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君の魔法をたべたい、は。  作者: 偽ゴーストライター本人
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第二章

 近くの港に豪華客船が来るらしい。

 岳太はそのニュースをテレビで見て知っていたが、まさかミランダがその豪華客船に興味があるとは思わなかった。だからミランから船を見に行こうと誘われた時には驚いた。

「ミランダって船とかに興味あるんだ?」

「なんとなく・・・急に・・・船を見たくなったの」

 岳太の質問にミランダはきちんとした理由を言わなかった。変な話だとは思いながらも岳太はそれ以上のことは聞かなかったし、なんとなくミランダに押し切られる形で船を見に行くことになった。

 そして数日後、梅雨入り前の貴重な晴れの日。

 学校を終えた二人は港のフェリーターミナルへと向かった。二人の住む住宅街から港までは歩いて三十分ほどの距離だったが、運動嫌いの岳太が歩くのを渋ったために路線バスを使うことになった。それほど多くない港へのバスを待つよりも歩いて港に向かった方が早いのだが、そこは言いだしっぺのミランダが折れることになった。しかしミランダは『帰りは絶対に歩かせる!』と心に誓っていたし、もし言うことを聞かなければ岳太は置いて帰ってこようと思っていた。

 そんなこんなで二人が港に着いたのは午後四時半を過ぎた頃だった。

 港の埠頭に停泊していたのはイギリスの船会社が所有する豪華客船で、全長約三百メートル、十二階建てのデッキを持ち二千人あまりが乗船する長距離クルーズ船だった。南半球からイギリスへと向かう船旅だったが、今回のクルーズは寄港地が多いのが特徴らしい。時間をかけて世界を巡るというのが旅行プランのようで、優雅で贅沢に時間を使う船旅というもコンセプトだという。そのため日本国内でもいくつかの地方港に立ち寄ることになっていて、滅多にお目にかかれない豪華客船に地元メディアも大きく取り上げていた。

「あれ~? ・・・なんか、あたしのイメージと違う」

 しかしそんな豪華客船を見たミランダの第一声がそれだった。それは明らかに期待外れを思わせる口ぶりで、話題の船を目の前にした人聞が言うコメントではなかった。思わず岳他が首を傾げた。

「なんなのイメージって? 船だって大きいし立派じゃない」

「あ~・・・うん・・・そうなんだけど」

 ミランダが港の周囲を見回しながら小さくつぶやいた。

「人が少ない・・・」

 実際に埠頭には人影もなく、おそらくミランダたちを含めても十人いるかいないかだった。閑散とした港に豪華客船だけがドンと居座っている様子は確かに地味な絵柄ではあった。そういうロケーションの観点からすれば岳太もミランダが拍子抜けする気持ちはわかる。

「時間帯のせいじゃない? テレビ局は午前中に取材してニュースにするだろうし、一般の見物客も夕方になれば帰るよ」

 二人が訪れた時間帯には港を発着するフェリーもなかったし、会社帰りの見物客が訪れるにもまだ早い時間だった。

「僕は人が少ないほうが見やすいと思うけどなあ」

 そう言いながら岳太は横目でミランダの様子を伺った。ミランダは目の前にそびえ立つ船体を首を反らして見上げている。

「うん・・・そうかもね・・・ゆっくり見れるよね」

 そう口にするミランダの顔は心なしか寂しそうだった。それを見て岳太は不思議に思っていた。船を見るのを楽しみにしていたのはミランダのはずなのに、そのミランダの機嫌があまり良くない。さすがにミランダがハイテンションで港を駆け回る姿を想像していたわけではないが、こんなに感動の薄いミランダを見るとは思わなかった。とはいえ岳太はミランダに連れてこられただけなので、別にそこまでミランダの心配をする必要はなかった。

「・・・僕、他のところも見てくるね」

 ミランダを心配する必要はないのだが、岳太は売店に行って二人分のジュースを買ってこようと思った。もちろん岳太の奢りだ。岳太は港に来るまでの道中で、自分がゴネたことを少し引け目に感じていた。そのせいで港に到着する時間が遅れたことも事実だった。岳太はミランダと仲良くなる過程で『ミランダの機嫌を損ねない方が平和に過ごせる』ということを学んでいたので、今から帰りのことも考えて御機嫌伺いをしておこうと思った。事の成り行きによっては岳太だけ港に置いてけぼりにされる可能性だってありえた。

 一方のミランダは岳太がその場からいなくなったことも気にせずに、ただぼんやりと船の甲板を見上げていた。自然と口が半開きになっていたが、ミランダはそんな自分にさえ気付いていない。

 ミランダはそこで自分の考えの甘さを痛感していた。

 あたしは・・・何を期待していたんだろう?

