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君の魔法をたべたい、は。  作者: 偽ゴーストライター本人
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第一章

 なんで、こんなことになったんだろう?

 と、ミランダは考えていた。

 父の母国である日本にやってきて一ヶ月半、新学期から六年生として公立の小学校に通い始めて三週間。茶色いセミロングの髪と茶色の瞳を持つ少女・ミランダは、四月下旬のこの日も内心で溜め息をついていた。

 元来、ミランダは明るくて活発で人見知りをしない女の子だ。だからといって転校先の学校で自己アピールするような図々しい性格でもなく『郷に入れば郷に従え』くらいの常識は心得ていた。日本とニュージーランドの文化や国民性が違うことも知っていたし、日本はニュージーランドほど人種が多くないことも知っていた。自分がニュージーランド人の母に似て彫りの深い顔立ちをしていることも、小学生にしてはだいぶ背が高いことも知っていた。つまり日本の学校で自分が目立つだろうことはミランダも想定していたのだった。ところが・・・なのだった。

 おとなしくしていたつもりだったのになあ・・・なんでだろ?

 と、ミランダは不思議に思っている。自分が悪目立ちをしたとか誰かとトラブルを起こしたのならばともかく、そういう理由もなしにクラスの女子から急に無視されるようになってしまったのだ。ミランダには全く思い当たるふしがなかった。誰かに理由を聞こうにも、そもそもクラスメイトが話をしてくれないのだから手の打ちようがない。少なくとも新学期が始まってから十日くらいは何事もなく過ごしていたはずだった。ミランダは日本語を普通に話せたし、クラスメイトとのコミュニュケーションも上手くとれていたと思う。日本語の読み書きだけは苦手だったので、それで先生に贔屓されることはあった。しかしそんなことが理由で急にいじめにあうものだろうか? 今まで普通に話をしていた女子が急によそよそしくなったり、一部の女子がミランダを完全に無視するようになったり、他のクラスの女子までがミランダの陰口を言うようになったり。気付けばミランダに学校で話をする相手がいなくなっていた。

 さすがにミランダも先生に相談しようかと思ったが、騒ぎが大きくなって家族に心配をかけるのも嫌だった。まだ日本にきたばかりということもあるので、しばらくはミランダも様子をみようと思っていた。もちろん本心では不安だったし、寂しい気持ちだってあった。何もかも投げ出してニュージーランドに帰りたいと思うことだってあった。しかしそれを口にしたところで問題が解決するわけでもなかったし、ミランダもそんな我儘を言って駄々をこねるほど幼稚でもなかった。おそらく学校で一番背の高い女の子でルックスも大人びているミランダは、精神的にも同じ年頃の子よりは大人だった。それなりに常識もあったし、その場その場の状況判断もできる子だ。とはいえ特別に我慢強い性格でもないので学校で孤立していることへの寂しさもあったし、そんな自分を情けなく思う気持ちだってあった。いくら大人びているとはいってもミランダも普通の女の子なのだ。

 この状況がいつまで続くのか先が見えないまま、それでもミランダは今日も一人で孤独に耐えているのだった。

「おーい、岳太―っ!」

 と、そんな声が聞こえてきたのはミランダが一人で学校から帰ろうとしている時のことだった。

「お前もサッカーに混ざっていかないか~!」

 ちょうどミランダが昇降口を出たところだったが、もちろんそれはミランダを呼び止める声ではなかった。ミランダより先に昇降口を出ていた男子にかけられた声だった。声をかけた方もかけられた方も他のクラスの男子だったが、ミランダはその男子を知っていた。正確に言えば声をかけられた方の「岳太」という男の子を知っていた。

 岳太という男の子を最初に見たのは新学期が始まって間もない日のことだった。

 その日、ミランダが廊下を歩いていると、一人の男子がミランダの横を勢いよく駆け抜けていった。急に誰かが横を走っていったことにも驚いたが、何よりミランダが驚いたのはその直後の出来事だった。

 その男子は前を歩いていた別の男子に背後から飛び蹴りをくらわせたのである。

 飛び蹴りをされた男の子は前につんのめって転びそうになったが、それでも数歩よろけた程度でなんとかその場に踏みとどまった。そしてその小柄でぽっちゃりした男の子・岳太が言った。

