ささやかな抵抗
貝塚葵は秋馬雄太の前で今まで一度も素直になったことがない。
そのことについて本人はかなり自覚がある。
しかし自分の気持ちが、あからさまに態度に出ている自覚もあった。
だというのに雄太は、鈍感が皮を被って歩いているような生き物だったので、葵の本心に気が付く兆候すらない。
葵はいつか、いつかと思いながらも、素直になれずにいた。
今までを考えるなら、そのうちに何とかすればよかったが、杏の告白を知り葵の胸中はかなり動転していて、自分がどういう態度をとってしまうか、想像もつかないくらい焦りを感じている。
1つだけ確かなことは、杏と雄太が仲良くすることは面白くない。
その日の放課後、雄太と杏は一緒に校舎を出た。
「杏、はなせ~。僕は先輩と帰るんだ」
「もう忘れたの! 彼女はあたし」
「今日は先輩の大好きなチーズケーキを食べに行くんだ」
「えっ、チーズケーキなら一緒に食べる」
普段は葵をどんなに遅くなろうと雄太は待っていてくれる、けど、今日はそうはいかないらしい。
こんなことだろうと思い、玄関で2人を見つけた葵は後をついてきた。
バックを持つ手には力が入り、表情も硬くなりいつもの柔らかさがだんだんと薄れていく。
2人の周辺がやけに視線を集めているのは、少し離れて葵が歩いていることも影響している。
無意識に攻撃的な目で2人を見ていることに、貝塚葵を知っているクラスメイト達は気が付いていた。方々から応援じみた言葉が飛び交う。
「杏、負けちゃダメだよ」
「奪え、奪え」
「葵、頑張りなよ。マジで応援してるから」
「葵ちゃん、いけっ!」
雄太は先ほどから葵に懸命に助けの視線を向けているが、彼女はそれに気づいていたが、どうしたらいいのか、答えが出ていなかった。
「10時に待ち合わせにしようか? お弁当忘れないでね」
「まあ、いいか……先輩のこと色々教えてくれ」
「……ちょ、ちょ、ちょっとなに恋人みたいなことしようとしてるのよ。雄太は好きって言ってないじゃない」
話がまとまりそうなことに焦りを感じて、距離を詰めた葵が割って入った。
このまま放っておいたら、何かとんでもないことになってしまう予感がしたのだ。
「えっ、でも、あたしは雄太君の彼女だし」
「……か、彼女……雄太は私が……」
雄太が小首を傾げたのを見て、葵はその先の言葉が出ずに下を向いてしまう。
「あのなあ、杏。僕は先輩以外の人とはデートするつもりないからな、あくまで映画に付き合うだけだ」
雄太の言葉に心底ほっとするが、それで引く妹ではないことを知っている。
「わっ、付き合ってくれるんだ。さすが雄太君。お弁当楽しみにしてるね」
「えっ、ああ……」
なんて強引で、なんて思い込みの強い子。
自分の妹ながら、葵は感心すらさせられるが、だからと言って断じて認めることはない。
姉の自分が論破してやろうと心に決めた。
「……杏、あなたは雄太との時間が短いからわからないかもしれないけど、迷惑だって言ってるわ」
「えっ、でも付き合ってくれるって言ったよ」
「あ、あなたが雄太君の好きな映画選んで、有無を言わさず拒否しないようにしてるだけなのよ」
「私はただ、雄太君と映画が見たくて……迷惑なら、いつもお姉ちゃんがしてるみたいに言ってね」
「な、なに言ってるのかしら?」
「えっ、いつも雄太君のこと迷惑だってお姉ちゃん言ってないっけ?」
「えっ、そうだったのか?!」
杏のその言葉に雄太は絶望したように肩を落とした。
「お姉ちゃんが雄太君に迷惑だとか、いい加減にしなさいとか言ってるの聞いてるよ」
「そ、それは……」
雄太のしゅんとなる顔を見つめながら、それでも葵は言葉に詰まる。
もう論破どころではなかった。葵の方が論破しかけられていた。
「ほ、ほんとうに、いやなら、もっとつよく、きょぜつするから、へんなところ、なやまなくて、だ、だいじょうぶよ!」
「ほんとですか?」
「わ、私の言うことが信用できないの?」
「全面的に信じています」
「……よる、でんわしていいから。はなしをきいてあげる。それじゃあね。もうかってにしなさい」
考えてみれば雄太はほかの人に簡単になびくような子ではない。
心配はいらないだろう。
不安ではあるものの、そこには確かな信頼があった。
それでも何度も振り返りながら、後ろ髪を引かれる思いで遠ざかって行く。
雄太は葵の言葉を受け満面の笑みを浮かべてはいたが、葵が離れていくことに戸惑いを隠せないとばかりに喜びと悲哀が混じった何とも言えない表情をしている。
今の貝塚葵はここで傍に行って、自分の気持ちを真っ直ぐに伝えられるほど素直ではなかった。
それでも妹が雄太とべったりしていることに我慢がならず、ささやかな抵抗はしておきたいと考える。
「雄太、ガード」
「はいっ!」
返事をした彼は自分の体に触れていた杏の指を無意識のうちに即座に掴み完全に制圧した。
「いたたたたっ! 雄太君、な、なにするの、いたい、いたいよ!」
秋馬雄太に葵以外の女の子は近づけない。近づいたとしても葵のその一言で無意識で一蹴出来る。
彼はただ護身術を極めているわけではなく、貝塚葵の為に極めたのだった。




