第四章
そして世界中が大騒ぎになった。
まず日本で巨大地震が発生したことが伝えられれた。続いてこの地震によって多数の死傷者が出たことや、被害が広範囲に及んだことが伝えられた。活発な余震活動が続いていることや世界経済に与える影響なども伝えられたが、
何より大きくクローズアップされたのが『津波が消えた』ことだった。とりわけインターネットやSNSではこの話題でもちきりになった。約三百年ぶりに復活した魔法は、世界中の誰にとっても魅力的でエキサイティングな話題となっていた。
一方、日本国内はそれどころではなかった。
震源に近い地域を中心に建物が倒壊したり道路が寸断されたりした。電気や水道・ガスなどのライフラインも停止していたし、鉄道や空港・港湾施設の被害も甚大だった。被災地では品不足やガソリン不足も始まっていたし、地盤沈下や液状化による二次被害、治安悪化による犯罪の増加など、とにかく問題は山積みだった。
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「お風呂入りたい、シャワー浴びたい」
というのが最近のミランダの口ぐせだった。岳太に言わせれば一週間くらい風呂に入らなくても死なないと思うし、夏なのだから海や川で水浴びしてくればいいと思うのだが、ミランダの怒りを買いそうなので余計なことは言わなかった。
二人の住む地域は地震の二日後には電気が復旧していたが、水道とガスは止まったままだった。水道は給水車を利用して急場をしのいでいるが、今のところ都市ガスは復旧の見通しは立っていない。それでも二人の家族や住居等にも被害はなかったし、父親たちも地震の翌日には通常通りに仕事に出かけていった。余震活動が活発なのが気がかりではあったが、解除された津波警報が再び発令されることはなかった。
そして地震から三日後。
二人はその日の午後からミランダの家で宿題を再開していた。
「ま、宿題やってる場合じゃないよね~」
岳太がリビングのカーペットに寝そべりながら言った。ミランダは今回の地震で思うところがあったようで、夏休みはニュージーランドに帰らないことに決めたらしい。それなら宿題を急ぐこともないのである。
「僕、寝不足なんだよ」
電気が復旧すると岳太は自分のノートパソコンを使ってネットの情報を調べ始めた。地震の後に何が起きたのかを知りたかった。自分たちが情報から遮断されている間の出来事を、ニュースサイトや掲示板、個人のブログや各種SNSなどを見て調べていたのだが、あまりにも熱中し過ぎて夜更かしになってしまった。
「あたしも調べたいことはあるんだけど・・・日本語のサイトは難しいからやめた」
ミランダはニュージーランドのサイトを中心に、英語圏のニュースサイトを調べているらしい。外国から見た客観的な震災の記事を読んでいるのだが、だからこそミランダは納得がいかい。
「みんな浮かれ過ぎなんじゃないの? ・・・あたしはこういう騒ぎは好きじゃないな」
「そうは言っても、皆が騒ぐのは仕方がないよね・・・これで盛り上がらない人のほうが珍しいくらいだよ」
「あたしはやっぱり何かが違うと思うな。確かに津波はこなかったけれど、それでも地震で被害にあった人は大勢いるのよ?」
ミランダは世間の風潮に疑問を感じていた。今回の地震で大変な思いをしている人はまだまだ大勢いる。その一方で魔法の話題で盛り上がっている人も大勢いる。ミランダはこの温度差はなんなんだろうと思っていた。
そんなミランダを岳太がなだめた。
「地震被害が最小限ですんだ、って考えられないかなあ? もし津波がきていたら、僕らはこんなに呑気ではいられないよ」
「そんなに簡単には・・・割り切れない」
ミランダは正義感が強くて真面目だ。今さらながら普通の生活を送れることに感謝している。岳太が言うように津波がこなかったからこそ、今こうしていられることは理解している。津波を食い止めた魔法が話題になって祭り上げられる理由もわかる。しかしミランダは機会があれば震災ボランティアにも参加したいと思ったり、こういう時期にお洒落をするのは不謹慎だと思ったりするなタイプなので、この時期に浮かれている人の無神経さが信じられなかった。
「あたしは皆に、もっと空気を読んで欲しいのよね」
「だけど起こってしまった大地震は僕らにはどうすることもできないよ。これってタイムマシンがあっても止められないよね? ・・・僕は素直に魔法に感謝するけどななあ」
「あたしだって魔法には感謝しているわよ・・・それで皆が救われたんだし」
「それで充分なんじゃないの? 僕らがすべきことは、普通の生活を取り戻すことだと思うんだけどね」
