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看護婦の一人が、先生の手に触れた。血が滴るその手を見て、無意識に握りしめる。大丈夫ですか? すぐに手当てをしますね。そう言いながら、近くにある消毒液を手に取り、その傷口にかけた。あわぁー・・・・ その声はまるでビールの泡が萎んでいくような音を立てる。看護婦は、そんな様子に笑顔を見せていた。
手当てをする看護婦の手に、先生の傷口が重なった。偶然は日常に溢れている。看護婦のその手には、傷があった。微生物は生きたまま看護婦の体内に移住する。
体内に混入した異物に対する反応は、どうしても似たり寄ったりになる。それにはきちんとした理由も存在する。
アレルギー反応。簡単すぎる説明だけど、それでも十分伝わるとは思われる。けれど、アレルギー反応には、いくつかの種類があるのも事実だ。
ゾンビ化する微生物に対するアレルギー反応は、ほぼ決まっている。暴れ出す。その一言に尽きる。
とは言っても、暴れ方はそれぞれだ。先生のように周りに気を使った暴れ方もあれば、全く気にもせずに周りを巻き込むような暴れ方をする者もいる。母親のような無反応は他では見たことも聞いたこともないけれど、反応が薄かったり必死に制御しようとしている姿だったりはよく目にする。
その看護婦は、先生をキツく睨み付けていた。両手がワナワナと震えていたけれど、歯を食いしばってその動きを止めているようだった。
その看護婦は、退院するまで母親を看護してくれていた。
先生の姿はその日から見かけていない。きっと先生は、自分の身体に混入した微生物の存在を無意識かも知れないけれど気がついていた。だからこそ、身を隠し、そのまま消えたと思われる。
先生はきっと、その看護婦以外には誰にも感染させずに死んでいると僕は想像する。病院内では、誰かを襲った形跡はなく、誰かと接触したという話も出てこなかった。その日から三日間はジッと机の上のパソコンを見つめ続けていたと看護婦の一人が言っていた。
ゾンビ化した看護婦は、母親が退院をしたその日に退職届を出し、そのまま辞めていなくなった。
その看護婦は、六日間普通に自宅と病院を行き来していた。
病院外でどのように誰かを襲っていたかは分からないけれど、僕が家に戻ったときには、世界はゾンビで溢れていた。
その看護婦が病院外でまず誰を襲ったのかの想像は容易に出来る。彼女の旦那は飛行機のパイロットで、その日だけが休みだった。次の日にはワシントンに飛び立っていた。