「も~・・・危ないなあ」

 それは現場を見ていたミランダが拍子向けするくらいに緊張感のない呑気な声だった。しかも自分を飛び蹴りした相手に向かって愛想よくニコニコ笑っていた。

 ミランダはその光景があまりにも印象的だったので覚えていたのである。

 さらに数日後には岳太が飛ばした輪ゴムをぶつけられている場面を目撃したし、ほうきで頭を叩かれている場面も目撃したし、背中『僕をとんかつにして食べないでブー』という貼り紙をされているのも目撃した。おそらく六年生で一番背が低い男子であろう岳太はミランダとは逆の意味で目立っていたので、六年生のテリトリーで岳太を見かける機会は多かった。そんな岳太はいじめられている時でもニコニコしていることが多かったし、正直なところミランダはそんな岳太を見るたびにイライラしていた。心の中では『男のくせに、なんて情けないヤツなの!』なんて思いながら怒りも感じていた。もちろんいじめる側の男子にも腹を立てていたのだが、何も言い返さずにヘラヘラ笑っているだけの岳太にも同じように腹を立てていたのだ。

 ところがその数日後、ミランダはある変化に気付いた。

 あれ? あの男の子、みんなと楽しそうに話をしている・・・?

 それは六年生が学年集会で体育館に集まった時のことだった。集会の途中、配られた資料に不備があったとの理由でちょっとした空き時間ができた。子供たちはその場に腰を下ろして再開を待っていたのだが、次第に周囲の友達とお喋りをするようになった。先生も特に注意をしなかったので、やがて子供たちは座っている場所からよそに移動するようになった。ミランダはその時に岳太の変化に気付いたのだった。小さい身長のせいで列の先頭にいるはずの岳太が、いつの間にか列の後方のグループに加わっていたのである。数日前に廊下で飛び蹴りをされていた岳太が、おそらく蹴ったであろう男子グループに混じって談笑しているのである。岳太は自然と話の輪に溶け込んでいるようだったし、無理して仲間に加えてもらっている感じでもなかった。とにかくこれがミランダには不思議だった。もちろん先生のいる場所で男子が岳太をいじめるはずもなかったし、岳太もそれを承知で話の輪に入っていたのかもしれない。しかしそれでもミランダには男子のそういうところがよく理解できなかった。ミランダはその様子を横目で見ながら『男の子って不思議だなあ』なんて考えていた。

 そしてミランダは今になって改めて気付いたのだが、その日以降に岳太がいじめられている姿を見たことがなかった。どういう理由かは不明ながらも、岳太はクラスの男子と仲良くなっていたのだった。

 それと同時にミランダは、自分の現状を思い出して悲しい気分になっていた。岳太と自分とを比較して惨めさも感じていた。この男の子は友達からサッカーに誘われるようになったのに、なんで自分はみんなから無視されるようになったんだろう? ・・・なんて考えると情けなくて恥ずかしい気持ちにもなった。

 同級生の誘いを断って帰路に着く岳太の背中を見つめながら、ミランダは唇を噛み締めていた。

 あたしとこの岳太っていう男の子とでは何が違うんだろう・・・?

 ミランダは今の自分がどうしようもない人間に思えてきて嫌になった。惨めだ、とも思った。誰からも相手にされない自分がみっともなかったし、友達から誘われた岳太を羨ましかった。ミランダは岳太をのことを妬ましく思っていた。

 それと同時にミランダは岳太に対する怒りも感じていた。いつもヘラヘラ笑っているこの男の子がとても憎たらしく思えた。もともと岳太を快く思っていなかっただけに、そんなミランダの苛立ちはどんどん増していった。その感情のぶつけどころのなかったミランダは、せめてもの腹いせに心の中だけでも岳太に悪態をついてやった。

 なんなのよコイツ! 今までいじめられていたくせに! 急に人気者になったつもりなのっ! ・・・背も小さいし・・・ポッチャリしてるし・・・なんなのよっ! ・・・もう・・・コイツ・・・なんで・・・なんで、こんなに歩くのが早いのよ!

 別に一緒に帰るつもりもなかったが、住宅街を早足で歩いていく岳太にミランダはイライラしていた。背が高くて歩幅の広いミランダが普通に歩いても、岳太の背中は少しずつ遠のいていった。ミランダは歩く速さでも学校生活でも自分が岳太より劣っているとは思いたくなかった。そんなミランダの対抗心はすぐに岳太に対する怒りへと変わり、やがて岳太のどうでもいいようなところにまでイライラし始めた。岳太が自分と同じ通学路を歩いていることにもイライラしたし、自分と同じ青いジーンズを履いていることにもイライラしたし、岳太が短髪で寝ぐせの悩みが無さそうなことにもイライラしたし、岳太の黒いランドセルに太陽が反射してテカっていることにもイライラしたし、今日は風が冷たいことにもイライラしたし、こうやって岳太と張り合っている自分の馬鹿さ加減にもイライラした。その後、幹線道路との交差点で岳太が信号待ちをした時には「あ、これで追い越せるかもしれない」と思ったミランダだったが、そのタイミングで信号が青に変わった時にはイライラを通り越してかなりムカついていた。そしてミランダは本能的に「あたし、コイツのことが嫌いだわっ!」なんて思うようになっていた。

