この世界への結び目
今から考えると、あのときの会話は幼なじみの彼女なりの別れの挨拶だったのではないかと思うことがある。けれどもそれは後から思いついたことで、そのときはいつもの中身はなくとも楽しいおしゃべりの時間だとかしか思わなかった。
1
「もしもこの扉の向こうが別の世界に通じて、そして二度とこの世界に戻れなかったとしたらあなたはどうする?」
いきなりそれまでの流れと関係のない話をするのが彼女だった。
「どうもこうも先に何があるのか、わからない場所には僕は行きたくはないね」
「キミって本当につまらない人ね。それこそラノベの主人公なら喜んで見知らぬ世界に飛び込むわよ」
「残念ながら僕はごく普通のありふれた人間だからね、君と違って」
「そうキミと違ってね」
僕は一切皮肉なんて含めていなかったし、彼女も明るく無邪気に笑っていた。
ふと突然真面目な表情を浮かべると口を開いた。
「ねえ、わたしは今ここにちゃんといる?」
「質問の意図がわからないけれども、君はきちんと僕の目の前にいるよ」
「うん、ありがとう。でもわたしは本当にいるのかしら?あなたの認識の中にいるだけの存在じゃないって言い切れる?」
「それって何かの理論の話?それとも哲学的な話?君にはそういったものはありふれたものなのかもしれないけれども、僕には無縁のものだよ」
「本当にそうかしら?」
悪戯っぽい笑みを浮かべながらさらに口を開いた。
「無縁と思っていても、本当はただ何も知らないだけなのかもよ」
「だとしても僕にはお手上げだよ、何を知らないのかさえわからないのだから」
「キミは素直でいいわ」
「だって君のことを知っているからね。どんなに隠し事をしようともささいなことから君はその裏の感情まで見抜くのだから、隠すだけ無駄ってものさ」
「でも、たいていの大人は本心を隠して生きているのではないかしら?」
「さあ、僕はまだ大人ではないからそういったあたりわからないよ。でもね、子どもだって本心を隠して生きているとは思うよ」
「じゃあ、大人でも子どもでもない中途半端な時期のわたしたちはどうなの?」
「それはもちろん本心を隠しているさ。ただ僕の場合は君に対してはさっきも言ったように無駄な努力はしないけれどね」
彼女はとても嬉しそうに見えた。
「ねえ、キミはわたしのことをいつまでも覚えていてくれる?」
「突然どうしたんだい?もしかして何か病気でも見つかったの?」
「べつに何もないわ。ただね、さっきも言ったようにわたしがここに今いることを認識していてほしいなと思っただけよ。この世界へと通じる結び目としてとして」
「結び目って何のことさ」
「世界と世界を結ぶ細い線の結び目のことよ。それぞれの世界は交わらないものだけれども、何かひとつ結び目があればつながることができるの。結び目さえあればその細い、細い線を伝わってやがて元の場所に帰れるものよ。そう結び目さえほどけなければ」
「なんだか空想科学の世界の話に思えてきたよ」
「べつになんだっていいのよ。キミがわたしのことを覚えていてくれれば、それが結び目となるのだから。それでどうなの、わたしのことを覚えていてくれるの?」
「さあ、どうだろうね。君との付き合いは長いとはいっても一度途切れたら記憶のなかに埋もれてしまいそうだけれども」
「完全に忘れてしまうの?」
「普段は忘れていると思うよ…でもね、記憶ってものは何かひとつきっかけがあれば突然浮かび上がってくるものじゃないのかな。そのときに君のことを思い出すと思うよ」
「ロマンチックじゃないわね。普通そこはいつだってわたしのことを覚えているよ、って答える場面じゃないの?」
「それを望んだとき、君はそれを否定したじゃない」
「時は流れるものよ、考えも変わるわ」
「じゃあ今は…?」
「意地の悪いキミには今は内緒だよ。キミが結び目としてわたしのことを覚えていたら教えてあげるわ」
「でもそのときはまた考えが変わっていないの?」
「さあ、どうでしょうね」
無邪気に、イタズラっぽく笑う彼女を見たのは今のところそれが最後だった。
2
翌日新聞やニュースは厳重な監視下にある研究所から消えた天才少女の話題で大騒ぎだった。
すべての出入り口と窓には、その研究所の重要さゆえにすべて監視カメラがありさらにはいたるところに警備員が配置されていた。
目撃者の証言もカメラの記録もすべて自室に入ったこととそこから誰も出なかったことを証明していた。にもかかわらず天才少女は煙のように、それこそ最初から存在しなかったかのように消えてしまった。
3
光陰矢のごとし、いつのまにか「僕」から「私」が似合う年齢になってしまった。
結婚をし、子どもが生まれそして最愛なるひととの別れ…さまざまなことを繰り返し気がつけば孫を抱く日まで訪れてしまった。
私も子どもたちも結婚が早かったため、孫が出来たといってもそこまで高齢ではないのだけれども、立派なおじいさんになってしまった。
まったくもって不思議な気持ちであると同時に、もはや「僕」という時代がぼんやりとしたものになり、あの頃の気持ちを想いだすことが難しくなってきた。そもそもその想いだしたものがあのときの、その瞬間の気持ちなのか今では怪しくもある。
けれども未だに帰らぬ彼女のことは、はっきりと心に刻まれていた。
それは最愛なるひととの裏切りなのかもしれない…だけどそれが恋だったのかどうか今ではもうわからない。どちらにしても私にとっての女性はただひとり、今は亡きひとだけ。
4
気持ちのよい陽射しのなかの散歩から戻り、郵便箱を除くと消印も宛名も何もない今時珍しい複雑な紋章の、本物の封蝋がなされた封筒が入っていた。
家の中に入り封筒を開くと中にあったのは一通の手紙と一枚の写真だけだった。
一通といってもその中身はとてもシンプルなもので、遠い記憶の中で見覚えのある手書き文字はこう記されていた。
あなたは本当に素直な人ね、でもだからこそわたしの結び目
「これだけの長い時間が流れているのだからもっと他にあるだろうに」
私はただただ苦笑いするしかなかった。
そして手紙の左下隅の方ににじみから、裏面にも文章が書かれているのに気がついた。
あなたにとっての最愛なるひとは、わたしではなく彼女。それだけはたしかなこと
5
写真のなかの彼女はあの頃の記憶のままの若い姿だった。
けれども不公平にも一緒に写る私は今以上に年老いて車椅子に乗った姿だった。
本作品は自分が好きな海外ファンタジードラマや小説を意識して、さらに会話主体として出きるかぎる心理描写を省いたいわゆるハードボイルド文体を目指した物語です。
幻想的であると同時に最後に切なさを含んだ物語にしようとしたのですが、これが今の自分の精一杯の結果でした。
少しでも楽しんでいただけたら幸いです。