 もともとミランダは船に興味があったわけではない。豪華客船のニュースを見た時もそれほど関心を持たなかった。近くの港に大きな船が来るのか、くらいの感想でしかなかった。しかしその船の出港地がニュージ-ランドだと知ると、急にその船のことが気になり始めた。それは単なるホームシックだったのかもしれない。それからミランダは豪華客船のことをネットで調べるようになったし、クルーズ内容を見ながら空想をするようになった。自分の知らない航海の日々を思い描いてワクワクしていた。

 しかしそれは所詮、ミランダの妄想でしかない。実際にミランダが港にきたところで、そこで何かが起こるわけではなかった。ニュージーランドから来た船だからといって知り合いが乗っているわでもなかったし、これからミランダが船に乗るわけでもない。ミランダもそれがわかっていたからこそ船を見にくる理由を岳太に言えなかったし、一人でそんな寂しい思いをするのが嫌だから岳太を誘ったのだ。つまりミランダは何も起こらないことを知りながらも、何かを期待せずにはいられなかったのだ。

 ミランダは小さく溜め息をついた。

 まあ、あたしの妄想なんてそんなもんよね・・・。

 それでもこうして港に足を運んだことは正解だと思った。何も起こらないことがわかっただけでも逆にスッキリした。後になって『やっぱり行けばよかった』なんて後悔するよりはずっと前向きになれた。

 こうしてミランダは自分の気持ちに一応の区切りをつけたのだが、こうなると何もすることがなくて困ってしまった。だからといって「もう帰ろう」と岳太に言うのはさすがに気まずかった。まだ港にきたばかりだったし、なんといっても誘ったのはミランダの方なのだ。

 ミランダはコンクリートの地面を歩きながら「さて、どうしたもんだろう?」なんて考えていた。とりあえず自分の歩幅で船の大きさ体感するくらいのことしかやることがない。ミランダは船の横幅に沿って歩く自分に物悲しさを感じずにはいられなかった。

「ん?」

 と、ミランダは足を止めた。ふいに誰かの視線を感じたのだ。ミランダは岳太が戻ってきたのかと思って周囲を見回したが、どこにも岳太の姿はなかった。港にいる数少ないギャラリーにもミランダを気にしている人はいないようだった。不審者よろしく周囲をキョロキョロ見回していたミランダだったが、やがて自分の視点を水平から垂直に変えた。

 もしかして船の中の人?

 そう思ってミランダは豪華客船を見上げた。

 その瞬間だった。

「うわっ!」

 ミランダは思わず声をあげていた。

 風が吹いた。

 誰も予測していなかった突風だった。

 風は一瞬で埠頭に砂塵を巻き上げると、塵旋風の名の通りにつむじ風となって港を駆け抜けていった。あまりにも突然のことで埠頭にいた人々も驚いていた。風に帽子を飛ばされないように押さえる男性もいたし、悲鳴をあげてスカートの裾を掴んだ女性もいた。

 そして風が過ぎ去った後、その場で身をすくめていたミランダはゆっくりと全身の緊張を解いた。ミランダは普段からジーンズを愛用している自分を少しだけ誇りに思った。遠くで新聞紙がコンクリートの埠頭を滑っていく。ミランダは勢いよく転がっていく遠くのペットボトルを気にしながら、それでもようやく落ち着いてひと息ついていた。

 今の風には驚いたな・・・なんてミランダが思った、次の瞬間だった。

「あ」

 と、ミランダは再び声を出していた。

 空中をハンカチが舞っていた。

 冷たい潮風に弄ばれるように、水色のハンカチがミランダの上空に踊っていた。急に視界に入ってきた水色のヒラヒラにミランダは反応した。もともと背が高いうえにミランダは運動神経も悪くなかった。ハンカチが頭上を通過する瞬間、ミランダは思いっきりジャンプしていた。 

 ナイスキャッチ!

 人生で一番高く飛んだのではないかと思うくらい高く飛んだミランダは、空中でハンカチを握りしめていた。思わずガッツポーズをとりたいミランダだったが、さすがに一人でそれをやる勇気はなかった。

 ミランダはハンカチのしわを両手で伸ばしながら、今のファインプレーを見た人がいないか周囲を見回してみた。しかしミランダの雄姿を見ていた人は一人もいないようだ。

 なんでこういう時に岳太がいないのよっ!