 そんな八つ当たり気分を抱えながら歩くこ数百メートル、ミランダは自宅マンションの近くまで歩いてきていた。

「・・・え?」

 と、思わずミランダはそこで足を止めた。

 ミランダが住んでいるマンションは百世帯以上が入居する十二階建てのマンションなのだが、なんと岳太がそのマンションに入っていったのである。それを見た瞬間、ミランダはその場から動けなくなってしまった。ミランダの脳裏をよからぬ考えがよぎったのである。このままマンションに入るとエレベーターホールで岳太と顔を合わせるかもしれない。そうなると同じエレベーターに乗らなければならなかったし、あの憎たらしい顔を間近で見ることになってしまう。

 と、しかし冷静に考えればミランダが岳太を避ける理由はなかったし、本来のミランダの性格からいえば「同じ学年だよね?」なんて気軽に声をかけるはずだった。おそらく引っ越してきたばかりのミランダならそうしていただろうが、今のミランダにはそれができなかった。それはミランダを取り巻く環境の悪さと、それに対するミランダの気持ちの問題だった。

 あたし・・・何やってんだろ・・・。

 少し時間を置いてからマンションに入ったミランダは、敢えてエレベーターの前を通り過ぎると奥にある階段に向かった。エレベーターを使って万が一にでも岳太と顔を合わせるのは嫌だった。もしかしたら下りエレベーターで降りてくる岳太と鉢合わせするかもしれなかったし、もしかしたら上に行くエレベーターに岳太が途中の階から乗り込んでくるかもしれなかったし、もしかしたら階数ボタンを押し忘れた岳太がエレベーターの中でぼーっと突っ立っているかもしれなかった。

 こうなると完全に被害妄想ともいえるのだが、とにかくミランダは岳太と顔を合わせたくなかった。そんな嫌な思いをするくらいなら自宅のある七階まで階段を使ったほうがマシだと思った。普段のミランダならけしてこういう発想はしなかっただろう。

 だからこそミランダは突発的な行動に出てしまった。ある意味、魔が差したといってもいい。なぜか急に「屋上に行ってみようかな」なんて考えたのだ。引っ越してきた頃に一度だけ屋上を見に行ったことがあるが、その時は扉に鍵がかかっていたので入れなかった。どうせ家に帰っても一人なのだし、このまま階段を上っていけば突きあたりに屋上の扉があるのだし、いっそこのまま屋上に行くのもいいかもしれないとミランダは思った。屋上からの景色を眺めれば少しはリフレッシュできるかもしれないと思った。

 そうしてミランダはそのまま階段を上り続け、やがて屋上へ続く扉の前までやってきた。背負ったままのランドセルが途中から重たく感じられ、家に寄って置いてくればよかったと後悔したがもう遅かった。

 軽い息切れを感じながら、ミランダは屋上の扉に手をかけた。

 と、その瞬間だった。

「そこ、いつも鍵がかかっているよ」

「!?」

 急に背後から声をかけられて一瞬、ミランダは息が止まりそうになった。慌てて声がした方を振り返ると、なんとそこには岳太が腰を下ろしていたのだった。岳太は薄暗い踊り場の隅に重ねられた赤いコーンの陰にしゃがみ込んでいる。

「僕ら同じ学年だけど、まだ話したことなかったよね?」

 妙にフレンドリーな口調で岳太がミランダに話しかけてきた。岳太は学校にいる時と同じように、人懐っこい笑顔でニコニコと笑っていた。

「あ、これ・・・リンゴ」

 そしてなぜかその手には一切れのリンゴが握らている。

「休んだ人の給食をもらってきたんだけどさ・・・君も食べる?」

 そう言って岳太はビニール袋に入っているリンゴを軽く振って見せた。しかしミランダは反射的に首を横にブルブルと振ることしかできなかった。とにかくミランダは今のこの状況が理解できずにいた。屋上に出ようとしたら急に暗がりから声をかけられたことにも驚いたし、声をかけてきたのがあれほど顔を合わせたくなかった岳太だったのにも驚いたし、なぜか岳太からリンゴを薦められたことに関してはもはや謎だった。

