一人が優しくても世界は優しくない
『隊長ー!あんたどこまで行ってんの!?』
珍しく破損もなければ紛失もないインカムから響いた新参兵の声に、ああ?と声を上げた。
「何処ってお前……何処だ此処」
腰を低くした状態で駆け足。
辺りを見渡して、はて、と自分自身首を傾げてしまった。
任務の最中、割と良くあることで、大抵何とかなるので気にしたことも、ないのだが。
しかし、新参兵の方は未だ私のそれに慣れないようで「GPS見ろや!」と声を上げて突っ込みを入れてくる。
仮にも遠距離戦を得意とするスナイパーが、そんなに居場所を示すように叫んで良いものなのか、否、良くは無いだろう。
『もー!本隊が作戦完了したら、俺らも合流地点まで戻るって』
「了解」
ぷんすこ、という音が聞こえてきそうな怒り方をしている新参兵に、短く返し、更に足を進める。
自然と鼻が上下するが、近い、気がする、が、はっきりとは分からない。
犬程では無いものの、他の人間に比べれば嗅覚が働き、何となく感じるものがある。
銃を持ったまま曲がり角へと飛び出し、見開いた目で人影を見つけ、袖口からナイフを取り出してしまう。
何の為の銃だ、擦り傷一つで声を荒らげる軍医が、かつて言った言葉だった。
驚いた際、咄嗟の判断が出来ない――というか、選択肢が狭まるのは悪い癖だ。
私が驚いて取り出す袖口のナイフは、新参兵が吃驚ナイフと名付けており、その吃驚ナイフは、人影の喉元を真横に掻き切った。
存外滑らかな感触で、そのまま崩れる人影――敵軍人を見下ろす。
「先ず、一人、と」ナイフを持つ手とは逆の手に持った銃を、確認出来ていたもう一つの人影に向ける。
そこで、気付いた。
瞳孔を開き、ハッハッと浅く短い呼吸を繰り返すのは子供だ。
しかし、着込んでいるのは敵軍人の軍服で、嗚呼、と片眉を歪める。
褐色肌の少年は、十歳前後か、スリングで肩に引っ掛けた銃へと、震える指先を伸ばした。
「触るな」
その少年はまるで電流でも流されたように体を揺らし、固まる。
「それに触るな」私は繰り返した。
「……銃を向けたら私は君を殺さなくてはいけなくなる」
揺れる瞳を向けられ、私は私の持っていた銃の代わりにナイフの刃を横に動かし、スリングを切り裂く。
重力に従って地面に落ちた銃は、思い音を立てた。
「見逃してやるから、行け」
じり、少年が片足を下げる。
「走れ」私の言葉と共に身を翻した少年の、軍人とは思えないか細い背中を見ていると、インカムがザザッとノイズを立てた。
『おやおや〜?やっさしいね、隊長!』
無駄にテンションの高い声が、インカムを通して聞こえてくる。
「何だ、居たの」
『俺らの間の無線、開けっ放しですよ!』
「マジか。ぱーぱーじゃん」
『ぱーぱー!』
ケラケラ、ケタケタ、笑い声を上げる新参兵の、喧しい声を聞きながら壁に背を預け、進路方向の様子を確認する。
『でも、隊長が命令違反は頂けないんじゃないですかねぇ』ナイフを袖口に再度し舞い込む私に投げられる新参兵の言葉。
声音は笑っていた時と大差無い。
『陽動と敵兵の排除が、今回の任務だったでしょ』
「嗚呼、まあ、そうだけどね。やっぱ、バレたら処罰モンかな」
『ああ!鉄拳制裁とか?』
変わった様子もなく、人の気配も感じられなかった為、そのまま動き出せば、やはり、楽しそうな新参兵の声が鼓膜を揺らす。
それと同時に、本部隊の部隊長の姿を思い返し、いやいや、と首を横に振る。
「あんなゴツイおっさんの拳骨喰らったら、昏倒するでしょう」
『ぶはっ!隊長、頭小さいですからね!!くぼむかも……』
何を想像したのか、新参兵の声が震える。
コイツは何処に居ても楽しそうだと思い、自分自身緩み出していた空気を締めた。
「……偽善か」
タタッ、と自分の足音を聞きながら吐く。
溜息にも似たそれに、新参兵は一拍置いてから「いいんじゃないですか」と言った。
「ニセモノでも、なんでも。生き延びてなんぼの世界ですし」
「まーな」
新参兵の言うことも最もだ。
軍人だろうが何だろうが、兎にも角にも、今日を生きることに必死な人間が大半の世の中で、銃火器を持たなくても命の危険は直ぐそこの時代である。
『俺らみたいに陽の目も見られない日陰暮しが続いてると、正直そこらへんの感覚も冷え切ってよく分からなくなるんですけど』
ふ、と鼻から抜けるような笑い声が、ノイズ混じりに鼓膜を揺らした。
「でも、隊長のところはちょっと、あったかそう」
サングラスの奥で目を細め、眉の形を困ったような八の字にした新参兵の姿が瞼の裏に浮かんでは消える。
目を見開き、足を止めそうになり、何とか地面に押し付けるようにして前へ進む。
「……此処が?」
インカムがノイズ音を立てた。
新参兵は私の声を聞き取れなかったようで「隊長?」と訝しげな声を漏らす。
それに対して「いいや、何でもない」短く返して、地面を蹴る。
遠くで聞き慣れた銃声と爆発音が聞こえた。