「・・・お祭り騒ぎをすることが普通の生活なの?」
「だって実際に海外の反応はそうなんでしょ? ミランダは向こうのニュースを見てそう感じたわけだし」
「・・・・・・」
「こういうのは割り切って考えたほうが楽だと思うけどなー」
もともと岳太は今回のことで浮かれている側の人間である。三百年ぶりに復活した魔法に興味があって当然だと思っている。なんといっても自分の住んでい地域で魔法が復活したのだから、これでワクワクするなという方が無理だった。
「あ、そういえば・・・」
横に転がっていたクッションを枕にしながらた岳太が言った。
「自称・魔法使いのブログがあったよ」
「は?」
「たぶん偽者の魔法使いだと思うけど、けっこうネットで話題になっていたから読んでみたんだ」
それを岳太が説明する。
県内の某神社に旅行にきていた女子大生が、その神社で地震に遭遇したらしい。沿岸部の高台にあるその神社には、付近の住民が続々と避難していた。その様子を見ていた女子大生はとても悲しい気持ちになったという。すると女子大生の内側から、今まで感じたことのない力が漲ってきた。そこで神社の境内でお祈りをしたところ、そのタイミングでカラスが海に向かって飛んでいったらしい。すると、あら不思議・・・なんと津波は消えてしまったのです・・・めでたし、めでたし・・・。
女子大生はそのことをブログに書いたのだった。
「思い込みの激しい人って困るよね」
岳太が一刀両断した。
「誰だって津波がこないことを祈るに決まってるし、きっとその場にいた人たちだってそう願っていたと思うよ。問題なのは『これは神社のご利益かもしれない』って考えるんじゃなくて『私が津波を止めたかもしれない』って勘違いする図々しさだよね」
岳太は苦笑しながら「平和で何よりだよね」と皮肉たっぷりに付け加えた。どうしてそんなブログが人気になるのか岳太にはわからなかったが、世の中にはパワースポット好きの人間が多いのかもしれない。岳太はミランダならこういう変人の話を聞けば「浮かれすぎっ!」とか言って怒るのだろうと思った。今まさにそういう話をしたばかりなのだから、当然と言えば当然だ。
しかしミランダの反応は岳太の予想とは違っていた。
「へえ・・・それってどこの神社なの?」
「・・・ん?」
「ここから近いの?」
「さあ・・・どうだったかな」
なんとなく嫌な予感がしたので岳太は曖昧に返事をした。ついでに寝返りを打ってミランダに背を向けた。
神社そのものは有名な神社だったし、市の中心部から電車で三十分ほどのところにある。しかし岳太は急に何も知らない人になった。
「そのブログ、あたしにも教えてくれない?」
「・・・漢字の多いブログだからミランダには難しいんじゃないかな」
「大丈夫。これも勉強だと思えば読める」
「・・・家に戻って調べてみないと、どこのサイトかわからないよ」
「うちのパソコンを使えばいいよ。あたし、その神社のことを知りたいな」
「・・・そういうのって不謹慎じゃない?」
「割り切れって言ったのは岳太でしょ? あたしは今日からやわらか頭になったのよ」
ミランダは完全に神社の話に食いついていた。どうやら岳太の思惑とは違い、ブログの話はミランダの趣味嗜好に合致したらしい。ふと思い返してみると、以前にミランダが魔法の話をしていたことがあった。故郷にあるマオリ族の聖地の話とか、母親の病気を治すために木の実を拾いにいった話とか、そんな話を聞いた覚えがあった。
「ちょっと待ってて・・・父さんの部屋からパソコンを持ってくる」
ミランダはそう言ってリビングを出ていった。岳太はその背中を見送りながら「面倒臭いことにならないといいなあ」なんて思っていた。真夏の太陽が降り注ぐ神社の石段を汗だくになりながら登らされている場面を想像して、さすがに岳太も気が滅入っていた。近所のフェリーターミナルならいざ知らず、わざわざ階段登りに出かける根性は岳太にはなかった。
しかし岳太が考えていたような面倒臭いことにはならなかった。
「・・・ブログが削除されてるね」
テーブルに乗せられたノートパソコンの前で岳太は首を捻っていた。
「おかしいなあ・・・確かに昨日の夜まではここにあったのに」
ミランダを騙すつもりで芝居をしているのではなく、本当にそのブログは削除されていた。そのブログは頻繁に記事が更新されるようなブログだったし、開設してから数年経っていて記事も多かったはずだ。昨夜読んだ時にはブログ移転の報告もなかったし、急にブログを閉鎖する理由がわからなかった。
「あたしの苦労はどうしてくれるのよ?」
