穏やかな日々
「はぁ〜、なんてのどかでいい天気なんだ。」
別に話し相手がいるわけでもないけど、顔の横をぶーんと音を立てて飛んでいく虫を見てると自然と声が出た。
本当の事なんだから仕方ない。
俺の名前はチエル。ここ、オレージー村で婆ちゃんと一緒に農業をして暮らしてる、18歳。
村の名前になっているオレージーってのはこの村の特産品で、こぶし大の甘酸っぱい木の実のことだ。
今もちょうど作業の間に婆ちゃんが作ってくれたこのオレージーと焼き魚のサンドイッチを食べていたところだ。微妙な組み合わせに思えてこれがまた美味いんだよな〜。
ちなみに婆ちゃんとは血の繋がりはない。俺がまだ赤ん坊の頃、森で捨てられてるのをみつけて育ててくれた。
今では俺の一番大切な人。
ここ最近、悪魔騒動だの侵略だの噂が流れてくるけど、所詮このへんぴな村じゃ疎遠な話だ。
こんな村じゃ俺たちみたいなただの村人なんて、飯食って、ぼちぼち畑を耕して、飯食って、狩をして、飯食って一日終わっていくんだから。
でも、そんな生活も嫌いじゃない。
それにしても眠い。今日はほんと風が心地いい。今日はもう寝ちゃおうかなぁ〜、なんて思いながら目を閉じた時、畑の向こうから声が聞こえた。
「おーい!チエルッーー!!!」
声だけで分かる。うるさいのがきた。
「お前今失礼な事思っただろ?」
なんて言いながら、ニヤニヤしているコイツの名前はルーチル。
この村の村長の息子で、俺のお隣さん。
明るくて、気さくで、頼れる村の若きリーダーって奴だ。
お前はバカだから心配なんだよ〜。なんて言って俺の所に良くこうしてやってくる。俺からすればちょっとうざい、てかうるさい。
婆ちゃんが俺がコイツと一緒にいると嬉しそうにするから、あ・え・て追い払わないでいてやってるんだ。
「チエル、お前またサボってたんだろ。」
「ちげーよ。ただの休憩中。お前と違ってな。」
「え?俺の愛するミーナとミザリーの話が聞きたいって?しょうがないなぁ〜、今朝も」
「毎日聞きてるからもういいよ!!」
毎回コイツのペースに付き合ってたら大変なんだよ……。
こう見えてルーチルは俺よりも五つも年上で、綺麗な奥さんと子供もいる。
毎日嬉しそうに二人の話をしてくるんだけど……長い!
結婚したばかりあの頃は俺もまだ寛大な気持ちで聞いてやってたけど、最近じゃもう聞き流すことにしてる。
「んで、何しにきたんだよ?成長したらミザリーを可哀想な俺のお嫁さんにやろう!って言いにきたのか?」
ついつい俺も羨ましくなってコイツをからかってしまう。
「チエル……お前俺に埋められたいのか?」
「「…………。」」
「ハハッ。」
「アハハハハ。」
少しの沈黙の後、二人で笑う。何だかんだ言って俺はコイツと過ごすこんな時間が好きなんだ。
ひとしきり笑った後、
「あぁ、明日この村にも神都からの使者様と守護兵が来るらしい。」
「え?こんな村に?悪魔の一匹も出たこと無いのに守護兵まで来るのか?」
「詳しいことはよく分からないけど、西側の国や村じゃ結構な被害が出てるらしい。こっちじゃ想像も出来ないが、親父が言うには万が一に備えての事だろうってさ。何も起こらないに越したことはないが……。」
そう言ってルーチルは首から下げている二つのリングを握りしめた。
俺だって、悪魔なんて見たくもないし、大好きな村が襲われるなんて考えたくもない。婆ちゃんや、コイツ、ミーナさん、ミザリー、村のみんなにもいつまでも元気で笑っていてほしい。
俺には戦闘なんて出来ないけど、せめて婆ちゃんだけはいざという時、守ってやりたいなぁなんて考えてしまう。
「まぁ、まだ使者様達がくるってだけで何か起こるって決まった訳でもないんだけどな!」
そう言いながら笑うルーチル。
時期村長であるコイツは村のことをつねに考えている。妻や娘もいる。こんな時代一番不安な筈だ。
でも、コイツの言う通りここら辺にはそんな悪い話は全くない。起こってもいない事を考えたって仕方ないんだ。
「それから、頼まれてた薬。」
ほれっ。と言って俺に渡してくる。
「婆さん大丈夫か?少し俺も顔見に行ってもいいか?」
「ありがとう。ミーナの薬が効いてるみたいだよ。最近じゃだいぶ起き上がれるようになってきたよ。今日も朝からサンドイッチ作ったから持って行けって。ルーチルの顔見たら婆ちゃんも喜ぶよ。」
そう言って俺は立ち上がる。
「今からでもいいのか?仕事終わるの待ってるぞ?」
「良いんだよ!今日は大方終わってるし、なんか婆ちゃんの顔見たくなった。」
「お前はマザコンだなぁ〜。」ニヤニヤ。
「うっせぇ。もう連れて行ってやらないからな。」
「悪い、悪い。ははは。」
そんな話をしながら俺とルーチルは婆ちゃんの待つ家に帰っていく。
俺は明日も明後日もこんな何もない日々が続くんだろうな、なんて当たり前のように思って疑わなかった。
*
オレージー村の外れ。
