第五章
そして八月に入った。
新幹線の復旧がお盆に間に合わないことがJRから発表され、さらに被災地の受け入れ態勢も整わないことから夏祭りやイベントが軒並み中止となった。まだまだ日本全体に自粛ムードは漂っていたが、それでも世間は少しずつ日常を取り戻しつつあった。テレビでもバラエティー番組が再開されるようになり、ワイドショーも芸能ネタと同じように魔法ネタを取り扱うようになった。
そんなある日、ゴールデンタイムで放送された『超常現象スペシャル、魔法は実在した!』という番組が大反響を呼んだ。番組では日本における魔法史の解説があったり、魔法伝説が残る各地の史跡を紹介したり、歴史学者と科学者による魔法現象の検証などが行われた。その番組の企画で『魔法使いさん、いらっしゃ~い』というコーナーがあった。出演したのは魔法使いの末裔とされる戦国大名の子孫や有名寺社の関係者、新興宗教の教祖や自称・霊能力者、果ては妖怪人間やら魔法の国のプリンセスやら年齢が百万四十四歳の悪魔やら・・・とにかく、そうそうたるメンバーが集合した。しかしその中には魔法ブームにあやかろうとする奇人変人も混じっていたため、すぐに収拾がつかなくなってコーナーは終了した。誰からともなく始まった非難の応酬は「だったら魔法使いだという証拠を見せろ!」「お前を魔法で攻撃してやる!」「止めて下さい! 魔法を人前で使うのは禁忌です!」「貴様らを泥人形にしてやろうか!」なんて具合に紛糾し、平和な日常が戻りつつあることをお茶の間にお伝えした。その番組が視聴者に与えたインパクトは絶大で、ネットでは彼らの出自や信憑性を議論する場が設けられるほどだった。すぐに彼らの個人情報はネット民によって暴かれることになり、その中には経歴詐称をしながらテレビに出演する人もいたし、過去の悪行を告発された詐欺師まがいの人もいた。折しも魔法を騙った詐欺商法が世に出回り始めたこともあり、魔法騒動はさらなる混乱を招こうとしていた。
★
その番組が放送された翌朝、ラジオ体操に現れたミランダに岳太が訊ねた。
「昨日の魔法特番、見た?」
「・・・うん」
「ミランダに言わせれば、ああいうのが浮かれすぎなんでしょ?」
「・・・うん」
ミランダはあまり朝に強くないようで、ラジオ体操の時にテンションが低いことがある。目は座っているが機嫌が悪いわけではないので、岳太も通常通りに接している。
「それとミランダにいいニュースを持ってきたよ」
「・・・うん?」
岳太は毎晩のようにネットで魔法の情報を調べているので話題には事欠かない。
「港にアメリカの軍艦が来てるんだってさ」
「・・・へえ」
「ミランダは大きい船が好きなんだよね?」
「・・・別に」
「あれ? そうなの?」
「・・・なの」
わざわざ豪華客船を見に行くくらいだから、岳太はミランダは大型船が好きなのだと思っていた。だからわざわざアメリカ軍艦のネタを仕入れてきたのだが、ミランダが興味ないならこれ以上話をしても無駄だった。
一方の岳太は調べていくうちにそのアメリカ軍艦の話に興味が湧いた。その船は大量の支援物資やガソリンを積んできたらしく、今後も頻繁に港を出入りするようになるらしい。アメリカが港の復旧を早めるために支援を申し出たという話もあり、重要港として整備したうえで被災地支援の拠点にする計画のようだった・・・のだが、ネットの噂では「アメリカには別の思惑があるのではないか?」なんてことも言われていた。アメリカは密かに魔法を独占しようと企んでいて、港の整備はその拠点の確保が目的であり、もしアメリカ軍が魔法使いを発見した場合は特殊部隊が捕獲作戦を実行するのではないか? そもそもアメリカが出しゃばるのは不自然じゃないか? どうして自衛隊じゃ駄目なんですか? ・・・という陰謀論がネットで囁かれ始めていた。あくまでネットで流れている噂にすぎないのだが、被災して使われなくなったフェリーターミナルにアメリカ軍の軍艦が停泊しているのは事実だった。テレビで放送された『奇跡の瞬間』の映像でも魔法の強大な力は実証されているし、あの力を独占できるのであれば国家レベルで組織が動いてもおかしくはなかった。
岳太にしてみればこんなに身近に魔法ネタが転がっているのだから、それに興味を惹かれないはずがなかった。地震後の港がどういう状況なのかも知りたかったし、岳太はミランダを誘って港に行こうと思ったのだった。
