79話 零の一日
入江零の朝は早くも遅くもない。
起床は7時ジャスト。起きたらカーテンを開け、日の光を浴びる。
それから学校の支度を15分ほどで済ますと、部屋を出て寮の食堂へと向かう。
このタイミングで朝ごはんを食べるのは、2年のSクラスでは零の他に雨宮と大宮。
「おはようございます」「おはよー!」
朝に美少女2人の顔を見ることによって目を覚ますのがこの寮にいる者の日課になっているが、零はちゃんと目をぱっちりさせてから彼女たちと顔を合わせる。
「ああ、おはよう」
朝ごはんはビュッフェ形式となっていて、さながらホテルのようではあるが零はいつも同じものを食べる。
白米に味噌汁、焼き鮭の切り身と漬物。とてもありきたりな和食の朝ごはんだ。
というのもこうなったのはアニメの影響で、中学以前はパンがメインだったが。
朝ごはんを食べ終わり、歯磨きや制服への着替えを済ませ、少しゆっくりしてから7時50分に家を出る。
学校までは徒歩で5分であり、始業時間も8時30分なので学校に着くのは割と早い方だ。
これは2年生になってからの日課である。
理由は単純で…下駄箱に「あれ」が入っているときにクラスメイトの雨宮たちに見られることなく、内容を確認したいからである。
容姿が整っていて、控えめにいってかなりのイケメンである零はとてもモテる。
Sクラスになった頃はもっと数多くの「あれ」が下駄箱にあったので手を焼いていたが、大宮たちの積極的な牽制や、だいぶほとぼりが冷めてきたこともあり、今は大した数ではない。
とはいいながらも1日に1枚か2枚は入っているので、それを確認するために早く来ている。
今日は1枚。内容は「放課後に屋上に来てほしい」とのこと。
もらえること自体は何枚もらっても嬉しいものだが、断ることを考えると胸が痛む。この浮き沈みも毎日の日課だ。
「あれ」を鞄にしまうと、零はSクラスの教室が存在する別の棟へ向かう。
教室はいつも一番乗りである。
大宮は朝練をしているし、高宮は毎朝準備をきちんとするため遅くなる。音宮は言わずもがな、寝ている。
じゃああの優等生の雨宮はいるんじゃないか、朝早くに学校に来てその日の予習をしているのではないか、と思う人もいるかもしれない。
だが、彼女は教室ではなく寮の自分の部屋で勉強をしている。
以前に零が雨宮にそのことを聞いてみたところ、「学校でできることは家でできますし、家の方が参考書がたくさんあるので家の方が効率的です」と返されたものだから絶句した。
やはりひとつ歳上の最上位層と戦っている雨宮はそんじゃそこらの優等生とは格が違ったと、零は実感した。
ちなみに零は優等生ではないので、雨宮たちが来るまでラノベを読み耽っていた。
「皆さんいるようですね。ではホームルームを始めます」
教壇に立っている、がしかし元の身長が低いため辛うじて零と同じくらいの高さになっている、スーツ姿の女性は零たちの担任である三日月紅葉先生である。
「もうすぐテストです。気を抜かないでくださいってまあ、そんなことないと思うけど…」
これには零や雨宮たちも同意できない。
1人だけ油断も慢心もしきって、寝て絵を描いて曲作って、と自由を謳歌しているやつ(音宮)がいるからである。
「先生もね、あなたたちにまた指導したいの。お互い頑張りましょっ!」
どこか子供っぽい口調と、両手で拳を作って鼓舞している幼さには零も嘆息を漏らすしかなかった。
昼休みは基本的に1人である。前のように5人揃って食事というのは案外めずらしい。
食堂に来ると多くはその日のおすすめランチを頼むことにしている。
零に好き嫌いは特に無く、だいたいどんなメニューでも美味しく食べられる。
この日は鳥の唐揚げ定食であり、これは零の好物だった。
適当に空いている席を見つけて座ると、隣の女子生徒が何やらこちらを見て話している。
「きゃっ、零さまだ! 見て見て、わたしのとなり!」
「えーえりかずる~い!」
…零は聞こえなかったことにしてご飯に箸をつけた。
ーーなんだ「さま」って。「さま」ってなんだ。
午後の授業は現代文、数学だった。
前にも言った通り、Sクラスは基本的に放任主義なので教師も大したことは教えない。
教科書に書いてあることを、教科書に書いてあるように教えるだけ。
演習にも時間を割かずに淡々と進めていくため授業ペースはAクラスや他の学校よりもかなり早い。
2年の12月というこの時期に高校の教育課程を全て終わらせる。
3年は受験勉強に向けて過去問を解く、というのは有名な進学校ではよくあることだ。
他のクラスとの授業進度に差があるが定期テストはどうするのか、という疑問もあるだろう。
だが、当然テストの範囲はAクラスなどの進度を参考に作られる。Sクラスはそれでもなお上位の成績を求められる。
だからAクラスとSクラスを転々としている者には、Sクラスに上がったときも授業を無視してテスト範囲を勉強している者もいるが、これは零たちと無縁の話だ。
そういうわけで、零は窓の外をぼーっと見ながら思いに耽っているが、考えている内容は新刊ラノベの発売日とどれが期待出来るだろうか、というオタクの思考である。
放課後は約束通り屋上で思いを伝えてきた後輩の女子を振り、感傷に浸りながら寮に戻った。
夜ご飯は5人揃って食べ、歓談を少しすると自分の部屋に戻ってダラダラと過ごす。
そうしていると雨宮がやって来る。
もちろん寝込みを襲ってくるようなタイプの訪問ではなく、定例の勉強会である。
これは零がSクラスに入ってからほぼ毎日行われていることで、雨宮が零に教わりたいと言って始まったものだ。(5話参照)
部屋の中央にある折り畳み式の四角いテーブルに雨宮が勉強用具を出したところで、零から温かいコーヒーが出される。
「ありがとうございます」
「…ああ」
少し間があった返答に、雨宮が疑問を示す。
「…どうしました…?」
「いや、通い妻みたいだな、と今更ながらに思って」
ーーがちゃんーー
「な、な、何を言ってるんですかっ!?」
「いや、『みたい』だから。そんな動揺すんなって。あとこれで拭いとけ」
異常なまでに用意のいい零に、雨宮はからかわれただけだと分かって憤慨する。
「なんで毎度毎度からかってくるんですかっ!」
「いや、そんなつもりないんだが」
ーー嘘である。そんなつもり、おおありである。
平然と澄ました顔で嘘をつく零に腹が立ったのか、いつもの堅い顔を膨らませて抗議の意を示している。
「変なことを言ってないで、勉強始めますから!」
「ああ、そうだな」
小動物顔の雨宮を見られたことに満足し、零も参考書を開いた。
零と雨宮の最初の絡みについては5話を参照してください。