 そんなミランの動揺には全く気付いてい様子の岳太が呑気そうに言った。

「いや~、それにしてもドキドキしたなあ」

 岳太は至ってマイペースな調子で言った。

「階段を昇ってくる足音が聞こえてきたから、思わず隅に隠れちゃったよ」

 まるで緊張感のない口調で岳太が「あ~怖かった」と続けた。

 一方のミランダはまだ心臓がドキドキしていた。階段を上ってきたせいで息も切れていたしそれで心拍数が上がっていたのかもしれないが、それでもミランダは気持ちを落ち着かせるためにゆっくりと深呼吸をした。それからおそるおそる口を開いた。

「こ・・・こんなとこで・・・何をしてる、の?」

 ミランダはそう言いながら『あ・・・声が上ずった』と、自分がまだ緊張していることを知った。 しかし岳太はそんなミランダの緊張にはまるで気付いていないようだった。

「僕、本当はもっと体重を落とさないといけないんだよね」

 そう言いながら岳太はリンゴにかじりついた。

「家で間食が見つかると怒られるからさあ・・・」

 だから人のいないマンションの屋上までやってきた・・・と、リンゴを食べながら岳太が言った。そんな岳太が再びミランダに「食べない?」とリンゴを薦めてきたが、ミランダが無言で首を横に振った。それを見た岳太は安心したようにビニールからリンゴを取り出すと、幸せそうな笑顔で最後の一切れを食べ始めた。

 ミランダはそんな岳太を見ながら眉をひそめていた。

 コイツ・・・一体、なんなの?

 少しずつ落ち着きを取り戻していたミランダだったが、岳太の行動をまるで理解できずにとまどっていた。この男の子はちょっと変わっているかもしれない。悪い奴ではなさそうだが、何をするのかわからない怖さがある。ミランダは岳太のつかみどころのないフワフワした感じを薄気味悪いとも感じていた。

 やがてミランダは「あたし、なんでここにいるんだっけ?」なんて疑問に気付いた。よくよく考えてみればミランダの目的は屋上に行くことだった。屋上に出れないのならここにいる意味もないわけで、さっさと家に帰るのが得策だった。もともと岳太とは顔を合わせたくなかったのだし、顔を合わせたくないからわざわざ階段を使ったのである。そんなミランダがなんで岳太の食事シーンを見物しなければならないのか?

「・・・そういえば、さ」

 帰ろうと決心したミランダが歩き出そうとした、まさにそのタイミングで岳太が言った。

「僕のクラスの男子で、君と仲の良い子っている?」

「え・・・?」

 急に話しかけられたミランダが思わず足を止めた。怪訝そうな顔で岳太に目を向ける。

「・・・他のクラスの子は、あまりよく知らないわ」

 コイツは何が言いたいんだろう? と思いながもミランダが答えた。転校してきたばかりの自分が他のクラスの男子と仲良くなるわけがない。他のクラスどころか、同じクラスの女子とさえうまくいっていないのに・・・なんて考えて、ミランダは改めて自分の惨めさに落ち込んだ。

「僕のクラスに、女子に人気のあるカッコいい子がいるんだけどさ・・・」

 そう言いながら岳太は少し困ったような顔になった。

「・・・その子が、君の話をしたことがあるんだよね」

「・・・はあ?」

 言われたミランダは生返事を返すしかなかった。だからなんだというのだろう。知らない男子が自分の話をしたからといって、岳太が隠れてリンゴを食べることには関係ないだろう。

 ミランダが不審そうな顔をしていることに気付いたらしく、岳太は少し考えながら言葉を選ぶようにして話し始めた。

「たまたま、その男の子が君の話をして・・・なんてことのない噂話なんだけど・・・新年度の情報のひとつとして『外国から転校してきた女子がいるんだってよー』って・・・たぶん、それだけなんだよね」

