120話 勧誘
零はニーナのその突拍子もない提案、もしくは願望に声がすぐに出なかった。
隣で高宮が笑っている気配を感じたがそれを口にすることすらできない。
その様子を見てニーナが言葉を重ねる。
「アメリカ。まあステイツね。ステイツに来てほしいの。レイ、そして隣のレイナに」
「ちょ、ちょっと待て」
突然の話に頭が付いていけなくなる零。
アメリカという聞いたことはあっても行ったことはない場所。知識としてはどんな風景がありどんな文化があるかということは知っていても、実際に入ったことがない。
アメリカどころか海外に行ったことさえない零が、突然アメリカに。
「……いくつか質問をさせてもらおう」
「ええ、いいわよ。すべて答えるわ」
ようやく思考の整理がついてきて何を質問するべきなのかが分かるようになったところで、零がニーナに問いはじめる。
「そのアメリカに来るというのは長期的に、ということだろうか」
「ええ、そうよ。できればずっとアメリカに居てほしいと思っているわ」
これは確認だ。わざわざ旅行に来いとは言わないし、アメリカに居る誰かに会ってほしいなどならばもっと違った言い回しになるはずだ。
「具体的にはいつから行くという話なんだそれは」
「零の高校卒業を待ってからね。別に零が良いと言うなら中退しても構わないわ。卒業試験を受けてもらうことにはなるけど、手をまわしておくから通わなくても卒業できるようにしておいてあげる」
つまりはなるべく早く、ということらしい。大学までとか、好きなタイミングで、とかではないようだ。
期間、時期を聞いた零が次に訊くのは。
「俺の妹のことはどうなる」
もちろん美月のことである。美月一人を置いていくわけにはいかないからだ。
だが、それも杞憂だったようで。
「それなら心配ないわ。妹さんも優秀と聞いているからこっちに来ればいくらでも働き場所を提供してあげるし、まだ外の関りを持つのが難しいなら住む場所とお金は用意できる。もちろん零には働いてもらうけど」
こちらのことに関してはかなり調査されているようだ。ということは。
「すでに俺の叔母とは話がついていると見ていいんだな」
「ええ、アズサはすでに了承しています。あなたたち兄弟がアメリカに行くことを」
アズサ、とは神宮梓のことで零たちの叔母に当たる人物だ。そして神宮家の当主であり、神宮家の復権を誰よりも望んでいる。
「叔母がよくそんなことを許したな」
「それは、パパが日本で親しくしている人がたくさんいるからね。それらのパイプを見返りに許してくれたというわけ」
叔母の狙いは日本での神宮家の地位の向上。そのために海外のVIPを利用しようという方向に考えを切り替えたということか。
相変わらず子供を道具としか思っていない叔母に苦笑しながらも、ニーナへの質問を続ける。
「じゃあ次だが、ニーナの父親は海外の政治家なのか?」
「正解。さすがね、レイ」
「それくらいは誰でもわかると思うが」
これでだいぶ話が見えてきた。
つまりはニーナの父親が零の力をどこかしらで知って、利用したいと考えているというわけだ。
だが、そうすると疑問になることが当然あり。
「なぜ俺が選ばれた? こうして誘われている身で言うのも何なんだが、別に俺をそこまでの評価にする理由もないはずだろ? そこまで過大評価されても困るんだが」
「謙遜はいいわよ、レイ」
零からしてみれば自分が選ばれることは不思議以外の何物でもなかったのだが、むしろニーナからすればそのことを不思議に思うこと自体が奇怪なようで。
「あなたの実力は各国の主要な政治家は大体知っているわよ。これはアズサを中心とした神宮家の宣伝工作みたいなものが関与しているからでもあるんだけど」
それでも、とニーナは続ける。
「あなたの能力は知っている誰もが評価している。あなたの言う過大評価というものを誰もがしているわ。それに日本でアメミヤがその地位を失うにあたりレイが暗躍したことも知られている」
あれは実はステイツでもかなり話題になったのよ、と微笑むニーナ。
「ただそれでも、あなたの能力からすれば過小評価なのよ。まだ年齢がずいぶん若いことが原因となって、能力や精神的に未成熟なんじゃないか、って言われているから評価を下に見積もっているのよ」
零の隣で高宮も嬉しそうに微笑んでいる。零の力がまっとうに評価されていることが嬉しいのだろう。
「だけど、私たちは、私のパパは知っている。年齢が不十分だから未熟だということが間違いだと。一流には年齢なんて関係ない。生きた年数なんて才能の前には無意味だと」
そして、何よりも大事なことは。
「あなたは日本では生き辛い。そうでしょう? 日本は身分や地位、それに年齢を一番気にする国だもの。年功序列なんかが存在する国ではあなたは十分にその能力を活かせない。そのことにパパは危機感を感じているの」
それが本当だとすればずいぶんと人格者だな、と零は思った。それは言葉の問題で、要は能力のある零を自分の駒として使いたいだけなのだから。
それでもさほど気にならなかった。
単純に自分を評価してくれて、多少なりとも気にかけてくれる人間がいたことに零が感慨を覚えていたからだ。
「あなたに日本は狭すぎる。あなたをこの太平洋の島国に閉じ込めておくのはとても惜しい。だからレイ、私と一緒にアメリカに来ましょう」
将来の仕事先も決まり、妹の将来も安泰になる。アメリカに行けば、日本にいるよりは多少自由も利くようになるだろう。
魅力的な提案に賛同しそうになるところで、一つ、ただ一つ。
どうでもいいような質問が零の頭に浮かんだ。
「アメリカについてくるのは高宮だけなのか?」
何故こんなことを聞くのか零にも分からなかった。その重要性を聞いた本人である零が一番分からなかった。
その質問に対してニーナが機械的に答える。
「ええ、レイナだけよ。彼女も将来を有望視されているの。パパもかなり期待しているみたい」
「ありがとうございます」
高宮は深々と頭を下げているが、零は別のことを考えていた。
「ほら、雨宮とかどうなんだ? 大宮とか音宮はお前の求めているような場面で力を発揮するタイプじゃないが、雨宮はああ見えてかなり優秀だし」
「わたしはそうは思いませんけど」
零が言い訳のようにつらつらと話しているところをニーナは無慈悲に一刀両断する。
「彼女は力不足です。レイのような機転もありませんし、決断力があるわけでもない。勉強はかなりできるようですが、勉強ができるくらいならどこにだっています。別段、キョウカを頼りにする必要はありません」
零もその通りだと思う。頭の中の論理を司るところもニーナと同じ結論を出している。
それでも、それでも、零の感情は上手く感応してくれない。
どうしてか、雨宮がいないということに二の足を踏んでしまっている。
「結論は、また今度にさせてくれ」
「いいですよ。気長に待っているので、結論が出たら言ってください」
零は自分自身を整理するために時間を要求した。




