第八章
東アジアにある独裁国家は、国際的な非難があるにも関わらず核開発を行っていた。過去には地下核実験も実施していたし、核弾頭を搭載できるミサイルの発射実験も行っていた。しかし現実的には敵対するアメリカを直接攻撃できるほどのミサイル技術もなかったし、核実験も他国と比べるとまだまだ未熟なレベルだった。
そんな独裁国家が国内向けのテレビ番組でこんなニュースを流した。
「我が国家は偉大なる首領様のお導きにより、世界に先駆けて魔法の実証実験に成功した!」
そして世界がざわついた。けして大騒ぎにはならなかったが、独裁国家の周辺国や敵対する国では微妙な感じにザワザワした。もちろん日本もざわついた。周辺国でありながら国交のない日本でも話題にはなったが、正直なところこれには日本国政府も対応に苦慮したという。核実験やミサイル実験ならば正式に抗議をすることもできるが、魔法実験が成功したからといって何をコメントすればいいのかわからなかった。しかも独裁国家の公式発表ではなく、あくまで自国民に向けたニュースにすぎないのである。結局、日本政府はこの件に正式にコメントすることはなかった。一方、ニュースコメンテーターの多くは「だからなんなんでしょうね?」とか「また、かまって外交が始まったようです」とか「まともに相手にするだけ無駄ですよ」などの否定的な意見が目立った。もちろん情報が真実だった場合も想定したのか「今後の独裁国家の動向を注視しましょう」なんて発言をする有識者もいたようだが、日本国民の大多数は「それ、ウソでしょ?」と思っていたし、独裁国家の発表をまるで信じていなかった。
するとそんな他国の反応が気に入らなかったのか、独裁国家は再び国内向けにこんなニュースを流した。
「我が国家の精鋭部隊である魔法軍団の兵士達は、その強大な力によって全ての国の軍隊を蹴散らすだろう!」
そんなナレーションを背景に、魔法軍団の兵士達が標的となったハリボテ人形を魔法攻撃(と、思われる決めポーズ)で爆破しているシーンが公開されたのだった。
するとその映像はネットで大喝采を浴びた。一例としては「戦隊モノかよ!」「やべえ、日本やられる!」「もう世界は独裁国家のものですよ~」「首領様ぁー、ゆるしてー」「俺に任せろ! あいつらに俺の魔法攻撃を食らわせてやる!」などなど・・・。その映像は先進国ならスマホのアプリ程度でも作成できるレベルだったので、魔法軍団の映像はニュース番組よりもワイドショーやバラエティー番組などで面白おかしくネタにされた。
さすがに物笑いの種になることに気付いたのか、独裁国家はそれ以上は魔法のアピールをしなくなったという。
これによって世界は『魔法も利用方法次第では、自らにダメージを与える』という教訓を得たのだった。
★
第二の魔法現象が発生してから数日経過していたが、今やコンサート会場となった公園は新たな観光名所となっていた。公園の中には露店まで出るようになり『魔法まんじゅう』やら『ミラクルかき氷』やら、謎の名産品が売り出されるようになっていた。
その日、岳太は母親と一緒に定期健診で大学病院を訪れた.しかし岳太は診察が終わった午後に「市立図書館で読書をしてから、夕方に帰る」と嘘の言い訳をして一人で公園に向かっていた。岳太にはどうしても確認なければならないことがあった。それは岳太とミランダが雨宿りをした雑居ビルの防犯カメラだ。もしミランダが雷雲を追い払っている場面がカメラに映っていたら、それを見て不審に思う人が出るかもしれない。それに第二の魔法現象が発生したことを受けて、公園周辺の防犯カメラを調べる人が出てきてもまずかった。
結果からいうと岳太の心配は杞憂に終わった。防犯カメラはあったが、カメラの方向は人の出入りを撮影するために内側を向いていた。二人が立っていたテラス部分を撮影するカメラはなかったので、ミランダが魔法を使っている映像はどこに残っていないだろう。
とりあえずの懸念事項を解消した岳太は、休憩するために公園のベンチに腰を下ろしていた。その手には『マジカルソフト』という名前だけが魔法っぽい、普通のソフトクリームが握られている。岳太はソフトクリームを舐めながら昼下がりの公園をなんとなく眺めていた。イベントがあるわけでもないのに公園は人で賑わっていて、夏休み期間のせいか旅行客らしき人も多かった。その中にはカメラ片手の外国人も混じっていて、今やここが世界最先端の魔法スポットといっても過言ではなかった。岳太は街が賑わうのは経済が潤うことなので好意的に捉えていたが、ミランダなら魔法ブームのこんな現状に文句を言うのかもしれない。
岳太がぼんやりとそんなことを考えている時だった。
「やあ、久しぶりだね」
ふいに背後から声をかけられて、岳太は思わず後ろを振り返った。
「あ・・・こないだの記者さん」
そこにはフェリーターミナルで出会った金髪青年が笑顔で立っていた。
「まさか、こんなところで君と再開するなんてね・・・意外と世の中は狭いね」
真夏の太陽の下にもかかわらず、ネクタイ姿の青年は涼しげな雰囲気だった。一方の岳太は半そで短パンにもかかわらず見た目が暑苦しい。そんな岳太だが頭はそれなりに冴えていた。
「でも魔法に興味がある人聞だったら、やっぱりこの公園に集まりますよね?」
「・・・ま、確かにね」
青年は素直に岳太に同意した。
それから青年は岳太と同じソフトクリームを買ってくると、ベンチに座っている岳太の隣に腰を下ろした。
「ところで君は、この前の魔法現象は見たのかい?」
「いいえ・・・夏祭りには来たんですけど・・・その時は、気付きませんでした」
もちろんそれは嘘であるが、なんとなくそう答えた方がいいような気がした。ミランダの秘密の大きさを考えると、自分たちは何も知らないことにしておいたほうが安全かもしれない。
「それは勿体ないことをしたね・・・私もネットの動画でしか見てないんだよ」
青年は残念そうにそう言った後で、ジャーナリストの顔で岳太に質問してきた。
「・・・で、君はあの魔法現象をどう思っているのかな?」
「どう思う・・・ですか」
正直なところ岳太はその質問の答えには困った。魔法現象の真相を知っている岳太にしてみれば、馬鹿正直にミランダのことを話すわけにもいかない。あくまで仮定の話として、もし自分が何も知らない立場なら魔法をどう考える? ・・・そんなシミュレーションをしながら言葉を探した。
「えーと、そうですね・・・僕がもし探偵だとしたら・・・コンサートの出演者とか、スタッフとか・・・コンサートに思い入れのある人聞が魔法使いかも、って考えるかな・・・」
コンサートを再開させるために魔法が天気を回復させた、という理由だった。岳太の話を聞いた青年が頷いた。
「なるほどね。そのメンバーの中で、地震の日にも被災地にいた人間が魔法使いかもしれない、という考え方だね」
「まあ・・・そんなところです」
岳太にすれば他人に罪をなすりつけるみたいで心苦しかったが、何も知らない岳太ならおそらくそう考えていただろう。
「なかなかいい推理だね」
青年が感心したように言った。
「でも、その調査はもう終わっているみたいだよ?」
「えっ」
青年の言葉を聞いた岳太は驚きを隠せなかった。岳太自身はそれほど深い意味で言ったわけでもないのだが、実際にその調査が行われたというのだ。それはマスコミの人間がコンサート関係者を全て調べたということだろうか? それが事実だとすると、魔法を探そうとする人々の行動力は岳太の想像を超えていた。
「・・・そんなことまで調べる人が・・・本当にいるんですね」
真夏の太陽の下にいるにもかかわらず、岳太は背筋が冷たくなるのを感じていた。青年が岳太に補足をする。
「まあ、ある一部の人聞が調べているだけなんだけどね」
