素直になれない自分
貝塚葵は家庭の事情もあり、今は杏と二人で暮らしている。
昔から仲のいい姉妹と言われているが、本人たちの想いは色々複雑で時に意見が衝突したり喧嘩することはこれまでもあった。
その日葵は、雄太と杏のことをあまり考えないように、少し遠回りして家へと帰ることにした。
どこか落ち着かない、微かないら立ちが募ったからだ。
そんな自分を自覚しつつも、素直にそれを認める事が出来ず、口を尖らせてしまう。
学校からの帰り道を1人――
久しぶりだった。
いつからかそこにはいつも雄太がいて、一緒に帰ることは、葵にとって日課となっていてそれは当たり前の日常だった。
知らず知らずのうちに、自分の中で秋馬雄太の存在がいつの間にか大きくなっていることを思い知らされてしまう。
そう思えば思う程に葵は、気分が落ち込んでいく事を自覚せずにはいられなかった。
「ただいま」
家に着くと、玄関には杏の靴があった。
そのことに少しだけ、葵はほっとしてしまう。
(……何に安心してるのよ、私は!)
気持ちを切り替えて、玄関から上がる。
何だか調子が狂う。
その原因を作ったのが他でも無い自分の妹である事が、余計に腹立たしくも思えて仕方がなかった。
(何考えてるのよっ、あの子はっ!)
「あれで――のかな? でも――誘えたし、なんだか――酷かったようなきもするなあ……でも、でも、――しないと雄太君は――くれないし」
杏の部屋から、どこかはしゃいだ声が途切れ途切れ聴こえてくる。
葵は努めて平静をよそえるよう、深呼吸をし、部屋のドアを強めにノックした。
「杏、ちょっといいかしら?」
「は、はいっ! お姉ちゃん」
そこには、どこか緊張した面持ちの杏がいた。
客観的に見ても、杏は文句のつけようのないルックスだと葵は思っている。
妹は可愛い。姉妹である分、見た目だけなら似てるともよく言われもするが、杏は、自分には持っていないものを確実に持っていると昔から感じてもいた。
それを、羨ましくも思う。
「雄太のことだけど、あなた本気で好きなの?」
「うん、大好きだよ」
「……」
躊躇いもなく即答する妹に、尋ねた葵の方が言葉に詰まってしまった。
「お姉ちゃん?」
きょとんと首を傾げる杏に葵は息を調え、気を落ち着ちつかせる。
「杏、あんまり雄太を困らせないようにね」
「うん、彼女のあたしがしっかり支えてあげないとだよね」
葵は思わずふらついた。
「お姉ちゃん? どうしたの?」
「……なんでもないわ」
(やっぱりこのまま放っておいたら、雄太は……)
葵の中で確かな危機感が、芽生えつつあった。
それから、杏がお風呂に入ったのを見計らって、葵は家を出る。
自分では認めたくは無いが、何だか無性に雄太に会いたくて仕方がなかった。
暗がりの夜道に、不安が更に大きく膨らんでいく。
自然と小走りになってる自分が、そこにいた。
(……何やってんだろ、私)
雄太の住んでいるマンションとは、それほど離れてはいない。
顔を一目見れれば、それで良い。
それだけですぐに帰るからと、自分に自分で言い訳を重ねていく。
雄太のマンションが見えた頃には、葵はうっすらと汗をにじませていた。
(これじゃあ私の方が、……みたいじゃないっ)
葵はエントランスの前で上気した呼吸を調え、雄太の部屋番号の呼び鈴を鳴らした。
返事が無い。
(なんでいないのよっ!? そりゃ連絡を入れずに来ちゃった私も悪いけどさっ!)
