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2話 救いの手

連載版はじめました。プロトタイプとの違いをお楽しみください。

※連載版こちらの内容に追いつきました。

「……ちっとも眠れなかったわ」


 翌朝、アンジェは鏡台で己の顔を映した。頬がこけ、くまがひどい。アンジェはせめて、と櫛でほつれた髪をなおした。もうすぐライナスとルシアが起きてくる。縁談の話はいずれ知る事とは言え、こんな顔で告げることはできない。


「……笑顔よ。アンジェ。泣いちゃだめ」


 アンジェは自分にそう言い聞かせて、階下に降りていった。


 怒りと悲しみを胸にパンとスープだけの簡素な朝食を用意する。食欲の湧かないアンジェがパンを少しかじっただけで黙り込んでいるのを見て、ルシアが心配そうに覗き混んできた。


「お姉様、お腹いたいの?」

「そうみたい……もったいないからライナスとルシアで半分こしてちょうだい」

「うん……」


 アンジェはパンを双子に渡して、ムカムカする胃を抑えながらなんとかスープを飲み干した。


「……う」


 すると本当に差し込むような痛みがしてアンジェは呻いた。


「大変! ライナス、お姉様が!」

「お姉様。ソファに座ったほうがいいよ」

「ええ……」


 ライナスに手を引かれて、アンジェは居間のボロボロのソファに体を横たえた。


「大丈夫、姉様……お薬いるかな?」

「少し、休めば大丈夫。……静かにしていたいから、お外で遊んでらっしゃい。でも母屋に行ってはだめよ」

「うん……」

「わかった」


 ライナスとルシアは心配そうにアンジェを振り返りながら、外に出て行った。気丈な姉が弱った姿をあまり見せたがらないのを、彼らは小さいながらも理解していたのだ。


「う……ん……」


 それからどれくらいがたったろう。アンジェは少しうつらうつらとしていたようだ。気が付けば胃の痛みも軽くなっていた。その時である。


「お姉様! お客様だよ!」


 外からライナスの大声が聞こえた。お客様……この廃屋に客など来るはずもない。アンジェは怪訝な顔で起き上がった。すると扉が開いて、うさぎのように飛び跳ねながらルシアが飛び込んで来た。


「大変よ! お姉様の婚約者ですって」

「……婚約者!?」


 アンジェは血の気が引いた。婚約者とはモンクリーフ子爵だろうか。なんてことだろう、こんなに早くに来るなんて、アンジェを逃がさない為だろうか。

 扉の前に人陰が現われて、アンジェは思わずぎゅっと目をつむった。


「……アンジェ・ハンティントンだな」


 老人とは思えない張りのある若い声に、アンジェは違和感を感じた。うっすらと目を開けると、そこには黒髪の長身の二十代半ば過ぎの男性が立っていた。どう見てもモンクリーフ子爵では無い。


「あ……の……?」


 面識のない顔だった。と、言うよりもこんな――完璧な造形の顔立ちの男性に会っていたらアンジェでなくても忘れられないだろう。

 切れ長の目は怜悧で冷たい印象があるものの、その色は柔らかなすみれ色で、厚い胸板はシャツとベストを押し上げて、服の上からもたくましい体つきがわかった。アンジェは思わず彼に見とれながら問いかけた。


「どなたでしょうか……?」

「私はルーカス・エインズワース伯爵」


 アンジェの疑問にルーカス・エインズワース伯爵と名乗った男性は短くハッキリと答えた。そしてその名を耳にしたアンジェの目が驚きで見開かれる。その名は……アンジェの聞き間違いでなければここのところ何度も聞いた名だったからだ。


「エインズワース伯爵……『鉄の伯爵』様……」

「やれやれ、こんな所でもその名で呼ばれるのか」

「王太子が暴漢に襲われた時にその身で庇って、銃撃を受けたと……」

「まあ、その通りだ」


 ルーカスは頷きながら、アンジェを見つめた。昨日、町で見た時よりも随分とぐったりと生気の無いように見える。あの姿は見間違えだったのだろうか。しかしどっちにしろルーカスにとってするべき事は変わらない。


