5話 お芝居はお仕舞い
※連載版こちらの内容に追いつきました。
それからアンジェとルーカスはいくつもの夜会をこれみよがしに練り歩いた。カッセルの社交界は二人の噂で持ちきりだ。新聞の社交欄はイニシアルでアンジェとルーカスのことを毎日のように書き立てる。
「……ワルツを、アンジェ」
「ええ」
今日も訪れた舞踏会で、アンジェは差し出されたルーカスの手をとった。寄り添うステップ、そしてターン。でも心は裏腹に、離れている。なんて悲しいダンスだろう。アンジェはルーカスと踊る度に、彼に惹かれている自分を自覚せざるを得なかった。
「……もうすぐだ、アンジェ。もう準備は整った」
「お芝居はこれまで、と?」
「そうだ」
ターンの合間にルーカスがそうアンジェの耳元でささやく。そう……どなたかとの結婚の準備が整ったのだろうか。お芝居はお仕舞い。夢の時間は、もうお仕舞い。アンジェは胸の痛みを噛みしめた。
***
「やあやあ、盛況ですなぁ」
その数日後、別の夜会でアンジェは嫌なものを見た。この夜会には叔父のブラッドレーが参加していたのである。
「アンジェ、どうだ。お前は今、大評判らしいな。色々聞いたぞ、白薔薇の天使だとか金色の真珠とか……」
「やめてください叔父様」
新聞記事を真に受けた恥ずかしい通り名を大声で言うブラッドレーをアンジェは怒鳴りつけそうになるのを必死に抑え、彼を制した。
「ははは、なーに恥ずかしがることはないさ」
恥ずかしいのはそっちよ、と怒りに肩を震わせるアンジェにそっとルーカスは近づき囁いた。
「放っておけ」
「ルーカス……」
「それよりも、グレンダが呼んでる」
「ええ……」
アンジェがその場を離れてグレンダの元に行くと、彼女は呆れた顔をしていた。
「アンジェ、なんですの。あの不作法者は」
それは間違いなく叔父ブラッドレーである。
「申し訳ございません……」
ああ、社交界の女帝に目をつけられてしまった。困ったことだ。アンジェがそう気を病む一方で、ブラッドレーはあたりかまわず、挨拶をしている。紹介もないのに。
「私はね、あのアンジェ・ハンティントンの叔父なのですよ!」
ああ、今さら自分の評判などどうでもいいが、ルーカスと築いた『理想のカップル』の幻想がガラガラと崩れて行くのを感じた。
「私が認めてあげたから、あの子はエインズワース伯爵と婚約できたんですよ。私は彼女の後見人ですからね」
「は、はあ……」
突然にそう話しかけられた紳士は目を白黒としている。
「確かにそうですね、ブラッドリー氏」
「やあ、エインズワース伯爵」
「……ただ、あなたが後見人というのはどうかな?」
「――なにを?」
ルーカスが冷たく言い放った一言で、ブラッドリーの顔色が変わった。
「な……なにを……言って」
「あなたは領地の経営を外国にいる兄から任されたのをいいことに、ずいぶん好き勝手やっていたようですね」
「……知らんな!」
「そう……では、これは? 収賄の証拠に、税のピンハネの裏帳簿……」
ルーカスは次々とブラッドレーの不正の証拠を従僕に持って来させた。ずらりと並べられたそれに、ブラッドリーは脂汗を流し始める。
「そ、そんなもの……」
「あげくの果てにこれだ。顧問弁護士を買収して、遺言状の書き換えを行いましたね。本当の後見人はハンティントン男爵の弟のあなたではなく、伯父のスモールウッド子爵です」
「な、なな……」
ブラッドリーはいまや顔面蒼白である。陸に上がった魚のように口をパクパクとしている。
「かわいそうに、アンジェはあなたに虐待されてドレスも無く、がりがりにやせ細っていた」
「そんなことはないぞ、ちゃんと毎月手当は渡していた」
「たった10ゴルドで三人が食べていける訳ないだろう」
ルーカスの言葉に怒気が混じる。
「……それだけ邪魔だったのでしょう。アンジェが、そして双子達が。彼らが無事にへーリア帝国から帰国したのはあなたにとって予想外だったでしょうから」
「何が言いたい!」
「ハンティントン男爵を殺したのはあなたですね。証拠がやっと出てきた」
「……言いがかりだ!」
ブラッドリーは、ツバを飛ばしながら喚き散らした。
「なんとでも言えばいい……あとは司法の手に委ねましょう」
ルーカスが手を叩くと、会場入り口から市警が一斉にやってきてブラッドリーを拘束した。
「離せ! 離せ! こらアンジェ、この恩知らず! なんとかしろ」
「……あなたから受けた恩などありませんわ」
押さえつけられ、引きずられていくブラッドリーの叫びを聞いて、アンジェは怒りと憎しみをこめてそう言い返した。
「ふう……これで一件落着。ハンティントン男爵の遺言を守ることができた」
ブラッドリーが捕縛されて、ようやく会場に少し静けさが戻った頃、ルーカスはアンジェの元にやってきてそう言った。
「……え?」
「君のお父上の最後の手紙が、巡り巡って俺の元に届いたんだ。弟の悪事を暴き、君と……子供達を守ってくれと」
「そ、そんな……ではなぜ偽りの婚約なんて……」
「だって、俺が駆けつけた時には君はもう縁談が決まっていた。俺は双子達を盾にして君を攫うしかなかったんだ……すまない。でも、もう君は自由だ。好きに生きるといい」
ルーカスは己の罪の裁きを待つように、アンジェの前に跪いた。
「……好きに生きろ、と……」
「ああ。婚約は解消だ。グレンダのコンパニオンをしてもいいし、家庭教師をしたっていい。……ああ、元の婚約者の元に戻るのが先か……」
「ルーカス!」
アンジェは思わず叫んだ。叔父を破滅に追いやったこの才知に優れる伯爵はなんて……なんて不器用なのだろう。アンジェの心なんて知らないで。
「いやよ、ブラッドリーが決めた縁談相手なんてちらっと会った事があるだけのしわくちゃのお爺さんなのよ!」
「……え?」
「私が好きに生きるなら……」
アンジェは大きく息を吸った。
「ルーカス、あなたの婚約者がいいわ」
「アンジェ」
「あなたが良ければ……ですけど」
思いっきり今までため込んだ本音を吐き出してしまったアンジェは、ルーカスの反応が怖くて俯いた。すると、急に地面から足が離れる。
「……俺がよければ?」
ルーカスはアンジェを軽々と抱き上げた。そのすみれ色の瞳はアンジェをじっと見つめている。
「もちろん歓迎に決まっているじゃないか! アンジェ……俺と結婚してくれ」
「ルーカス……!」
ルーカスはストンとアンジェを地面に下ろすと、その細い顎をつかんでキスをした。
「……この契約は永遠だ」
その途端、会場の招待客は一斉に拍手を送った。困難を乗り越え、愛を掴んだ美しい二人に。
~fin~
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最後までお読み戴きありがとうございました。
……と、自分が思ったよりも多くの方に読んでいただけているようでとても嬉しいです。
ご要望(うれしい! うれしい!)もありましたので、連載版として仕立て直しいたします。
いましばらくお時間いただければ幸いです。今月中には、なんとか……ええ……。
2020/05/24 連載版投稿しました。下のリンクから飛べます。