103話 最終決戦へ
「な……」
零は言葉にならない動揺を覚えた。
(美月が俺を叩いたのか…⁉ どうして…?)
何が起きたのかさっぱり分からない。
何故、美月が自分を叩いたのか。何故、問題を解く手を止めてまで今叩いたのか。
だが、美月が涙を湛えた目で自分を睨み下ろしているという事実だけはどうしようもなく分かる。
「み…」
「兄さんなんて嫌いです!」
妹の名前を呼ぶ前に拒絶をされる。それは、今までにされたこともないほどに明確な拒絶。
「そうやっていっつも手を抜いて! 私をいつまでもいつまでも子ども扱いして! 私はこんなにも真剣に兄さんに向かっていっているというのに、兄さんは冗談扱いして!」
妹がここまで怒っているのは零にも見たことがなかった。喜怒哀楽のうち、怒りだけは美月から見たことが無かった。
中学の時のあの事件でさえ、美月は悲しみはしたものの、怒りの感情を露わにすることは一度もなかった。
そんな美月が。
「美月…」
「どうせ私なんて兄さんに守られるだけの存在で、兄さんは私に何も求めやしない。そんなの分かってますけど…」
と思ったら悲しげな表情を浮かべる美月。その面持ちは、遠くから見ている雨宮達にも痛々しさを感じさせるほど。
「だからこそ、今日こそは兄さんと真剣勝負ができるって思ってたのに…! こんなにも楽しみにしていたのに…」
悲痛な声を上げる美月に、零も心の中で言い訳をする。
(違うんだ、美月。俺だって手加減したくてしてるわけじゃないんだ…! 俺だってお前と戦うのを楽しみにしていた…っ!)
それでも上手く頭が動かないんだ。体が動かないんだ。
だけど結果として、美月を裏切ってしまった。悲しませてしまった。
だから、言い訳をできる権利なんて自分にはない。それが美月を余計に悲しませているのに。
(せめて、このストッパーが外れてしまえば。いや、だめだ。それで何が起きたのか忘れたわけではないはずだ、入江零。いや、神宮零)
中学の時の、あの時のことを忘れたわけではあるまい。
そして、結局美月のことを心から救えずに、一人の人間、そしてその家族の人生を奪ってしまったことを。
「いいんですよ、零さん」
ふと、耳朶に響く声がした。思わずその声の持ち主の方を振り向く。
その女の子はまるで天使のような、全ての罪を許すような頬笑みを向けている。
「いいんですよ、零さん。過去のことは気にしなくても」
だが、その内容だけは聞いてはいけない。過去を水に流す資格は自分にはない。
だが。
「零くん、全部話は聞いたよ!」
「零っち~、大丈夫だぞ~」
高宮だけでなく、大宮と音宮も知っているようだ。
ということは。
「零くん」
雨宮も知っているということだ。
「おい高宮」
「全部話してしまいました」
だが高宮を責めることはできない。もともと自分でやったことなのだから。
改めて雨宮の顔を見る。どこか美月に似ているその純粋な瞳を。
「零くん、いま零くんが力を発揮できないのは中学の時の美月さんの件が関係しているんですか?」
零は否定も肯定もしない。ただ黙るのみ。
そうして零はその次に雨宮から繰り出されるであろう、非難の言葉を待ったが。
「――大丈夫ですよ」
雨宮が口にしたのは、非難の言葉ではなかった。
「大丈夫に決まっています」
だめだ、それ以上は聞いてはいけない。許されてはいけない。
「だって、そんなに怒ったっていうのは、本当に美月さんのことが好きだったからじゃないですか」
雨宮の隣で大宮、高宮、音宮が頷いている。
「大事にしていた妹さんを傷つけられたから怒って報復した。……たしかに、やりすぎてしまったのかもしれませんけど」
雨宮は両手を胸の前で握ってから、静かに言葉を続ける。
「それは零くんが優しいからです」
優しい? 自分が?
零の内側からから止めどない疑問が溢れてくる。よく分からないまま美月の方を見る。
その時の美月は笑っていた。
「兄さん、私うれしかったんです。兄さんがあそこまで私のために怒ってくれたことが」
同時に、頬に涙が伝っていた。
「本当に辛くて、でもどうしたらいいのか分からなくて、そんなとき兄さんがかたき討ちをしたって聞いて私うれしかったんです!」
今まで伝えられなかった思いを全て吐き出すように、声を荒げている。
(でも、俺は…)
下を向いて自分の世界に入る零。
他人を傷つけたことは変わらない。もし全力を使えば、今回は美月を傷つけてしまうかもしれない。
「違います、零くん」
だが、自己嫌悪に陥る前に雨宮が零に言葉を送る。
「零くんはもう大丈夫です。零くんが大丈夫なことは私たちが保証します」
胸を張っている大宮。微笑む高宮。親指を立てている音宮。
「零くんは私を助けてくれたじゃん!」
「零さんが外道だったら、私は惚れてないですよ」
「零っちならだいじょ~ぶ」
それらは、いつの間にかできた仲間。
「ほら、早く再開しないと、でしょう?」
最後に雨宮に急かされる。最高の笑顔と共に。
零は一度大きく息を整える。気持ちを完全に入れ替えるように。
そして両の手で自分のほほをぱしっと叩くと、
「よし、勝負だ、美月。こっから先は手加減なしでいくぜ?」
明らかに今までと違う雰囲気で美月を見る。口角を軽く上げて。
「……ふふっ、ここからが本当の勝負ですね!」
思わず零の顔を見て身震いをした美月。
ここからが最終決戦。
次回ちゃんと終わりますから、ええ絶対に終わります。
許してください。




