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あの言葉を、まだ

 クレイは、歩いてすぐの喫茶店へと連れて行ってくれた。マスターとは顔馴染みのようで、わたしの手首を冷やすために、袋に氷をつめてくれる。それを直接当てるのは冷たすぎてよくないと、クレイのハンカチまで使わせてもらっているのだ。


「いろいろと、ありがとうございます」


「かまいませんよ。そういえば、まだきちんとお名前を伺っていませんでしたね」


 クレイの前には、温かい紅茶が置かれ、湯気を立てている。わたしの前に置かれているのはミルクティーだ。迷惑料として、飲み物代くらいはわたしが出さなければと決意する。


「メイベル・リスタントと言います」


「リスタント様は…」


「メイベルとお呼びください」


「では、メイベル様。僕のことも、クレイと呼んでください」


 わたしは心を落ち着かせるように、カップに手を伸ばして、ミルクティーをひと口飲んだ。ほんのりとした甘さが、疲れた体に沁み渡る。


「クレイ様、先程は助けてくださり、ありがとうございました。その上、人違いまでしてしまって」


 申し訳なさで心がいっぱいになり、患部を冷やすために押さえていた氷の袋を、ぎゅっと握りしめた。


「本当に気にしなくて大丈夫ですよ。僕はグレンという方と、そんなに似てるんですか?」


「えぇ」


 グレンも紅茶が好きだった。わたしが淹れた紅茶を美味しいといって飲んでもらえるように、よく練習したものだ。おかげで、我が家ではしばらく飲み物は紅茶しか出てこなかった。


「特に、瞳の色なんかそっくりです」


 わたしがそう続けると、クレイは困ったように微笑んだ。


「どこにでもある色のような気がしますが…」


 ほら、やっぱり。眉の下がり方までそっくりだ。それでもこの人は違うのだと、浮かんでくる都合のいい考えをなんとか振り払う。


「そんなことありません。わたしにとっては特別なエメラルドグリーンです」


 緑というくくりの中でも、細かい違いがある。あれほど澄み渡るような瞳を、わたしは他に知らない。クレイのことを見ていると、少しだけグレンのことを話したくなった。


「グレンは、わたしのことを必ず迎えに行くから、待っていてほしいって、言ったんです。でも、行方不明になってしまって…」


「それは…、大変ですね」


「偶然でもなんでもいいから、見つからないかなって探してるんですけど…」


「見つからない、と」


「はい。何か事情があるなら、話して欲しいのに」


 わたしは、耳につけていたイヤリングを片方だけ外して、手のひらへとのせる。


「このイヤリングも、グレンがくれたんです。これを身に付けておけば、すれ違ったときに、彼が気づいてくれるかもしれないと思って」


「よくお似合いですよ」


「ありがとうございます」


 まさか、イヤリングをもらった日が、彼との最後の時間になるなんて思っていなかった。


「あの日から7年間、ずっと待っているのに…」


 わたしが、ぼそりと呟くと、クレイのカップがガタッと音を立てた。



「待って…いるんですか…?今でも……?」



 クレイがあまりにも驚いたように目を見開くので、思わず笑ってしまう。他人の話にそこまで感情移入してくれるなんて、きっとこの人は、すごくいい人に違いない。


「ずっとその言葉にしがみついてるなんて、バカみたいだと思うでしょう?」


「バカみたい、とまでは思いませんが。何か訳ありでしょうから、早く忘れたほうがいい、とは思います」


 突如、クレイが真剣な顔をして忠告してきた。


「残酷なことを言いますが、生きているかどうかも分からないのでしょう?」


 そう。期待するだけ、無駄なのかもしれない。そんなの、最初から分かりきっている。だとしても、わたしは未だに、希望を捨てることができない。


「わたしが諦めたら、彼のことを待っている人が、誰もいなくなってしまうから」


 第3王子が戻ってくる可能性に賭けてまで、王家の末席に座りたいなんてとか、悲劇のヒロインだとか、陰口を叩く人だってたくさんいる。でも…


「わたしにはなんの力もないけれど、何があっても、たとえどんなことがあってもグレンの味方であると、ありたいと願い続けることさえも、許されませんか?背負っているものがあるなら、わたしにも分けてほしいと思うのは、自惚れですか?」


 しまった。勢いで話してしまったが、初対面の人にこんなことを言っても引かれるだけだ。



「………………………まいったなぁ」


「え?」


 しばらく間が空いてから聞こえてきたクレイの呟きは、小さすぎて聞き取ることができなかった。


「そんなに想ってくれる方がいるなんて、グレンという方が羨ましい限りです」


 ですが、とクレイは続ける。


「たとえ生きていたとして、彼も同じ想いなら、あなたに手紙などを送るのではありませんか?」


「手紙なんて、きたことありません。他に好きな人が出来たなら、そう言ってくれればいいのに…」


 何も分からないからこそ、不安になる。


「まぁ、もしそうだとしたら、わたしの時間を返せって、1発殴りますけど」


 ハハッ、とクレイが楽しそうに笑った。


「えぇ、殴っていいと思いますよ」


 まさか、賛同されるとは思っていなかったので、少し拍子抜けしてしまった。



「探し人は、あなたにとって、大切な方だったんですね」


 クレイの言葉には、ひとつだけ間違いがある。


()()()じゃありません。今でも大好きです」


 これからも好きでいる自信しかない。グレンほど好きになれる、愛せる人なんて、きっとこれからも現れないと、そう言い切れるくらいに。


「これは、失礼しました」


 頭を下げるクレイに、いえ、と返す。言葉のあやなのに、わたしも少しムキになってしまった。


「しかし、待ち続けるというのは、大変でしょう?」


「それでも、わたしはグレンを待ち続けます」


 カップを手に取ろうとしていたクレイの動きが、ぴたりと止まった。


「相手の生死もわからないのに?」


「はい」


「その言葉を、忘れているかもしれないのに?」


「えぇ」


「どうしてそこまでするんですか?」




「ずっと待ってるって、約束したからです」


 グレンと約束したのだ。グレンは、約束を破るような人じゃないと信じている。


「あなたの人生を無駄にしないほうがいい、と言っても?」


「心配してくださって、ありがとうございます。でもわたしが決めたことだから」


 クレイが俯きながら、小さく息をついた。なぜかつらそうな表情をしていた気がするが、きっと見間違いだろう。


「……そうですか」



 小さく呟きながら、ティーカップのハンドルに指をかけ、親指で何度か撫でるクレイの姿に、記憶の中のグレンの姿が重なって、思わず息を呑んだ。グレンも、よく同じことをしていたから。



 動けずにいるわたしをよそに、クレイはティーカップの中身をぐっと飲み干した。そのまま伝票を持って立ち去ろうとするクレイを、思わず引きとめる。


「ちょっと待ってください。ここはわたしが…」


「まだカップの中にミルクティーが残っていますよ。それに、先程失礼なことを言ってしまったので、そのお詫びです」


 では、と優雅にお辞儀をして去っていくクレイの背中を、わたしは見つめることしかできなかった。


「あ、ハンカチ!」


 わたしの手元には、濡れてしまったクレイのハンカチが残されていた。



お読みいただきありがとうございました!

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