18話 膝をお借りしました
目を開けると天井が見える。一時的に気を失っていたようだ。
――そうか、雨宮とゲームをしていて……情けないにも程があるな。
雨宮はどこだ?腹に力を入れて、頭を床に押し込んで、反動で起き上がろうとする。その時…
「やわらかい…」明らかに床の感触ではない。なんだ?この感触。すごく心地がいい。
「――あ、目が覚めたのですね、入江くん。」
幻聴か。幻聴だ。そうそう幻聴。おいやめろ、俺の頭。勝手にピースを集めて合理的な結論を出すんじゃない。点と点が繋がった…とかいうやつだろこれ。今はそういうの求めてない。やめろ。いいか、俺の辞書に「ひ」から始まる言葉など一つも存在しない。あ、でも飛騨牛くらいはあってもいいかな。いや、やかましい、黙ってろ俺の辞書。喋んな。
「入江…くん?」
ガバっと体を起こす。逃げることも隠れることもできない現実はそこに雨宮を依り代として、立ち現れていた。
「お。おはよう、雨宮。き、今日もいい天気だな」
「今、夜です」
「そ、そうか、今日の俺はたくさん寝てしまったようだな、あははは」
「いえ、3時間ほどですよ」
「まさか寝相が悪くてベッドから落ちてしまうとは」
「いえ、もともとこの状態でした」
マシンガンのように打ち出す俺の現実逃避、もとい冗談を雨宮はノータイムで返してくる。
「急に意識がなくなっちゃったので本当にびっくりしましたよ。脈がしっかりあったので正常だと判断しましたが…ゲームしているときにどこか頭を打ったのですか?」
「ま、まあな…そんなところだ」
全くそんなところではない。日本とアルゼンチンくらい離れている。しかし、当然言えるはずもない。雨宮の言葉にやられたなんて言えるはずもない。恥ずかしい。人生において一番恥ずかしい。黒歴史認定まったなし。
別に今もドキドキしているわけではない。一過性のものだ。むしろ、今もドキドキしていたほうが、こんなに恥ずかしい思いをしなくて済んだだろう。今、雨宮を見る目はいつもと同じだ。
「ありがとう雨宮。助かった」
「い、いえ、当然のことをしただけです」
雨宮も特別うろたえている様子は見られない。というか、本当に心配をしてくれていたのだろう、とても安心しきった顔をしている。それなら聞いてもよかろうと思って聞いてみる。
「なんで、その、膝を貸してくれたんだ?」何故か膝枕という単語が恥ずかしくて口にできない。
「あ…その…ベッドに運ぼうとしたのですが、力がなくて…」
おっと、さすがに定番の「男の子はこうすれば喜ぶと聞いたもので…」は出なかったか。まあ、雨宮はそんな男の性癖など知らないだろう。それでも、こちらとしては役得だ。
「そうか、ありがとう雨宮。なんかすごく落ち着いた気がする」
「あ、ありがとうございます…!」
「なんで雨宮が感謝してるんだよ」
なんとか和やかな雰囲気で今日の事件はクリアすることができたようだ。
「――そういえば、明日の、日曜日の夜ご飯は生徒会が主催のSクラスの交流会をするそうです」
「…そうなのか?」
「はい」
「でも、それって、メンバーが変わるたびにやってるのか?」
「いえ…わからないです」
「どうしてだ?」
「Sクラスのメンバーが変わったのは入江くんが初めてだからです」
「そうなのか?」
「はい。Sクラスになったらこれだけいい環境ができますし、そもそも、この学校のトップ5ともなればそれくらいは当たり前です。入江くんがおかしいだけです」
「おかしいと言わなくても…」
「ふふ」
雨宮がこんな顔をするのは、俺と雨宮が打ち解け始めた証拠だろう。それはなんだか嬉しいことのような気がする。
「――それより、生徒会ってこの学校にもあったのか、初耳なんだけど」
「そうですね、入江くんが知らないのも無理のないような気がします」
「というと?」
「うちの学校は生徒会選挙がないですからね」
「じゃあ、どうやって決めているんだ?」
「それは、察しがついていると思いますが、Sクラスの5人が自動的に生徒会になるのです」