「その伯爵様が……何の御用でしょうか」


 アンジェが聞き返すと、ルーカスは胸元から一枚の紙を取り出した。


「私は君のお父上の遺言により決められた婚約者だ。アンジェ」

「こ、婚約……」


 アンジェは何を言われているのかわからなかった。昨晩は老貴族との縁談を決めたと叔父に知らされ、今日は見ず知らずの婚約者と名乗る男性が目の前にいる。しかも……このところ新聞で大変勇敢な英雄だともてはやされていた有名人。


「姉様、婚約するの? していたの?」


 そこでライナスの声がして、アンジェはハッとなった。


「ライナス、ルシア……私はこの方とちょっとお話があるから外に出ていてちょうだい」

「はーい」


 子供達を居間から追いやって、アンジェは少し胸を撫で降ろした。そんなアンジェにルーカスは遺言状を手渡した。


「よく見るといい。お父上の筆跡だ」

「……確かに」


 アンジェは早くに亡くなった母の代わりに父の仕事を手伝っていた。書類仕事を一緒にした事もある。それは見覚えのある筆跡だった。


 そこには「自分に何かあった際は長女アンジェと婚約して欲しい」と書いてあった。


「で、でも……だとしても何故私なのですか。遺言と言ってもこれは……父の希望にすぎません」

「ふむ……」


 ルーカスは戸惑いながらも的確に状況を掴み、質問を返してくるアンジェに内心感心していた。彼はアンジェはこの暮らしから脱せるなら、簡単に食いついてくるものと思っていたのだ。


「ご存じの通り、私……俺は王太子を庇った。おかげで意図せず有名人になってしまった訳だ」

「……はい」

「すると周りが大層うるさい。うちの娘と是非、と毎日毎日。だがな、俺はまだ結婚なんぞ考えてはいない……そこで」


 ルーカスは微笑みながらアンジェの父の遺言状を掲げた。


「これを思い出したのだ。婚約者がいれば身の回りも静かになるだろうと。申し訳ないが君の日頃の困窮ぶりも見させてもらった」

「……ええ」

「どうだい。俺は少なくとも婚約者をこんなあばら屋に住まわせたりしないし、ほつれたドレスを着せたりはしない」


 ルーカスはこちらを怪訝に伺っているアンジェを見て、言葉を切り一歩近づいた。


「……どうだ?」

「それは私にお飾りの婚約者でいろ、と……?」

「ああ、婚約はいずれ破棄しよう。その際は慰謝料をもちろん払う。当分生活に困らない程度にね」

「……」


 アンジェはルーカスを真っ正面からじっと見た。彼が嘘を言ったり、身分を偽っているようには見えなかった。堂々とした出で立ち、仕立ての良い服、そして優雅な立ち振る舞い。それらは詐欺師が一朝一夕に身につけられるようなものではない。と、いうより今のアンジェに詐欺をしてまで奪い取るものなどなにもない。


「伯爵様、ひとつ宜しいですか?」

「なんだい」

「もし、その話を受けたら……私の弟妹……ライナスとルシアの養育をきちんとさせていただけますか」

「ああ、お安い御用だ」


 ルーカスはなんでもないような顔で頷いた。これでアンジェの心は決まった。このままだと老貴族に嫁がされて家族バラバラになってしまう。それを避けるには──今この手を取るしかない。