「・・・他のサイトに何か情報があるかもしれない・・・調べてみる」
ノートパソコンを運んでくることにどれだけ苦労したのかは不明だが、ミランダの目が笑っていなかったので岳太は素直に仕事を始めた。ミランダの無言のプレッシャーに耐えながら他のブログや掲示板などを調べているうちに、岳太はある情報サイトに辿りついた。
岳太はそこで作業の手を止めると、パソコンの画面を見ながら顔をしかめた。
「・・・これは、ひどいなあ」
そんな岳太の反応を見て、ミランダも少し心配そうに訊ねた。
「・・・どうしたの?」
「消えたブログの作者のことらしいんだけど・・・」
岳太はパソコンの画面を見ながら、言いようのない気持ち悪さを感じていた。
「・・・その女子大生の個人情報が晒されてる」
そこには『魔法使いの履歴書』というタイトルで女子大生の氏名や生年月日・現在通っている大学と出身高校、それに本人と思われる写真が載っていた。写真も一枚だけではなく、最近のものと思われる私服の写真から数年前の制服姿の写真まであった。
ミランダもそれを見て気分が悪くなった。
「ねえ・・・これって一体なんなんなの? ・・・誰がこんな酷いことをするのよ・・・?」
正義の人・ミランダは世の中にこんな酷いことをする人間がいることが信じられなかった。
岳太も困ったように首を振った
「理由はわからないよ・・・本当のところはわからないけど・・・芸能人が写真誌に追いかけられるのと同じ理屈かもね。ネットで目立ったせいでストーカーに狙われたのかもしれないし」
「・・・なんか気味悪いわね」
「時期が悪かったかもしれないなあ・・・今は世界中の人聞が魔法の情報を探し回っているからね」
もともと女子大生が世間から注目されるようになった理由も魔法なのだから、ある意味それは当然なのかもしれない。この書きこみが真実かどうかはわからないが、魔法使いを名乗っただけでこんな目にあうのはナンセンスだと思った。岳太はネット社会の恐ろしさを感じていた。
「・・・だけど逆に考えれば、有名になりたい人は『私が魔法使いです!』って宣言すればいいんだよね」
岳太の言葉を聞いたミランダは身震いした。
「そんなことをしたら怖くて外を歩けなくなる・・・」
「でも、それがきっかけでアイドルになれるかもしれないよ?」
「馬鹿じゃないの! 怖い思いをするかもしれないのに・・・なんで有名にならなきゃなんないのよっ」
ミランダには目立ちたい願望がないので、そういう感覚があまりよく理解できない。目立たないようにしていたのに苛められるようになったことで、尚更そう思うようになったのかもしれない。
げんなりしたようにミランダが言った。
「とにかく・・・なんか、もう・・・凄く嫌なものを見せられた気分だわ」
「ちょっとしたホラー映画より、人間がやることのほうが怖いよね」
「こういうことをする犯人なんて、さっさと捕まればいいのに」
「犯人か・・・よいしょ」
ひと仕事終えた岳太はそう言って床に仰向けに寝そべった。再びクッションを枕にして天井を見上げる。そしてブログ騒動についての別の推理を口にした。
「・・・ブログを削除したのは女子大生じゃなくて、第三者の可能性だってあるよね」
「うわっ・・・また気持ち悪いこと考えちゃった」
思わずミランダが身をすくめた。それから恐る恐る岳太に訊ねる。
「・・・でも、そんなこと勝手にできるの?」
「パスワードさえわかれば誰でもログインできるからね・・・たとえばハッカーみたいな人がいたら、個人のセキュリティなんて簡単に破れるかも」
「それって犯罪でしょ?」
「もしも本気で魔法の手がかりを探している人がいたら、どんな手段だって使うんじゃないかな」
自分でそんなことを言いながら、岳太も少し怖い想像をしていた。
岳太が調べただけでもかなりの魔法情報がネットに溢れていた。その情報の真偽はともかくとして、それだけ大勢の人が魔法に興味を持っていることは事実だった。先ほどのミランダでさえそうなのだから、行動力のある大人が魔法を探し始めたら何をしでかすかわからない。それはパワースポット巡りや埋蔵金探しとも違う、新しいタイプのハンティングなのかもしれない。そこで獲物になるのは日本で蘇った魔法だった。それが行き過ぎれば現代の魔女狩りとか魔女裁判のようなことになるのではないだろうか? 今回のブログ騒動はその始まりに過ぎないのかもしれない。
ほんの数日前なら考えられないような出来事が起きていた。巨大地震が発生したこともそうだし、魔法が復活したことだってそうだ。魔法が多くの人を救ったことは事実だが、これから先もそうであるとは限らない。
