52話 2年前の妹
あるところに、ある二人の兄妹がいた。とびっきりの愚かな兄妹だ。
兄は従順な愚かだった。
他人から言われたことを信じ、家から言われたことを信じ、妹から言われたことを信じた。
全てを鵜呑みにした兄は、全てに絶望することになった。
妹は社交的な愚かだった。
親愛の心をもって他人と接し、歩調を合わせた。歯車を噛み合わせた。
全てと仲良くした妹は、全てから遠ざけられた。
俺が中学3年生の頃だった。
話のメインは俺の話ではなく妹の美月の話なので、彼女が中学2年生の時と言った方が良いだろうか。
あの頃はまだ家族が全員同じ屋根の下で暮らしていたころだ。
妹は、美月は誰とでも仲良くする子だった。クラスの中で彼女と同じくフレンドリーなタイプの友達もいたし、人見知りな子に対しても優しく接していた。
学業は抜群に出来て、運動神経も中学2年生のそれとは思えないほどずば抜けていた。
同級生より、友達より、頭1つでは足りないほど抜けていた。
だが美月は絶対に他人を見下さなかったし、むしろだからこそ他人に丁寧に接していた。
「あの問題難しかったよねー」
「うん~、あの問題は大変だったね!」
こんな会話をしていたのを聞いたことがあった。
もちろん友達も、美月がとても成績優秀だと知っていてそれでなお同意をしてほしかったのだろう。学年1位が言っていれば嘘でも安心できるからな。個人的に言わせてもらえれば、とても虚しいことのうように思えるが。
まあ、それで美月はその清潔感ある端麗な容姿も相まって、学校中の人気を独り占めしていたと思う、現に俺の居たクラスにも美月を狙っている奴がいた。
先生からも人気があったようで、いつも好意的な目を向けられていたのを覚えている。
そんな、順風満帆の一言で表せてしまうほど充実した生活を送っていた妹。
だが、彼女が2年生だった時の夏。歯車は狂い始めた。
原因はとても些細な事。
美月がとても仲良くしていた、クラスメイトの女の子がテストの成績で苦しんでいた。
その女の子はどうやら親からある程度ノルマを定められていたようだったのだが、それがまったく達成されなくて、両親といざこざが生まれてしまった。
彼女はしっかり努力していたのだが、結果だけみて叱る親に対して腹が立ったらしい。
苛立っていた彼女のフォローをしようと美月がその女の子といつも通り他愛のない話をしようとしたらしい。
「最近、スタートバックスで新しいやつ出たらしいよ? 今度行かない?」
だが、女の子の方はどうも成績の方を気にしていたらしく、
「うーん、あんまり遊んでもいられないんだよね~。この前のテストで親に怒られちゃってさ~」
と自分からテストの話を始めたらしい。
どうやらこのまま遊ぼうと誘える雰囲気でもないようだと察した美月は女の子に対してこう言った。
「前のテストかぁ~、あれ難しかったもんね~!」
いつものようにフォローした。いつもやっているように歩調を合わせた。
だが親との喧嘩でフラストレーションが溜まっていた女の子は、いつものようにはいかなかった。
「難しいって言ってるけど、前も美月は満点だったよね?」
ここで美月は自分の言葉がこの場面において適切でなかったことを理解しすぐにリカバリーに着手する。
「いやいや、難しかったって! 何個か勘で書いて当たったところもあったもん!」
嘘を入れるが、これも間違い。
「何個かって、大体分かってたわけでしょ? それで難しいって、あーやだやだ。天才の基準は私のような凡人にはわかりませーん」
どんどん機嫌が悪くなる彼女に焦る美月は、急いで言葉を紡ぐ。
「別に天才とかじゃないよ…ちゃんと勉強してきただけだよ…」
しかしこれも間違い。
「ちゃんと? じゃあ何、私が前にやってたのはちゃんとした勉強じゃないって言うんだ。適当に勉強したって?」
次第に語気が強まる彼女に対して、美月は言うべき言葉が見当たらなくて何も喋られない。
「ほら! 何か言ってみなさいよ! ほら! 早く!」
「わ、私はそういう意味で言ったんじゃ…」
美月の胸ぐらを掴んで心のわだかまりをぶつける女の子に対し、美月はそれでも彼女を刺激しないように小さめの声で弁解しようとした。
「大体、美月に私たちの苦しみなんかわからないでしょ!? いつも同調してくるけど、どうせあれも憐れんでるんでしょ? 私たちのことを!」
「そ、そんなことないって…」
「どうせこれっぽちもこっちの気持ちなんか分からないくせに、同情なんかすんな!」
そう言い放った女の子は荷物を荒々しく取って教室を出て行った。
その日の夜、帰ってきた美月は表情がいつもより暗かったため、「大丈夫か? 何かあったのか?」
と聞くと、にっこり笑って
「何もないです。ただいま帰りました」
と言うので考え過ぎかとあの時は思っていたが、今思えばあの時に気が付いてやれば美月はすぐに立ち直れたんだと思う。
次の日からは美月へのいじめが始まった。
学校と言うのはとても不思議な場所で、あれだけ人気があった美月でさえもいじめに遭った時に誰も助けてくれなかった。
いじめの主犯は前日に美月と言い合った女の子と、美月に好きな人を奪われた女の子、部活で美月にレギュラーを奪われた女の子の3人だった。
ものを隠され、悪口の書いた紙を机に入れられ、ありもしない噂を立てられた美月は、日に日に元気を失っていって、俺が気付いた時には人間不信になっていた。
だから、今も学校に通うことはできず、通信制の高校に所属している。
情緒の方は安定してきたようで、精神安定剤ももう要らないようだが、俺以外の人間には心理的な距離をかなり置いて接している。
教育係が言っていたことで
「出る杭は打たれる。しかし出過ぎた杭は打たれない」
という言葉があった。
要は、他人に比べて大幅に抜きん出れば、他人とは一線を画することができると言いたいのだろう。
――馬鹿なことを言うな。
出過ぎた杭は倒れてしまっているではないか。少しでも何かに打ち込まれていた方がよっぽど安定している。文字通り本末転倒もいいところだ。
そこまで飛び抜けた美月が、他人に寄り添おうとして失敗したのが証明している。
結局、力を持った美月は力のかけ方を間違えた。いや、そもそも誰とでも仲良くできるというのが驕りだった。
力を持つものは誰とも仲良くできない。
これが美月がこの一件から出した結論であり、母親が信じ続けた理念だ。
そして、俺が信じ続けていたことでもある。
だが、どうしてだろうか。
雨宮達を見ていると、雨宮達と過ごしていると、それが間違いじゃないかと思えてくるのは。
……いずれ答えが出たら美月にも教えてやろう。