 アンジェはドレスの裾をつまみ、ルーカスに頭を下げた。


「ルーカス・エインズワース伯爵……この話お受けさせていただきます」

「……ああ」


 ルーカスはアンジェのかさついた細い手を取ると、その甲に口づけをした。


「俺のことはどうか……ルーカス、と」

「ルーカス……」


 彼の名を呼んだアンジェを、ルーカスは見つめた。その瞳は、町で見た時と同じ、キラキラと活発に輝く青色だった。



 アンジェとルーカスはさっそく叔父ブラッドレーの元に急ぎ向かい、二人の婚約を告げた。


「……叔父様、昨日は言い出せませんでしたが彼が私の婚約者です」

「な、なんだと……?」

「どうも、初めましてブラッドリー・ハンティントン氏。私はルーカス・エインズワース伯爵と申します」

「伯爵……」

「ええ。亡きハンティントン男爵とは外交官時代に一緒に働いたこともありまして。彼の遺書に、このアンジェとの婚約のことが書いてあったのですよ」

「そ、そんな遺書は知らんぞ」

「へーリア帝国で新たに書かれたもののようですね。彼の死はとても急でしたから今頃になって届きました」


 威風堂々としたルーカスの様子に、ブラッドリーはいつものような横柄な態度はとれないでいた。その代わりに媚びるようにへらへらとルーカスに話しかける。


「それはそれは……しかしお気遣いなく。この娘にはすでに縁談がきていますので」

「いえ、そこは亡き男爵の遺志を尊重しなければならないのではないでしょうか。それに……」


 ルーカスは神妙にしているアンジェをちらりと見た。


「私は、このアンジェ嬢をとても気に入りました」

「そ、そうですか……」

「叔父様、私達ひとめで愛し合ってしまったの」


 アンジェはなんでこんなことを言わなければならないのだと思いながら、決められた台詞を吐いた。


「私は彼女をさっそく首都に連れて行きたいと思っております」

「いや、でもうちにそんな余裕は」

「ご安心を。持参金など不要です。今後、彼女に関する全ての費用は私が持ちます。」


 それを聞くと、ブラッドリーはちょっと心がぐらついたようだった。金をかけずにアンジェを厄介払いできる上、いま世間で大評判のエインズワース伯爵と縁続きになれるのだ。

 

「それから……彼女の弟妹も首都に一緒に連れて行きたいと思います」

「しかし……ライナスはハンティントン家の跡取りですから無理ですよ」

「いやいや……しかし彼はとても利発なお子さんだ。首都の方が良い先生に出会えると思います。私はアンジェの婚約者の弟として彼には最高の教育を受けてもらいたい」

「お、恐れ多いです」

「謙遜は結構。そうだ、叔父上にも首都の名士を紹介いたしましょう」


 ルーカスが微笑みながらそう言うと、ライナスを手放す事に抵抗を示していたブラッドレーはころっと態度を変えた。


「本当ですか?」

「なんでも、肥沃なこの地の農作物の加工品はどれも絶品だとか。私から彼らにおすすめしましょう」

「なんと……」


 ブラッドリーは息を飲んだ。田舎の領主代行として一生を終えるはずが、首都カッセルの社交界に出入りできると。


「叔父様、良かったわね。お部屋の蔵書(・・・・・・)がきっと役に立ちますわ」


 アンジェはブラッドレーの浮かれた顔を見て思わず嫌みを言った。彼の部屋には毎年最新の社交界の作法書が並んでいるのだ。それを暗に揶揄されてブラッドレーはアンジェを軽く睨み付けた。


「ぐっ……。は、伯爵、ふつつかな娘ですが……よろしくお願いいたします」


 しかし、とうとうブラッドレーは折れた。十年も経たずに死んでしまいそうな弱った年寄りと身売り同然にアンジェを縁組みさせるよりも、このエインズワース伯爵の権勢のおこぼれに甘んじた方がよっぽど得だと思ったのだ。


「はい、お任せください」


 ルーカスはアンジェのささやかな叔父への仕返しを聞き流してにこやかにブレッドレーの言葉に頷く。アンジェはルーカスの横でそれを聞きながら、なんとまあ鮮やかにこの叔父を丸め込んでしまったものだと舌を巻いていた。


「では、出発は早いほうがいい。明日にでも私達は首都カッセルに向かいます」

「あ、ああ……」


 そしてルーカスはいかにも仲むつまじい恋人同士かのように、アンジェの腰を抱いて屋敷を後にした。


「ビックリだわ……」

「これでも元外交官だ。交渉ごとはお手の物さ」

「それにしても明日なんて急ね。まあ荷物なんていくらもないけれど」

「あの叔父殿の気の変わらないうちにここを離れたほうがいいだろう?」

「……そうね」


 アンジェはルーカスの言葉に頷いた。結局ライナスはアンジェと一緒にエレトリア王国の首都に向かうことになった。首都の名士の仲間入りに目がくらんで、ブラッドリーの頭からそれはすっかり抜けてしまっているようだったが。


「アンジェ……首都で君は生まれ変わるんだ」

「え……?」

「……なんでもない。今夜中に荷物をまとめておいてくれ。明日の朝迎えにくる」

「はい、わかりました」


 アンジェはそう答えて、廃屋へと戻った。ルーカスはその折れそうな背中を見つめドアの中に消えるまで見守っていた。


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連載版はじめました。
色々マシマシでお送りいたします。

没落令嬢は鉄の伯爵の愛し方がわかりません【連載版】

❁❁❁よろしくお願いいたします❁❁❁
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