義と愛に死す
「一ノ瀬……テンチジン……くん?」
「あっ、すいません。天地人って書いて、『あつひと』です……」
「あー、なるほどね。はいはい、じゃあ口あけて」
「はぁ……」
高校に入学する前の健康診断。
口を開けながら問診票を眺めてうんざりする。
絶対、新しいクラスでもバカにされる……。
大河ドラマ好きの親の影響で、タイトルまんまの名前になった。
愛と義を志す男。兜にデカデカと『愛』の字を掲げた武将だ。
「はいオッケーです」
「うぃ」
問診票を受け取って踵を返す。廊下はすでに意気投合した新入生同士でワイワイ騒ぎ声が聞こえていた。教室を出たその瞬間、思い切り肩をぶつけられる。
「わりっ」
「あ、はぁ……」
俺にぶつかった生徒は他の生徒と検尿がどうだこうだと騒いでいた。もう俺とぶつかったことも忘れている。俺は居ても居なくても同じの存在、空気キャラってやつだ。というか目立つようなキャラじゃない。まして頭に『愛』を掲げた兜を被る戦国武将は、俺とは天と地ほど違う人。
陰キャぼっちで名前負けだよな。
「はあ」
健康診断を終え、校門を出る。
見渡す限りの田んぼ。山。山。田んぼ。山。超絶なにも無いド田舎。その割に真新しい道路が敷かれ、すぐ目の前の交差点の信号機も薄くて新品っぽい。
校門と交差点の間には、すでに何人かの生徒がグループになって話し込んでいた。まだ4月の頭。入学式もやってないが、同中同士でつるんでいるようだ。
俺にも同中の奴くらいいるよ。別に喋らないけど。
「おーい」
ん? 前方で手をふる男子。あんな知り合い俺にいたっけ。まさか俺?
「あ」
そう声を出しかけた瞬間、後ろから、
「わりー! 待った!?」
別の男子の声がした。
な、なんだよ。あぶねぇ。もう少しで「誰お前?」状態になるところだった。
後ろから通り過ぎた男子が俺をチラリと見る。
いや、俺、別に手とか上げようとかしてないし? 急に頭かゆくなりだしただけだし?
俺は俺自身の自尊心を騙し切る程の名演技で窮地を脱した。
やれやれと肩をすくめ、前方を見る。
「きゃっ」
そんな小さな悲鳴が聞こえた。女の子だ。
さっきの男子が横を駆け抜けた時、きっとその子にぶつかったのだろう。
女の子はよろめいて、歩道から車道に体勢を傾けた。
ああ、これは転ぶな。
斜めになる体とキョトンとした表情、短い髪の頭の両脇にチョココロネを二つくっつけたみたいな髪型をした女の子。
瞬間、まるですべてが止まったみたいに感じた。
一目惚れ?
いや、違う。彼女の後ろにトラックが迫っていた。
「ぶつかる!」
ププッーーーーーーーー!!!!!!!!
鳴り響くクラクション。
俺は気がついたらその子の手を取っていた。柔らかくて小さい。その手を中心に、俺は彼女の体をハンマー投げみたいに歩道へ投げ飛ばす。
そして、目が合った。また、世界が止まった。
「うわ、目ぇキレー……」
ドシャ――
現代で義があるとすれば、何だろう?
愛って何だろう?
父さんからさんざん言い聞かされてきたのは『義と愛に生きよ』という言葉だった。
それが今、分かるような気がした。