「それでも・・・怖いです」
「よくある話だと思うよ? ・・・たとえば・・・そうだなあ」
そう言うと青年は公園の中をぐるりと見回した。
「・・・今は見当たらないけれど、公園の周囲には色々な国の諜報機関の・・・ひらたくいえば、スパイらしき人聞もいるみたいだしね」
「ええっ!」
岳太は思わずベンチから立ち上がりそうになった。それは、まさかの情報だった。それでも辛うじてベンチに腰を置いたままでいられた岳太はおそるおそる青年に訊ねた。
「・・・そんなことって・・・本当に・・・あるもんなんですか?」
「そのくらいのことなら、いくらだってあるさ」
青年があっさりと言い切った。。
「魔法が世の中の表側に出てきた以上、それを手に入れようとする組織が現れるのは当然の話さ。君は新聞やニュースは見ているかい?」
「わりと見ている方だと思います。だから・・・なんとなくは、わかります・・・けど」
「信じられない? ・・・ま、そんな顔をしているね」
岳太の表情があまりにもわかりやすかったのだろう、青年がそんな岳太に説明した。
「日本でも世界でも魔法を巡るトラブルは数多く起きている。それが個人的な小さな事件であれ、国家が関与する大きな事件であれ、その中心には魔法を利用しようとする人間がいる・・・まあ、そういうことだね」
「・・・魔法は、そういう人達に狙われているんですか?」
「真面目に学問として調べている人だっているさ。科学者だったり歴史学者だったりね。だけど科学の発展がそうであったように、魔法もいつか戦争の道具に使われる可能性はあるかな」
「そういうのって・・・なんか・・・嫌ですね」
「残念だけど、世の中はそういう風にできているんだよ」
「・・・・・・」
岳太は返す言葉がなかった。
そして自分の認識の甘さに辟易していた。ミランダと魔法についての議論をした時にもこういう話をしたはずだった。しかし今にして思えば所詮は子供の浅知恵だった。いくら理解したつもりでいても、正しい現実を想像しきれていなかった。大人の目線で語られる現実は岳太が思うよりも狡猾で、ずっとシビアな世界なのだった。おそらく魔法を探し求める世の中の動きは岳太の想像を遥かに超えている。今の青年の話は岳太に自分の未熟さを思い知らせるのに充分だった。同時に魔法の秘密を知っていることに大きなプレッシャーを感じていた。
岳太は思わず空を仰いだ。
「魔法なんて・・・復活しなければよかったのかなあ・・・」
ミランダの台詞ではないが、岳太もそんな言葉を口にしていた。青年がその言葉を聞いて岳太をたしなめた。
「そんなことはないさ。魔法があったから救われた人だって大勢いるよ」
「それは・・・そうなんですけど」
「それに魔法が悪いわけじゃない。悪いのはいつだって、力を利用しようとする人間の方だからね」
自分のソフトクリームを食べ終えた青年がハンカチで口元を拭きながら言った。
「魔法は善人にしか使えない、っていう話は知っているかい?」
「え? ・・・そうなんですか?」
「あくまでそういう説があるってことなんだけどね・・・・昔から魔法使いは存在していたけれど、だからといって人類が滅んだことはないだろ?」
「それはそうですけど・・・でも、昔は魔法使いだって戦争に参加しているし・・・」
「それは守るための行動なんだ・・・ま、これは詭弁かもしれないけれね」
そう言って青年は自嘲気味に笑った。
「家族や仲間を守るため、国や領地を守るため、そのために命令に従う魔法使いもいたはずさ・・・でもそれは自分の欲望のための戦いじゃない。そういう行動は単なる悪人にはできない行動なんだよね」
「・・・それって戦時中の、政治家の演説みたいですね」
「・・・そうかもしれないね」
そう言って青年は苦笑した。まさか小学生にそんな指摘をされるとは思ってもいなかったのだろう。
それでも青年は持論を続けた。
「皆、自分の方が正しいと思って戦争をしているのかもしれないね。誰かのために良かれと思って、それで間違った戦いをしているのかな・・・」
世界には違った価値観に溢れている。それをお互いに許容しない限り、この世から争いは無くならない。それが上手くいかないからこそ、人類は間違いを犯し続けるのだ。
青年が岳太に「どうだい?」と質問する。
「もし私が選挙に立候補したら、当選できそうかな?」
「ははは・・・僕なら一票入れますよ」
岳太は青年の話を聞いて少しだけ安心した気持ちになった。
「でも・・・なんだか難しい話でしたね」
「まあ、今回の魔法に関しては難しく考える必要もないさ・・・津波を止める人間が、悪人のはずがないからね」
「それは・・・間違いないと思います」
「悪人に利用されることがない限り、現代でも魔法使いが問題を起こすことはないと思うけどね」
背年の話はどこか楽天的のような気もしたが、それでも岳太もそうなることを願わずにはいられなかった。
「何も起こらないと・・・いいなあ・・・」
おそらくミランダなら魔法を悪用することはないだろう。ミランダの生真面目さは岳太がよく知っていた。これまでの魔法はミランダが他人のために心を動かした結果だった。そんなミランダが私利私欲のために魔法を使う姿を岳太には想像できなかった。
岳太はミランダが魔法を使えた理由がわかったような気がした。
「ま・・・僕には魔法は使えない、か・・・」
ついつい岳太の口から本音が漏れた。それを聞いた青年が呆れたように言った。
「おいおい・・・君は悪人なのかい?」
「いいえ・・・たぶん悪人ではないです・・・でも僕には魔法を使えない自信があります」
それは実際に岳太が指輪を試したから言えることなのだが、そんなことは口が裂けても言えなかった。
そんな岳太の『魔法を使えない宣言』を聞いて、青年は不思議そうな顔をしていた。
それから二人はそのままベンチで話をした。港で会ったた時と同じような魔法談義だった。世の中で話題になった魔法のニュースからネットに流れる魔法ゴシップまで、最近の魔法ネタをわりと真面目に話しあった。もちろん岳太はミランダに繋がるような話はしなかったし、自分が何も知らない状況ならこう考えるだろうという仮定で話をした。すると意外と客観的に物事を見ることができて自分でも驚いていた。
ひとしきり話をした後で青年がうーむと唸った。
「ネットの世界は奥が深いね・・・私の知らない話がそんなに転がっているとは」
「ひとつ新しい魔法ネタが出てくると、そこから話がどんどん展開していくんですよね」
「新しい発想を得るには役立ちそうだね・・・今までのやり方で情報を集めていると、どうしても常識の枠を越えられないんだ」
「やわらか頭って大事ですよね」
「確かにね・・・頭の固い大人には無い、柔軟な発想が必要かもね」
そう言って青年は少し考え込んだ。
ネットには独特の魔法分析論や数々の魔法ゴシップで溢れているが、この手の情報が魔法発見にどのくらい役立つのかはわからなかった。しかし手がかりが少ない状況では無視するわけにもいかなかったし、ネットの情報収集も多面的に行わなければならなかった。青年に伝えられる情報の種類を考慮してみても、青年の協力者の中に柔軟な発想を持つ人間はいないようだった。青年がこの少年に声をかけたのにも、どこかでそんな危惧があったからかもしれない。青年は先日の港でも同じようなことを考えていたし、第二の魔法現象が発生した時にも少年の顔が脳裏をよぎった。この少年は自分には無い感性を備えていたし、子供の柔軟な考え方と同時に大人の洞察力も身に付けていた。そういう意味で少年は彼の仕事に役立つ人材だった。
