86話 着替え
「お、俺をどうするつもりだ…⁉」
帰ってきた、なんて積極的なものではなかったがとにかく寮に戻った零は、帰るやいなや正座の状態で両手を後ろで縛られていた。
目の前にはすっかり鬼の形相が板についている雨宮が、ムチをしならせて床をぺしん、ぺしんと音を立てて叩いていた。
「どうする…ですって…?」
嗜虐的な声と共に近づいてくる雨宮。零の顔を覗き込むと口角を上げる。
「そんなの決まってるじゃないですか…」
髪の毛に手をかけた。零の緊張が最高潮になる。
長い人生だった。生まれて17年。決して悪い人生ではなかったのではないか。
走馬灯のように思い出されるのは雨宮達と笑いあった日々。一つのことに一緒になって熱中した日々。涙を流しあって喜んだ日々。
――あれ、こんなことしたっけ?
もはや零は自暴自棄になりかけている。
そんな零にとどめを刺すように、雨宮はゆっくり口を開く。
そして発された言葉は。
「――お着替えに決まっているでしょう?」
「……はい?」
急に無垢な顔をする雨宮に零はただただ混乱するしかなかった。
「なんで俺が袴なんて…」
1時間後、自分の部屋から出てきた零は、見目麗しい袴姿であった。
黒色の羽織に下は灰色といういかにもオーソドックスな和服である。
「えー、やっぱすごいいいね! 零くんのことだから、絶対に和服も似合うと思った!」
大宮が率直な感想を漏らし、音宮も隣で「お〜」と感嘆している。
「そんな似合うか? 雨宮、どうだ?」
絶対に似合わなくないか、と不満を吐露している零に対して、雨宮は言葉が出てこない。
「おい、雨宮に至っては感想もくれないんだが。高宮、これひどくないか?」
あまりの居心地の悪さに高宮に意見を伺う零だったが、高宮はどこか母性あふれる表情で。
「ふふ、大丈夫ですよ。京華さんは恥ずかしがってるだけですから」
高宮の言う通り、雨宮はあまりの零の格好よさに思わず見惚れてしまい呆けてしまっているだけである。その証拠に顔が耳まで余さず赤くなっている。
だが零はそれに気がつかないあたり、やはりラブコメ主人公なのだろう。
「それにしても、零くんは自分で着付けができるんですね」
時間がある程度経って落ち着いたのか、雨宮が意外ですと言いたそうな顔で見てくる。
「いや、まあ家の都合で着ることが多かったもんでな」
本家の顔合わせをする正月は毎年着てた、とつけ足して言う。
「でもその前にひとつ言わせてくれ」
急に怒気に溢れた顔で雨宮を見ると、雨宮は少し慌てた、というか反省してる様子で目を逸らす。
だが零は遠慮せず追い討ちをかける。
「着れないだろうと思うのはいいが、着せようと思うなよ! いきなりパンツ一丁にさせられそうになったときはめっちゃ焦ったわ!」
これは先ほどの一幕についての言い争いである。
零はあまりにも怯えていたために勘違いしていたが、雨宮が持っていたのはムチではなくて袴に使う帯だった。
雨宮は零の袴の着付けをやろうとして零が逃げられないように拘束をしていたが、さすがにボトムスを脱がされそうになったところで、零が諦めて和服を認めたというのが事の顛末だ。
雨宮も怒りによってストッパーが緩んでいたようだったが、自分の行いに気が付いた後は全力で謝っていた。
「ほんとにすみませんでした…」
今はどちらかと言えば罪悪感よりも羞恥心の方が勝っているようだったが。
「まあそれはもういいけど…。お前らは私服で行くとか言わないだろうな…?」
今のところ雨宮たちは私服のままである。
男が和服で女性が私服なんていうのは見たことがない。逆はよくある話だが。
男女差別が無くなってきているとはいえ、さすがに男だけ和服というのは恥ずかしいという意味で言ったのだが、高宮は別の意味で捉えたようで。
「もしかして私たちの和服姿が見たいんですか? 零さんも意外に高校生ですね」
「違うわ! 俺だけ袴とか恥ずかしいって意味だ!」
さっきから余裕のない零が、からかわれて憤慨している。
「もちろん私たちも着るよー! 私のはピンクだからねー期待しててっ!」
大宮は和服を着ることができるのが楽しみなようで、ぴゅーっと走って自分の部屋に入っていった。
「玲奈さんもからかうのはそこまでにして、私たちも着ましょうか」
そういって雨宮と高宮、それに音宮も大宮の部屋に入っていった。
そして20分くらい待つと、4人がぞろぞろと出てきた。
ぞろぞろ、と言ってもそれぞれが目を引くほどの美少女だが。
雨宮、大宮、高宮、音宮はそれぞれ黒、桜、白、青色の和服を身につけて現れた。
それぞれが髪の色と同じ和服で揃えてきたものだから似合わないと思いきや、所々に入っている花柄や水玉模様が色彩を鮮やかにしていてとてもよく似合っている。
「…よし、行くか」
4人から目を逸らして零が向かおうとすると、音宮からツッコミが入る。
「あれ〜? 服についてコメントなし〜?」
音宮には単純な疑問だったのだろうが、大宮や高宮が邪推を始める。
「いや、あれは恥ずかしがってるだけだね」
「素直に褒められない零さんも可愛いです」
「そ、そんなんじゃねえよ!」
慌てて否定しておくと、雨宮が非常にうれしそうな顔をした。
バツが悪くなった零はさっさと寮を出て神社に向かった。