魔法はまだ復活したばかりで、誰もその実態を掴んでいないのだ。
「・・・ま、でも僕らに魔法なんて関係ないけどね」
とはいえ岳太は楽観的だった。
おそらく魔法に関わる人間なんて、世の中のほんのひと握りでしかない。そんな大それた事態に普通の小学生が巻き込まれるわけがないのである。
岳太もこの頃はだいぶお気楽だったし、まさか自分たちがそのとんでもない騒動に巻き込まれるようになるとは夢にも思っていなかった。
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元来、魔法は未知の現象である。
それでも現代で魔法が信じられている根拠のひとつとして、世界中に残されている歴史書の存在がある。古今東西どの国家・人種・宗教・文明においても例外なく『魔法』という謎の力が記述された文献があった。それは三百年前に魔法が世界から消えるまで続いていたし、どの年代の書物にも未知なる力の記述は残されていた。奇しくもそれが途絶えた十八世紀に産業革命が起こり、ヨーロッパを中心に科学が発展したのは皮肉な結果だった。前時代に活躍した魔法文明と入れかわるように新時代の科学文明が台頭し、それが結果として現代社会の礎となった。
もし魔法が絶滅せずに残っていたならば、今の現代社会はもっと違った世界になっていたのかもしれない。
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地震から一週間ほど経過した。
道路網の復旧に伴い物流も少しずつ回復していた。スーパーやコンビニの品不足も解消され始めていたし、被災地ボランティアに参加する人も増えていた。夏休み期間ということもあって多くの若者が被災地を訪れるようになっていた。
しかしそのボランティアに関して不思議な現象が起きていた。どういうわけかボランティアが集中する地域に偏りが出ていたのである。もちろん被害の大きかった地域や交通の便の良い都市部に人が集中するのは当然だが、それだけでは説明できない事例も多くみられた。そういう地域のボランティアセンターでは応募者殺到に嬉しい悲鳴をあげつつも、その不可解な現象には首を捻るばかりだった。
その問題に対して岳太が解説した。
「こないだの、削除されたブログに書いてあった神社の場所・・・その地域でボランティアが殺到しているんだってさ」
岳太がネットで調べた結果、そういう事実が判明した。
「ま、簡単に言えば、魔法に興味のある人がご利益目当てに集まったみたいだよ」
それを聞いたミランダは「動機が不純だ!」と言いたいところだったが、自分にも思い当るフシがあるので何もコメントできなかった。
そんなミランダを尻目に岳太が続ける。
「魔法伝説が残っている神社とか名所とか・・・そういう史跡の所在地にボランティアが多いみたいだね」
被災地によってはライフラインの復旧が遅れている場所もあるし、鉄道もほとんど再開されていなかった。そんな状況の被災地を観光気分でのんびり歩くわけにもいかず、かといって今が旬の魔法ブームには乗り遅れたくない・・・あわよくば自分も魔法使いになりたい・・・いや、もしかしたら魔法使いになれるかもしれない・・・そんなファンタジックな妄想を抱いた人間が、善意の仮面をかぶって被災地ボランティアに訪れているのではないか? ・・・あくまで一部の人間に限定された話ではあるが、そう考えるとボランティアのミスマッチにも説明がつくのだった。
「それで魔法使いになれるのなら、あっという間に魔法使いだらけになりそうだね」
そう言って岳太は笑った。それから岳太はボランティアが殺到している地域と、そこにある史跡の名称を挙げながらミランダに言った。
「電車が動くようになったら、僕らどこかに行ってみようか?」
「そんなの・・・行くわけないじゃない」
むっつり顔のミランダがふてくされたように言った。岳太はそんなミランダを見ながら満足そうに笑っている。ミランダは岳太に馬鹿にされているような気がしてイライラしていた。それが憎たらしいやら悔しいやら・・・ミランダは岳太の頭を引っ叩いてやりた気分だった。ミランダはそんな衝動を深呼吸しながら我慢していた。
「・・・ん?」
しかしその直後、ミランダはある事実に気付いた。岳太の話を聞いている時から違和感はあったのだが、自分に後ろめたい気持ちがあったせいでそこまで頭が回らなかった。
それはミランダの気のせいではなく、間違いなく岳太に馬鹿にされていたのだった。
「あんた・・・神社の場所・・・知ってたんじゃない!」
だからミランダは岳太の頭を思い切り引っ叩いていた。