この現代社会に魔法が復活してから一ヶ月も経過していなかったが、既に魔法の争奪戦は本格的に始まっている。青年はこの数日間で確かにその感触を得ていたし、この街を中心に混沌とした状況が生まれつつあった。この公園で魔法が発生した事実は再び公園に魔法使いが現れる可能性を示していたし、魔法使いが周辺住民である確率も高かった。少なくとも夏祭りの日に公園を訪れた人間であることは疑う余地もなかったし、おそらく地震の日にも近郊の沿岸地域にいたものと推定された。もちろんそう考えているの青年だけではなく、だからこそ世界中の目がこの街に向けられている。各国の諜報機関がこの街に人材を投入しているのもそのためだった。
青年はもう迷わなかった。
この少年は協力者として使えると思った。子供だという理由で少年を除外するのは、もしかしたら彼を侮辱する行為なのかもしれない。
そして青年は岳太の顔を見つめる。
「申し訳ないが・・・」
青年は岳太の視線が自分を捉える瞬間を待っていた。
「・・・君にも揚力してもらおう」
「はい?」
岳太は生返事をしながら、背年の雰囲気が急に変ったような気がした。そして青年の唇がゆっくりと動くのを、岳太はきょとんとしながら見ていた。青年の唇の動きは小さかったが、それでも多くの言葉が発されたような気がした。日本語でも英語でもない、今まで岳太が聞いたことのないような音が岳太の耳に飛び込んできた。
それはほんの一瞬の出来事だった。
そして青年は静かに口を閉じた。
岳太には青年の発した言葉の意味がわからなかった。間違いなく日本語ではなかったが、どこの国の言葉なのかは見当もつかなかった。
だから素直に聞き返した。
「あの・・・今、なんて言ったんですか?」
「・・・えっ?」
「英語とも違いますよね? ・・・ヨーロッパのどこかの国の、ことわざでも言ったんですか?」
「・・・ええっ?」
岳太がそんなふうに聞き返したことについて、青年は思いのほか驚いていているようだった。青年の目が大きく見開かれているのを不思議に思いながら、岳太は自分が何かおかしなことを言ったのだろうか? なんて考えていた。
一方、青年は動揺していた。岳太の態度が自分の想定とは明らかに違っていたのだ。自分の瞬きが異様に速くなっていることにも青年は気付いていなかった。
それでも青年は気を取り直したのか、岳太の顔を見ながらもう一度言った。
「申し訳ないが・・・私の目を・・・見てもらっても・・・いいかな?」
ゆっくりと言葉を区切りながら青年はそう言った。言われた岳太も素直にそれに従った。岳太は青年の目を見ながら「あ、瞳が青い・・・日本人じゃない」なんて考えていた。そんな岳太に向かって青年がもう一度早口で何かを告げた。
やはり岳太にはその言葉が聞き取れなかった。
「あのお・・・それって何語なんですか?」
「・・・えええっ!?」
もはや青年は自分の動揺を隠さなかった。それを見た岳太も大人が仰天している様子を見るのは生まれて初めてだった。鳩が豆鉄砲を食らった表情というのは、まさにこの顔なのかもしれないと思った。そうなるとさすがに岳太も申し訳ない気持ちになった。しかし岳太には青年の意図するところがよくわからなかったし、青年が動揺している意味も全く想像がつかなかった。。
青年はベンチで腕を組みながらしきりに首を捻っていた。何かがおかしい、何かが違う、そういう雰囲気を隠そうともしなかった。
しかし青年はすぐにベンチから立ち上がった。
「ちょっとごめん・・・悪いけど・・・ここで少し待っていてくれるかな?」
そう言い残すと青年は公園の雑踏の中に消えていった。
ベンチに一人残された岳太が「なんなんだろう?」と思いながらぼんやりしていると、数分後には遠くから青年が戻ってくるのが見えた。どこでどういう経緯があったのかは不明だが、なぜか青年は一緒にお巡りさんを連れてきた。
それから青年は岳太の真正面に立つと、岳太を上から見下ろす格好で口を開いた。
「・・・今度は・・・私の指を見てくれるかな?」
そう言って青年は岳太の目の前に自分の人さし指を出すと、それを軽く揺らし始めた。
それから数秒後。
「なんだろう・・・トンボになった気分ですかねえ・・・」
目の前で揺れる人さし指と青年の口から漏れる謎の言語を聞きながら、岳太はつい率直な感想を述べていた。トンボを捕まえる時に指を回しながら近づいていく行動に似ていると思った。そう言ってからさすがに失礼だったかなと反省もしたが、青年が特別に気を悪くする様子はなかった。
その代わりに青年は大きなため息をつきながら言った。
「・・・なるほど、ね」
がっかりした口調の割に、青年はなぜか楽しそうに岳太を見ていた。
しかし岳太もその頃になると、さすがに何かがおかしいと感じるようになっていた。青年はずっと笑顔だったが、その隣にいる警官はずっと無表情だった。
「あの・・・これって・・・一体、なんなんですか・・・?」
ベンチに座ったままの岳太を二人の大人が見下ろしていた。一人は笑顔の外国人青年で、もう一人は無表情の警官だった。岳太はこの状況は異常さに戸惑っていた。先ほどから続いている青年の行動も不可解だったが、その一部始終を全く動じずに凝視している警官には得体のしれない怖さがあった。岳太にはこの人が本物の警察官なのかどうかもも疑わしく思えていた。
さすがに岳太も不審の空気を表に出すようになっていたのだが、それを見ても青年は相変わらずの笑顔だった.
青年が静かに口を開いた。
「君は・・・僕の天敵なんだね」
青年の口調は穏やかだったが、その口からは物騒な言葉がこぼれ落ちていた。そしてそこには『敵』とはっきり断言するくらいの重みもあった。
岳太はその言葉に動揺した。
「え? ・・・あの・・・どういう、ことなんですか?」
まるで意味もわからずに聞き返した岳太の眼前で、青年は自分の隣に並び立つ警官をちらりと目をやった。
そこには亡霊のように立ち尽くす無表情の警官がいて、青年はそれを確認してから優しく岳太に語りかけた。
「この警察官には効果があっても、君には全く効果がない・・・つまり君は、私にとって最も相性の悪い天敵ということさ」
「・・・・・・?」
岳太には背年の言葉の意味が全く理解できなかった。話が見えないというのはまさにこのことだろう。天敵とはどういうことなのか、この警官が何者なのか、青年が何を言おうとしているのか、きちんと説明して欲しかった。
しかし岳太も気付いている。もうそんなことを軽々しく聞ける雰囲気ではなかった。この状況の異常性と危険さを本能的に感じとっていた。何かがおかしくて、何かがまともじゃない。岳太もそのことには気付いていたが、だからといってどうすることもできずにいた。
青年はずっと笑顔だった。
少しだけ眼光が鋭くなっていたかもしれないが、その口元には微笑を絶やさずにいた。
「外国も、日本も・・・」
青年の声は優しかった。そこに危険を匂わせるものは何も無かった。
「・・・警官はピストルを所持しているからね」
青年が今それを語る必要があるのかどうかも、なぜ警官がここに連れてこられたのかも、その先に潜む恐怖に集約する。
「・・・そのピストルは君の頭を撃ち抜くことができるし・・・私は警官に彼自身の頭を撃ち抜かせることもできる」
とても正常な人間とは思えない発言をする青年だったが、そんな青年が常軌を失っているようには見えなかった。
自分のすぐ隣で危険な会話がなされているにもかかわらず、無表情の警官は微動だにしなかった。
その異様な雰囲気に呑みこまれていた岳太は、もはや思考すらできない状態だった。
青年が岳太に言った。
「・・・君には・・・私の魔法が効かないんだね」
岳太は青年が『魔法』と言ったのを耳で聞いた。
その瞬間、その言葉だけが岳太の頭を駆け巡っていた。
魔法? ・・・魔法ってなんだ? ・・・この人はどうして魔法という言葉を使ったんだ?