 そう前置きしてから岳太はミランダに説明する。

 はじまりは些細なことだった。岳太のクラスの男子がミランダの話をした。話自体はなんてことのない転校生の話題なのだが、その話をしたのが六年生で最も人気のある男子なのが問題だった。隠れファンクラブもあるような学校のアイドルが、美人転校生・ミランダの話をした・・・そのことを変に誤解する女子がいたことがミランダの不幸だった。結論からいえばそれは単なる嫉妬だった。好きな男子がミランダに興味を持ったと勘違いした女子の嫉妬と、その嫉妬から始まる負の連鎖だった。ミランダを勝手に恋敵と思い込んだ一部の女子がミランダの悪口を言い始めた。もちろんそれは根も葉もない誹謗中傷だったが、その流れでミランダを排除しようとする動きが女子の間に広がっていった。ミランダのクラスにも嫉妬深い女子やアイドル男子の隠れファンが存在していて、そういう女子グループがミランダを無視するようになった。そうなると他の女子たちも不穏な空気を避けるようにミランダとは距離を置くようになった。こうしてミランダはクラスで孤立したのである。

 と、岳太の話はこんな感じだった。

 ミランダも最初は岳太の言うことを話半分にしか聞いていなかった。しかし話が進むにつれて自分の置かれている状況が浮き彫りになってきて、いつしかミランダは岳太の話を真剣に聞きいっていた。

 そしてミランダは唖然としたのである。

 なによ・・・なんなのよ・・・どういうことなのよ? ・・・そんなの・・・そんなのあたしに関係ないじゃない?

 ミランダは全身から力が抜けていくような気がして、思わずその場にしゃがみ込んでしまった。

 なんで・・・なんでそんな馬鹿な話になるの・・・?

 自分が学校で孤立している原因を知ったミランダは、そのあまりにも馬鹿馬鹿しい理由に言葉を失っていた。つまり今のミランダの置かれている状況は誰かの誤解による・・・というか誤解とも呼べないような幼稚な思い込みが原因なのだった。

 なんなのよ一体? ・・・そんなのあたしのせいじゃないし・・・あたし、何も悪くないじゃない・・・?

 悪いのは勝手に嫉妬して勝手に逆恨みをしている一部の女子である。岳太の話を聞く限りではそのアイドル男子にも責任はなさそうだった。

 ミランダもそんな不条理にはただ呆れるばかりだった。

「女の子って大変だよね」

 リンゴを食べ終えた岳太がビニール袋を小さく丸めながら言った。岳太にしてみればそれは単なる軽口だったのかもしれない。しかしその言葉がミランダの神経を逆撫でした。

「その点、男子は単純だから楽なんだよね」

 岳太は呑気そうに続けた。

「男子はあんまり難しいことを考えないもん」

 ビニールを持った自分の手元を見ていた岳太は、ミランダが自分を睨んでいることには気付かなかった。

 ミランダは怒りを感じていた。なんてデリカシーのない奴だろうと思った。この男の子は自分の辛さや苦しさを全く理解していないのだと思った。ミランダは自分が無視される状況に本気で悩んでいたし、たまに聞こえてくる蔭口にも心の底から傷ついていたのだった。そんなミランダの悩みも知らずに『男子と女子は違うよね』くらいの話で片づけようとする岳太の無神経さが許せなかった。ミランダには岳太の態度や話し方が自分を馬鹿にしているようにも感じられたし、岳太の笑顔が自分を嘲っているようにも思えた。もはやミランダにとっての岳太は、無神経にヘラヘラ笑っている嫌な奴でしかなかった。ミランダはこの時、はっきりと自分はこの男の子が嫌いなんだと理解した。

 そんなミランダの気持ちなど知りもせず、岳太はさらに言葉を続けた。

「僕は男で良かったな」 

 火に油を注ぐとはこのことだった。ミランダは岳太の言葉を聞きながら「うるさい!」「もう喋るな!」「黙れ!」なんてことまで考えていた。普段のミランダなら絶対にこんなことは考えなかったし、他人を傷つけるような行為も嫌いだった。しかし今のミタンダは岳太を思い切り怒鳴りつたい衝動にさえ駆られていた。ミランダはそんな自分を理性で抑えつけてていた。

 学校で受けたストレスによって、ミランダの心はすっかりすり減っていた。

「女子のほうが精神年齢が高いんだろうけどさ」

 岳太にとってはミランダを励ますつもりの冗談だったのかもしれない。

 しかしミランダにとっては全てが逆効果だった。

「嫉妬したり、されたり・・・女の子って大忙しだよね」

 岳太の言葉を聞いたミランダはとうとう我慢できなくなった。

「あんた・・・・いったい・・・なんなのよ!」

 今まで内に秘めていた分だけ、ミランダの怒りが一気に爆発した。

 本来ならミランダを無視した女子にぶつけられるはずの怒りが、目の前にいる岳太にぶつけられた。

「あんただって、いじめられっ子じゃない!」 

 そう口にしてからミランダは「しまった!」と思った。これは口にすべき言葉ではないと思った。言った瞬間に自分でも失言に気付いていた。気付いてはいたが、もうミランダには自分の怒りが止められなかった。