岳太が横目でミランダを見ると、ミランダは音楽に合わせて投げやりな様子で腕を振り回していた。岳太はミランダの動きがロボットみたいだなあなんて感心しながら「誘うのは止めとこ」と思った。
★
魔法を巡って世界が動き始めていた。
国際的な科学文化機関や大学の研究者などが続々と来日していたし、各国の調査員レベルから一般の野次馬までが被災地を訪れようとしていた。今は被災地のインフラが復旧していないために本格的な調査は難しい状況だが、いずれ魔法を探し求める人間が大挙して押し寄せることは明白だった。その動きに先んじるように各国のマスコミは被災地に記者を派遣していたし、地震の被害を取材していたジャーナリスト達は、いつしか魔法の取材がメインになっているのが実情だった。
そんなある日、一人の白人男性がフェリーターミナルを訪れていた。二十代前半とみられる金髪の美男子で、白のYシャツにネクタイ姿という記者ふうの優男だった。その青年は港の出入口に立っている警備員に近づくと、そこでひと言ふた言会話を交わしただけで立ち入り禁止の港に入っていった。青年はその後も港の敷地内で、様々な人に話しかけながら港の奥へと歩いていき、やがて目的地であるフェリーターミナルまで辿りついた。港の復旧工事をしている作業員からアメリカ軍関係者を経て、やがて軍艦の乗組員から軍の指揮系統の人間にまで接触することができた。それでもここで得る事が難しい情報もあったので、その情報については後日改めて連絡することで話がついた。
こうして目的を達した青年は何事もなかったように港の出入り口まで戻ってきた。
青年はそこで一人の少年を見つけた。その小太りの少年は入口にある立ち入り禁止の看板に前で、この世の終わりを知ったかのような残念な表情をしていた。夏の太陽の下で汗だくになっている少年の姿には、なんともいえない悲哀が漂っていた。青年はその少年の姿を見て、ずぶ濡れで震えている子犬の姿を連想した。おそらく少年は港を見学にきたのだろうが、少年はは港から拒絶された迷える子羊のようにも見えた。少年の状況を察した青年は、その同情心から少年に声をかけることにした。
「港は工事中だから入れないよ」
少年は急に白人男性に声をかけられたことに驚き、さらに青年が流量な日本語を話すことにも驚いていた。しかし少年は好奇心を刺激されたのか、人懐っこい笑顔で青年に話しかけきた。
「アメリカ軍の人ですか?」
「え? ・・・いや違うよ・・・私は・・・」
意外と物怖じしない少年だったことに驚きつつも、青年は少し思案した末に少年の質問に答えた。
「私は・・・フリーのジャーナリスト・・・みたいな感じかな」
青年が自分の素姓を素直に話す必要もないのだが、少年の真っすぐな瞳を見ていると口からでまかせを言うのは申し訳ないような気がした。
「へえ・・・ここにも外国の記者さんが取材にくるのか~」
少年が感心したように言った。
「・・・じゃあ、アメリカ軍艦の取材ですか?」
「ま、それは答えられないけどね」
いくら少年に同情したからといっても、青年が自らの目的を正直に話す道理はなかった。少年もそこは理解しているようで、青年に別の質問をしてきた。
「じゃあ地震被害の取材か、魔法の取材ですよね?」
「ノーコメントかな」
「もし魔法の取材なら、ネットの噂は知っていますか?」
少年はニコニコしながら青年に話しかけてくる。青年はそれを子供らしい素直さとか裏表のない真っすぐな行動だと感じた。
「ネットの噂・・・?」
だからこそ青年は少年の言葉が気にかかった。
「・・・ネットではどんな噂が流れているんだい?」
青年が持っている情報は正規のルートから流れてくるものだった。ある程度まで精査された情報が、然るべき情報源から伝えられることが多い。
「あ、もしかして日本語の読み書きは苦手ですか?」
なぜか少年は楽しそうにそう言った。友達に同じようなタイプがいるのだという。だが少年はそちらの話を無駄に引き伸ばすこともなく、すぐにネットで流れている噂を青年に話し始めた。少年はだいぶ頭が良いようで、きちんと要点を踏まえたうえで面白可笑しくネットの噂を青年に伝えてくれた。
「・・・なるほど」