間の悪さに腹立たしさが込み上げる。
約束があった訳でも、会いに行くと伝えた訳でもない。勝手に衝動にかられて来てしまっただけで、雄太が悪い訳では無いと頭で分かってはいても、そのやるせない気持ちを抑える事は難しかった。
せめてスマホを持って来ていればよかったと悔やみ、そこで初めて、自分が熱くなっていた事に気付く。
「……本当、何やってんだろ。私」
エントランスで一人、熱くなっていた自分に気づいた葵は、そのままの勢いで雄太に会わなくて良かったと、そう思える程には、落ち着きを取り戻す事が出来た。
踵を返してエントランスから出ると、春の夜風が涼しやかに吹き抜ける。頭を冷すには丁度良い心地よさだとそう、葵は思えた。
「先輩、葵せんぱ~い」
そのまま、家に戻ろうとした葵の前に暗がりから、ランニング姿の雄太が走り寄ってくる。
「ゆ、雄太……っ!?」
諦めて帰ろうとしていたのもあわさって、余計にドキリと大きく葵の鼓動が高鳴る。
真底嬉しそうに近づいてくるその姿に、余計に顔に熱がこもるのが分かる。
「こ、声が大きい。静かにしなさい」
今が夜である事に感謝しつつ、エントランスからもれる明かりから顔を反らした葵は、雄太に小声でたしなめた。
「こんなところで何してるんですか?」
(雄太の顔が見たかった……、とか。言える訳ないでしょっ! 本当っ、何やってんのよ私はっ!)
思い出せば思い出す程にどうかしてたと、さっきの勢いのまま会わなくてよかったと思い知りながらも、葵は何も答える事が出来ず、黙って顔を反らした。
「ダメですよ先輩、夜道を一人歩きしちゃ」
「うるさいわね……散歩してただけよ」
心の中で申し訳なく思いつつも、恥ずかしさからかつい、思っても無い言葉が口からこぼれてしまう。
だが雄太はそんな葵には構わず、いつも通りににっこりと微笑んだ。
「家まで送っていきます。拒否されてもついていきます。僕が先輩を守ります」
「……勝手にしなさい」
そんな雄太に葵はどこか、心地よい安心を感じていた。
「……で、でぇ、どうするのよ? このまま杏と付き合うの? ちゃんと返事はしなさいよね?」
「先輩、告白されるのって嬉しいものなんですね」
「……聞いてる?」
「すみません。ただ、初めてだったから……」
申し訳なさそうに言う雄太に、葵は軽く息をはいて肩を落とした。
雄太が頑張っているのを見ている葵には、その切っ掛けを知っているだけに、今の雄太の気持ちが何となく分かる。分かるような、そんな気がしていた。
「想いを告げられるのは、……嬉しいわよね」
「そっか、やっぱりそうなんですね」
「ええ」
「そっか……」
「そうよ」
「先輩も、そうなんですね」
「……」
葵はそこで、自らの失言を悟る。
チラリと横目で雄太の顔を伺うと、雄太は嬉しそうに顔を緩ませたままで、その事には気づいていないらしい。
ここで強く訂正してその事に気づかせては、更に墓穴を掘り進めてしまう。
葵は黙ってしらばっくれる事にした。
多分今の自分は恥ずかしい位に顔が赤いんだろうなと、葵は今が夜であることに心から感謝する。
それから家につくまで葵は顔を反らしたまま、雄太のおしゃべりに黙って耳を傾けていた。
「無事に着きました。先輩、おやすみなさい」
家の前で別れる時、そんな雄太にほんの少しだけ名残り惜しさを感じる。雄太はいつも葵には誠実だった。今だって葵の家までの最短距離を選んでしまう。
それがまた、葵には好ましくも残念にも思う。折角なら、ほんの少しだけ遠回りしても良いのに、と。
「……そのセリフはまだ早いわ。帰ったら電話しなさい」
「えっ、でも、話は歩きながらしちゃったし」
「……何も話すことがないなら、私は別にいいけど」
「絶対に電話します」
「ゆ、雄太……」
「はい?」
「……その、い、いちおう、お弁当食べちゃったから、今度、ご飯うちに食べに来なさい」
言い終えない内に、葵は背中を向ける。とてもじゃないが、雄太の顔を見ながら最後まで言い切るのは難しかった。
「でも、お礼を期待して作ってるわけじゃ。先輩の笑顔が見れれば僕はそれだけで幸せなので」
「なら、無理にとは言わないわ……」
「今度御呼ばれします! ありがとうございます。背後からの車に気を付けます」
「馬鹿……」
「やっぱり葵先輩は世界で一番優しいです」
「もう、うるさい。気をつけて帰りなさい」
「はいっ!」
夜の静寂を壊すような雄太の気持ちの入った大きな声があたりに響く。
杏と出掛けることを尋ねようとしていたが、それがまるで聞けず、雄太の嬉しそうな顔を見た葵はあることをこの時決意していた。
そのことが自然と葵に魅力的な笑みを浮かべさせ、遠ざかって行く雄太の背中を見つめる。
素直になれない自分だからこそ――