岳太も反射的に言葉を反復することはできた。
しかしそれを理解するよりも早く、青年が次の言葉を口にする。
青年は誰に問いかけるでもなく、独り言をつぶやくように静かに言った。
「君は・・・ここで殺してしまった方がいいのかな・・・?」
その瞬間、岳太はミランダの顔を思い浮かべていた。
ここにミランダがいなくて良かったと、思った。
★
ミランダは自宅のリビングでテレビを見ていた。
午後のワイドショーでは連日のように第二の魔法現象を追いかけていて、今日は例の公園からの生中継をしていた。ミランダは岳太が病院の帰りに雑居ビルを調べてくるとことを聞いていたので、岳太が公園の近くにいるならテレビに映るかなしれないなあ、なんて思っていた。さすがに岳太が自分からカメラに映りにいくことはないだろうが、なにかの拍子で画面の隅に見切れるくらいのことはありそうだった。岳太の体型はとても特徴的だったので、たぶんミランダなら発見できるはずだった。
これだけ注目されている第二の魔法現象だったが、テレビカメラには映像が残っていないらしい。当初は地元テレビ局がコンサートを撮影していたのだが、コンサート中断の後にはゲリラ豪雨による夏祭りの混乱や、市内の大雨被害の取材に向かったらしい。情報を聞きつけて公園に戻った頃には市内全域で雷雲は去っていて、もはや公園の晴天が魔法によるものかどうかもわからなかった。テレビクルーも魔法現象が再び発生するとは思っていなかったらしく、さぞかし残念がったに違いない。ミランダもそんな報道を聞くと、もし自分が雨雲を追い払う場面が映像に残っていたらと思うと、さすがに怖くなって生きた心地がしなかった。
テレビのワイドショーでは公園を訪れた観光客にレポーターがインタビューをしていた。今やすっかり全国区となった公園からの生中継を見ながら、ミランダは不思議な感覚に陥っていた。これは本当に自分の住んでいる街で起きている出来事なのだろうか? ミランダはどこか他人事のような気にもなっていた。
第二の魔法騒動から数日経過していたが、ミランダの周囲で変ったことは何も起きていなかった。市内中心部の公園などは魔法フィーバーで盛り上がっているようだが、ミランダの住む郊外の住宅地は平穏そのものだった。指輪も岳太に預けっ放しだったのでミランダの関知するところではなかったし、今となっては自分と魔法は一切関係ないのではないか? 岳太が一人で騒いでいるだけではないか? そもそも魔法なんて復活していないのではないか? ・・・と、さすがにそこまで都合良く考えることはできなかったが、それでも何も気にせずに生活していれば、魔法なんかに縁のない普通の毎日が送れるような気もしていた。
ミランダはリビングのソファーで寝転がりながらぼんやりとテレビ画面を眺めていた。手にしたリモコンもミランダの体も先ほどから全く動く気配がなかった。そしてミランダは大きな溜め息をついた。
そんなムシのいいことを考えられるくらいならミランダには苦労がなかった。それができないことを自分が一番よく知っていた。このまま魔法から目を背けて生きていくなんてミランダに絶対に無理だった。もし何も気にせずに生きていけるなら、それはどれだけ幸せなことだろう。しかしミランダの性格ではそれができない。
本音を言うとミランダは怖かった。世の中で起きている魔法騒動も怖かったが、自分が魔法を使えるかもしれないという事実が怖かった。どうして自分のような普通の女の子が魔法が使えるようになったのか誰かに説明してほしかった。どうせなら岳太のように神経の図太い人間が魔法を使えるようになればよかったのだ。そういう人間なら細かいことを気にせずに魔法を使うだろうし、それでペンを倒そうが家を壊そうが世界征服をしようが好きにすればいいのだ。それで問題が発生してもミランダには関係ないし、そんな他人ごとは気にせずに生きていけるのだ。
ミランダにはそういう意味で勇気がかった。自分が本物の魔法使いなのかどうかを試す勇気もなかったし、自分の傍にある魔法から完全に目を逸らす勇気もなかった。
そして何より自信がなかった。もしも自分が魔法を使えることが確実になった場合に、ミランダは魔法を使わずにいられるのか、それを使いたいという誘惑に耐えられるのか、自らの意思を自らでコントロールできるのか、様々なことに自信がなかった。もしかしたら私利私欲で魔法を使ってしまうかもしれないし、そんな自分の姿を想像するだけで胸がムカムカした。たとえばミランダが魔法で人を傷つけることだってあるかもしれないし、ミランダを無視する女子にこっそり嫌がらせをする可能性だってあった。マンションの屋上で岳太に八つ当たりをした時のように、感情的になって誰かを攻撃してしまうことだってありえるのだ。ミランダはそんな自分の弱さや醜さを知っているからこそ魔法を自分から遠ざけていた。岳太のように物事をありのままに受け入れる度量も、大人びた考え方で賢く振る舞う要領の良さもミランダは持っていなかった。そんなミランダにとって魔法は巨大で危険すぎる力だった。自分で制御できない力が身近に存在することで、ミランダは自分が嫌な人間になってしまうのではないかと恐れていた。ミランダは何よりそれが怖かった。
気付けば公園のテレビ中継は終わっていた。ワイドショーでは政治と税金の問題で盛り上がっていた。ミランダはテレビのチャンネルを変えながら、何か気分が明るくなるような番組が見たいと思った。
そんな時、マンションの呼び鈴が鳴った。どうやら来客のようだった。宅配便か何かかもしれないと思い、ミランダはソファーから起き上がるとリモコンを放り出して玄関に向かった。
玄関のドアを開いてミランダが意外そうな顔をする。
「あれ? ・・・病院が終わるの早かったんだね」
玄関のドアの隙間からは岳太が立っているのが見えた。
「もしかして・・・監視カメラの報告?」
ミランダはそう言いながら玄関のチェーンロックを外した。ミランダにしてみれば雑居ビルのことはメールで結果報告でもよかったし、明日のラジオ体操の時でも構わなかった。それでもわざわざ家を訪ねてきたのだから、ミランダはお茶とお菓子を出すつもりだった。
「あ、いいよ・・・僕はここで帰るから」
ミランダが玄関のドアを開けて岳太を手招きしたにもかかわらず、岳太はマンションの廊下に立ったまま家の中に入ろうとはしなかった。
「ごめん・・・ちょっとミランダに・・・謝らなくちゃいけないことがあるんだ・・・」
「ん? ・・・ 何よ? 急に改まった顔をして」
「ミランダに・・・指輪を返すよ」
そう言って岳太は短パンのポケットから指輪を取り出した。
それを見たミランダは表情を一変させた。
「ちょっと! ・・・あたし・・・指輪をするのは嫌だって、あれほど・・・」
「ごめん!」
しかし岳太はミランダの言葉を遮ると、指輪をミランダの手に押しつけた。
「ごめん・・・僕の方で色々と・・・都合があって・・・これを持っているのが・・・あんまり良くないかもしれない」
岳太の言葉を聞いてミランダはとまどっていた。ミランダに指輪を着けさせることが目的じゃないのなら、岳太がここに指輪を持ってきた意味がわからなかった。それに岳太が指輪を自分の家に置いておけない理由もミランダには想像できなかった。
