男爵令嬢はご都合主義のラブストーリーなど求めていない
息抜きの短編です。気を楽にして読んでいただければ幸いです。
Q:嫌いなものはなんですか?
A:ご都合主義の甘ったるいラブストーリー
そんな解答をする子供がいたら諸君はどう思うだろうか? 私は捻くれたクソガキだと思うだろう。
しかしながら、そんなクソガキの時代を過ごしたのが私なのだ。勿論、捻くれているという自覚はある。それをわざわざ表にする事は無駄の極みでしかない。
人は生きていれば幸せになりたがる生き物だ。不幸になりたくて生きている人間はいるか? 勝手に不幸になる人間はいると思うが、自ら進んで不幸になる奴はいない。いるとしたらそいつは狂ってる。
しかしながら、完全な幸せというのは存在しない。少なくとも私は信じていない。常に幸せで在り続ける事は難しいからだ。世の中というのは幸せと不幸を天秤で測っては水平を保つようになっている。
でなければ幸せなだけな奴がいるのと、不幸なだけの奴がいるのは納得がいかない。私は残念ながら後者だ。今が幸せな奴等はいずれ、痛い目を見るのだと嘯いてやる。
そう考える私は、やはりご都合主義のラブストーリーには中指を立ててくそ食らえと言ってしまう性質なのだ。愛を語るのに必要なものは何か? それは即ち金だ。富だ。裕福であるという事だ。満たされてこそ人は誰かを満たす事が出来る。
可愛くない? 最高の褒め言葉だ、ありがとう。それは私という人格を讃えるに最高に的確な評価だ。
つまり――そんな私が、成り上がり貴族の木っ端男爵の令嬢であるこの私が、自他共に認める問題児であるアーセル・ミントが男に声をかけられるなどとあり得ない。ましてや、その男がこの国の最高権力者である皇族の第一皇子だとか、ちょっとした天変地異の前触れである。
「お前、面白いな? 名を名乗れ」
「は? 私は見せ物ではないので、視姦するぐらいなら金を払ってください」
なんだ、このキンキラオーラを纏った目に痛いイケメンは。うわ、目に眩しい。
髪は黒髪だけど、日光を受けて艶光りしている。その色が台所に出てくる忌まわしき奴の姿を思い起こさせる。そのアホ毛はなんだ、触覚か? 目も金色でこれでもかと輝いてるし、宝石でも填め込んでいらっしゃる?
それがこの国、バジリコス帝国の第一皇子にして皇太子であるユーグドレナ・ナル・バジリコスだと気付いたのは咄嗟に出た言葉を吐いてしまった後だった。
ここはバジリコス帝国の貴族学院、帝国の貴族達が揃って貴族の何たるかを学べるとの評判のありがたい学院だ。私にとっては何もありがたくないけれど。
その貴族学院に備え付けられた寮の中庭、その中でも死角になっている日陰で日課の剣の鍛錬をしていた時、突然投げかけられた言葉がこれだ。
「……貴様、俺が皇太子だと知っての言葉か?」
「……お金、ないんですか」
「ッ、馬鹿にしているのか!?」
先に見せ物扱いにしたのはどっちだ、このクソアンポンタンが。
言葉に出せない罵倒はそっと口の中で咀嚼してから、私は溜息を吐き出して剣を鞘に収めた。
「大変失礼しました。中庭の出口はあちらでございます。それでは」
「待てッ! 出口を聞いたのではない、この無礼者め!!」
「名乗るほどのものではございません。どうかそのまま無礼者とお呼びください」
「舐めるな! えぇい、待てと言っているだろうが!」
チッ、ダメか。
「……一体何の御用でございましょうか?」
「名を名乗れ」
「……アーセル・ミントと申します」
「ミント? どこの貴族だ。聞いた事がないぞ。平民の娘か?」
「ご想像にお任せします」
どうせ国政には何ら関わりのない成り上がり貴族ですよ、是非とも放っておいてください。
「ふん。その不貞不貞しい態度は癪に触るが……おい、名誉に思え。その遊びに私が付き合ってやる」
「……は?」
「その剣だ。女で剣を振り回すような奴がいるとはな、興味が沸いた。少し遊んでやる」
なんだ、こいつ。
女遊びがしたいならもっと見目麗しい侍女とか令嬢にでも声をかければ良いのに。やはりその目は節穴か?
