の陰に掛かり、部屋に青みがかった影が差し込む。
「ごめん。変だよね……」
うつむいて、シュン、とする。
たぶん兆野さんは夢見がちな女の子なのだ。
それをポロッと出して恥ずかしい思いをして、少し凹んだ。
凹ませたままでいいのか? いや、良くない。
俺は自分ルールを思い出す。愛のために行動せよ、だ。
「変じゃないよ、ちっとも! 俺は、兆野さん、いや、も、百愛さんのためなら王子様になるよ!」
や、やばい。言った。顔の周りの熱気がすごい。恥ずかしさで爆発しそうだ。
百愛さんが顔を上げた。
「一ノ瀬くん……」
くそー! なんで夕焼けじゃないんだ。真っ赤な顔を直に見られてしまう。
だけど百愛さんは首を横に振った。
「天地人くん、でいいのかな?」
な、名前だ。俺の。しかもテンチジンじゃない。初めてだ。最初から俺の名前を呼んでくれたのは。
「は、はい」
なんだこれ。俺の方が照れてしまった。
本当は百愛さんの方が王子様なんじゃないのか。白雪姫は俺だったんじゃないのか。
百愛さんが帰るまでずっと俺はそんなことを考えていた。