97話 春休み最後
その日の朝は零にとって最悪のものだった。
朝から寮の外でガタガタという音がして耳に障る。
「朝っぱらからなんだ…? 外か?」
ベッドから体を起こしてカーテンを開けると、まだ東にいる太陽が光を照り付けてくる。
「トラック…?」
寮の門の外の道に、有名な黒い猫のマークがついた大和のトラックが横付けされている。
そこからなにやら段ボールや大きいものを次々に運んでいるようだった。
「こんな時期にここへ引っ越し…? 新1年生ってこのタイミングなのか?」
今日は3月の30日。
たしかに4月から入学してくる人間のことを考えたら、そろそろ新しいSクラスの1年生が入ってきてもおかしくない。
そう思った零はカーテンを閉めて再びベッドに横になろうとした。
だがその時。
「ちょっと兄さん! なんで二度寝しようとしてるんですか!」
「二度寝なんかするわけないだろ。ちょっとベッドで横になって本でも読もうかと思った、だけ…って美月⁉」
「はい、兄さんの愛する妹、美月です!」
「なんでお前がここに?」
さらっと返事をしてしまったが、ここは霞北学園の寮。美月がいるのはおかしい。
「なんだ、俺は幻想を見ているのか…?」
「勝手に幻覚扱いしないでくださいっ!」
朝から元気たっぷりな美月が零のベッドに飛び乗ってきて、零の眼前で怒る。
「大体、妹が来たというのになんで無感動なんですか!」
「いまいち実感が湧かない。本当にお前は美月か?」
そう言って零はまじまじと美月を見回す。
美月をベッドから下りさせ、くるくると美月を回す。
「ちょっと兄さん~? めが、めが、回るんですけど~」
「ふーむ」
一通り回してチェックした零は。
「美月、久しぶりだな。会えてうれしいぞ」
「わ、私の方はなんだか疲れてしまいました」
「ふふ。代わりにベッドで休んでいけ」
俺は朝の支度をするから、と言って零はクローゼットに入っている服を上に乗っているものから手に取る。
「じゃあ少しだけ休みますから、兄さんは早く着替えてくださいね」
「はいはい。というか、なんでお前がここにいるんだ?」
今日の朝ごはんは何だった、みたいな自然な口調で零は聞く。
「この寮に住むことになったからですよー」
同じように、今日の味噌汁はだしも自分でとったんですよー、みたいな軽い返しをした。
「は?」
さすがに零の聴覚をもってしても二度聞きをしてしまう内容。
「今なんていった?」
「え、だからここに住むことになったって言いましたよ? 兄さんが聞き返すなんて、疲れてるんですか?」
「いやまてまて。なに? 美月が、ここに? ってことは…」
一呼吸置いたあと、零が知りたくないことを確認するように尋ねる。
「お前…この学校に転校することにしたのか…?」
「はい! 晴れてこの度、霞北学園に転校してまいりました!」
どやっ、と手を腰に置いて報告をする。その相変わらず無垢な目に零は思わず顔をそむけたくなる。
第一、美月は中学のことを引きずっていて他人と関わるのが辛いということで零と同じ高校に入学することを断念して通信制の高校に入ったのではなかったか。
「なんでお前がこの学校に入ることに…?」
「私たちがお誘いしたんですよ」
零の質問への答えは、部屋の外からした。
「雨宮か?」
「はい、私です。入っても?」
「おう、少し待ってくれ」
慌てて服を着ると、零は雨宮を部屋に入れて美月と共にリビングに移動した。
適当にお茶を出すと、美月の隣に座って雨宮と対面する。
「それで、説明してもらえるだろうな」
水分を口に含んで、雨宮は涼しい顔で答える。
「いえいえ、そんな説明することなどないのですが。とりあえずここに至るまでの経緯を説明しましょう」
そう前置きすると、雨宮は説明することなどないと言いながら10分くらい喋り続けた。
「つまり、俺の退学だのという騒ぎの後に俺に内緒で美月を誘っていたと?」
「そう言うと人聞きが悪いですが、まあそうですね」
「はぁ」
思わずため息を吐いてしまう零。
「ごめんなさい兄さん。驚かせたくて内緒にしてて…」
「まずお前にそんなサプライズ精神があったことにすら驚いてしまうよ…」
「じゃあ、大成功ですね!」
兄が珍しく驚いた姿をみて喜んでいる美月は、ぴょこぴょこと椅子の上で跳ねている。
「それにしても、よく転校生ですぐにSクラスに入れたな」
「なんでも、転入試験に新2年生の学年末試験を用いたようなのですが」
「満点だったのか」
「お察しの通り」
これには雨宮も呆れるしかないようで、苦笑している。
「Sクラスに入るとは思っていましたけど、まさか零くんと同じレベルとは」
「何言ってるんですか、雨宮さん。兄さんは私よりずっと上ですよ?」
「いやいや何言ってるんですか美月さん。私よりも美月さんの方が上じゃないですか」
「なんですか兄さん、その口調。あと謙遜しないでください」
零が美月の口調を真似するとぷりぷりと怒ってしまったので、急いでフォローする。
「美月がよくできて、俺は嬉しいぞ」
「くぅ…」
零が頭を撫でてやると、美月は犬のようにくすぐったそうに笑っている。
落ち着いてきたところで、零が美月に質問する。
「それにしても、よくお前が雨宮の言うことを聞いたな。あんまり他人の言うことを聞くタイプでもないのに」
「いや、まあそれは…ですね…」
「なんだ、歯切れ悪いな。雨宮、何か知っているか?」
「ああ、ちょっ!」
「美月さんが兄想いなのがよく分かりました」
美月が必死に抵抗するので雨宮も最低限のことだけを、温かいものを見るような目で言う。
「どういうことだ…?」
「兄さんは知らなくていいですっ!」
完全に怒ってしまったのでまた零が慰めようとしたが。
「言っておきますけど、雨宮さんたちに言われたからじゃありませんから! あと雨宮さんたちのことを認めていませんから!」
謎の宣戦布告だけして、「引っ越しの準備があるので失礼します! 兄さんも早く手伝ってくださいね!」と言われる。
「一体何だったんだ」
「詳しいことは、美月さんを焚きつけた張本人である玲奈さんに聞いてください」
「あいつかよ…」
たしかに高宮は人を煽る天才だ。あの美月でさえもなされるがままこの学校に来てしまったんだから間違いない。
「じゃあなんでお前たちは美月をこの学校に呼んだんだ?」
「それは…」
軽く聞いたつもりだったが、雨宮には責めているように聞こえたらしい。
「ああ、別に好奇心だけだ。ただの興味」
その言葉を聞いて安心した顔を見せる雨宮は、座り直す。
「私が提案したんです。いくら能力があると言っても高校生ですから。学校に行きたいでしょうし、もっと同世代の友達を作りたいと思ってもおかしくありませんからね。お節介かもしれませんが」
「まあ、確かにお節介だな」
「す、すみません…」
雨宮は落ち込んでいるが、零はだけどな、と言い加えた後。
「美月にとってそういう人間がいるのは、とてもありがたい。助かるよ」
「ほ、ほんとですか…!」
さっきとは打って変わって花を咲かせるように笑う雨宮。
こういう人間が中学にもいたら、と想像してもしょうがないことを考えながら零も部屋を出ていくことにした。