「失礼ですが、遊びではないので」
「女が剣を振り回してか? やはり面白い。なに、手加減してやろう。俺に向かって来るが良い」
……落ち着け、仮にも相手はこの国の皇位継承権を持つ皇太子様だ。落ち着いて冷静に対処しよう。
「わかりました。それでは胸をお借りします」
「それで良い。来い!!」
徒手空拳で構えを取る皇太子。成る程、確かに遊んでやるというからにはそれなりに武の嗜みがあると見た。
私は呼吸を整え、相手の呼吸を感じ取る為に意識を集中させていく。そして、剣に手をかけて皇太子に斬りかかる――訳がない。
「ふんっ!!」
思いっきり鞘に入ったまま剣を投げつける。突然、剣を投げられるとは思っていなかった皇太子様が驚いたように目を見開かせ、その動きを止める。
剣を受け止めるべきか、或いは防ぐべきか。その逡巡の間に私は皇太子様の懐に入り込み――。
「シャァッ!!」
「おっぐぅふぅ――ッ!?」
“掴んだ”。そして全力で手に持ったそれを捻り上げる。皇太子様は衝撃のあまりか、私が“掴んでいる”手から逃れようと腰を引く。だが、甘い。既に掴んだと言った筈だ……!
「ハァァアアアッ!!」
「おふぅんんんん――ッ!?」
ビクビクして気持ち悪い。それでも全力で握力の限り、握り閉める。するとぐるん、と宝石のような黄金の目が白目を剥いて、ぶくぶくと白い泡を噴いて皇太子様が倒れた。
皇太子様が地面に倒れ伏すのを確認してから、私は剣を拾い上げて腰に差し直した。
「……汗、流そう」
後、手は念入りに洗おう。ちょっと湿り気のある手の感触に私は思いっきり眉を顰めた。
* * *
私、アーセル・ミントの実家であるミント男爵家は成り上がり貴族だ。成り上がりと呼ばれる理由は、私の母が大貴族の娘だったが平民の男を見初め、大恋愛の果てに結ばれて爵位まで授かったという私が大嫌いなご都合主義の権化のような経緯があるからだ。
お陰で両親は年中熱々新婚カップルなのだが、元平民である父に領地の経営なんて出来る訳もなければ、母だって父に夢中で経営なんてそっちのけ。
結局、不憫に思ったのか母方の祖父が気を利かせて領地経営を出来る人材を派遣してくれた。私の教育係も雇ってくれ、なんとか私は貴族の体面を保てている。
本当は家なんて捨ててやっても良いかと思うのだが、それでは今まで影ながら支援してくれた祖父に申し訳ない。私も領地経営の勉強はしているものの、如何せん子供だ。そして何より切実な問題がある。
金がない。それに尽きる。
原因は両親だ。いつまでも新婚気分だという事は、いつまでも若いままの気持ちだという事だ。贈り物は常に増え続ける一方だ。
一時期はそこに私への贈り物もあったのだから天を仰ぐしかない。お互いを大事にし合ってくれる事が何よりの宝物だと言って、なんとか矛先を逸らした。そもそも過剰な贈り物をやめろといっても聞く耳を持つ気はない。
いっそ暗殺という考えすらも浮かんだが、それではやはりあまりにも祖父が不憫でならない。祖父がいなければお家断絶の覚悟は固められるというのに。
「――見つけたぞ、アーセル・ミント!」
廊下を歩いていると馬鹿でかい声に呼び止められた。内心、心底面倒くさいと思いながらも振り返ってみる。
そこには忌まわしき黒い虫……ではなく、ユーグドレナ・ナル・バジリコス皇太子殿下がいた。
「……男爵令嬢如きにお声をかけるものではございません、皇太子殿下」
「男爵令嬢如きが俺にあのような振る舞いをするものか? なに、咎めようというつもりはない。俺は己の振る舞いを恥じたのだ、それに気付かせてくれた貴様に礼を伝えに来た」
「……過分なお言葉にございます」
「過分か。なに、そう縮こまるな。俺とお前の仲ではないか!」
何言ってるんだ、この皇太子殿下様は。私と一体どういう仲になったと認識してるんだ。
「では、行くぞ」
「はい? あの、どちらに……」
「何、授業に決まっているではないか! 特別に俺の傍に侍る事を許すぞ!」
場が凍り付いた。私もひゅっと息を呑んでしまった。待て、侍る事を許すとは何を言っている!?