思った以上に聞きごたえのある話だったことに青年は驚いていた。日本の教育のレベルが高いのか、それとも少年が特別に賢いのかはわからなかったが、青年は少年から聞いた話を諜報員からの情報並みに受け止めた。
「ネット情報の中にも面白い話があるんだね・・・私が知らないネタもあったよ」
青年はそれらの魔法情報に感心すると同時に、人々の探究心にも驚いていた。火のないところに煙は立たないというが、限られた情報の中から火が出そうな場所を推理する人がいることに驚いた。ネットの噂も捨てた物ではないと思った。もちろんネットに流れる情報のほとんどは単なる噂話だろうし、玉石混交の中から少年が拾い集めた情報の中にも明らかな間違いがあった。この少年はこの少年なりに情報を精査して青年に話したのだろうが、正しい情報を持っている青年がその綻びを見つけるのはとても簡単だった。
「全部を信じるわけじゃないけれど、ネットの情報も取材の役に立つかもしれないね」
「本当ですか?」
「うん、参考になったよ」
青年の言葉を聞いた少年は嬉しそうだった。
「早く魔法が見つかるといいですね」
屈託のない笑顔で少年が言った。しかしそれには青年が苦笑した。
「全く見つかる気がしないけどね」
それから悪戯っぽく付け加える。
「・・・もし私が魔法を見つけたら、誰にも言わずに独り占めするかもしれないよ?」
「もしかして・・・世界征服とかを企んでいるんですか?」
「君だったら世界を征服するのかい?」
「・・・え?」
逆に質問を返されて少年は困った顔になった。
「僕は・・・・そんな大それたことは・・・面倒臭いから、しないかな」
「私もそんな面倒なことはしないよ。自分のささやかな幸せにために魔法を利用するだろうね」
「なるほど~・・・僕もそうかもしれないなあ」
「日本くらいは征服してみたらどうだい?」
「きっと征服した後に反乱が起きそうなんで、僕は遠慮しておきます」
「いい判断だね」
少年の答えに青年は満足そうに笑った。青年はこの少年の賢さや年齢に不相応な大人っぽさに感心していた。愛想が良くて素直な少年だったが変に達観しているというか、どこか年寄りじみている部分があった。少年がどうしてこういう性格に育ったのか知る由もないが、青年の見立てでは少年は充分な大人だった。だから一瞬、青年はこの少年にも協力者になってもらおうかと考えたが、少年の姿はあまりにも幼かった。青年には東洋人の見た目の年齢はよくわからなかったが、おそらく少年は小学校の低学年くらいだろう。幼い子供だからこそ頼めることもあるかもしれないが、今のところ青年の仕事にその要素は見当たらなかった。
それから二人はしばらく立ち話をした。大人と子供による魔法談義だったが、思った以上に話が盛り上がった。
しかし道路の遠くから少年が乗る予定のバスがやってきたことで立ち話は終了した。
★
「・・・なんで?」
ミランダが怒った。
「なんで一人で行っちゃうのよっ!」
ミランダの家で宿題の準備をしていたところ、急にミランダの機嫌が悪くなった。そんなミランダを見ながら岳太は「あれ?」と首を捻っていた。
発端は岳太がミランダに語った噂の真相だった。ブログ削除騒動のあった例の女子大生の話だが、ようやく騒動の経緯がはっきりしたのである。女子大生のプロフィールを大々的にネットに公開した犯人は、なんと女子大生その人だった。彼女は自己顕示欲が強い性格で、芸能界にも憧れ抱くような人間だった。今回の魔法騒動を利用して自分の顔と名前を世間に広めようとしたのだが、ブログのコメント欄に都合の悪い質問をされたり、過去の記事にあったインチキ臭い話のことを指摘されたりして、いわば芸能人気取りのスキャンダル隠しのような理由でブログを削除したのだという。まさに自作自演の馬鹿げた行為だったのだが、あるジャーナリストが彼女を直接取材したところで不審な言動に気付き、そこを追及したところで彼女が自白したのだという。そうなるとこの話にはなんの事件性もないし、マスコミもそんな下らない話を相手にするほど暇ではなかった。世は魔法ブーム真っ盛りだったので、いちいち古いネタには構っていられないのである。
ミランダは岳太からこの話を聞いて呆れてしまった。
「・・・あたしには理解できない世界だわ」
リビングにアイスコーヒーを運んできたミランダは眉間にしわを寄せていた。テーブルにコップを配膳しながら、それでもミランダは感心したように言った。