地面から生え出るマザーホワイトの巨大な根の一部が北から吹く冷たい風から村を守っている。根は毒素や老廃物を吸収し、栄養や魔力に変えている。マザーホワイト自体豊富な栄養素を含んでおり、根は吸収だけでなくその栄養を分泌するため、露出した根の周りでは植物が大きく良く育つ。オレージー村の周りもそのおかげで緑にあふれていた。
根は育った木々によって中々近づく事は出来ない。人口の少ない村々では人が通りやすくするような整備まで手が回らないのが現状だ。
まだ誰も気づかない。
白く輝くその根の一部が黒く変色している事に。
まだ誰も気づかない。
その黒からズズッーーっと死が這い出てきた事に。
まだ誰も気づかない。
死はゆっくり起き上がり遠くでぼんやりと輝く灯りを見た。そして誘われるように歩みを始めた。
*
俺とルーチルはオレージーと同じ色に染まった夕焼けの中を二人で家に向かって歩いていた。
「ただいま婆ちゃん。」
「おかえりなさいチエル。お疲れ様。あら、ルーチルも来てくれたのかい?顔が見れて嬉しいわぁ。ささっ、どうぞ上がって、今オレージーのシチューとパンが焼けたところなのよ。」
婆ちゃんは二人を笑顔でむかえいれる。ルーチルもいたのが嬉しかったのか、いつもより若干テンションが高い。
「こんばんは。5日ぶりぐらいですかね。身体は大丈夫ですか?ミーナもミザリーも心配してたんですよ。」
「そんなに動いて大丈夫なのかよ。」
「えぇ。前に貰った薬が効いてきたみたい。今日はとても調子がいいの。本当にありがとうね。ささっ、上がって上がって。チエルも疲れてるでしょ。」
本当は久しぶりに婆ちゃんと二人でゆっくり食べたかったけど、婆ちゃんの嬉しそうな顔見たらたまにはいいかなぁ、なんて思えてくる。言っとくけど、たまにはな!
本当の親じゃないけど、さっきあいつに言われたマザコンって、案外当たってるかもしれない。
ルーチルはムスッとする俺を見て、気持ち悪くウィンクしてから、
「じゃ、お言葉に甘えて少しだけお邪魔します。」と言って俺よりも先に家の中に入って行った。あいつ……。
俺たちは婆ちゃんが作ったパンとシチューを囲んで、久しぶりに3人で話に花をさかせていた。とは言っても、話し上手なルーチルが畑の事や、子供たちの事、村の事を話してくれるのを俺と婆ちゃんが聞いてるって感じなんだけどね。最近寝込みがちだった婆ちゃんはすごく嬉しそうに話を聞いている。
「そうかい、そうかい。そんな事があったのね〜。……でも、今日は本当にルーチルが来てくれて嬉しかったわ。チエルは昔から友達が少ないでしょ?優しい子なのにあまり打ち解けようとしないから。でも、貴方がいてくれてどれだけ心強いか……。私は本当の母親にも、友達にもなってあげられないから。これからもどうかチエルの事よろしくね。」
「ちょっ、婆ちゃん!何もこんな奴に頼まなくたっていいだろ!俺だってもう子供じゃないんだから。」
婆ちゃんはあらあら、貴方なんて私から見たらまだまだ子供ですよ。何なら誰か良いお嫁さんも紹介してもらいなさい。なんて言って来るけど、本当コイツに頼むのだけは勘弁して欲しい。
「俺にドンと任せてくださいよ!」なんて言って、ルーチルも調子に乗っている。
「ふっざけんな、婆ちゃんの前だからって調子に乗るなよ!」
俺をよそに二人は顔を見合わせて笑っていた。
一番星以外の星たちもくっきりと輝きだした頃、
「じゃ、ご馳走様でした。お土産のシチューまで貰って本当ありがとうございます。」
「良いのよ。ミーナちゃんとミザリーちゃんにもよろしくね。」
楽しい時間はあっという間に過ぎて、ルーチルは帰って行った。
「ふふ、久しぶりにとても楽しかったわ。」
婆ちゃんはそう言ってふんわりと笑った。
「そうだね。」
俺は婆ちゃんの手を引いてベッドの場所まで連れて行く。窓から見える星がキラキラ輝いていてとても綺麗だ。
「でも、少し疲れてしまったようだから、すまないけど先に休ませて貰うわね……。」
「大丈夫。後のことはやっとくよ。ゆっくり休んで。」
俺はここ最近しているように婆ちゃんに布団をかける。
ふと、婆ちゃんが悲しげに笑ったような気がして、俺は婆ちゃんの手を強く握った。
「俺、婆ちゃんの事本当の母さんだと思ってる。ここまで俺を育ててくれたのは婆ちゃんだ。確かに血は繋がってないかもしれない……でも本当に心から感謝してる。これからも二人で暮らそう、母さん。」
何だか、婆ちゃんの顔を見てると今伝えておかないといけない気がした。
「感謝だなんて……バカな子だね。子供を育てるのは親の役目なんだから。私も貴方を本当の子供だと思っているわ。」
そんな言葉に俺はついウルっとしてしまう。
「さぁ、明日は使者様もいらっしゃるんでしょ?早く寝ないと、寝坊してまたルーチルに笑われるわよ?」
「それは勘弁。じゃ、おやすみ。」
そう言って俺はゆっくり寝室の扉を閉めた。