「・・・どういうことなの?」
「ごめん・・・指輪が僕のところにあるのは・・・正いことじゃないと思う」
「全然、意味がわかんないんだけど? ・・・どうしたのよ急に?」
「・・・持ち主のところにある方が・・・安全な気がしたんだ」
「・・・・・・」
ミランダは自分の手に押しつけられた指輪と、廊下に立ち尽くす岳太とを交互に見比べていた。そして明らかに何かがおかしい、と感じていた。岳太の顔にはいつもの笑顔がなかったし、どことなく切羽詰まった様子も見て取れた。
眼光を鋭くミランダが岳太に詰め寄った。
「・・・ちょっと詳しく話を聞かせてよ。それからじゃないと指輪は受け取るれないわ」
ミランダは玄関に降りてサンダル履きになると、廊下に立っている岳太に手を伸ばした。
「だから、とりあえず中に入っ・・・あ! ・・・こら!」
ミランダが途中まで言いかけたところで、岳太が「じゃ」と言ってミランダに背を向けた。
「あんた怪しいわ! 絶対になんか怪しい!」
そう言いながらミランダは廊下に飛び出した。
「なんなのよ! ちょっと! ・・・逃げるなんて男らしくないわ!」
ネズミを捕獲するネコの素早さでミランダが岳太の首根っこを捕まえていた。Tシャツを引っ張られた岳太が「ぐえ」と首を絞めつけられて鳴いた。
「逃がさないからね・・・とりあえず・・・いいから・・・おとなしく・・・部屋に、入りなさいっ!」
さすがに廊下で騒ぐのは近所迷惑になるので、ミランダは岳太を家の玄関まで引きずり込んだ。岳太は玄関にうずくまりながら喉元を押さえてケホケホと咳き込んでいる。ミランダは岳太が逃げ出さないように扉をロックしてから岳太を睨みつけた。
「岳太! あんたあたしに何か隠してるでしょ! なんか怪しい! 怪しすぎるわっ!」
「・・・ごめん」
岳太はしゅんとなって俯いている。ミランダは感情的になってもいけないと思い、岳太を諭すような口調で話しかけた。
「謝らなくてもいいからきちんと理由を説明してよ・・・どうして急に指輪を返すなんて言い出したのか、あたしはその理由を知りたいのよ? わかる?」
その効果があったのか岳太は静かに頷いた。
「・・・うん」
「理由を話してくれるよね?」
「・・・ごめん」
「・・・もう謝らなくてもいいから」
「・・・うん」
「説明してくれるよね?」
「・・・ごめん」
「・・・ごめん、じゃないでしょ?」
「・・・うん」
「何があったの?」
「・・・ごめん」
「~~~~~~!」
ミランダはさすがに頭にきた。
あまりにも頭にきたので持っていた指輪を自分の左手に装着した。そしてその左手を岳太の目の前に突きつけた。
「あんた・・・・これで頭を吹き飛ばされたいの!」
「・・・いいえ」
岳太はミランダの剣幕を見てさすがに青ざめた。
ミランダは鼻息も荒く岳太に言い放った。
「謝らなくてもいいから、さっさと理由を言いなさい!」
こうやってイライラしながらも、ミランダは岳太のことを心配していた。今日の岳太はいつもの岳太とは違っている。ミランダには岳太が慌てているように見えた。しかし用事があって急いでいるなら、急いでいる理由くらいは言えるはずだった。それさえも言わずに逃げ出そうとするのは不自然だったし、そんな岳太にミランダが不審感を抱くのは当然だった。
岳太が息を整えながらゆっくりと玄関マットに腰を下ろした。しかしけして靴を脱ごうとはしなかったし、相変わらず部屋に入る意思は示さずにミランダにも背を向けていた。
「ほんとうに・・・本当になんでもないんだよ・・・」
岳太は自分の足元に視線を落としたままで言った。
「ただ・・・僕が指輪を持っているのは・・・やっぱり何かが違うと思っただけだよ」
「・・・それは嘘よね?」
ミランダは岳太の話を一蹴した。そんな言葉でごまかされるミランダではなかった。いくら岳太が冷静さを装っていても、それくらいの芝居でミランダが騙されるわけがない。ここで岳太がするべきことは、今まで語っていない話をすることだった。これは普段の岳太らしくないミスだ。つまり今の岳太はそういうことにも頭が回らない状態なのだ。
そんな岳太を動揺させる理由とは何か?
ミランダは率直に切り込んだ。
「病院の帰りに何かあったのね? ・・・そうなんでしょ?」
ミランダの勘ではそれはおそらく魔法に関係する話だ。逆にそれ以外の理由があるなら教えて欲しいくらいだった。岳太が急にミランダに指輪を返すことなんて、少しくらいのポリシー変化ではありえないのだ。。
「・・・ミランダは僕のことを・・・信用していないのかなあ・・・?」
「してないわよっ」
コイツ、まだ言うか? とミランダは思わず拳を握りしめていた。しかしここで怒りの感情に任せて岳太を引っ叩くのはよくないと思い、ミランダは深呼吸をしながら自分の気持ちが戦闘モードにならないように気をつけていた。
「岳太は・・・あたしに知られたくないことでも・・・何か困ったことでもあるの?」
「・・・勘ぐりすぎだよ」
「そうやって話をはぐらかそうとするところがね、もう自分から『そうです』って白状しているようなものなのよ?」
「・・・・・・」
ミランダの読みは鋭かった。もはや岳太は何も言い返せない。
ミランダはなるべく感情を昂らせないようにゆっくりと呼吸を繰り返していた。両手を交互にグーとパーとにしながら攻撃的にならないようにも心がけていた。
そしてミランダは努めて冷静に岳太に話しかけた。
「夏祭りのハンバーガー屋で、岳太はあたしに言ったよね? あたしのことを『気を遣い過ぎ』って・・・それじゃ、今の岳太の態度はなんなのよ?」
岳太は間違いなくミランダに隠し事をしている。そしてそれは魔法に関する内容で、岳太はそれをミランダに知られたくないと思っている。どうして知られたくないのか? 何かやましいことでもあるのか? ・・・そんなことはないだろう。ミランダは岳太の性格を知っているし、そんな岳太を信頼している。
「・・・もしかしたら、あたしに心配をかけまいとして何も言わないのかもしれないけど・・・そういうのってなんか馬鹿にされてるみたいで・・・あたしのプライドが傷つくのよね」
ミランダは岳太がハンバーガー屋で話していたことを今になって痛感していた。自分が気を遣われる立場になったことで、人から気を遣われることの虚しや苛立ちを思い知ったのだ。
「ねえ・・・どうしてあたしに指輪を返さなくちゃならないのか、どうしてそういうことを考えるようになったのか・・・きちんと説明してくれるよね?」
ミランダは自然に自分の声が穏やかになっていくのを感じていた。自分がいつもより優しい気持ちになっていることにも気付いていた。ミランダは岳太が自分の話に応じてくれるだろうと信じている。ミランダの言葉は岳太の心に届いたはずだ。そんな岳太だからこそミランダは仲良くなれたと思っている。
二人は友達なのだ。
それは疑いようもない事実だった。
岳太が深く頭を垂れた。
「・・・ごめん」
「ごめんって言うなーっ! いいから理由を言いなさーいっ!」
ミランダはブチ切れた。
堪忍袋の尾はとうの昔に切れかかっていた。