「でも、そんな話までネットに書いてあるなんて・・・怖い世の中よね」
「あ、これはネット情報じゃないんだ」
と、岳太が港での出来事をミランダに話した。そしてそれを聞いたミランダが怒ったのである。岳太はそのことに関してはあまり深く考えていなかったのだが、これは置いてけぼりを食った子供が癇癪を起こす典型的なパターンだった。
だからミランダは吠えた。
「あたしは朝が苦手なのよっ! 知ってるでしょ!」
「・・・はい」
「朝のテンションだけであたしのことを判断しないでっ! わかった!」
「・・・はい」
「とにかく誘えばよかったのよっ! ひと言くらい声をかけてもいいでしょ!」
「・・・はい」
「それともあたしが死んだ魚の目をしていたとでも言うのっ! ねえ! そうなね!」
「・・・いいえ」
なんだかよくわからない荒れ方をしているなあ・・・なんて思いながら岳太はミランダの怒りが収まるの待っていた。岳太は目の前で猛り狂っているミランダを見ながら、最初に二人が出会った日のことを思い出していた。あの時もミランダは怒っていたが、今の怒り方とは少しテイストが違っている。以前のミランダはもっとちゃんとした子だったような気がした。岳太はいつからミランダがこんな子になったのか不思議だった。
しかし今回のことに関しては岳太にもきちんとした言い分がある。そもそも港は立ち入り禁止だったのだから行っても無駄骨だったし、ミランダは行かなくて正解だったと思っていた。それに岳太だって別の用事があったから昨日港に行ったのである。
「岳太はあたしのことをわかってないっ!」
かたやミランダにもミランダの言い分があるのだ。
ニュージーランドに里帰りしていれば楽しい夏休みが待っているはずだった。
誰とでもすぐに仲良くなれる岳太が羨ましい。
ミランダは友達が少ない。
ラジオ体操が嫌いだ。
早起きしたくない。
岳太ムカツク。
ばーか。
・・・以上。
しかし岳太は基本的には鈍くて空気が読めない男の子なので、ミランダの気持ちを推し量ることはできない。だからとんでもない発想に行きつくこともある。
「確かにあの人はイケメンでカッコ良かったけど・・・でも、たぶんミランダは相手にされないと思うけどなあ」
「・・・あんた、あたしのことをどんな奴だと思ってんのよ?」
ミランダはもう怒るのも馬鹿らしくなってテーブルに顔を突っ伏した。岳太が謎の行動をとったりデリカシーのない発言をすることは知っていたし、ミランダもだいぶ慣れたつもりだったがまだ甘かったようだ。
「も~・・・地震さえこなければなあ・・・あたしの夏休みの予定がどっかいっちゃったーっ」
ミランダも今さら過ぎたことを言っても仕方がないのはわかっているが、それでも言わずにはいられないのだった。ミランダは世の中の乱痴気騒ぎにはうんざりしていたし、今でも地震で被害が出たことに心を痛めていた。希望していたボランティアも人出が足りていることや、子供ができる仕事も限られていることから何も実行できずにいた。
「魔法なんて世界から消えたったっていいから、あたしの夏休みを返してよ~」
テーブルでぐったりしているミランダに「夏休みはまだ半分以上残っているけど」と言うわけにもいかず、それでも岳太はミランダの怒りが収まったことに安堵していた。
岳太は気分を落ち着かせるためにアイスコーヒーを飲んでから、ゆっくり口を開いた。
「・・・昨日、大学病院の友達のところにお見舞いに行ったんだけどさ・・・」
昨日、岳太が一人で港に行った理由はそこにあった。病院の帰りにそのまま港行きのバスに乗ったのだ。もしミランダと一緒に港に行く約束があるなら昨日は港に行かなかっただろう。
「僕と一緒にお見舞いに行った友達が、ミランダに興味があるんだってさ」
「へえ・・・」
ミランダは岳太の話を聞きながら、以前に岳太から聞いた入院中のエピソードを思い出していた。それはミランダの知らない岳太の昔話だった。大学病院、病気、退院、お見舞い、友達、そして別れ・・・きっと岳太は岳太なりに悩みもあるんだろうな・・・ミランダはぼんやりとそんなことを考えていた。あまりにもぼんやりとしていたのか、ミランダは言わなくてもいいことまで口にしていた。
「・・・その子どんな子? ・・・カッコいい?」