「いじめられっ子のくせに・・・偉そうなことを言うな!」

 ミランダは自分の体が怒りで震えているのを感じていた。顔が熱く火照っていたし、呼吸もだいぶ荒くなっていた。

「あんたなんて、みんなから叩かれたり蹴られたり・・・女子からだって馬鹿にされているくせに・・・いつもヘラヘラ笑っているだけじゃないのよ!」

 その一方でミランダの冷静な部分は感情的になったことを後悔していた。言わなくてもいいことを言った自分を責めていた。幼稚でどうしようもない自分に嫌気がさしていた。これは単なる八つ当たりだと思った。自分のやっていることは、自分の悪口を言う女子と同じだと思った。そんな自分が情けないやら悔しいやら、いつの間にか涙が込み上げていた。

「あんただって・・・あんただって・・・馬鹿・・・みたいじゃない・・・」

 ミランダはそれ以上は何も言えなかった。抱えた両膝の間に顔を埋めると、そのまま歯を食いしばって涙をこらえた。こんなみっともない顔を岳太に見られるのは死んでも嫌だった。

 ミランダの怒鳴り声は壁や天井に反射してマンションにも広がったが、住民が踊り場の様子を見にくることはなかった。

 ミランダの荒い息遣いだけがそこにあった。

「・・・僕、学校にこれるだけで幸せなんだよね」

 薄暗い踊り場にしゃがみ込んでいる女の子と男の子。

 先に口を開いたのは岳太の方だった。

「やっと学校にこれるようになって・・・たくさんの友達と遊ぶことができて・・・僕はそれだけで幸せなんだ」

 岳太の口調は穏やかだった。ついさっきまでミランダが怒鳴り散らしていたことなんて、まるで気にする様子もなかった。

「僕はずっと大学病院に入院していたから・・・もちろん病院でも勉強はできたけど・・・でも、やっぱり学校の方がいいな」

 ミランダから視線を外して天井を見上げている岳太が、どこか恥ずかしそうに自分の身の上を語っていた。

「三年くらい癌の療をしていたから全然、学校にはこれなくて・・・今は皆に構ってもらえるから、学校が楽しくて仕方がないんだよね」

 その後で自嘲気味に「こういうのをMっ気っていうのかな?」と笑った。おそらくこれは岳太の本心なのだろうが、どこかミランダを励ますような口ぶりだった。

 一方のミランダは岳太が話している間は無言で顔を伏せたままだった。肩で大きく息をしながら昂った気持ちを抑えようとしていた。しかし岳太の発したいくつかの言葉がミランダを動揺させていた。

「癌・・・治療・・・?」

 ミランダが思わずつぶやいたその言葉が、ミランダ自身に過去の記憶を蘇らせていた。

 母さん・・・。

 それは同時にミランダの胸にも小さな痛みが蘇っていた。そこには懐かしい母親の笑顔があった。それはおそらくミランダが一番幸せだった頃の記憶と、一番悲しかった頃の記憶だ。

 癌の発見が遅れたため、ミランダの母親は若くしてこの世を去ることになった。

 ミランダの母は優しくて明るくて美しい人だった。そんな母が少しずつ痩せていった。とても元気だった母が疲れやすくなっていった。気付くと横になっていることが多くなり、床に伏せる日が続いた。それでも母は幼いミランダに心配をかけまいとして明るく振舞っていた。ミランダは病気を治すためのおまじないもしたし、マオリ族の聖地で魔法の木の実を拾ってきたりもした。しかし母は間もなく入院することになり、幼いミランダも毎日のように病院に通うようになった。やがて母は一人で立つことができなくなり、とうとうベットから起き上がることさえできなくなった。若い母親は幼い一人娘が心配だったに違いない。そんな彼女は最後まで優しい母親であることを忘れなかった。

 母親の死後、周囲の人たちは泣きじゃくるミランダを慰めてくれたし、ミランダの癇癪が止むまで辛抱強く見守ってくれた。笑顔を失ったミランダを優しくいたわってくれた。幼い日のミランダが大きな悲しみを乗り越えられたのは、ミランダの周囲に多くの優しさが溢れていたからだった。母の死はミランダにとって悲しい出来事だったが、それを乗り越えたことでミランダは確かに成長した。

