58話 雨宮の部屋で
午後8時。
何度時計を見ても、針はそこを指している。いや、ここでの何度見ても、というのはただの仮定であり、実際には2回くらいしか見ていない。
それはともかくとして、この時刻になってもいまだに雨宮が零の部屋に姿を現さない。
(あいつが時間を守らなかったことなんかなかったよな…)
雨宮のために注いだコーヒーの湯気を見ながら零は考える。
いつもきまって8時ジャストに来ていた雨宮が不注意で遅刻することがあるのかと。
今まで休んだことすら無かったが、何か用事で休むとなっても連絡の一つは入れるタイプのはずである。少なくとも零が今まで見てきて、雨宮の性格が無断遅刻無断欠席を許容することを許さないはずだ。
雨宮の携帯に電話をかけてみる。――零は連絡用に雨宮達と電話番号を交換していた。
だが案の定、雨宮が電話に出ることはなかった。電話に出ることが出来る状況なら雨宮から連絡を寄越すはずだ。
(確率としては部屋にいるのが一番高いだろうが…トイレにでもいるのか?)
零は悩んだ末に、隣の部屋をノックする。
「おーい、雨宮いるのかー? いたら返事してくれー」
声を少し張ったが、部屋の中からは声が聞こえてこない。
(そういえば、雨宮の奴、今日は食堂に顔を出さなかったな…)
夕食の時間は別に決まっているわけではないが、勉強会の時間に合わせて食事をとるため、零と雨宮は同じ時間になることが多い。
このままでは埒が明かない、そう思った零はドアノブをひねってみる。部屋にいないなら今日の勉強会は中止ということでいいだろう。
だが、ドアノブはあっさりと回転した。
不審に思った零はドアを恐る恐る開けてみる。
しかし、こちらは途中で何かに引っかかった。
(なんだ?)
零は扉の隙間から部屋の中を覗く。
するとそこには仰向けで倒れている雨宮がいた。
「おい! 大丈夫か!?」
零は予想外のことに声を大きくしてしまうが、それとは逆に、冷静に雨宮の容態を確認した。
(脈はある…。別に血色の悪いところもない。いや、頬が赤くなってる?)
そこで、零はある程度の当たりを付けて、雨宮の額に手を当てる。
そして一言。
「あっつ!」
「……ん?」
それから小一時間たった後、雨宮の目が覚めた。
「ようやく起きたか」
雨宮はその低く心地よい声を夢心地で聞いていた。
「…零くん?」
だが、徐々に意識がはっきりしていく中で、その声が零のものであることに気が付いた。
「…零くん!?」
次の瞬間、間欠泉のように飛び起きた。
「まだじっとしてろよ」
「な、な、な、なんでここに零くんが!?」
プチパニック状態である。プチ、というよりはブチ切れのような勢いある感じがするから、ブチパニックだろうか。
「そりゃお前の死体第一発見者だからな」
零が玄関で見た雨宮の姿は、パッと見は紛うことなき死体だった。
「な、な、何の話ですか!?」
「いや、だから。お前が玄関で倒れてたから運んだんだが」
雨宮は自室のベッドに寝かされていた。
「倒れてた…?」
そこで雨宮は必死に自分の記憶をたどり寄せる。
(たしか今日はぼーっとしてて、何とか授業を受けて生徒会の仕事をした後に家までたどり着いて…)
だんだん状況を把握してきたようで、苦虫を噛み潰したような顔になった。
「お前が勉強会に休むのは珍しい、というか初めてだったからな。様子を見に来たら発見したってわけ」
「あ、あの、その…助けてもらったん…ですよね?」
「まあそうなるか」
羞恥心が消えることはないが、それ以上に苦労を強いたことに対する罪悪感が押し寄せてきた。
「あ、ありがとうございます…そ、その…重かったですよね…?」
「いや、かなり軽かったけど。ちゃんと食べてるのか?」
「最近はあまり食欲がなくて…」
まだ本調子ではないのか、軽かったと言われたことがポジティブに捉えられなかった。
「まあ、頑張りすぎだな。お前っていつもワーカホリック気味だったし。睡眠も足りてなかったみたいで、ぐっすりだったもんな」
「こ、こんな時にからかわないでください! は、恥ずかしい…」
顔を布団の中にうずめて隠してしまったが、その仕草や布団がぽこんと山なりになっているところが可愛かったのは内緒だ。
「てっきり体調を崩すと甘えん坊になるみたいな人間かと思ったが、そういうのはなかったか。残念だな」
「どんな想像してるんですか!」
からかうとちゃんとツッコむ辺りは、いつも通りの雨宮だった。
「まあこれ以上からかってると休めないからな。お暇するわ」
「本当に迷惑をかけました…」
「あ、それと雨宮が明日学校休むって学校側に連絡しといたから」
「何してるんですか!?」
「いや、どうせほっといたら明日学校に来そうだったからな。生徒会の仕事は俺たちがやっとくから」
「いや、行きますって」
「明日学校にいたら、それは雨宮じゃなく不審者と判断してSクラス全員で追い出しますから、って高宮が独り言呟いてた」
「その独り言、恐ろしすぎないですか!?」
「三日月先生が電話に出たから、学校の領地に入ることすら許されないと思う。あの人、何故かすごく嬉しそうに『それは絶対安静ですね~』って言ってたし」
「生徒の欠席連絡を嬉しく受け取る先生が居ていいんですか!?」
「というわけでお前の席はないから」
「いじめです…」
零はベッドのそばから立ち上がって、部屋を出ていく。
「じゃあお大事に」
「…ありがとうございました」
次の日は、学校中で雨宮の指名手配がされていた。