「お戯れを」
「なに、照れるな。俺達の仲だろう?」
「照れるも何も私達の間には何もありません!」
「俺にあんな事をしておいてか!? 俺にあそこまでした女はお前だけだ!!」
ざわざわと周囲の喧噪が耳に痛い。やめろ、私がやったのはお前のゴールデンボールポテトをマッシュしてやっただけだ……!
「皇太子の傍に侍られるというのに何が不満だと言う!」
「ご自分の身分を弁えてください!」
「学院では皆平等だ! 時には身分を忘れ、切磋琢磨する事も必要だ! お前は俺の傍にいるに相応しいと見込んだのだ! 何が不満だと言うのだ!」
馬鹿野郎!! 何から何までが不満だ!! だんだん周囲の喧噪が物騒なものになってきたぞ。やばい、木っ端男爵の令嬢風情が皇太子に絡まれるなんてどんな風聞が立つものかわかったものじゃない……!
「――これは、一体何の騒ぎですの?」
そんな周囲の喧噪を黙らせたのは、一人の少女の声だった。
潮が引いていくように群衆が割れていき、進み出てきたのは美しい一人の少女。その少女の姿を見て私は舌打ちをしたくなってしまった。
メルリリス・ラベンダー公爵令嬢。このバジリコス帝国のラベンター公爵家の令嬢だ。その権力は王家と肩を並べると言われ、最も王位に近い貴族と言われている。
「メルリリス。何の用だ、私は忙しい」
「ユーグドレナ様、このように周囲を騒がせていてそのように仰るのは些か礼儀を失しているのではないですか?」
「くどい。貴様の戯言に耳を貸す時間が惜しい。私が用がある女はこのアーセル・ミント、ただ一人」
「……成る程。この婚約者である私をさしおいて、そこの令嬢が気になると仰るのですね?」
そう。このメルリリス公爵令嬢はこのユーグドレナ皇太子殿下の婚約者である。
傍目から見れば、私は婚約者をさしおいて皇太子殿下に口説かれている泥棒猫といった構図だろうか。ふふ、笑えない。
「貴様の型通りの耳触りが良いだけの言葉には何の価値も見いだせん」
「定石を知らねば奇策も衒えないものです。頑迷である事が次期皇帝に相応しき振る舞いとでも仰るのですか?」
「ならば、その俺の頑迷たるを埋めるのがこのアーセル・ミントだ! 相応しき人材を傍に置こうと思って何が悪い!?」
「……彼女はご令嬢ではございませんか。それを侍らせるという事の意味を理解しておられないのですか……!」
……いや、私を挟んで議論をしないでくれ、目上のお人達。私は口を挟めないんだぞ……!
「アーセル・ミント!」
「はっ!」
「……貴方は確か、ミント男爵家の娘でしたわね? これは一体どういう事ですの?」
……バレてる。流石、皇太子殿下の婚約者として相応しいと呼ばれる才女だ。私の名前まで把握していたのか……!
「ッ、一体どのような手を使ってユーグドレナ様に近づきましたの!!」
違います、誤解です。むしろ距離を取りたい。取りたかったんです、メルリリス様。
「こいつはお前のような喧しいばかりの口だけ令嬢とは違う! 勝手な推測でこいつを貶めるなら俺が相手になるぞ、メルリリス!!」
「……ッ、ユーグドレナ様……!」
「行くぞ、アーセル!」
やめろ。私の評価をどこに持っていくつもりだ、皇太子殿下! 手を掴むな、引っ張るな! あぁ、腕力の差が憎い……!
皇太子殿下に手を引かれながら場を去っていく中、強烈な殺意と憎悪に振り返ってしまう。そこには鬼の形相で私を睨んでいるメルリリス様がいた。戦慄く唇が、そっと呪いの言葉を吐いた。
――この、泥棒猫。
もう一度言おう。私が嫌いなものはご都合主義の甘ったれたラブストーリーだ。
誰が望んだと言うのだ、こんな展開を!!
これは、何故か皇太子殿下の心とゴールデンボールを掴んでしまった不幸な男爵令嬢、アーセル・ミントが皇太子の婚約者であるメルリリスを始めとした人間達と繰り広げる甘くも悩ましいラブストーリー!
……ではなく。勘違いと誤解を重ねた果てに混沌としていく状況を打ち崩さんとする物語である。