 ミランダは岳太話を聞いて感じたことがある。もしかしたら自分と岳太は似ているのかもしれない。もちろんミランダと岳太とでは経験したことが違っている。それでもミランダは岳太の境遇を理解できるような気がした。ミランダは母親が癌を患ったことで初めて人の生死に触れることになったが、そのことでミランダの中にある何かが確実に変わった。岳太も幼い時期から自分の病気と向き合うことによって、ミランダと同じように何かが変わったのではないだろうか。岳太が学校で笑顔を絶やさない理由もそこにあるような気がした。

 おそらく今のミランダには岳太のように『学校にこれるだけで幸せ』なんて悟りは開けそうもなかったし、それはミランダの経験と岳太の経験が全く同じものではないからだろう。それでもミランダには岳太が普通の学校生活に憧れていた気持ちはよく理解できる。ミランダが母を失って学んだことのひとつに、自分だけが悲しいのではないこと・・・つまり母を好きだった人たちは母が亡くなったことでミランダと同じように悲しんでいた。それでも幼いミランダを慰めるために尽力してくれたのだ。自分の周りにそういう人がいることや、そういう人の気持ちを汲み取ることの大切さをミランダは知ったのだった。

 しかし今回、ミランダはそれができていなかった。確かにそこまで頭が回るような精神状態でもなかったのだが、それでも結局のところミランダは岳太のことを何も理解しようとはしていなかった。ミランダの勝手なイメージで岳太を見て、勝手なイメージで岳太のことを判断していた。

 それはおそらくミランダの悪口を言っている女子と同じレベルの幼稚な行為だった。

 あたし・・・本当に・・・何やってんだろ・・・。

 そんな自分を顧みるとミランダは自己嫌悪に陥らずにはいられなかった。いくら感情的になっていたとはいえ、言って良いいことと悪いことがあった。ストレスを爆発させた挙句に誰かに八つ当たりをするなんて最低だし、冷静に考えれば岳太はミランダが無視される理由を教えてくれた恩人だったし、もともとミランダが一方的に岳太を嫌っていただけなのだ。

 どうしよう・・・なんか雰囲気よくないかも・・・。

 ミランダは相変わらず顔を伏せたまま、そんなことを考えながら少し困っていた。涙はとっくに乾いていたし呼吸もだいぶ落ち着いていた。頭の冷えたミランダにとって、今も続いているこの沈黙が気まずかった。これまでの経緯から考えるとミランダから岳太に謝るのが正しいのだろうが、今さらどんな顔で岳太と話をすればいいのかわからなかった。もし岳太が怒っていたらどうしようとか、岳太のことを傷つけてしまったかもしれないとか、そんなことをクヨクヨ考え始めたミランダはとうとう「いっそ、あたしのことを置いて先に帰ってくれないかなあ・・」なんてことまで考えるようになっていた。

 そうしてミランダがひとり思い悩んでいると、

「・・・余計なことかもしれないけど、さ」

 と、岳太が先に口を開いた。

 ミランダは岳太の声を聞きながら「・・・うん」と小さく頷いた。とりあえず岳太が先に話し始めたことにほっと胸を撫で下ろしていた。それと同時にどうやってこから逃げ出そうかと、この先の脱出プランを考えていた。岳太には申し訳ない気持ちもあるが、ミランダには頭を切り替える時間が必要だった。すぐには無理かもしれないが、いずれきちんと謝罪をしようと思っていた。

 しかしそんなミランダの気持ちを知る由もない岳太は、やっぱりマイペースな発言をするのだった。 

「泣きたい時は・・・素直に泣けばいいと思うけどなあ」

「・・・・泣いてないわ」

 言われたミランダは反射的に顔を上げていた。今まで思い悩んでいたのが嘘のように、ミランダ本来の気の強さで岳太を睨みつけていた。

「あたしは・・・・泣いてなんか、いないっ」

 確かに涙がこぼれ落ちそうになったが、あれはミランダの中では泣いたことにはならない。ギリギリでセーフだった。しかもそれを岳太に指摘されるのは屈辱的だった。ミランダは自分でも再び鼻息が荒くなるのを感じていたし、そして改めて「やっぱり、あたしはコイツが嫌いだ!」なんて思った。

 

    ★

   

 それでもミランダはその場で岳太に頭を下げた。岳太に対する自分の非礼を詫びたし、もちろんちゃんとお礼も言った。そんな岳太もミランダの言動を気にしている要素はなかった。