「なんなのよあんたはーっ! あたしを本気で怒らせたいのかーっ! あたしを馬鹿にしてるのかーっ! 頭を吹き飛ばされたいのかーっ! お星さまになりたいのかーっ! 覚悟はできてるんでしょうねーっ!」
「わかった言うよっ! わかったからっ! ・・・わかったから・・・指輪をこっちに向けないでっ・・・!」
ミランダの指輪が岳太の鼻先でプルプルと震えていた。
ミランダの怒りは本物だった。
それを見た岳太はさすがに死の恐怖を感じずにはいられなかった。
これがいわゆる『魔法による脅迫』や『兵器としての魔法』だった・・・おそらく世界から戦争はなくならないだろうし、戦争は誰も幸せにはしないのだ。
★
夕方の早い時間のニュースでは東アジアの国際情勢を伝えていた。
その話の発端は例の独裁国家が「我が国は、日本と協同で魔法現象を研究する意思がある」なんて言い出したことだった。とはいえ日本政府が魔法現象の全容を把握しているわけでもなければ、独裁国家が魔法に興味を持つ理由も胡散臭かったので、この話も世界から相手にされいと思われた。ところが何をどう履き違えたのか、東アジアにある反日国家がこの話に絡んできた。かつて日本がアジアで戦争を起こした歴史背景を挙げたうえで「日本が魔法技術を所有するのは危険でアル。直ちに魔法に関する情報を世界に公開するか、魔法技術を完全に放棄する必要がアル」と言い出した。これは完全に言いがかりだったし、難癖をつけているにすぎなかった。日本が魔法技術など所有していないことを承知で、敢えてこんな滅茶苦茶な話を持ち出したのである。もし本当に魔法技術が危険だと思うのならば、先に独裁国家に文句を言うのが道理だった。そもそも何故こんな話を急に持ち出してきたかというと、その目的は反日国家の国内政治を安定させるためであった。反日国家は自国民の不満を解消するために、度々このような手法を用いてきた。政府に対する不満を日本への敵対心に掏りかえることで、国民の怒りをガス抜きしてきたのである。とにかく日本にとってはいい迷惑なのだった
しかし反日国家が魔法問題で日本政府を非難するようになると、他のアジア諸国からも同調する声が挙がった。自国の政権支持率を上げたい国にとっては格好のネタだったので「日本が魔法技術を持つのは危険だ! もう二度とアジアで戦争を起こしてはならない!」なんてネガティブキャンペーンを始める国も出てきた。さすがに日本政府もこれには困惑したいう。日本政府が魔法に関与したという事実はなかったし、国家レベルでの魔法調査もまだ行われていなかった。マスコミや研究者が各自で調査を進めているらしいが、その調査報告が政府に提出されることもなかったし、現段階では日本政府が魔法調査を行う予定もなかった。大地震の発生から一か月も経過していない状況では、復興事業のほうが急務だったのである。
そんな日本政府に追い打ちをかけるかのように、独裁国家が日本に難癖をつけ始めた。当初は日本と共同で魔法調査の意向を示していた独裁国家だったが、他のアジア諸国の日本バッシングを開始したのを見て「日本と仲良くするのってヤバくね?」と気付いた。独裁国家も日本政府が魔法技術を所有しているとは思っていなかったし、国交のない日本で魔法調査をするための口実として使っていたにすぎない。さらに現状では先進国の調査機関が続々と日本を訪れているので、どのみち独裁国家が魔法を独占することは不可能だと思われた。それならば、と独裁国家は日本を激しく非難する戦略に舵を切った。つい先日までは自分たちも魔法を持っていると吹聴していた独裁国家が「日本が魔法技術を持つことは許されない!」とか「アジアに緊張をもたらす日本は危険な国家だ!」とか「我が国のミサイルは、魔法が発生した公園を攻撃する準備ができている!」なんてことまで言い始めた。実際に日本を射程に収めるミサイルを持っている独裁国家にとっては、これは非常に都合の良い脅し文句だった。もしそれで他国の調査関係者が日本から出て行けば願ったり叶ったりだったのだが、当然その願いは叶わなかった。たまに独裁国家のミサイル実験が失敗することもあるだけに、そんな国のミサイルが狙った場所に正確に飛んでいくかどうかも怪しかったのだが、だからこそ日本に与える影響も大きかったといえる。これには日本政府もドン引きしたといい、さすがに首相や外務大臣も独裁国家に正式な抗議をした。
こうして魔法を巡る一連の流れは東アジアの国際情勢をも巻き込んで・・・というか、魔法とはあまり関係ないところで場外乱闘も勃発していた。
★
しかしミランダと岳太はテレビから流れてくるそんなニュースも全く聞いていなかった。
「・・・で、結局その人は何者なのよ?」
公園での出来事を聞いたミランダは、リビングで麦茶を飲んでいる岳太に訊ねた。
「プロの催眠術師なの? ・・・それとも詐欺師なのかしら?」
「・・・それは僕にもわからないよ」
岳太は青年が自分の口で『魔法』と言うのを聞いていたので、青年が魔法使いかもしれないと思っていた。しかしミランダは魔法に関してはどこか懐疑的というか、あまり認めたくないスタンスのようだった。もちろんミランダの言うように青年が催眠術を使ったという考え方もできたし、一連の出来事が芝居でない限りは警官も催眠状態にあったといってもいい。
先ほどの公園ではこんなやりとりがあった。
「おかげで迷子を見つけることができました。ご協力ありがとうございます」
青年は警官に対して白々しい嘘を言った。
「あ・・・はい・・・え? ・・・いいえ・・・あれ?」
正気に戻った警官は青年の言葉を聞いて困惑している様子だった。それでもなんとなく今の状況を把握したようで「・・・それは、良かったですね」と、きっちりと警察官としての受け答えをしていた。おそらく警官はどうして自分がここにいるかも理解していなかっただろう。
やがて警官は青年と岳太に一礼するとパトロールに戻っていった。しきりに首を捻りながら歩いていく警官の後ろ姿からは、警官が演技をしているようには見えなかった。
「いや、ごめんごめん・・・ほんの冗談のつもりだったんだけどね・・・悪ノリしすぎたかな?」
青年は笑いながらベンチに腰を下ろしたが、岳太には今までのことがただの冗談には思えなかった。
「・・・記者さんは・・・一体、何者なんですか・・・?」
「私はフリーのジャーナリスト・・・みたいなものだね」
青年は涼しい顔で公園を歩いている人を眺めていた。
同じように真正面に目を向けながら、岳太は青年が本当にジャーナリストなのかどうかも怪しいと思い始めていた。今までの言動から考えてると一般人ではないだろうが、かといって普通の記者でもないような気がした。もしかしたら外国の諜報機関の人間とか、岳太の知らない裏の組織の人間なのかもしれない。そうなると岳太が質問をしてもまともに答えてはくれないだろうし、なにより下手な詮索をすることの方が危険だった。
警官の姿が完全に見えなくなったところで青年が岳太に言った。
「・・・君は携帯電話は持っているかな」
岳太は無言で頷いた。すると青年は岳太に電話番号とメールアドレスを訊ねてきた。魔法の情報を集めるために協力して欲しいという。今さらという気がしないでもなかったが、青年の目的は魔法の情報を集めることのようだし話の筋としては通っていた。そうして岳太は青年に電話番号とメールアドレスを教えるに至った。