「…まじか」
「まじです。ちなみに例年では、首席が生徒会長を務めることになっていますよ?」
雨宮が小悪魔っぽい笑いで俺を煽ってくる。
ふざけるな、生徒会長とか、そもそも生徒会とかごめんだぞ。そんな仕事やっていたら俺の大切な時間が奪われてしまう。
「その生徒会はいつごろ交代するんだ?」
「えっと、たしか夏休み明けから2年生に交代して、そこから1年間、その職務を全うする、といった形になるかと思います」
そうか、じゃあ、期末テストでSクラスから落ちないといけないのか。夏休みにSクラスに居れないのは多少つらいことではあるが、背に腹は代えられないな。
「もしその任期中にSクラスのメンバーが変わったらどうなるんだ?」
「そのようなことが起こったことはなかったので、詳しいことは分かりませんが…たしか、メンバーの交代とともに、生徒会役員も変わるはずです」
「そうか…」
夏休み明けだけSクラスを回避すればいい、という話じゃないみたいだ。これは厄介。とても厄介だ。生徒会役員になるのは嫌だが、Sクラスから落ちて、バイトをすることになるのも嫌だ。
「あ、ちなみに、玲奈さんが言っていたのですが、私たちの代からは、生徒会長がほかの生徒会役員を決めるようにしよう、と言っていましたね」
おのれ高宮。どう考えてもそれは俺が逃げるのを阻止するためだろう。
「ほ、ほう…でもそんな簡単に変えられるものなのか?」
「はい。この学校は生徒会の権限が強いですから。私たちSクラスのそれが強いのと同様に。生徒会の中で過半数を取ればすぐに校則を変えることができます」
「相変わらずこの学校はおかしいな」
「変にSクラスから落ちようとか考えないほうがいいですよ」
「バレてたか」
「さすがにそれくらいは、玲奈さんじゃなくてもわかりますよ」
「人を単細胞みたいに言うなよ…」
だが、もしそのように変えるならこっちにも手はある。雨宮に懐柔して、俺を選ばないようにすればいいのだ。
「あ、あと、もし、万が一にも私が生徒会長になることがあったとしたなら、絶対に入江くんを副会長に置きますからね」
「あれ、そっちもバレてる?」
「だから、それくらい簡単にわかりますって」
どうやら、雨宮もなかなかに頭が回る。すべて俺の考えていることを未然に言ってくるな。
「まあ、そもそも私が生徒会長になること自体がおかしいのですが。私が入江くんに勝てるはずがないと思います」
「わからないよ?勝負は時の運というし。というか、中間テストも俺の運が良かっただけだって」
「入江くんの運がどれだけ悪くても満点以外を取る気がしません」
「だから買いかぶりすぎだって」
「そもそも、他にもいろいろと隠してるのじゃありませんか?何故かさっきからわざと馬鹿っぽい態度をとっているように感じるのですが…」
「それは間違いなく気のせいだ」
「実は運動もすごくできるとか?」
「できない」
「質問した意味がなかったですね」
全く信用されていないな。まあ、実際運動もほどほどにはできるのだが。
「本当にその凄さがどこから来ているのか気になります…」
どこから来ているのか、か。来ている、というよりは押し付けられている、と言う感じか。理不尽なほどの圧力によって。
「本当にただの人間だ。まあ、ともかく生徒会長になった時には頼むよ」
「謹んで入江くんを選ばせていただきます」
「はあ…」
まさか高校になって生徒会デビューすることになるとは…と言ってもまだ先の話だが。
「それでは、そろそろご飯時なので、せっかくですから一緒に行きましょう」
「ああ…」
「あ、別に一緒に行きたい、とかそんなことじゃないですからね!?」
「もちろん、わかってるさ」
「ほんとになんで自然に誘っちゃってるんだろ…私…」
「なんかいったか?」
「い。いえ!?なにも!」
雨宮が戸惑っているようだが、自分には関係のないことだろう。
――明日の歓迎会、憂鬱だな…とか考えている零であった。