 その後、新たな事実が判明する。

「あんた、このマンションの住人じゃないの?」

「うん。ここは隠れ食いをするための場所なんだよ」 

「・・・・・」

 ミランダは呆れて何も言えなかった。それから改めてこの男の子は変わり者かもしれないと思った。常識がないのか自分の欲求に忠実なのかは不明だが、もしかしたら自分はヤバイ奴と関わってしまったのではないだろうか。

 それでも顔見知りになった二人はそれなりに仲良くなった。

 待ち合わせをして学校に通うようなことはなかったものの、途中で一緒になれば話をしながら歩いたし、学校で顔を合わせれば普通に挨拶もした。ミランダにとっては当たり前の友人関係なのだが、この学校ではそういう行動が悪目立ちと言われることになった。どこからともなく「あの二人は付き合っているらしい」なんて噂が囁かれるようになったのだ。しかしミランダはそんな噂は全く気にしなかったし、どうせ嫌われているのだからと開き直ることにした。つまらないことを気にしてストレスを溜めこむことのほうが、よっぽど危険なことを思い知ったのだった。

 そういう意味で象徴的な出来事がある。

 ミランダが廊下を歩いていると岳太がクラスメイトに冷やかされていた。クラスメイトがミランダのほうを気にしながら岳太を肘でつついた。

「ほらほら彼女がきたぞ~、話しかけてこいよ~」

「ちょっとやめてよ・・・そういうことをすると後でミランダに怒られる・・・」

 そんな会話を聞いたミランダはイラッとした。特に岳太の発言が癇に障った。頭にきたミランダは廊下にたむろする一団に歩み寄ると、何も言わずに岳太の頭を引っぱたいた。ミッション完了。ミランダは顔色一つ変えずにその場から立ち去った。そんなミランダの行動には岳太のクラシメイトも唖然としていたという。

 しかしそんな噂も時間の経過とともに徐々に下火になっていったし、GWが終わって本格的に温かくなる頃には学校でも話題にされなくなっていた。

 そしてミランダの周囲でも変化が起きていた。それまではクラスで完全に孤立していたミランダだったが、軽く避ける程度だった女子は少しずつミランダに話しかけてくるようになった。急な教室の移動をちゃんと報せてくれたり、ミランダが読めずに困っているプリントの漢字を教えてくれたり、転校してきた頃のように接してくれる女子が出てきた。一部の女子は相変わらずミランダを無視し続けているが、それでもミランダを敵視する視線が少し和らいだような気もしていた。

「僕らが本当に付き合っているとか思ったんじゃないかな?」

 岳太が他人事のように言った。

「学校のアイドルがミランダに取られなければ、女子はそれで満足なんでしょ?」

「・・・そんな馬鹿な話ってある?」

 ミランダにはとても納得できる話ではなかったが、それでもミランダが無視されたようになった理由もその程度のことなので、もしかしたら岳太の推測は当たっているのかもしれない。

「僕らの噂を広めたのも、そういう女子の誰かだろうね」

 ミランダは思わず身震いした。

「なんか、もう・・・色んなことが馬鹿らしく思えてくるわね」

「そういう種類の女の子には何を言っても無駄だよね。仲間にされなくてラッキーって考えればいいんじゃないの?」

「あたし・・・そんなに簡単には気持ちを切りかえられないよ」

 ミランダはそこまで器用な性格ではなかった。一方の岳太はだいぶ性格が図太いというか、無神経な部分があったのでミランダもイライラさせられることが多かったのだが、それでも岳太と仲良くなったことで学校生活が楽になった。岳太から聞かされる話には信憑性があったし、ミランダも自分が知らない情報を得るのに役立っていた。岳太は他人の話をよく聞いているらしく内容の理解や分析も早かったし、意外にもきちんとした常識も備えていて知識も豊富だった。岳太によると入院中はすることがなくて本の虫だったらしい。ミランダにしてみればこれだけ賢い岳太が、なにゆえ隠れ食いをするような非常識人間なのかが謎だったが、なにか特殊な生態を持っているかもしれないのでミランダはそこには触れないようにした。

 それでもミランダは岳太の良いところはきちんと評価している。

「あたしも岳太の図太さを見習わないとなあ」

「・・・あれ? ミランダは自分の心臓の強さを気付いてないの?」

「ん? あたし今までなんか大胆なことしたっけ?」

「・・・別に」

 男子の輪に割って入って人の頭を叩くことは、気の弱い女の子にはできない芸当だ。きっとミランダにはその自覚がないのだろう。

 とにかく容姿も性格も対照的な二人だったが、それなりに似ている部分もあるらしい。

 こうして二人は仲良しになったのだ。

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