その話を聞いたミランダは露骨に嫌な顔をした。
「・・・なんで、そんなやばそうな人に電話番号を教えちゃうわけ? 後でどんな目にあうかわからないじゃない?」
ミランダの言うことはもっともだったが、その場にいなかったミランダには岳太のプレッシャーは想像できないだろう。青年はあくまで冗談だと笑っていたが、もしかしたら岳太は警官のピストルで撃たれていた可能性だってあるのだ。
「僕に選択肢は無かったよ」
岳太は青年のパフォーマンスによって完全に主導権を握られれていた。それは魔法による脅迫といってもよかった。日常生活で最も頼りになるはずの警察官が、青年の意のままに操られていたのである。それを目の当たりにした岳太が青年の要求を断れるはずもなかった。
「・・・さっきミランダがやった方法と、手口は同じだよね」
「違うよ・・・あたしは、別に・・・そういうつもりで・・・指輪は、そもそも・・・岳太が・・・」
ミランダは急に口をモゴモゴさせると、慌てた様子で指輪を外した。それをテーブルの上に置いて、わざとらしく指輪を指で弾いたりなんかした。
それを見ながら岳太が苦笑する。
「・・・ミランダは無意識でやったことかもしれないけど、あの人はそれを計算しながらやっていたと思うよ」
青年は岳太のそれまでの立ち振る舞いや頭の良さを見て、それでそういう行動に出たのもしれない。岳太に対しては乱暴なやり方をしなくても脅せると考えたのか、それとも元々のやり方がそういう方法なのかは不明だが、結果的に岳太を懐柔することに成功している。
「それは結局、僕が警官のように操られなかったからなんだよね・・・ま、そこは助かったけれど」
もし岳太が青年の意のままに操られていたならば、その時は間違いなくミランダの秘密を青年に話していただろう。岳太にとっての最大の秘密がミランダと指輪の関係だったし、魔法を追い求める人間にとってはこれ以上の情報はなかった。そしておそらく岳太が青年に操られなかった理由も、そのミランダの指輪が関係しているはずだった。青年が本当に魔法を使うのであれば、それに対抗できるのもやはり魔法だけのような気がした。岳太は自宅に指輪を保管していることからも指輪の所有者であといえるし、実際に指輪を使って魔法を試したこともある。ミランダが生まれついての魔法使いではないように、岳太も生まれついての魔法使いではないはずだ。岳太と魔法との接点はミランダの指輪だけなので、その指輪の効果が青年の魔法を防いだと考えるのが妥当だった。しかし実際のところはそれすらも謎だったし、青年もそのことについては何も触れなかった。もちろん岳太も一切余計な質問をしなかった。青年をミランダの秘密に近づけない意味でも、そこで不必要な会話をするのは危険だった。
「そんな危険な人聞が傍にいたら・・・あたしなら大声で助けを呼ぶけどなあ」
岳太の話を聞いたミランダが率直な意見を述べた。普通ならそうするのが正解だろうし、岳太もミランダの意見はもっともだと思った。しかしそれは『普通の異常事態』に遭遇した時の話であり、今回の場合はだいぶ事情が違っていた。たとえ岳太が大声で助けを呼んだにしても、青年はその全てを操り人形にすることができるのだった。
「それだと敵の数を増やすだけなんだよね・・・もし僕がそこで下手な真似をしていたら、今ここにはいないかもしれない」
「テレビカメラを呼べばよかったのよ。さすがに生中継をしている時なら手出しはできないでしょ?」
「テレビ中継? そんなのあったの? ・・・それは気付かなかったなあ」
しかし実際にテレビが公園を中継していたのは岳太が去った後だった。ミランダのアイデアも悪くはなかったが、それを実行するには運やタイミングが必要だった。
ミランダが呆れたように言った。
「あたしに言わせれば、岳太は余計なことまで考えすぎなんだと思うな」
「そう?」
「そうだよ。変質者が現れたら、大声を出すか逃げるかが基本じゃない?」
「・・・変質者って」
あの金髪イケメン青年も、まさか自分が変質者呼ばわりされているとは夢にも思っていないだろう。
「岳太はあたしのことを『気を遣いすぎ』とか言うけれど、あたしに言わせれば岳太は『物事を面倒臭く考えすぎ』なのょ」
そういうミランダも実はクヨクヨ考えることが多いのだが、とりあえず自分のことは棚に上げている。
「・・・僕は状況判断をしているつもりなんだけどなあ」
「どういう状況判断をすれば、あたしに指輪を押し付けて逃げ出すことになるのよ?」
「うーん・・・それを言われると」
あはは、と岳太が声に出して笑った。それはその通りだったので素直に認めるしかなかい。岳太にもミランダの言いたいことはわかっていた。いくら岳太が混乱していたとはいえ、なんの説明もせずに逃げ出したのは間違いだった。ミランダが怒るのも無理はないし、それについては岳太も反省している。
しかしミランダにも岳太がどういう状況だったのかを理解してほしかった。公園での岳太は長い緊張状態の中にいたのである。岳太と青年の間にはしばらく会話もなかったし、二人とも公園の風景を眺めているしかなかった。岳太は自分から動くのは危険だと思っていたので背年の動きを待っていたし、その間は岳太も生きた心地がしなかった。実際にはほんの数分くらいの時間だったかもしれないが、岳太にはその時間がとてつもなく長く感じられた。
そんな重苦しい雰囲気を打ち破るように、青年が静かに口を開いたのだった。
「・・・君は、IPアドレスというのを知っているかい?」
長い沈黙の後で青年が口にしたのは、これまでの話とはあまり関係なさそうな内容だった。岳太は多少の不審感を抱きながらも、自分が知っていることを素直に口にした。
「・・・インターネットの、住所みたいなものですよね?」
ネットに接続する時にパソコンや携帯電話に割り振られる、個別の識別番号のことだと岳太は理解していた。そう答えながら岳太は「どうしてそんなことを聞くのだろう?」と思ったし、今ここでその話をする意図が読めなかった。
青年が岳太の答えに納得したように頷いた。
「私の協力者にはインターネットを管理する会社の人間もいてね・・・そういう人聞を使えば、IPアドレスから個人を特定することができるんだ」
つまり個人のブログやSNSなどから身元を割り出すこともできるし、またはネット掲示板に書き込んだ人間を特定することも可能ということだ。
「・・・君はネットで情報を発信するタイプかい?」
「いえ・・・僕はそういうのはやりませんけど・・・」
岳太はネットで情報収集することは多いが、自分から情報を発信したり掲示板に書きんだりすることはなかった。
青年は岳太の答えを聞いて満足そうに数回頷くと、ゆっくりとベンチから立ち上がった。
「・・・それが賢明だと思うよ」
青年は爽やかな笑みを浮かべたままで、岳太に軽く片手を挙げてみせた。
「不確かな情報をネットに流しても、誰の得にもならないからね」
青年は「それじゃ」と言って岳太の前から去った。
そして公園には穏やかな時間が戻ってきた。