 幻と消えた最高到達点にイライラしながらも、ミランダはハンカチの持ち主を捜そうと思った。ハンカチの飛んできた方向から考えて、ミランダは改めて船の甲板を見上げた。

 あ・・・たぶん、あの人だ・・・。

 そこには一人の老婦人の姿があった。それは上品な雰囲気を持つ老婦人で、年齢は若く見積もっても七十歳は超えていそうだった。どうやら婦人はミランダのジャンプを目撃していたようで、小さい拍手をしながら笑顔でこちらを見ていた。それからミランダが自分を見ていることに気付いた婦人は、今度はミランダに手を振ってみせた。ミランダが手を振り返すと婦人は満面の笑みを浮かべ、身振り手振りで「私」「下」「行く」というジェスチャーを送ってきた。そして婦人は甲板から姿を消した。

 タラップから港に下りてくる婦人の姿を見ながら、ミランダはなんとなく母親のことを思い出していた。もちるんミランダの母と婦人の年齢はだいぶ違っているが、上品な佇まいとか優しい笑顔とかがミランダに母の面影を思い出させていた。

「ハンカチを拾ってくれてありがとう」

 婦人はミランダからハンカチを受け取りながら流暢な英語でそう言った。後ろでひとつに編まれた婦人の髪は白髪だったが、昔は相当な金髪美人のはずだった。

「いいえ・・・あれは運が良かっただけの、まぐれです」

 ミランダは笑顔でそう答えた。久しぶりに口にする英語にどこか安堵感を覚えていた。

「素晴らしいジャンプだったわ」

 婦人はそう言いながら周囲を見回した。

「あら? ・・・さっき一緒だった年下の男の子は、どこに行ったのかしら?」

「あ~、さっきから行方不明なんです」

 婦人が岳太のことを『年下の男の子』と言ったことに笑いをこらえながらミランダが答えた。

「さっきの風で転んでなきゃいいけど・・・」

「まあまあ・・・面倒見のいいお姉さんなのね」

「言うことを聞かない子なんで、あたしも困ってます」

 しらっとそう言ったミランダに婦人は「あらまあ・・・大変なのねえ」と同情してくた。婦人は岳太がいないことを残念そうにしながらもミランダと立ち話を始めた。

「船の旅って、刺激が少なくて退屈なのよねえ・・・」

 婦人は溜め息混じりにそう言った。それから自分がハンカチを手放すまでの経緯を話し始めた。婦人は結構なお喋り好きのようで、自分のことも楽しそうに話す人だった。

 婦人は豪華客船がこの港に着いてからも、ずっと暇を持て余していたのだった。夕食までの退屈な時間も船室の窓から外を眺めているだけだった。しかしそんな時に背の高い女の子と背の低い男の子が港に現れた。。まあ、なんて面白そうなカップルなのかしら? 思わず婦人は窓にキスをしそうになったという。女の子の外見は西洋人なのに男の子は東洋人だし、女の子は美人なのに男の子はユーモラスな外見をしているし、女の子が白雪姫だとしたら男の子はまるで毒リンゴ・・・この凸凹コンビはなんなのかしら? 楽しそうだから話をしてみたいわ・・・と思って船の外に出てきたという。そうして甲板から港を見下ろしたらそこに二人の姿はなかった。先ほど立っていた場所から少し遠くを女の子が歩いていて「あら帰ってしまうのかしら? ・・・残念だわ」なんて思ったところで急に風が吹いたらしい。婦人はそこで手に持っていたハンカチ風にさらわれてしまったのだという。

 ミランダも最初は婦人の話に相槌を打つだけの聞き役だったが、すぐにミランダも自分の話をしたくなっていた。せっかくの機会なので思いっきり英語でお喋りをしようと思った。祖母と曾孫くらいに年齢の違う二人だったが、二人の会話は友人同士のように弾んだ。傍目には本当の家族のようにも見えたかもしれない。