それがミランダの本心というわけでもないのだが、言った後でミランダは恥ずかしくなってしまった。テーブルに顔を突っ伏しているので幸いしたが、髪に隠れた耳まで真っ赤になっていた。ミランダはしばらく赤面した顔を上げることができないだろう。
「うん!」
しかし岳太はそんなミランダにも気付くことなく、なにやら一人で納得していた。
「カッコいい、ね・・・なるほど~・・・そうか、たしかに『カッコいい』って表現が一番しっくりくるかもね」
岳太はその友達の格好よさを再確認しているようだった。
「身長もミランダより高いし、中学二年生にしてはだいぶ大人っぽく見えるし・・・なるほどなあ・・・カッコいいって、ああいうことをいうのかもね~」
「・・・へえ」
岳太の話を聞きながらミランダも知らず知らずにテンションが上がっていた。ミランダの頭の中でその子の人物像が組み立てられていく・・・二つ年上で自分よりも背の高いイケメン・・・友達のお見舞いに行くような人だからきっと優しくて・・・大人っぽくて素敵な男の子ではないだろうか? ・・・そんな妄想がミランダの頭の中で膨らんでいた。
「ミランダさえよければ紹介するよ? 学校の外に友達がいると世界が広がるしね」
「う、うん・・・」
テーブルに押しつけて冷たいはずのミランダの顔が熱かった。ミランダは自分の口元が自然に緩んでいるのを感じていた。この状態では絶対に顔を上げられないと思った。
「そういえば来年はキャプテンに指名されかもしれないって言ってたなあ・・・部活の試合に応援に来いとか言われてさ・・・僕は興味がないから行きたくないんだよ」
目下、ミランダは妄想の国のお花畑を軽やかなステップで舞っている・・・キャプテン! 部活のキャプテン! スポーツマンだわ! なんて男らしいの! 素敵すぎるわ! ・・・という感じだ。
「いっそミランダも中学で同じ部活動をすればいいんだよね」
「そ、そんな大胆な・・・」
「別の中学校に通っていても、同じソフトボール部員なら交流もしやすいだろうしさ」
「・・・ん?」
岳太の言葉を聞いてミランダはすぐにその疑問に気付いた。ミランダの頭からは花畑の映像が消えていた。
「・・・岳太さん?」
「ん? ・・・さん? ・・・え? ・・・なに?」
「・・・野球部じゃ、ないの?」
「え~? ミランダは野球のほうに興味があるの~? 女子野球部のある中学なんて県内には無いんじゃないかなあ」
「・・・・」
ミランダの妄想はあっさりと消え去った。それからミランダは岳太の友達の人物像をすぐに脳内修正した。それで納得する。岳太が『カッコいい』という言葉に反応した理由もわかったような気がした。そこでようやくミランダは冷静さを取り戻した。
「・・・岳太は友達が多くて、羨ましいな」
ミランダはテーブルから顔を上げた。
「・・・宿題、やろっと」
誰に言うでもなくそう言うと、ミランダは筆記用具と辞書を自分の前に並べ始めた。
「・・・ミランダ?」
「・・・なに?」
岳太はミランダの雰囲気が一変したことにとまどっていた。さっきまでのように怒っているのでもなく、ラジオ体操の時のようにテンションが低いわけでもなく、不機嫌な時のようにムッとしているわけでもなく・・・ミランダは涼しげな顔をしているが、底知れぬ圧迫感を醸し出していた。岳太はこんなミランダを見るのは初めてだと思った。
「ミランダさん・・・?」
「・・・用事がないなら、話しかけないでね」
そう言ってミランダすっと目を細めた。
「・・・宿題に集中したいの」
「あ、うん・・・ごめん」
岳太はもう何も言うことができなかった。
それからは静かに時間が流れた。
いつになく宿題に集中しているミランダだったが、今までのように安易に岳太に漢字の意味を訊ねることもなく、わからない言葉をひとつひとつ丁寧に辞書で調べていた。岳太はそんなミランダの様子をチラチラと見ながら考えていた。
おかしい・・・ミランダの様子がおかしい・・・僕が何かしたのかな? ・・・ミランダを怒らせるようなことを・・・いや・・・これって怒っているのか・・・?
ミランダの顔はずっと涼しげだったし、どちらかというと目元も穏やかで笑っているようにさえ見えた。
その日、ミランダの口がずっと真一文字に結ばれていた理由が岳太にはどうしてもわからなかった。