しかし岳太の心臓はずっと早いままだったし、背中の冷や汗も止まる気配がなかった。さすがに恐怖で体が震えるようなことはなかったが、それでも緊張のあまりに全身の筋肉が硬くなっていた。
そしてその時には岳太も自分が口止めされたことを悟っていた。つまり青年がIPアドレスの話をしたのは岳太にその知識があるかどうかの確認をするためで、そのうえで青年は最後に釘を刺していったのだ。あえて直接的な言葉では何も言わなかったが、その言葉の裏には「今日の出来事は誰にも話してはいけないし、ネットに書き込んでもいけないし、ネットに書き込んでも身元はバレるぞ」と、つまりそういう含みを持たせていたのだ。これは岳太の個性を見極めたからこそ使えた脅迫方法なのかもしれない。はっきりと口止めをするのではなく、会話のニュアンスから伝えたいことを想像させる・・・それは官官とピストルを使った時点で既に始まっていたのかもしれないが、岳太に効果的なプレッシャーを与えるごとに成功していた。
平和なはずの昼下がりの公園が、一転してスリリングな空間に変わったのだ。こんな体験をした岳太が平常心でいられるはずがなかった。
「・・・それでもミランダのやり方に比べれば、あの人の手口はだいぶ紳士的だったかもね」
「・・・・・・」
ミランダは目の前に置いてある指輪を、自分の手の届かないテーブルの隅に追いやった。
澄まし顔で麦茶を飲んでいるミランダを見て岳太が笑った。
「・・・ま、おかげで正気に戻れたからいいけどね」
結果的にはこの状況に落ち着いたのは正解だと思っている。あのまま帰っていても問題は何も解決しなかっただろうし、余計にややこしいことになっていたかもしれない。
岳太の当初の予定では、ミランダに指輪を返した後はなるべくミランダとは顔を合わせないつもりだった。とりあえず夏休みが終わるくらいまでは単独行動をしながら様子をみようと思っていた。あの青年が岳太の身辺調査をする可能性もあったし、そうなると岳太が指輪を持っていることも岳太がミランダと一緒に行動することも危険だった。青年の正体や目的がはっきりしない以上、岳太にできる自衛手段は限られていた。
「・・・あたし、そういうのってありがた迷惑だと思うのよね」
ミランダはそんな岳太の考え方には不満だった。
「きちんと理由を説明してもらわないと・・・あたしだって困るのよっ」
ミランダはそう言って麦茶のコップをテーブルに強めに置いた。残り少ない麦茶の水滴がコップの外まで飛び散った。
「・・・いきなり指輪を返されても意味がわからないし・・・岳太が何も説明しないで逃げるように帰ったら、あたしだって驚くし・・・」
ミランダは少し言葉を選んでいるようだった。
「・・・それに、もし・・・それで岳太があたしのことを避けるようになって・・・それで・・・それなのに、岳太が何も理由を説明してくれなかったら・・・」
ミランダには転校してきた頃の苦い記憶がある。だからミランダは他人から拒絶されることに強い抵抗感がある。
「・・・岳太は良かれと思ってやったことかもしれないけど・・・あたしの立場とか・・・あたしの気持ちとか・・・こっちの身になって・・・そういうことも・・・少しは、考えてよね・・・」
以前より改善されたとはいえ、ミランダの学校での立場は微妙だった。ミランダもなるべく気にしないようにはしていたが、それでも誰かの言動で傷つくことはあったし、学校で思うように振る舞えない自分に息苦しさも感じていた。ミランダは普段から人との距離の保ち方には気をつけていたし、クラスの空気を読んだり人の輪を乱さないように神経も使っていた。そういうところにはミランダはとても繊細だったし、それはある意味ではミランダ最大のウィークポイントといってもいい。
岳太はミランダの本質の全てを知っているわけではなかった。と、いうかだいぶ雑に考えていたのかもしれない。ほんの数ヶ月前、ミランダは学校で孤立して寂しい思いをしていた。たまたま出会った岳太に感情を爆発させてしまうくらいに、そんな酷いストレスを溜めこんでいたのである。岳太は最近のミランダからは全くそんな様子は感じられなかったし、夏休みに入ってからはドタバタ続きででミランダの過去の経緯など完全に忘れてしまっていた。岳太の知っているミランダは真面目で気が強いけれど少し怒りっぽい女の子だった。実際にミランダがそういう部分を持っているのも確かだろうが、岳太が思っている以上にミランダは繊細で傷つきやすい性格なのかもしれない。岳太は自分が人懐っこい性格で人間関係には苦労をしていないので、知らず知らずのうちにミランダにも自分の基準をあてはめていた。それは完全に岳太の杓子定規だった。
岳太はようやくミランダの怒りの、その本質の部分を知ったような気がした。
そして何ょりミランダに対して無神経すぎた自分に気付いた。
だから岳太は素直にミランダに頭を下げた。
「ええと・・・その・・・本当に・・・ごめん」
結局のところ岳太は最初からミランダに全てを話しておけばよかったのだ。公園で起きた出来事を正直に打ち明けて、それで今後の対策を練ればよかったのである。その方が話も早かったし、少なくとも混乱した岳太が慌ててミランダの家にくるメリットは何もなかった。せめて頭を冷やして考えをまとめる時間くらいは必要だったのだ。
挙動不審の状態で現れた岳太にミランダが不信感を抱くのは当然である。
「僕は魔法には操られなかったけれど・・・催眠とか、洗脳とか・・・そういうものには操られていたのかもしれないなあ・・・」
岳太は自責の念を込めてそう口にした。
「・・・冷静な判断ができなくなるって・・・怖いなあ」
きっと詐欺に遭う人やマインドコントロールされる人も同じような精神状態なのだろう。そう考えると岳太は少し怖くなった。
「僕は・・・確かな心を糧にして・・・真っ直ぐに生きてゆこう・・・」
「・・・あんた大丈夫?」
しみじみとおかしなことを言い出した岳太にミランダは不安になった。急に説法を語られてもミランダは困るのだった。
「ミランダのショック療法のおかげで・・・僕は悟りを開けるかもしれない」
「ショック療法・・・」
おそらくミランダが岳太の鼻先に指輪を突き付けたことを言っているのだろうが、ミランダはそう言われることに不満があった。確かにそれがあったから話がまとまったのも事実だったが、本来ならばミランダが一番嫌うやり方だったし、そんなことをした自分の意志の弱さを恥じていた。ミランダはそういう感情的な性格をなんとかしたいと思っている。
「あたし・・・ああいうやり方って好きじゃないないな」
「そう? ・・・ミランダらしくて良かったけどなあ」
「・・・・・・」
岳太の言う「ミランダらしさ」とはなんぞや? ・・・そう考えるとイラっとしないでもなかったが、ミランダもそこは突っ込まないことにした。なんだかんだ言っても岳太はミランダのことを心配してくれたのである。多少の行き違いはあったかもしれないが、最終的には落ち着くべきところに落ち着いたのでよしとすることにした。
しかしこれで一見落着というわけにもいかなかった。実際には何も問題は解決していなかったし、むしろ青年と岳太との距離が縮まったことでミランダの身に危険が迫っているといってもいい。
二人にとっての苦難はこれからが本番なのかもしれない。