 そんな楽しいひとときも、婦人の孫娘らしき女性がタラップを下りてきたことで幕を閉じた。

「あらあら・・・私のお目付け役が迎えにきたようね。怒られる前に戻らなきゃ」

 婦人はその女性に気付くと悪戯っぽい笑顔でミランダにウィンクして見せた。

「ん~、もう・・・名残惜しいなあ」

 ミランダはそう言いながら埠頭の周囲を見回した。

「・・・それにしても岳太のやつ、こんな時にどこをほっつき歩いてんだろ」

「ふふふ・・・喧嘩しないで仲良くね」

 最後にそんなやりとりがあって二人は別れた。

 女性に手を引かれながら船に消えていく婦人を見送りながら、ミランダは自分もああいう素敵なお婆ちゃんになりたいと思っていた。そして久しぶりに心ゆくまで英語を話せたことにも満足していた。そういう意味では岳太がいないことがかえってよかったのかもしれない。

 そんな都合のいいことを考えていたら、岳太が遠くからこちらに戻ってくるのが見えた。今まで何をしていたのか気にならないでもなかったが、ミランダが岳太に文句を言うことはなかった。もちろん岳太が奢ってくれたジュースの氷が全部溶けていたことも気にしなかった。

 そのかわりに今日の楽しかった話の内容を、ひとつも岳太に教えない意地悪をするミランダなのだった。

  

    ★

 

「今日は体調がいいのよね」

 豪華客船のVIPルームに戻ってきた婦人は、迎えにきた女性に機嫌よさそうに言った。

「とても楽しい時間を過ごせたし、五十歳は若返ったわ」

「会長・・・お願いですから、外に出るなら誰かに声をかけて頂かないと・・・」

 そう言って秘書の女性は渋い顔をした。しかし婦人は孫くらいは年の離れた秘書に茶目っ気たっぷりに言った。

「気分のいい時に行動しないでどうするの? ぐずぐずしていたら楽しいことが逃げちゃうかもしれないでしょ?」

「会長が勝手に部屋から逃げ出したたせいで、私たちは大騒ぎになりましたけれど?」

 秘書はそう言って首を大きく左右に振った。それからいくつかの小言も付け加えたかったが、秘書もそれはなんとか我慢した。いくら自分の会社の船だからといって好き勝手に動かれては社員が困るのだった。今回のクルーズが会長立案によるものだったとしても公私混同はよくない。これは会社にとってはビジネスであり、お客様から料金を頂く旅客サービス業なのである。秘書は色々と言いたいことを呑みこみすぎて、そのうち胸やけで倒れるかもしれい。

「みんな私のことを年寄り扱いするけれど、私だって本気になればバレーでスパイクを決めるくらいは飛べるのよ?」

 よくわからない自慢を始めた会長を見て秘書は不思議そうに首を傾げた。

 それでも高齢の会長が元気なのは吉報だと思った。

「何かお飲み物をお持ちしますか?」

「紅茶と・・・なにかフルーツもお願いできるかしら?」

「ご用意いたします」

 そう言って頭を下げると秘書は船室を後にした。

 船のスタッフに指示をしながら、秘書はそれでも少し安心していた。この航海が始まって以来、会長は窓の外を眺めてぼんやりする日々が続いていた。過去の航海ではもう少し社交場にも顔を出していたはずだが、外に出ないで部屋のソファーで過ごすことが多くなっていた。どこか体の具合でも悪いのではないかと思って船医にも診てもらったが問題はなかった。今までならばそれほど深刻には考えなかっただろうが、秘書は最近になって会長からこんな言葉を聞いていた。

「もし私に何かがあっても、会社は優秀な社員たちが引き継いでくれるわ・・・だから私は何も心配ごとがないのよ」

 若くして夫を亡くした会長は子供に恵まれなかった。言葉にすることはなかったが、会長は家族に対する憧れは強かったはずだ。なぜ再婚を考えなかったのか、なぜ養子縁組をして子供に会社を譲らなかったのか、その真意は不明だし会長自らがその話をすることはなかった。

 そんな会長を見て秘書は常々感じていることがある。会長は社員をとても大切にしていたし、社員も会長を慕っていた。それはある種の家族の形なのかもしれない。会長は自分と関わる人聞の全てを家族のように大切に思っているのではないだろうか? これはあくまで秘書の想像でしかなかいが、つまり会長はそれだけ愛情が深い女性であることは間違いなかった。 

 ミランダが出会った老婦人はこういう女性だった。

 

    ★

 

 翌日、豪華客船は次の寄港地を目指して出航した。

 会長は名残惜しそうに遠ざかる陸地を眺めていたという。

 その日から約一ヵ月後。 

 彼女は八十九年の生涯に幕を降ろした。急性心不全だった。

 彼女の顔に苦しみの表情はなく、

その最期は穏やかな笑顔だったという。

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