102話 闘う者たち(中編)
問題を始めてから10分。
その様相は誰もが、いや、零以外の誰もが想像だにしていなかった。
「また…差が開きましたね…」
「うん、まさかここまで一方的になるなんてね…」
高宮と大宮が困惑混じりの声を、鬱々とした空気の中に落とす。
「なんでこんなに差がつくんだろう〜…そんなに実力差があるようには思えないけど…」
音宮の素朴な質問には、高宮が応答する。
「おそらく、予想でしかないんですけど…」
美月は、生まれてこの方抱いたことのないような怒りを感じていた。
(なぜ兄さんは本気を出してくれない…⁉ どうして、こんな状況でも手を抜くんですか!)
明らかに零は本調子ではない。あれは慕っている兄の本来の姿ではない。
いや、実際に零が美月に本気で戦ってくれたことなんて無かった。本気を見せてくれたことは無かった。
遊びではいつも加減をしていたし、学校や家でも本気で何かをしている姿というのは見たことがない。
だがそれは強者としての余裕、そう思っていた。
真剣にならなくとも勝てる、力をかけなくてもできてしまう、そのような類のものだと思っていた。
だから、この今の状況。
美月の方が零よりも10問以上先の問題を解いているというこの状況、つまり零が圧倒的に劣勢にいる今。
それでも零が本気を出さないことは、もはや勝負を放棄しているようにしか見えない。
それが、温和な美月を腹立たせている原因なのだ。
(やっぱり雨宮さんたちといるようになってから兄さんは変わってしまった…。こんなの兄さんじゃない!)
兄を負かせて一刻も早く救わなければ、そう自分に言い聞かせる美月だった。
「じゃあ零くんは、手加減してるっていうことですか…?」
高宮の説明を一通り聞き終えた雨宮が、高宮に尋ねる。
「手加減と言っても零さんにはその自覚なんてないでしょうね。特に妹さんを大事にしている零さんだからこそ、無意識にストッパーをかけてしまっているのでしょう」
「そんな…」
雨宮の視線の先にいる零は苦しそうな顔で問題を解いている。自分でも上手く力が発揮できていない現状に苦しんでいるのだろう。
現在、美月はもう70問を解き終えたところなのに零はまだ50問近くだ。この差は埋めようがない。
「ここから逆転は…厳しい…のかな」
「この差は、さすがの零さんでも厳しいのではないかと…」
観客席の方でもはや零の負けムードが漂っている。
「美月ちゃんが勝った場合、どうなっちゃうんだろうね~…」
「最悪の場合は二人してこの学校を去ってしまうかもしれませんね…」
鉛のように鈍重な雰囲気が最悪な場合を4人に予期させてしまう。
「いえ、私たちが諦めてしまってどうするんですか。私たちだけでも零くんのことを信じないと」
嫌な想像を頭から追い出して切に祈る雨宮。
(……)
零は自分との戦いをしていた。
おそらく始まってからずっと、自問自答を繰り返しては自分を鼓舞してきたが、結局のところ何も変わらない。
美月との差は開くばかりで一向に縮まることはなく、もはや絶望的と言っていい程の差となってしまった。
(原因は分かっている。…まさか身内と戦うことがこんなにも難しいとは)
相手が美月ということで無意識のうちに力を押さえてしまっていることに気付くのはそんなに難しいことではない。
なぜなら今現在でさえ、敗北を受け入れている自分がいるのだから。
このままでいけないことは誰よりも自分がよく分かっている。こんな中途半端な状態で勝敗を決しても美月は納得しないだろうし、もしかしたらこれをきっかけに兄妹の絆に溝を作ってしまうかもしれない。
だが。
(どうすりゃいいっていうんだ…。俺だって好きでこんなことになっているわけじゃないっていのに…)
零には解決方法が分からない。こんな状況に陥ったことが今までになかったからだ。
自責の念が零の思考を鈍らせている。確実に脳の容量をそちらに割いてしまっている。
(負けても…仕方ないか…)
ふと、その思考がよぎった瞬間。それを見透かしていたように。
ぱしん。
美月が零の顔を張った。




